4 契約

「魔物」

 フェイの静かな震え声が、鋭い空気の中に溶けていく。

 子どもたちの、魔物というものについての知識は深くない。せいぜい、「魔術に似た力を使う変な怪物」くらいの認識だ。それでも、恐怖の対象には違いなかった。

 立ちすくむ二人の前で、ロトが深いため息をついた。

「遺跡や神殿を守る『守護獣しゅごじゅう』と呼ばれる変わった魔物の一部が、体の中に持っている力の塊が《雪月花》だと言われていてな。けど、実際にそれを目にした奴は少ないし、お宝を求めて守護獣に挑んだ連中は、ほとんどがやられてる。情報が少ないのは、そのせいでもあるんだよ」

 淡々と語ったロトは、尻ごみしている子どもたちに、畳みかけるように言葉を吐いた。

「大の大人でもそんななんだ。そっちの金髪は剣の心得があるみたいだが、だからといって守護獣に挑んで生きて戻れるはずもない。だいたい、奴らの棲んでいるところに入るだけでもかなりの危険が伴う。わかってるのか」

「っ……。でも、探して、こないと」

 息を詰まらせたアニーは、心臓が激しく鳴るのを感じながら、ただ言うためだけに口を動かした。ここで立ち止まり、言いくるめられてそれで終わり。そんなのはいけない。負けるわけにはいかない。その一心だった。

 アニーの表情を見て、何か思うところがあったのか、ロトは頬杖をついて二人に問いかけた。

「だいたい、なんでそんな必死になって、《雪月花》のことを探ってるんだ?」

 アニーはうっと顔をしかめる。今、もっとも訊かれたくないことだった。器物損壊の罰だと知れば、ロトはまた馬鹿にするに決まっている。それだけは、彼女としては御免だった。しかし、少女がうんうんうなっている間に、気を取り直した少年が答えてしまった。

「え、ええとですね……。実は、学院の課題でして」

「ちょ、ちょっとフェイ!」

 アニーが慌てて声を上げるが、フェイは無視して話してしまった。ロトは終始無言で聞いていた。もともとそんなに複雑な話でもないので、すぐに説明は終わった。

「というわけで、一週間以内に《雪月花》を探さないといけないんです」

 フェイは、そう締めくくって息を吐いた。アニーはぎろりとフェイをにらんだが、彼は何も言わなかった。おびえるような顔はしていたが。

 一方、ロトはというと、不機嫌そうに目を細めている。

「なるほどねえ」

 小さな声で呟くと、彼はさげすむように子どもたちを見た。それから、低い声で言う。

「探す必要、あんのか?」

「――はい?」

 アニーとフェイは同時に訊き返した。するとロトは、体を起こして二人をじっとりとにらんだ。

「《雪月花》、そこまで必死になって探す必要、あんのかよ。おまえ、学院で勉強する気ないだろ」

「……は?」

 アニーは、空気が抜けたような声を上げた。あまりにも力のなかったその音が、自分の声だとすぐにはわからなかったほどである。からっぽになっていた頭に、あとから青年の無愛想な声が、布を濡らす水のようにじっとりしみこんできて――あるときふいに、頭にかっと血がのぼるのを感じた。

「何よその言い方!」

 今まででもっとも大きい怒声が部屋を揺らした。フェイは耳をふさぎながら飛びのくほどおびえていたが、ロトはまったく動じていない。表情を変えず、身じろぎひとつせず、そこにいる。よけいに腹を立てたアニーが、勢いに任せてまくしたてようとしたとき、先手を取ってロトが口を開いた。

「だって、そうだろう。わざわざ『やるな』と言われているようなことをして、しかも友達まで巻きこむってこたあ、やる気がない、もしくはそこにいるのが嫌だってことじゃ、ないのか」

「なっ――」

 アニーは顔を歪め、それでも言葉を紡ぐことすらできず、口をぱくぱくと動かす。

 少女の中の怒りはどんどん強くなり、もはや理由のわからない、ただの激しい熱を持った感情となっていた。それが爆発するかと思われたとき――泣きそうな声が、割り込んだ。

「そ……そんな言い方、あんまりです!」

 アニーとロトが、同時に声の主を見る。二人とも、目をみはっていた。

 とっさに割って入ったフェイは、一瞬身をすくませたものの、すぐに背筋を伸ばしてロトを見る。

「確かに、アニーはふまじめに見えるかもしれません。けど、アニーだって必死で苦手な勉強を頑張って、試験を通って学院に入ったんです! やる気がないわけ、ないじゃないですか! アニーがいたずらしたりとか、今回みたいにちょっと行きすぎた正義感で突っ走っちゃうのには、ちゃんと、理由があるんです」

「ふうん。理由、ね」

 わずかなぶれもない、まるで文章をただ読み上げているだけのような声が、子どもたちの鼓膜を揺らす。

 冷やかに目を細めるロトを見て、フェイがはっと口をつぐんだ。まるで、まずいことを口走ってしまった、といわんばかりに。

 アニーはこみあげてくるいくつかの感情を押し殺し、ただやりきれなさを抱えて、幼馴染を見る。

「フェイ……」

「ご、ごめん」

 フェイはアニーを見てうなだれると、小さな声で謝った。アニーはゆるゆるとかぶりを振り、「ううん」とだけ言う。

 青年は子ども二人のやり取りを、無感情に見ていた。が、やがて地図を畳みなおして立ち上がった。

「ま、なんでもいいけど。俺には関係ないし。ただ、変なことは考えるな、と忠告だけはしておく」

 彼はてきぱきと地図を引き出しにしまいながら、淡白に言った。その態度にまた激昂げきこうしかけたアニーだが、彼女を制するかのようにフェイが言った。

「あ、あの、ロトさん! ヴェローネルの近くには、古い遺跡や神殿はないんですか? 《雪月花》があるかどうか――それを宿した魔物がいるかどうかは、わからなくていいです」

 ロトがゆっくりと振りかえる。心底呆れたという顔でフェイを見ていた。

「……おまえさ。俺の話、聞いてた?」

「聞いてました。実際にどうするかは、きちんと、先生と相談します。経緯が経緯ですし、先生がちゃんと聞いてくれるかは、わからないけど……でも、ロトさんの話が確かなら、子どもだけでどうにかできる問題ではないんでしょう?」

 子どもだけ、というのを強調してフェイが言うと、ロトはしばし考え込むように黙った。

 が、少しして、急に目ざめたような顔になる。

「……フェルツ遺跡」

 今までのロトからは考えられない、呆けたような一言。それを聞き、アニーとフェイは顔を見合わせた。

「フェルツ遺跡? なに、それ」

「ヴェローネル近郊にある遺跡だ。まだほとんど手が入ってねえが、古代の都市だったとか、神殿だったとか、いろんな言い伝えがある。

このあたりは、昔から大陸の中では魔術がさかんだった地域らしいからな。守護獣がいる可能性は、ある」

 アニーは曖昧な相槌を打った。魔術がさかんだったことと、守護獣――魔物の存在とがどう関わってくるのか、彼女にはわからなかったが、希望があることだけは確かだろう。

「フェルツ遺跡か……早ければ、三日くらいで帰ってこれるね」

「ほんと!?」

 フェイの呟きに、アニーは目を輝かせる。だが、今にも飛び出しそうなアニーに、幼馴染は厳しい視線を送った。いきなり行くとか言わないでよ? と釘を刺されたのだとわかり、アニーは憮然ぶぜんとして黙りこむ。それから、警戒するような目でロトを見て……思わず、「ん?」と言ってしまった。同時に、鋭い舌打ちが聞こえる。

 ロトは、アニーが予想したように冷たい視線を向けてはこなかった。床の木目をにらんで、苦々しそうにしている。

「おい、おまえら」

 彼はうつむいたまま、言った。アニーとフェイが何を言っていいか分からず固まっていると、彼は構わず続けた。

「先生は、確かに『課題』と言ったんだよな」

「え? はい。実質、罰みたいなものだけど、『課題』って言ってました」

 フェイはそう言ってから、顎に手を当てて呟いた。

「そういえば《雪月花》を探す間は授業に出なくていいみたいなことを言ってたし、これに合格したら、そのぶんの単位をもらえたりするのかな?」

 彼の呟きに、アニーも「あっ」と素っ頓狂な声をこぼした。

 今までは「お仕置き」「罰」という意識が強かったから、そんなことを考えもしなかったが、課題ということは合格すれば単位がもらえるもの、ということである。すっかり意表を突かれた気分だった。

 二人が妙な驚きに浸っていたその横で、ロトもまた何事かを考えこんでいたらしい。しばらく沈黙したあと、唐突に顔を上げた。

「ヴェローネル学院の課題……か」

 アニーですら聞きとれるかどうかわからないくらいの小声で言った彼は、二人の訝しげな視線が集まっていることに気づいたのか、渋面で言葉を続けた。

「もしも、フェルツ遺跡に行こうと考えているのなら、俺もついていく」

 彼の声を聞く。その意味を読み取って、二人は、身を乗り出した。

「はあ?」

「ど、どうされたんですか?」

 先程までのかたくなな態度から一転した、協力的ともとれる発言に、二人とも戸惑った。おもいっきり嫌そうな顔をするアニーの横で、フェイがそっと質問すると、ロトは気まずそうに頭をかく。

「俺も、フェルツ遺跡に用事があるんだ」

「用事?」

「というか、仕事。ヴェローネル市からの、直接の依頼でな」

 彼はそう前置きすると、まっすぐに二人を見て語った。

「どうも、最近、ヴェローネル付近でやたらと魔物が発生してるらしい。その原因を突きとめてくれと、市の連中が、魔術師であり便利屋である俺に泣きついてきた。で、俺は依頼を受けて、調査したんだ。結果、フェルツ遺跡あたりに何か原因となるものがあるんじゃねえかとの仮説を立てたんだ。だから、遺跡の立入許可を得るために、市庁舎まで行った。

 ところがどっこい。あそこの役人さんは、俺に遺跡を探ってほしくないらしく、申請のための紙すらくれなかったんだよ」

 ロトの目に、かすかないらだちの色が宿る。そこで、フェイが目をみはった。アニーも昨日のことを思い出して声を上げる。

「も、もしかして、昨日言い合いしてたのって……」

 彼らの言葉の端々から、「遺跡」や「申請」といった言葉が拾えたのだ。ほとんど確認のつもりで彼女が問うと、案の定、ロトは深くうなずいた。

「そうだ。わざわざ根拠を示した資料まで突きつけて頼んだのに、にべもなく断られたよ」

 ぽかんとする二人を叩き起こすように、「でも」と青年の声が響く。

「そこへさらに『ヴェローネル学院の課題の手伝い』っていう理由を添えれば、申請も出せるだろうし、許可もおりやすい。あの学院の名前が持つ力は、生徒が思ってるより大きいからな」

「……そうなの?」

 アニーが首をひねると、ロトはしかつめらしくうなずいた。

「もちろん、おまえらがいいと言って、先生の許可がおりて、著名をしてくれればの話だが」

 アニーとフェイは、困惑を顔にはりつけて視線を交差させた。

 大人がついてきてくれるのは、正直、かなりありがたい。どうあがいても、アニーとフェイは子どもにすぎないのだ。できることには限りがある。そして遺跡の探索などという危険なことをするからには「限界」こそが命取りになる可能性があった。二人とも、それくらいはわかっていた。

 けれど、それでも――少なくともアニーは、気に食わなかった。

「何よ」

 目を伏せて、呟く。

「さっきまで『関係ない』って言ってたくせに。自分の用事と重なったとたん、ころっと態度変えちゃって」

 低い声で言うアニーを見たロトは、鼻を鳴らした。

「なんだ、腹立たしいか? まあそうだろうな。俺も、同じようにされたら腹が立つ」

 あっさり、自分の失態を認めるような発言をする魔術師。アニーとフェイは、ぽかんとして彼を見つめた。ロトは相変わらずのとげとげしい視線を二人に注ぐ。

「でもよ、よく考えてみろ。おまえらだけで何ができる?

 遺跡で探し物をするからには、一日で戻れない可能性もある。水は? 食料は? 遺跡のどこから探すか決められるか? 奥の方で迷ったらどうする? 罠があったら? 野獣や魔物に襲われたときの対処法は?」

 矢継ぎ早に投げかけられた問いに、アニーとフェイは半歩しりぞく。彼の冷淡な声は、子どもたちの胸を針のようにちくちく刺した。極めつけに、彼はため息とともに言った。

「それと、さっき話したと思うが、遺跡に入るにはそこを管理している国や街にお許しをもらわなきゃならねえ。フェルツ遺跡の場合、ヴェローネル市だな。どうやって申請を出すか、何が必要か知ってるか」

「…………わ、わかりません」

 アニーとフェイは声をそろえて言い、うなだれた。お手上げだ。

 だが、落ちこむ二人にロトは何も言わなかった。呆れたような目すら寄越さない。アニーたちは、穏やかな沈黙の中で少し迷い、そして決断した。

 顔を上げる。言い出したのはフェイだった。

「ほ、本当についてきてくださるんですか? 最後まで」

「――ああ。言い出したからには、責任もってついてってやる。どうせ、こっちの仕事も一筋縄じゃいかなさそうだし」

 語尾を強めて問うた少年に、便利屋はにやりと笑いかける。

 その笑みを見て、アニーもフェイも相好を崩した。そして、同時にゆっくりうなずいた。

「お願いしても、いいですか?」

「引き受けた」

 契約成立だな、と言い。彼は、照れたようにも疲れたようにもとれる笑みを、口の端に乗せた。

 道が交わる瞬間は、あまりにもさりげない。

 緊張の面持ちで頭を下げる子どもたちをながめたロトが、姿勢を崩した。その音を聞きつけてアニーは頭をあげる。

「さて。それじゃあ、おまえらの名前を聞いておこうか」

 おどけたような彼の言葉を聞き、二人は思わず吹き出した。考えてみれば、今まで自分たちは名前すら名乗らず、こうして会話していたのだ。ロトの名は聞いていたが、あれでは自己紹介とは言わないだろう。

 二人の子どもは姿勢を正し、順番に名を述べた。

「ヴェローネル学院六回生、アニー・ロズヴェルトです」

「同じくフェイ・グリュースターです。よろしくお願いします」

 行儀よくフェイが頭を下げると、ロトは少しだけ目を細めた。

「よろしく。俺はロト。ここヴェローネルで便利屋をやっている――魔術師だ」

 青年の名乗りは優しく、それでいて冷たい。

 アニーはいつの間にか穏やかになってしまった彼を見て、表情に困ってしまったのである。

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