4 記憶の色と玉の色

「ろ、ロトさん! あの、玉はどうでしたか!」

 気まずい空気を断ち切るように、エルフリーデが声を張り上げる。紫水晶の瞳をいっぱいに見開いた少女を、青年はいつもの仏頂面で見おろした。

「ああ、さっきの赤い玉か。触ってきた。見えたのは『右翼』だった」

 ひらひらと手を振る彼の言葉に、子どもたちは首をひねる。

「うよくって、なんすか?」

「右側の翼。青い玉に見えたのが左翼――左側の翼だったから、あれと対になってんな」

 アニーとエルフリーデが、その言葉に顔を見合わせた。

「右と左の翼、ってことは」

「アニーがこうもりの羽みたい、って言ったの、間違いじゃなかったってことじゃない!?」

 感じ入って呟くアニーとは反対に、エルフリーデは手を叩いてはしゃいだ。瞳をきらきら輝かせ、頬を朱に染めている彼女を見て、アニーは乾いた笑い声をもらす。『翼』と『羽』ではだいぶ印象が違う気がする、という自分の感想は、黙っておくことにした。

「そういえば、おまえらが見つけた黄色い玉には、何が見えたんだっけか。牛の角とか言ってたか?」

 その言葉に、アニーが手をあげた。

「ほんとに牛の角かどうかはわからないよ。それっぽく見えたの」

「なるほど。翼に角……って、なんだろうな」

 ロトが首をひねるが、そう訊かれても子どもたちは顔を見合わせるよりほかにない。むしろ、それがなんなのかはアニーたちの方が訊きたいくらいだった。

「魔術の象徴に翼も角もなかった気がするが」

「ありませんね。とすると、もっと直接的に、生き物を表しているのかも」

「わからんぞ。北海の大陸ヴァイシェル発祥の古代魔術には存在したかもしれない」

「それを言っていたらきりがありませんよ」

 魔術師部隊の二人も、議論を戦わせながらうなる。重苦しくなった空気を打ち払うように、ロトが強く手を叩いた。

「そのへんは、方陣の解析ついでに調べてみよう。で、おまえらは……玉でも探してろ、ほどほどに」

「なんか投げやり」

 指をさされたアニーが頬をふくらませるが、ロトはまったく取り合わない。代わりに、彼らを見たのは、魔術師部隊隊長のエレノアだった。

「実際、黄色い玉を見つけ出したのは君たちだからな。あれでロトも期待しているんだよ。引き続き手伝ってくれるというなら、こちらとしてもありがたい」

 アニーとクレマン、戦士科の二人が肩をすぼめる。仮にも陸軍少将の言葉だ。緊張しないわけがなかった。子どもたちが縮こまっているのを見て、エレノアはくすりと笑いをこぼす。

「……ただし、やるならこの件は絶対に他人に言わないこと。それから、彼の言うことをちゃんと聞くことだ。いいな?」

 細められた鳶色の瞳に、鋭い光が走る。見すえられた四人は、唾をのみこんで、うなずいた。



     ※



 光が強ければ、そのぶんだけ影は濃くなる。にぎやかな平和の裏に隠れているのは、不気味なほど静まりかえった不穏だ。大通りからそれると、細い通りが蜘蛛の巣のようにいくつも走っている王都。その小路の中には、貧民や荒くれ者の溜まり場となっている場所も、数多く存在した。

 くすくす、くすくす。鈴を転がすような笑い声が漂っているのは、そんな小路の一角である。粗末な小屋は、扉が壊れてぶらさがっている。薄暗い小屋の中には、今なお、争いの跡がいくつも残っていた。その中心にたたずむ女が、一人。彼女は手にしていた小石を無造作に放り投げると、自分の銀髪を描き上げた。

「この程度のこともできないなんて……。甘言かんげんに釣られるような小物とはいえ、予想以上の役立たずだったわね」

 ぽつりと呟く。その声に感情はなく、けれどかすかな笑いを含んでいた。ルナティアは、笑い声をおさめたあと、静かに口の端をゆがめた。

 ここが、魔術師部隊と謀反を企てた魔術師たちが衝突した場所だということは、彼女も知っている。だからこそ、今こうして、方陣をしかけなおすために出向いてきているのだ。以前と違い、鮮やかに描き出された方陣をうっとりながめたルナティアは、その目をそのまま戸口に向ける。

 漆黒の男が立っていた。いつからいたのだろう、と、ちらりと考えた。が、そんなことはどうでもいい。彼女は立ち上がり、男に声をかけた。

「オルトゥーズ」

 男はわずかに身じろぎし、小屋の中へと踏み込んできた。彼を形作る漆黒が深さを増す。

「俺を呼んだということは、仕事があるんだろう。早く言え」

 低い声を投げかけたオルトゥーズに対して、ルナティアはくすりと笑みをこぼす。つま先で、方陣の端を叩いた。

「――生贄いけにえを、用意してちょうだい」

「いいのか? まだ、方陣はすべて直せていないのだろう」

「時間がないわ。あなたの言った方法をとるしかなさそうなの」

 いらだたしげな声を聞くと、オルトゥーズの目が細くなる。彼は何を言うでもなく、己の長剣をなぜてほほ笑んだ。

「そういうことなら、了解した。すぐに用意するから準備していろ」

「くれぐれも、気取られないようにね」

 ルナティアが冷たく念を押すと、黒い狂人は、「わかっている」とそっけない答えを放った。



     ※



 活気ある世界から切り離されたかのような静寂に満ちたその部屋に、今日は重いため息が、繰り返し響いていた。いくつも並ぶ本棚も、その中にきれいにおさまる蔵書たちも、ため息を受けとめてなお黙りこくったままだ。それでもこの部屋にただ一人の青年の、気分が晴れることはない。ロトは、飴色にみがきあげられた机を占領し、いくつもの分厚い本を広げていた。ペンの先で、手もとの紙の表面を何度も叩く。

 少しだけペンが走った直後、扉が開いた。むわっと外へ襲いかかる紙のにおいと入れ替わるように、新鮮な空気が細く吹き込む。戸口の隙間から顔を出したエレノア・ユーゼスは、いたずらっぽく笑った。

「どうだ、解析の方は」

 ロトは頬杖をついて、指先でペンを回す。

「見てのとおり、行き詰まってる。そっちはいいのか、前夜祭の準備に出なくて」

「少し休めと、副隊長殿に蹴り出されてきた」

「……あっそう」

 彼がそっけなく答えると、エレノアは、笑いながら扉を閉めた。興味深そうに紙をのぞきこんで、目を丸くする。

「驚いた。かなり進んでいるじゃないか」

「それでもここで止まってんだよ。とりあえず、これらを使って魔力を集めようとしていることと、その魔力を使って何かを作ろうとしていることは、わかったんだけど」

「何かを作る?」

 首をひねったエレノアに、ロトは並べて描いた方陣のひとつを指し示した。

「これ。よくある変形の式だろ? つまり、魔力を何かの形に変形させようとしてるってこった」

「なるほど。……む、だが、これは……?」

 一度は納得してうなずいたエレノアだが、すぐに眉をひそめる。今度はロトが、したり顔で言った。

「気づいたか。よくある式、とは言ったけど、少し違うだろ。これのせいで詰まってんだよ」

 彼らがのぞきこんでいる式は、間違いなく、彼らにとってなじみ深い式だった。けれど、ところどころ、見慣れたそれとは違う文字や記号が、さしこまれているように見えるのだ。

「術者のくせ……ともとらえられるが、わざと暗号化しているようにも見えるな」

 首をかしいで、少しずつ角度を変えながら方陣を観察するエレノアに、ロトもうなずく。

「俺もいろいろ考えて、ひとつずつ可能性を潰していってるところだけど、よくわかんねえんだよ。――ああくそ、人手が欲しい」

 伸びをしてとうとう叫んだロトをよそに、エレノアは、本の下敷きになっているもう一枚の紙に気づいた。それをそうっと抜きとって、ロトの前にかざす。かざされた方は、露骨に顔をしかめた。

「儀式道具の玉とも照らしあわせようとしているじゃないか。なぜこれを続けない?」

「考えれば考えるほど、意味がわかんねえからだ」

 ただ、と、眉を寄せたまま、言葉を続ける。

「なんでかわかんねえけど……知ってるような気がするんだよな。この方陣と儀式道具」

「知ってる?」叫んだエレノアが、前のめりになる。今にも問い詰めてきそうな彼女を、ロトは慌てて両手で制した。

「そんな気がする、ってだけだ! 実際、こんなもん、見たことねえし!」

 強い口調で念押しすると、少将は身をひいた。それから改めて、もう一枚の紙を見やる。それは王都の地図であり、儀式道具の玉があった場所に、印がつけられていた。しばらく彼女は、無言でそれをながめていたが、またロトが頭を抱えてうなりだすと、ぽつりと呟いた。

「青い玉に黄色い玉に、赤い玉……見事な三原色だな」

 うんうん、とうなずく小柄な女性を、ロトは目をすがめて見上げる。ときどき彼女は、悪気なく妙な知識を披露することがあった。三原色の話にしたって、ふだんから意識して生活しているのは画家くらいのものだろう。それがどうした、とロトが言いかけたとき、彼女は細い顎に指をかける。

「なあ、ロト。前に話したことを覚えているか?」

「あ? なに」

「三原色をすべて混ぜると、何色になるか、という話だ」

 ああ、とため息混じりの声をもらし、青年は背もたれにもたれかかる。目を細め、窓を見やって懐かしい記憶をたどる。彼女なりに、気分転換をさせようとしてくれているのかもしれない。そう思いながら、かつてこの部屋で岩絵具を見せてもらったときのことを思い出した。

「なんだったかな。確か――」

 エレノアの表情は穏やかだ。彼女に他意はなかっただろう。

 しかし。

「黒か」

 ロトは、静かな答えを口にした。その瞬間、目の前がぐらりと揺らぐ。



 何者も訪れない部屋

 炎の赤と、それを弾く玉の輝きばかりがそこにある

 刻まれた術式、三色の玉と最後のひとつ

 最後のひとつを手に取ると、黒い雫がこぼれ落ち


 広がる黒、しわがれた哄笑、三日月の目が、牙が、光る――



「ロト?」

 ふいに響いた女の声に反応し、ロトは大きく息を吸った。そこで、はじめて、自分が呼吸をしていなかったことに気づく。荒く息を整えた彼は、方陣を描きこんだ紙と、王都の地図をせわしなく見比べる。そんな彼を、エレノアが心配そうにのぞきこんだ。

「どうかしたのか。急にかたまったから何事かと……」

「今の、は」

「え?」

 怪訝そうな声を気にもとめない。ロトは、紙のわずかな空白に、黒い文字を躍らせた。文脈など、整合性などない。思いついたことだけを書き連ねてゆく。

「魔力、変形……角も翼も動物の体の一部だ……三原色……それと、さっきの」

 先ほど見た、意味のわからない映像の数々は、なんだったのか。考えかけたロトの頭に、最後に見たものが浮かびあがった。

 あの目と牙は、おそらくは、豹のものだ。それに気づいた瞬間、手が止まる。

「黒――漆黒、の」

 頭が、凍りついた。知らない間に手が震える。ロトは静かにペンを置くと、『白翼の隊』を束ねる女を見上げた。

「なあ、エレノア。今すぐに動かせる軍人は、どのくらいだ?」

「ん? 一応、市街の警備に回している数班は何かあれば対応できるようにしてあるが……何かわかったのか?」

 空気を察することにけたエレノアの目が、険しいものになる。ロトは小さくうなずいた。自分の顔から血の気がひいていることには、まったく気がついていなかった。

「この、方陣、もしかしたら」

 背中が痛い。いつもそばにある黒がうずく。ロトが震える唇でつむいだ言葉を聞いた瞬間、エレノアは雷に打たれたように、全身を震わせた。それから、音を立てて、両手で机を叩く。

はどうやったら止められる?」

「まずは儀式道具を撤去して、それから方陣を消しに行かなきゃならねえ」

 強い問いに答える。ロトは、手の震えをむりやり押さえこみ、口を動かし続けた。

「こういう古代魔術に必要なものは四つ。道具、方陣、にえ、そして儀式だ。儀式は大きい魔力があれば省略できるともいわれている。つまり、相手が贄を用意する前に、全部片付けなきゃならない」

 ロトの呟きに、エレノアは強くうなずいた。

「あの玉はこちらでどうにかする。方陣も、解除の手順がわかれば……」

「わかった。――ひねり出す」

 言うなり、ロトは立ち上がり、紙を手にして頭をつつく。エレノアの背後についた彼は、そのまま思考の海にもぐった。ぶつぶつと呟きはじめた青年を一瞥したエレノアは、彼の手をひき、勢いよく部屋を飛び出した。

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