3 後始末のさらに後

「クレマンくんたち、どうだったのかな」

 小さな呟きを聞いて、アニーは顔を上げた。それからとっさに、隣で、主人となごやかに話している先輩の様子をうかがう。友人の言葉に気づいたふうではない。アニーはそっと息をついて、正面でもじもじしているエルフリーデを見やった。

 アニーたちはもとの宿屋に戻ってきていた。ほかならぬ彼女たちが「そろそろ疲れた」と音を上げたからである。今は、宿屋の一階で、残された少年たちの帰りを待っている状況だ。

「それにしても、フェイくんたちは何しにいったのかなあ」

 リーヴァがのほほんと呟く。その言葉に、アニーとエルフリーデは震えあがった。けれど彼女は、二人の態度を怪しむことなく、頭の後ろで手を組んだ。「フランがついてるから、大丈夫だと思うけどね」と、気楽に言う。

「そ、そうですね。早く帰ってくるといいんですけど」

 相槌を打つエルフリーデに心の中で声援を送ったアニーは、近くの壁を見上げた。火の入っていない籠はつるされて、ゆりかごのように揺れている。籠が左右にふれて、きぃ、と高音を奏でた。すぐあと、扉の開く音がする。

「――ただいま」

 フランの声だ。アニーが視線を戻すと、思ったとおり、浅黒い肌の少年が立っている。いつもどおりに見えたのだが、リーヴァに「おかえり」と言われたとたん、げっそりとした顔になる。彼の友人たる先輩は、ん? と首をひねった。

「何なに、どうしたの?」

「ごめんリーヴァ。やらかした」

「え、何それ。怖いんだけど」

「僕の監督不行き届きだ」

 言葉を重ねるごとに疲労の色が濃くなるフランに対し、リーヴァは変なものを見るような目を向ける。けれども彼は、友人の痛い視線を気にすることなく、うつろな目をアニーたちの方へと動かした。

「二人とも」

「はい?」

 アニーが訊き返すと、フランは今しがた閉めたばかりの扉を指さした。

「悪いことは言わない。おとなしく怒られてきて。それが済んだら、僕らにもきちんと説明すること。いいね?」

 少女たちは、顔を見合わせた。


 はじめは、言葉の意味がわからなかった。扉を開けた瞬間に、すべてを察した。

「あー。フェイ、クレマン」

「……うん」

「おう」

 アニーが上ずった声で呼ぶと、入口に立ち尽くしていた少年二人は、そっとこちらを振り返った。錆びた蝶番ちょうつがいのように首を動かして。

 彼らのひきつった顔を見て、アニーは押し黙る。いつもなら失敗を怒るところだが、今回はそんな気にすらなれなかった。

「ばれた?」

 だから、ただ、穏やかな声で問う。二人は、まるで意思など存在しないように、こっくりと首を縦に振った。

「ばれた」

 二人の声が重なる。アニーはそう、と答えると、彼らのむこう側を見た。表情を変えないようにと思っていても、笑顔はひきつる。そこに、彼女のよく知る青年が立っていた。いつもどおりの仏頂面に見えなくもないが、彼のまわりには空気さえゆがめかねない怒気が渦巻いている。それを感じているのは、戦士科の子として訓練を積んだアニーたちだけではないだろう。現に、彼女たちと入れ代わりで宿屋に入ろうとしていた若者が、びくりと肩を震わせて振り返り、すぐに顔をそむけて扉を閉めた。そして、彼の隣に立つ女性もたじろいでいる。

「これで全員か」

 声が落ちる。いつもよりずっと穏やかな声。それを怖いと感じるのは、子どもたちがふだんの彼を知っているから――というだけでは、ないだろう。深海色の瞳が、四人を順繰りに見てから、すっと細くなる。

「あの、ロト」

「――なあ」

 アニーが勇気を振りしぼった呼びかけは、氷よりも冷たい一声にかき消される。少女たちがいよいよ危険を感じて黙りこむと、ロトは、そちらを見た。

「俺、言ったよな?『この件には関わるな』って」

「……はい」

「なのになんで、おまえらは、勝手に、玉探しなんかしてるんだ?」

 ロトの態度はいつになく優しい。だが、それがかえって、緊張と恐怖をあおった。ひるむことなどほとんどないアニーでさえ、喉が詰まって言葉が出なくなる。それでも、「洗いざらい吐け。今すぐに」と言葉の刃を突きつけられてしまえば、無理にでも話すしかないのだった。


 今朝の集まりから今にいたるまでを正直に打ち明ける。その間、ロトは一言も口をはさまなかった。隣にいた女性もだ。むしろ彼女は、感じいったかのように目を見開いて、聞いていた。三つ目の玉の場所を突きとめたところまでを話し終えると、ロトは戸口で固まったままだった少女たちを手招いた。二人がすなおに駆け寄ると――ロトはいきなり両の拳をにぎりしめ、それを力強く、叩きこんだ。

 アニーとクレマンの頭めがけて。

「ぎゃっ!」

「いって!」

 少女と少年の声がかぶさった。一発打ちこんでもなお、拳をにぎったままのロトは、大きく息を吐きだした。

「な、なんで俺たちだけなんすか!」

「うるせえ主犯ども。嫌なら最初からおとなしくしてろってんだ」

 クレマンが涙目で抗議しても、ロトは取り合わなかった。それどころか、いつもより語気を荒げておさえこむ。口をぱくぱくさせはじめた彼を無視して、ロトは片手で顔を覆った。

「ったく、これだからガキは嫌だ」

 そのとき、はじめて、女性も深いため息をついた。

「困りましたね……。この件、一応、市井しせいの方々に漏らさないようにと指示されていたんですが。隊長になんと説明すれば……」

「あんたがそんな顔すんな。万が一あんたの責任が問われるようなことがあれば、俺に押しつけてくれていい」

「――え?」

 女性が、目を瞬かせてロトを見上げる。アニーたちもまた、思いがけない言葉にぽかんとしていた。当の本人は、近くにいたフェイの頭をぐしゃぐしゃにしながら、その女性に向きあう。

「こいつらがこの件に興味を持つきっかけをつくったのは、俺だから。最初から、『たいした事件じゃない』ことを装うべきだったんだ。俺の失態をあんたが背負うなよ、リンフォード少尉」

 都の喧騒の中、そこだけが見えない壁に区切られたかのように、静まり返る。少尉は、眉根を寄せて何かを考えこんでいるふうだった。ロトはそんな彼女に、感情の見えない目を向けている。アニーは二人を交互に見て、口をつぐんだ。青年の横顔を彩っているのは、静かな冷たさ。その優しい空気に触れていると、どことなく落ちつかない気分になってきた。

 重い空気に耐えかねたアニーが、口を開こうとしたとき。女性が先手を打った。

「……心配なさらないでください。隊長もわかってくださるはずです。それにやはり、これは我々の落ち度です」

「どういうことだ?」

「子どもにまで心配されるほどの危険なことに、あなたを巻きこんだのは、こちらでしょう」

 軍人の言葉に、誰もがあっけにとられて黙りこむ。その間に、女性はアニーたちの方を見て、「ね?」とほほ笑んだ。アニーはむっつりと口を結んでうつむく。ロトは、しばらく目をさまよわせてからため息をついた。しかたねえな、と呟きが聞こえた。その直後、扉が耳障りな音を立てて開く。振り返れば、先輩二人が、おそるおそる顔をのぞかせていた。

「あー……お説教、済みました?」

 リーヴァが手をあげてロトに問う。ロトは、ああ、とうなずいた。続けて戸口から顔を出したフランが、深く頭を下げた。

「申し訳ありません。もっと、気を配るべきでした」

「気にすんな。注意が足りなかったのはこっちだ。それより悪いな、騒がせて」

「いえ」

 フランは眉をさげて、しばらく子どもたちとロトを見比べる。そのときアニーは、フランから先ほど言いつけられたことを思い出していた。きちんと説明してくれと、そう言われたはずだった。エルフリーデに目を向けると、心得たとばかりに強くうなずいてくれる。

 こうして彼らは、観念して、玉探しをしていたときのことを、すべて先輩たちに打ち明けた。

 二人はアニーたちの話を聞いても怒らなかった。むしろリーヴァは「なんで私も巻きこんでくれなかったのさ!」などと言って、友人に頭をはたかれていた。じゃれあう二人を脇見しつつ、ロトが四人をねめつける。

「ったく。いつもながら、勝手なことをしてくれる。特に、おまえら二人は、《雪月花》の件でだいぶ懲りたと思ってたんだけどな」

「うっ」

「ごめんなさーい……」

 青い瞳にきびしくにらまれたフェイとアニーは、少しだけ縮こまる。また、ため息をこぼしたロトは、真正面にいたアニーの額を小突いた。

「いたっ」

「今さら隠しだてしててもしかたないから、言うけどな。おまえらの追ってた赤い玉、こっちで見つけたぞ」

「え、それ本当!?」

 顔をしかめていたアニーは、打って変わって目を輝かせる。「本当本当」と言葉を添えたのは、ロトではなくクレマンだった。

「ね、それってどんな模様が浮かんだの?」

「模様?――あー」

 ロトは決まり悪そうに頭をかいてから、すぐそばで話を聞いていた女性軍人――アレイシャ・リンフォード少尉を見やる。

「そういえば、確かめるの忘れてたな。あの赤い玉、どうしてる?」

「あの魔術師を引きとってくださったルドル中尉にお渡ししました。情報院に預ける、とおっしゃっていましたよ」

「情報院か……。調査のためっつったら、触らせてもらえるかな。ジルフィードにかけあってみるか」

 言うなり、青年は情報院のある方角をあおいだ。アニーが背伸びをして「一緒に行く!」と言うと、ぐいっと頭を押さえつけてくる。

「どうせそう言うと思ってた。来てもいいが、入口のところで待ってろよ。今度は、上級生にお目付け役でもしてもらうか」

 投げやりな言葉が返ってくる。一応のお許しを得た子どもたちは、目を輝かせて互いを見た。お目付け役を命じられたリーヴァとフランは、曖昧にほほ笑んで、彼らを見守っていた。



 急いで情報院まで行くと、ちょうど魔術部長のジルフィードと鉢合わせた。彼とロトは、一言二言交わしたあとに、連れだって門扉をくぐる。どうも、赤い玉を触らせてもらえることになったらしかった。彼らを見送った学生たちは、行き交う人々の色鮮やかな衣服を見ながら、青年の帰りを待つことにする。陽が傾きはじめた空をあおぎ、アニーが片足をふらふらと動かしていると、リンフォード少尉に呼びかけられた。

「私は一度、隊長のところにいってきます。ロトさんが戻ったら、そう伝えておいてもらえませんか?」

「わかりました」

 彼女の言葉に、静かにうなずいたのはフランだ。アニーもうなずきかけて、けれど動きを止める。隣できょろきょろしていたクレマンが、突然に動きを止めて、ぽかんと口を開けたからだった。

「どうしたのよ?」

 首をかしげたアニーは、少年の視線を追いかける。彼の見ているものを知ると、同じように口を開けっぱなしにして固まってしまった。見覚えのある人物が、少し離れた場所に立っていたからだ。その人物は、ゆったりとした足取りで人混みの間をするする抜けると、先輩たちに何事かを話している少尉の後ろに立つ。そして、彼女の細い肩を叩いた。

「――わざわざ軍部に戻る必要はないぞ、リンフォード少尉」

「ひっ!?」

 か細い悲鳴を上げて飛び上がった少尉は、弾かれたように振り返る。彼女の視線を受けたその人は、あっけらかんとしている。アニーは状況についていけず、一生懸命に二人を見比べた。少尉の肩を叩いたのは、間違いなく、串焼きの屋台の前で出会ったあの女性だ。まだ半日も経っていないのに、妙に懐かしい気がするのは、服装が違うからだろう。

 今の彼女は、軍服を身にまとっていた。

 アニーは頬をひきつらせ、きょろきょろとあたりを見回した。フェイやクレマン、エルフリーデは青ざめて固まっている。一方、フランは少し目を見開いているだけで、リーヴァにいたっては笑っているように見えた。

「た、隊長? どうされたんですか?」

 リンフォード少尉の、あえぐような声が聞こえる。やっぱり軍のひとだったのかと、アニーは頭を抱えた。

「どうも何も。たまたま近くを通っただけだ。だが、おかげで手間がはぶけただろう?」

 そううそぶいた、「隊長」と呼ばれた女性は、茶目っ気たっぷりに片目をつぶる。軍の中でそれなりに偉い人のようだが、やけに若く見えた。アニーがその齟齬に眉をひそめている間にも、女性は上官として、少尉に報告を命じている。少尉がぴしりと敬礼をしたときになって、ようやくアニーは気がついた。

 報告、ということは、アニーたちが玉探しをしていたことも含めてこの人に伝えられる、ということではないか。

「な、なんだかまずい気がする……」

「わたしもです」

 フェイとエルフリーデがそろってうめく。

「二人がそう言うってことは、予感的中……?」

 アニーはそっとささやいて、肩を震わせた。しかし、時すでに遅し。

 アレイシャ・リンフォードの報告により、子どもたちが事件に首を突っこんだことは、エレノア・ユーゼス少将の知るところとなったのである。


 ひととおり報告を聞き終えたエレノアは、目を丸くして彼らを順繰りに見た。アニーたちは、こわごわと、名前も知らない軍人の顔色をうかがう。喧騒の中、場違いに冷やかな沈黙が落ちる。

 どうにかして沈黙を終わらせようとして、フェイが息を吸う。しかし、彼が何かを言う前に、誰かが小さく吹き出した。それが誰かと確かめる前に、快活な笑い声が宙を叩く。唖然とする学生と部下をよそに、エレノアが腹を抱えて笑っていたのだ。

「あ、の……ユーゼス隊長?」

 少尉がそうっと呼びかけると、彼女はようやく笑いをひっこめた。目尻ににじんだ涙を指でぬぐいとり、咳払いする。

「いやいや、すまん。将来が楽しみだと思っていた子らが、こんなに早くとは思っていなかったからな。だが、まあ、いいだろう。勇敢な少年たちではないか」

「し、しかし。この件に子どもが関わってしまったとなると、よくないのではないですか」

「彼らが知っているのは玉のことだけなのだろう? であれば、いちいち目くじらを立てることもあるまい」

「適当な……」と、少尉が頬をひくつかせる。それでも女性は表情を変えず、腕組みをした。そのまま、鳶色の瞳を少尉からそらす。

「いっそ、この子たちに玉探しを任せてしまった方が早いのではないかと、思いはじめているくらいだがな。君は、どう思う?」

 アニーは飛び上がった。自分に訊かれているのかと思ったからだ。けれどそのとき、背後からため息が聞こえてくる。振り返ると、いつの間にか『便利屋』の青年がしかめっ面で立っていた。彼は軍人二人を交互に見たあと、「また妙なこと言い出しやがって、エレノアの馬鹿」と毒づいたのである。

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