3 ヴェローネルの便利屋

 翌日。二人は少年から貰った地図を頼りに、中心街を歩いていた。朝の街は主婦や下働きと思われる少年たちの行き来でにぎわっている。期待に胸をふくらませ、弾む心をおさえるように無言で歩いていた彼らは、やがて地図の通りに中心街からそれて細い通りに入った。

 途端に、騒がしい声が遠ざかっていく。

「うわ……」

 フェイが思わずといった様子で声を上げた。それほどまでに、暗く静かな通りだった。

 狭い通りに人の姿はなく、代わりに悪臭を漂わせる古臭い袋やぼろぼろの木箱が無造作に積まれている。その上を、野良猫がゆったりと歩いていた。

 はじめて来る薄気味悪い場所。アニーとフェイは顔を見合わせ、ごくりと唾を飲み込む。怖いは怖いが、止まっていても始まらない。意を決して、一歩を踏み出した。

 通りを歩いている間、あたりに響いたのは、彼らの足音だけだった。お互いずっと黙っていたし、生き物が横切ることもほとんどなかった。時間の感覚が曖昧になりそうになったとき、突然あたりが明るくなり、視界がひらける。細い路地を抜け、別の道へ出たようだった。

 ほっと息を吐いた二人は、地図と実際の道を見比べながら西へと歩いた。すぐに、淡色の壁と屋根の家が並ぶ通りの端に、浮き立つ色の屋根が見えた。

 青い三角屋根の家。決して大きい家ではない。が、アニーは、一人で暮らすには少し広いような印象を受けていた。

「ここに、ロトさんって人がいるんだね」

 アニーは無意識のうちに呟いていた。隣にいる幼馴染が、無言でうなずく。それから二人は玄関口まで来た。茶色い板を取りつけただけのようなそっけない扉には、銀色の取ってがちょこんとついて、その横に「便利屋」ときれいな字で書かれた札がぶら下がっている。そして、扉の右側には小さな鈴が下がっていた。これが呼び鈴だろう。

「鳴らすよ」

 フェイが小声で言う。アニーは「うん」と返した。フェイは緊張した面持ちで呼び鈴の鎖をつかむと、左右に軽く振る。ちりりん、と涼やかな音が響き渡った。

 二人はしばらく待った。長いようで短い沈黙のあと、家の内側からぱたぱたと音が聞こえてくる。それから、唐突に扉が開いた。

「はいはい。こんな朝からどちら様で――」

 心地よく響く低音の声とともに、一人の人が顔を出す。きれいな黒髪に青い瞳の青年で、年は二十歳頃だろうか。アニーをして格好いいと思わせる整った顔立ちだが、目つきが悪いのがもったいない。

 いそいそと外に出てきた彼は、アニーとフェイを見た後に表情を凍りつかせて固まってしまった。二人を順繰りに見やったあと、不快そうに目を細める。

「……おいおい。ガキがなんの用だ」

 明らかにこちらを馬鹿にしたような態度だ。アニーはむっと唇を尖らせる。一方フェイは、相手の眼力に気圧されて後ずさりしていた。アニーは、代わりに顔を前へと突き出す。激しく口を開きかけて、ぴたりと止まった。

「あれ? あなた、どこかで」

 アニーは言い、少し考え込んだ。青年の顔をまじまじと見る。相手が訝しげに顔をしかめたとき、闇の中で火が起こるときのように、ふっと、頭の中で記憶が弾けた、気がした。昨日、道端で激しい口論をしていた二人組の姿がぼんやり浮かんでくる。

「思い出した! 昨日、お役所の人に怒鳴ってたお兄さんだわ!」

「え、ええっ!?」

 声を上げたアニーの横で、フェイも驚きのあまり身を乗り出した。青年の顔を改めて見て、呆然としたように「本当だ……」と呟いている。一方、ばつの悪そうな顔をしたロトは、地面に豆がらを投げ捨てるように、苦々しげに言葉を吐いた。

「見られてたのか」

「あなたが、ロトさんなのね。魔術や考古学に詳しいって、本当?」

 アニーが問うと、青年の眉間のしわが深くなった。彼はがりがりと頭をかいたあと、アニーをにらみつける。

「確かに俺はロトだが。その様子だと、誰かに聞いたみたいだな。――で、結局、なんの用なんだ。魔術師にでもなりたいってのか」

「違うわ」

 アニーはきっぱりと言った。その声は、明らかに苛立っていることがわかる響きだ。少女の噛みつくような態度に、ロトも無言で眉をひそめる。再び険悪な雰囲気になった二人の間に入るように、それまで呆然と見ていたフェイが、いきなり声を上げる。

「あ、あの! ぼくたち、《雪月花》について知りたいんです! それで、あなたが詳しいかもしれないからって、聞いて……」

「《雪月花》? また妙なことを言い出しやがって」

 フェイの必死の言葉にかぶせるようにして、ロトはそう言った。ふりしぼったなけなしの勇気があっという間に消えてしまったらしいフェイは、鼻息の荒いアニーの隣でしゅんと黙り込む。ただ、呟くロトの声音はそれまでとは違い、いくらか穏やかなものだった。

 アニーはロトに対する反発心がちりちりと胸を焼くのを感じていた。しかし、ロトにいくらか大人しい瞳で見られると、むっつりと押し黙る。毒気を抜かれたような気分だった。

 やがてロトは、いかにも面倒くさそうにため息をつく。

「俺もそこまで詳しいわけじゃないんだけどな。ま、そこらの本よりは細かい情報もあるだろう。話すだけなら話してやるよ」

 投げやりに言った彼は背を向けながら、「来い」と二人をぞんざいに招いた。

 アニーとフェイは顔を見合わせて少し迷ったが、結局、この無愛想な青年についてゆくことにした。


 便利屋の青年ロトの家は、整理されているのにどこか雑然とした印象を与えるものだった。物がたくさんあるからだろうか、とアニーは思った。掃除された居間を通り抜けた二人は、そのまま家の一番奥の部屋へ通される。

「うわ、本がいっぱい」

 アニーは声を上げる。

 居間より少し広い部屋には大きな本棚が三つほどあり、小難しそうな本がびっしりと詰まっている。窓の横に置かれた机には、紙やペンが無造作に置いてあった。ロトは呆然とする二人を無視して、椅子に腰かけた。

「ここは書斎みたいなもんだ。そうご大層なもんでもないがな。持ち込まれた依頼に必要そうな資料とか、魔術に関する本とかを保管している」

「……便利屋だけじゃなくて、魔術の研究もしているんですか?」

 ロトを怖がっていたはずのフェイが、身を乗り出してそう訊いた。学者志望の彼にとっては、興味をそそられる言葉だったらしい。アニーはそこまで心をくすぐられなかったが、不良のような青年の研究者っぽい一面に驚いてはいた。

 しかしロトはさらりと、二人の予想を上回ることを言う。

「研究、と言えば研究か。もともと魔術師だし」

「――え」

 アニーとフェイは、顎が落ちそうになるくらい、大きく口を開いた。


 魔術師とは、この世の自然の一部を、見えない力と式を使って書きかえる、「魔術」を使う人を指す。生まれ持った魔力と術師としての多様な知識が必要となる一方で、非常識な力を恐れられる存在でもある。だから、日常のなかでお目にかかれることはめったにない。二人がこれほど驚くのも、自然な反応といえた。


 だがロトは、二人の反応をいっさい気にすることなく、机の整理をしはじめる。

「それより、《雪月花》の話だろ」

 散らばっていたペンをまとめて円筒形の筆たてにつっこみ、紙を一枚一枚確認しながら重ねてまとめた。突っ立っている二人を振りかえるなり、尊大に問いかけてくる。

「そもそもおまえら、あれについてどこまで知ってるんだ?」

 ロトに訊かれ、アニーとフェイは同時に首をかしげた。一緒に資料をあさったが、どうにも説明が苦手なアニーは、黙ってフェイにその役目を譲る。フェイは、彼女が何も言わないうちから伝えるべきことを指折り数えていた。

「ええと。魔力のこもった石であること。磨くと光ること。《雪月花》の名の由来はそのときの見た目から来ていること。あと、とても貴重な石であること……くらいですかね」

「ふむ。まあ、おまえらくらいのガキで、それくらい知っていればじゅうぶんか」

 しきりにうなずきながら呟いた彼は、唇を尖らせるアニーを無表情で一瞥してから、古い机を指で叩く。

「《雪月花シェルネモンデ・ブラーメ》は、お察しのとおり植物じゃなくて石だ。不思議な力を持つ石だと昔から言われていて、宮殿や神殿の装飾、祭儀の道具なんかによく使われていた。今から約八百年前に、アスフル鉱山で採掘の最中に偶然地面から掘られて以降、世界各地で見つかったが、最近とれたという話は聞かん」

 さらりと放たれた説明に聞き入ろうと、二人は前のめりになった。そのときに、耳慣れない言葉が混ざっていることに気づき、アニーは首をひねる。彼女の怪訝そうな様子に気づいたらしいロトが、目をみはったあと、そっぽを向いた。

「ああ、悪い。俺の故郷では、《雪月花》をさっきみたいに呼ぶんだよ」

「……そ、そうなの。今の、何語?」

「なんでもいい。続きいくぞ。一回しか言わないから、ちゃんと聞いとけ」

 子どもの問いをいっそ清々しいほどきっぱり断ち切ったロトは、茶色い机を指で叩き続け、その拍子に合わせるように、言葉を続けた。

「ところで『魔力』ってわかるか?」

「ええっと、人がみんな持っていて魔術の源となる目に見えない力、のこと……ですよね」

「うんまあ、そんな感じ」

 言葉を選びながら答えるフェイ。彼の答えに軽い相槌を打ったロトは、机を叩いていた指を宙でくるりと回した。

「不思議な力を持っている、とささやかれ続けていた《雪月花》は、事実、魔力という力を秘めた石だったんだ。しかも、術師ひとりぶんに相当するかなり強力な魔力だった。動物でないものにそれほどの魔力をもっているのは後にも先にも《雪月花》のみと言われている。だから今でもお守りや装飾品、魔術師が使う道具なんかには、使われていることがあるな。昔は武器に組み込まれてたとかいう話もあるが、ありゃ作り話だろ」

 流れるように放たれる説明に、フェイはしきりにうなずいている。が、アニーは話を耳に入れるだけで精いっぱいだった。魔術師というのは皆こうなのか、彼の性格の問題なのか。ロトの説明は淡々としていて切れ目がなく、質問をはさむ余裕さえ与えない。

 だが、探し物が貴重な代物であることは間違いないようだ。それだけは理解した。しかしここでアニーは疑問に思った。なぜハリス先生は、わざわざ自分たちにこの石をとってこさせようとするのだろうか、と。

 けれど、アニーがよぎった疑問について深く考える前に、ロトの声が続いた。

「昔の調査によると、《雪月花》は魔力に反応して白く光るらしい。だから、こんな名前がついたんだろうな」

「へえ……」

 身を乗り出して話に聞き入っていたフェイが、感嘆の息を漏らす。それから彼は、真剣な顔で問うた。

「あの、《雪月花》は、どういうところで採れるんですか?」

 アニーは弾かれたようにフェイを見た。ロトも、驚いたのか、眉をあげる。机を叩く指の音がやんだ。

 答えは、すぐには返らない。胸を焼く焦燥感とわけのわからない緊張感を抱いてアニーは青年の言葉を待った。やがて、静かな部屋に、押し殺したような声が響く。

「《雪月花》の存在が確認されたのは、アスフル鉱山のほかに、世界中に散らばるいくつかの鉱山と古い遺跡や神殿などだ」

 説明した青年は、急に立ち上がって机のそばの引き出しまで歩いていくと、その一段を開いて畳まれた大きな紙を取り出した。彼は紙を机上きじょうに広げる。のぞきこんだアニーとフェイは、息をのんだ。

 紙は、地図だった。それも世界地図だ。ロトは無言で椅子に腰を下ろすと、「見ろ」と二人を呼びよせて、地図の何か所かを指で押さえながら、場所の説明をしていく。いろいろ言われすぎてアニーは覚えきれなかったが、確かなことがひとつあった。

 《雪月花》は、とても一週間で行って帰ってこられる場所にはない。

 どうしていいかわからず、苦い顔で黙りこんでいる二人をよそに、ロトはもくもくと地図を畳む。きれいに折りたたまれた古紙を、叩きつけるように机に置いた。

「念のために言っておくが」

 わざとらしい大声が静かな部屋に響く。肩を震わせた子どもたちが目を動かすと、便利屋の青年が厳しい顔で彼らをにらんでいた。

「あの石は、子どもが採ってこられるようなもんじゃねえ」

 アニーはぎくり、として後ずさりした。フェイが喉を鳴らしてから、おそるおそる口を開く。

「ど、どうして?」

「どうしてだと? んなもん、おまえらの顔見りゃ気づく。こちとら五年以上いろんなワケありの顔、見てるからな。

それに、単に面白半分で調べてるなら、わざわざ俺なんかの居所を嗅ぎつけて、訪ねてきやしねえだろ」

 淀みなく、鋭い声にフェイがひるんだ。彼のおびえた顔を見て、凍りついていたアニーの心に火がつく。彼女は金色の三つ編みを振りながら、青年に顔を近づけた。

「そんなの、やってみなきゃわかんないじゃない!」

 アニーとしては精いっぱい威嚇したつもりだったが、返ってきたのは疲れたようなため息だった。アニーが頬をひくつかせていると、ロトが人差し指を突きつけた。

「いいか。本当は言いたくなかったが、無謀なガキが死ぬ前に教えておいてやる」

 冷たく言い放った彼は、アニーが反論をする前に、続けた。

「《雪月花》ってのは、普通の人が想像する、鉱物じゃない。――凶暴な魔物が、体ん中に宿しているものだ」

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