5 救いの黒

 ふわり、と冷たい風が肌をなで、まとわりつく暑気を払う。彼女はなびく髪を手でおさえて、じっと正面を見つめた。増えつつある、馬車と旅人のために、急ごしらえで整えられた道。土と草のまだら模様がどこまでも続いているようで、変わったところは見当たらない。

 そう、見当たらない。

 けれど確かに、異変は感じる。肌の上でぴりぴりと、不快なしびれが主張する。

「このあたり、かしら」

 彼女は呟いた。すぐに首を振り、自分の言葉を自分で否定する。

「んー、まだ気配が弱いわね。もう少し進んだあたりかな」

 呟きをこぼしながら、彼女は道を進んでゆく。靴音があたりに響いては消え、響いては、消え。繰り返すのは、彼女の愚痴に似た言葉も同じだった。

「ったく。町の連中も、ひどくなる前に教えてくれればよかったのに。気づかないあたしも未熟なのかしらね」

 愚痴はぽろぽろ、途切れず続く。それは決して、体力の無駄遣いなどではない。話すことで、考えたことを形にする。それにより、意識を今この場所に集中させる。「異常」にのまれないことが、今は何より大事だった。

 対処に来たはずの彼女が、閉じこめられてしまった、などということになれば、笑い話ではすまなくなる。師匠に知られれば確実に二晩説教される。

 ぼやきながら歩いていた彼女は、ある場所で足を止める。ほんのわずか、視線の先の空間が、水の波紋のようにゆがんでいるのを見て取った。

 瑠璃色の瞳が、いっそう強い光を帯びた。

「――ここみたいね」

 右腕をのばし、ほっそりした手を虚空にかざす。白い指の先で、蒼い火花が弾けて散った。



     ※

     

 

 そう時間の経たないうちに、アニーとフェイの探し人たちは見つかった。が、安心するひまもなく、驚くはめになる。ロトが地面に手と膝をついて、苦しげに息をしていたのだから。

 青年は、意識があるのかわからない、うつろな目で地面を見ている。一緒に馬車から離れた少女が、かたわらに寄りそって、泣きそうな顔で彼に呼びかけていた。

「ロト!?」

「何が……」

 二人は大急ぎでそばに行った。涙目のエルフリーデが二人を見上げる。

「ふ、二人とも、来たの? どうして」

「ど、どうしてって」

 フェイが返答に困っている間、アニーはロトに詰め寄った。

「ちょっと、ロト! いろいろどういうこと!」

 おおざっぱすぎ、というフェイの言葉を聞き流す。アニーがにらんでいると、ロトは少し顔を上げた。色を失った額には、じっとりと汗がにじんでいる。

「……なに。馬車が進まなくなったくらいから、急に呪いが強くなってな。ぼろぼろの腕輪じゃ、おさえきれなかったらしい」

 は、と声をこぼしたあと、アニーは慌ててロトの右腕のあたりを注目する。黒い、模様のようなものがうぞうぞと、右手の甲に迫っていた。アニーが遺跡探索の最中、ロトの背中に見つけた黒いものと同じ。彼の「呪い」は、術を使いすぎるとこの黒いものが広がって、黒くなった部分は力が入りにくくなる、らしい。

 アニーが絶句していると、ロトは「どうもこれが、腿のあたりまで広がっちまったみたいでな。あっという間に力が抜けて、転んだ」などとうそぶく。驚きすぎて、いよいよ声すら出なくなった。アニーが口をぱくぱくさせていると、代わりとばかりにフェイが問う。

「ど、どうして、そんな状態で馬車をおりるなんて言ったんですか!?」

 めったに聞かないフェイの大声に、三人ともがひるんだ。だが、ロトはすぐに淡々と言いかえす。

「あの場にいたら、そのうち誰かが殴りかかってきそうだったからな」

「そんなこと――」

「ないと言い切れるか? あの御者や、客たちの顔を見ただろ」

 フェイは声を詰まらせる。アニーも眉をひそめた。形の見えない恐怖を思いだす。

 二人が押し黙っていると、少し落ちついたらしいロトが、近くの木にもたれかかってから話しだした。

「魔術師ってのは、どこへ行っても厄介者だ。俺がエルフリーデのことを黙っていたのも、それを知っていたからだ。ヴェローネルはわりとどんなやつでも受け入れる街だから、俺が便利屋をやっててもめったに文句は言われない。けど、魔術師を不気味な奴らと怖がっている連中は少なからずいる。加えて今は、不思議な現象が起きて、剣を持った奴に襲われた直後なんだ。みんな不安がってる。不安が強すぎたあまり、魔術師っていう得体の知れない人間に責任を押し付けて排除しようとしたんだよ」

 そんな、と悔しげな声。誰のものかはわからない。ただ、ロトはゆるくかぶりを振った。

「俺は奴らを否定しない。不安になるのはしかたがないんだ」

「だから、すごすご引き下がった、っていうの?」

 アニーは思わず、言ってしまった。言葉はいつも以上にとげとげしい。そばの少年少女がひるんだが、青年はひるまなかった。

「そうだな。すごすご引き下がった」

「なんでよ。前みたいに、ぎゃんぎゃん言い返せばよかったじゃない」

「それができれば苦労しねえ」

 青年の反論には、心がこもっていなかった。アニーは怒鳴りそうになって、ぐっとこらえる。

 わかっている。

 ロトはアニーたちのためにそうしたのだ。

 アニーを、フェイを、エルフリーデを。三人を守るために、三人に被害が及ばないように、黙って受け入れることを選んだのだ。

 本当に、どうして。大人は、意地悪で、かっこつけなんだろう。

 アニーはわきあがる思いをため息に変えて、吐きだす。ふと、幼馴染と友達を振り返ると、ふたりとも顔がひきつっていた。アニーは、私がそうとうひどい顔なんだろうな、と考える。思いっきり頭を振っていると、ロトが「どうせ、どこにいたって先へ進めないのは一緒だしな」と呟く。

「そう、それだよね」

 フェイが手を叩いた。

「結局、どうするの? ぼくたちだけで、方陣を探すとか?」

 話題が変わったからか、場の空気がやわらかくなった。納得できずにしぶい顔をしているアニーをよそに、ロトが自分の手足を気にしながら、ふむ、とこぼす。

「どうするかな。探してもいいけど、いつまでかかるかわかんねえ」

「でも、探さないと、それこそいつ出られるかわかりませんよね」

 エルフリーデが、うつむいて意見する。そこだよね、と三人とも、うなずいた。

 さらに悪いことに――かなめのロトは、おそらくもう、動けない。嫌な事実に思い当って、アニーはとうとう天をあおいだ。はあっ、と息を吐きだすと、とたんにむなしくなる。同時に心が少しだけ落ちついたのだから不思議なものだ。

 気合を入れなおしたアニーが地上に視線を戻した、ちょうどそのとき。ロトが「ん?」と言って、先の見えない道を振り返る。彼はそのまましばらく固まった後――

「おいおい、こりゃあ」

 呟いて、唇をゆがめた。フェイとエルフリーデが首をかしげる。一方、アニーは、びっくりしていた。

 ロトが、笑っている。よく見ないと気づかないくらいかすかだけれど、確かに、笑っている。

「――おい、おまえら。心配しなくてもよさそうだぞ。よかったな」

 告げる声は、微妙に揺れていた。はじめて、彼が嬉しそうにしているのを見たアニーとフェイは、目を白黒させた。が、そのとき、エルフリーデが息をのんで、二人を振り返る。

「二人とも、伏せておいた方がいいよ。がきそう」

 と言うなり、彼女自身がしゃがみこんで頭を抱えた。アニーたちは戸惑いながらも、同じようにして頭を抱える。

 あたりが静まりかえった。

 そう思っていたら、いきなり重々しい音がして、地面が揺れて、空気が震えた。


 突然のことに、疑問の声すらあげられなかった。ただ、体をかたくして、突然の衝撃をやりすごす。アニーは地震かとも思ったが、それにしては揺れ方が妙だった。まるで、拍子を刻んでいるような震動。そして、襲ってくる耳鳴りを最後に、謎の衝撃はおさまる。アニーは頭をあげ、かたまっているフェイをはたいた。そしてあたりを見回して、今日何度目になるか、言葉を失うほどの驚きを味わった。

 道が、続いている。もやもやとしていたはずの世界がひらけ、鮮やかになっていた。遠くには町の影もある。

「え、なんで?」

「私が知りたい」

 幼馴染たちはどこか間の抜けたやりとりをしたあと、人影に気づく。

 アニーたちの前の方に、知らない女の人が立っていた。むこうもすぐこちらに気づいたようで、目を大きく開いたかと思えば、おおげさに驚いたしぐさをしてみせた。

「あらま。結界を破けたかと思えば、さっそく迷子発見だわ」

「ま、まいご?」

 アニーが素っ頓狂な声で繰り返すと、女性はほっそりした指を彼女の額めがけて突きつけた。

「結界にはまって出られなくなって、同じところをうろうろーってしてた人。つまり、あなたたちみたいな人」

 女性は早口でまくしたてた。出会っていきなり、勢いのいい人である。どう返してよいかわからず、はあ、と子どもたちは気の抜けた声を出す。女性は怒った様子もなく、長い黒髪を軽く払ってから、子どもたちを見回した。

「あのう。お姉さん、どちらさま?」

 アニーがようやっと質問をすると、女性は目を瞬いたあと、手を打った。

「あたし? あたしは、この先のポルティエに住んでる善良な市民。町の人の困りごととか、たまに面倒見てるんだけどさ。今はその一環で、謎の行方不明事件の調査にきたってわけ。それで」

 またしても口早に語った女性は、そのまましばらく少年少女を見つめる。

 目の覚めるような瑠璃色の瞳に見すえられて、アニーはどきりとした。何か、深いところをのぞかれているような感じがした。

「迷子はあなたたちだけ?」

「あ……いえ」

 すぐそばで行われたやり取りで、アニーは我に返る。謎の女性の質問に答えたのは、フェイだった。

「えっと。乗合馬車一台、です。ぼくら、それに乗ってきたんですけど」

 女性は、ははあ、と腕を組む。黒衣の大きなそでが揺れた。「じゃ、ひとまずその馬車に案内してよ」と声が続く。事情を知らない彼女の要求に困り果て、子どもたちは視線をかわしあった。そして向き直ったのはエルフリーデだった。正直に、話すことにしたらしい。

「あの、実はたった今、わたしたち、追い出されたところで。いろいろあって、わたしが魔力持ちだってばれたから、降りてくれって」

 女性は軽く目をみはったが、アニーが予想していたよりは驚かなかった。むしろ、納得したふうにうなずいている。そっか、あなた術の勉強まだなのね、などと言って、エルフリーデをながめまわしていた。三人が呆気にとられている間に、女性は満足したのか、エルフリーデから視線を引きはがす。

 その後、いきなり表情が厳しいものになった。

「で……」

 と、感情を押し殺した声とともに、視線がすべる。彼女の目は、木に背を預けて、眠ったようにしている青年をとらえた。青年は視線に気づいたのか、薄目を開けて女性を見返す。

「なんで、あんたはそんなところで行動不能になってるの? 事情を説明していただけないかしら」

「――あいかわらず騒がしいな、おまえは。頭に響くから、せめてもうちょっと声落とせよ」

 剣呑な言葉のぶつかりあい。そこには少なからず、親しみが感じられて、子どもたちは意外に思った。その間にも、女性はかつかつとロトの方へ歩み寄り、腰に手をあて彼を見おろす。

「誰のせいで声が大きくなってると思ってんのよ。だいたいあんた、そんなになるまで腕輪を放っておいたわけ?」

「んなわけあるか。おまえのいう結界に入ったあとから、急に悪くなったんだよ。説明がほしいのは、むしろ俺の方だ」

 二人とも、話すごとに語気が荒くなってゆく。いろいろ聞きたいことがあるのだが、それもしづらい雰囲気だ。三人が機をうかがっていたとき、突然に言いあいは終わった。ロトが思いっきり顔をしかめてうずくまったのだ。女性が顔をこわばらせ、青年の肩に手をそえる。

「ちょっと」

「目、まわる……」

 か細い声がした。ロトがさらに何か続けようとしたのを、女性が大きなため息でさえぎる。

「まったく。呪いが進んだなら進んだで、大人しくしていれば迎えにいったのに。なんで、そういうときばっかり無理するのよ。お馬鹿さん」

 不可抗力だ、と言い返したロトは、深海色の瞳を上向けた。女性が彼の額を優しく小突く。

「寝てな」

「ん、そうする……。マリオン、あと、たのむ」

「はいはい」女性の返事が終わる前に、ロトの頭がかくんと力を失った。そばで見ていたアニーたちは、そろって息をのむ。

「ロトさん!?」

 フェイの悲鳴を聞きつけた女性が、ころころと笑った。

「平気よ。寝てるだけ。体に無理させたから、疲れが出たんでしょう。――ひとまず、応急処置だけはしなきゃ」

 最後の一言はささやきで、アニーたちには聞きとれなかった。女性はそのままロトの前にしゃがみこみ、何かを始める。アニーはおそるおそる、黒い背中に声をかけた。

「それで、お姉さん、何者なの? さっきとは、違う意味で」

 ン、と言った女性は、すぐ納得がいったようだった。

「そうね。あなたたちが彼の知り合いなら、あたしの答えも変わってくるわ」

 そう言ったあと、女性は顔だけ三人の方へ向け、悪戯っぽくほほ笑んだ。

「あたしはマリオン。ロトの幼馴染の魔術師で、こいつの腕輪の製作者よ。よろしく」

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