5 最後の玉が呼んだもの

 いよいよ、前夜祭は今夜に迫っていた。誰もかれもが準備に追われるそのさなか。飾りひもを向かいの家へと渡していた若者は、ふと違和感をおぼえて地上に目をこらす。

「なんだあ? 謀反人の取り締まりでもやってんのか」

 思わず、目陰まかげをさして呟いた。せわしなく動く人々の間を縫って進んでゆく紺色の列は、場違いにもものものしい空気を醸し出している。軍隊が、王都で、ここまでおおっぴらに動くことはめったにない。

「きな臭いねえ、やだやだ」

 若者は、ぼやいてから、もっとよく見ようと身を乗り出す。しかし、そのとき、真下から声が飛んできた。

「こら、何してやがる! 終わったなら降りてこい、次行くぞ!」

「……へーい」

 軍より怖い父親の怒声に肩をすくめた若者は、もっと見たかったのに、と呟いてから、屋根をつたって器用に降りる。


 一方、彼に見られていた軍隊は、いつにもまして厳しい空気を漂わせて、とある小路を目指して進んでいた。隊列全体が、小走りくらいの速さで進んでいる。彼らの翼の胸飾りが、陽光を反射して鋭く光った。班長の指示にあわせてあたりを警戒。それからいよいよ、小路のただ中へと入ってゆく、

 ふだんは素行そこうのよくない人間たちがたむろしている通りだが、今は人っ子一人いない。軍隊の気配を察して、みんな家の中へひっこんでしまったのだ。閉めきられた窓の板戸の隙間から、浅黒い肌の子どもが、大きな目をくりくり動かして、軍人たちをながめていた。そんな子どももすぐに、母親に襟首をつかまれて窓から引き離される。隊士の一人がその光景に気づいていたが、軽く肩をすくめて、すぐ班長へと目を戻した。

「もうすぐだな」

 低い声が呟いた。誰か、など、確かめるひまもない。隊列が乱れなければそれでいい。彼らは足音を殺し、ひたすらに奥へと進んだ。

 しばらく歩くと、箱がうずたかく積み上げられていた。その先から、白い光がさしこんでいる。わずかながら日の光が入ってきているのだろう。班員のほとんどが頬をゆるめ、けれど先頭近くに立っていた隊士は、頬をひきつらせた。

 箱の塔のむこうから、異様な臭気が漂ってくる。魚のにおいにてつさびを混ぜたような、不快なにおい。それは彼らにとって、なじみ深いものでもあった。

「気をつけろ」

 班長から険しい声が飛ぶ。誰からともなくこたえた。誰かが強くにぎった軍刀が、かたい音を立てる。

 崩れないように箱をどかして、その先へと踏み込んだ。覚悟していたはずの軍人たち、誰もが絶句して立ち尽くす。


 死屍しし累々るいるいのありさま、というのが早いだろうか。

 あちらこちらに息絶えた人々が転がっていて、石畳も古い空家の木の壁も、赤茶色に塗り固められている。生臭さは、ここから立ちのぼってくるものだったのだ。さらに濃くなった血臭に、若い隊士が口を押さえてえずいた。

 けれども手練れの隊士や班長は、そんなところにいちいち気を配らない。軍刀に手をかけた彼らが見つめているのは、この惨状のまんなかに立つ、一人の男だった。

 髪から靴にいたるまでまっ黒の男は、軍人の群に気がつくと、面倒くさそうに顔を上げる。

「ああ……『白翼の隊』か。遅かったな」

 のんびりとした声。顔を険しくした班長が、男の視線がそれた一瞬の隙に、隊士たちに目配せする。彼らは無言で列を崩し、男を囲むように散らばりはじめた。その間に、班長が軍刀に手をかけたまま、男をにらむ。

「これをやったのは貴様か」

「ああそうだとも。邪魔だから殺したのさ。何か問題でも?」

「……悪いが、軍部で話を聞かせてもらうぞ」

 班長が静かにそう言うと、男はわずかに眉を上げる。

「へえ。この俺を捕らえると? それはおもしろい」

 そう言うなり、だらりとさげていた長剣を持ちあげる。『白翼の隊』の一班に、たしかな緊張が走った。

「贄が足りなくて困っていたからな、ちょうどいい。おまえたちで埋め合わせをするとしよう」

 天気の話でもするかのように、のんびりと言い放った男は、次の瞬間、軽やかに地面を蹴る。班長が軍刀を抜き放ち構えたとき、男――オルトゥーズの真正面にいた隊士の頭が、宙を舞っていた。



     ※



 長く吐息を漏らしたのは、おそらく少女か幼馴染のどちらかだ。アニーは、遠くにそびえる塔の群のような建物に目をとめてうなずいた。細かな装飾が壁にいたるまでほりこまれ、ちかちか輝く金細工がこの距離からでも目に届く。田舎町から出てきた彼女にしてみれば、めまいがしそうなほど豪奢ごうしゃな建物は、王宮だ。この国の王が住み、政治がおこなわれる場所。とはいえ、政治のことなどこれっぽっちもわからないアニーにとっては、ただ、王族がおわす場所というていどの意識しかなかった。

 それに、今は王宮に感激している場合ではない。あたりを見回していたクレマンが、ぼうっとしている友人の腕をひいた。

「なあ。言われたとおり、王宮の下の広場まで来たけどよ……ほんとに、こんなところにあるのか?」

「そ、そのはずだけど」

 我に返ったエルフリーデが、うつむいて呟く。「だけど」と、アニーとフェイが同時に眉を寄せた。

「今までの玉の場所から考えると、こんなところに転がってるとは思えないよ?」

 フェイが講義中のように軽く手をあげると、隣から「ああー」と軽い声が聞こえる。先輩二人、リーヴァとフランだ。

「青い玉は路地裏、黄色い玉は地下道、赤い玉は魔術で隠された小屋の奥、だもんねえ。ま、赤い玉はもともとどこにあったのか知らないけどさ」

「とにかく、人目のつきにくいところに置いているってことじゃないかな。この広場で、人目のつきにくい場所といったら、どこだろう」

 フランの声で、全員が広場を見渡した。しかし、円形の広場は今の時点で人と屋台にうめつくされている。熱気と足音と話し声で、息苦しくなるほどだ。とうてい、人の目から逃れられるところがあるようには、思えない。アニーがまっさきに、頭を抱えて絶叫した。

「どこを探せばいいのよおおお」

「まあ、でもさ。あの言い方だと、俺たち、あてにされてはないからな」

 クレマンがそう呟いて、舌うちをこぼす。涙目になったアニーとしても腹立たしくはあるが、彼の言葉は事実だった。陸軍少将の女性は「あれで期待している」と言ってくれたが、ロトの投げやりな態度からはほんのわずかな期待すらも見てはとれなかった。もともと無表情な相手なので、確かなことはいえないが。

 とにかく、愚痴を言っていても始まらない。ヴェローネル学院の六回生四人と、十一回生二人は、必死に広場を駆けまわった。頼りになるのは、エルフリーデがわずかに拾える魔力の気配だけ。太陽が空のまんなかに達する頃まで、人混みを押しのけ、屋台の裏までのぞきこんで探しても、玉はまったく見当たらない。じりじり痛い陽光と、熱気をたちのぼらせる石畳に水分と力を吸われた彼らは、とうとう広場の隅で座りこんだ。

「だめだねえ。本当に、もう、玉はないのかな」

「で、でも……変な感じはするんです」

 両足をふらふらさせるリーヴァの呟きに、エルフリーデが眉をさげる。彼女は不安げにきょろきょろするが、だからと言って見えるのは行き交う人々だけだろう。ほかの四人は出かかったため息をのみこんで、無言のうちに、これからどうしようと考えを巡らせていた。

 アニーは額ににじんだ汗をぬぐう。お尻に触れる白い石から、嫌な熱気が痛みと一緒につたってきた。「あちち」と慌てて手をどけた彼女は、そのまま背後を振り返る。

「これ、噴水っていうんだよねえ。今はまだ、水が噴き出してないけど」

 同じように後ろを見たフェイが、感慨深そうに呟く。彼らの腰かける白い石の縁の内側には、水がうっすらとたまっている。小さな円を描く水たまりの中央には、仰々しく両手をあげた人の像が立っていた。左肩にはかめをかついでいて、昼を過ぎるとそこから水が落ちてくるのだという。フェイの解説をぼんやり聞きながら、どうやって水をひいてるのかと思いながら、ぼんやり水面を見つめた。しばらくそうしていたアニーはけれど、水面にある不自然な光に気づいて、碧眼を瞬く。

「え? これ」

 アニーは思わず身を乗り出した。「落ちないでよ!」幼馴染の慌てた声も、ほとんど聞こえていない。

 じっくりと水面をのぞきこんだ、その先。青くて丸い何かが浮いている。――いや、違う。アニーは自分で否定した。青いのは、空だ。丸いものが、空を映しだしているのだ。

「まさか……」

「アニー?」

 独白に気づいたフェイとクレマンが顔を寄せる。彼らも、丸い物を見るなり、ぎょっと目をみはった。

「お、おい、これまさか、玉じゃねえの!?」

「エルフリーデ、これ!」

 あたりに構わず叫んだクレマンが、人々の視線を集める。その間にフェイが、少女の肩を叩いた。振り返って、水の中をのぞいた彼女は、手を叩く。

「間違いないわ、この玉よ」

「そっか。……でも、どうしよう。手をつっこんじゃったら、さすがに怒られるような……」

 あたりを見回しながら、フェイが言う。瞬間、そばに座っていたリーヴァがすくっと立ち上がり、人混みのなかに突っこんでいった。「すいません、ちょっと聞きたいことがー」と大声で言いながら、恋人どうしに見える男女や、祭の準備に駆けまわる若者などを手当たりしだいに捕まえる。子どもたちは先輩の奇行に度肝を抜かれて立ちすくんだ。

 まっさきに我に返ったのはアニーだ。フランがじっと見つめていることに気づき、リーヴァが人々の気をそらしているのだと感じた彼女は、ひとつうなずいて噴水に向きあう。思いきって水の中に手をつっこむと、丸いものを拾い上げた。かすかな水音とともにひっぱりだされたそれは、すきとおった表面に、きらきら光る雫をつたわせている。硝子のようにすべすべした玉だった。アニーの抱えたそれを、少年たちが興味深げにのぞきこむ。そこへリーヴァが戻ってきて、彼らににやりと、笑いかけた。

「これだよね、エルフリーデ?」

「あ、は、はい!」

 得意気なリーヴァの問いに、エルフリーデが、こくこくとうなずく。

「じゃあ、触ってみてよ、エルフィー」

 アニーは彼女に玉を手渡そうとする。そのとき。後ろから、大きな声で呼びかけられた。人混みの中から抜け出したばかりの青年が、汗だくで手を振っている。誰もが、驚きに目を丸くした。

「ロト!?」

「こんなところにいたか。何してたんだ」

「何って――ああ、そう、そうなんだ。ちょうど玉を見つけたんだよ」

 駆けよってきた青年の問いに、フェイが答える。胸の前で拳をにぎる彼は、珍しく興奮していた。ロトは眉を跳ね上げるが、アニーの両腕におさまる透明な玉を見つけるなり、苦虫をかみつぶしたような顔になる。

「やっぱりあと一個あったんだな。しかも、こんな場所に。……よし、それをこっちに預けて、おまえらは広場から離れろ。じきに『白翼の隊』の連中が来る」

 ひとりごちたと思ったら、ロトはいきなりそう言った。突然の言葉に、アニーたち四人だけでなく、リーヴァやフランも顔をしかめる。

「どういうことです? 広場から離れろって」

「何かあるんですか」

 フランはともかく、リーヴァまでめったにない険しい顔をしている。ロトは、目をさまよわせて迷うそぶりを見せたあと、少年少女を手招いた。口もとに片手を添えて、そっとささやく。

「方陣とその玉が、なんのためのものかわかったんだ。早く対処しないと、まずいことになる」

 ひょっとしたら、もう――

 言葉をにごした青年は、苦々しげに目を細めた。六人は、顔を見合わせ息をのむ。誰からともなく玉を見おろし、視線を一身に集めたアニーが、慌てて玉を掲げ持った。

「そ、そういうことなら」

 慎重に、大きな手へと預けようとする。

 そのとき、異変は起きた。

「……え?」

 誰かが、呆然と呟いた。目の前で異変をまのあたりにしたアニーは、口を半開きにしてかたまる。


 しみひとつない、無色透明の玉。その中心に、いきなり黒い点があらわれた。落とされた黒は、じわじわと、玉の内側に広がってゆく。まるで、墨を一滴、水の中にたらしたときのようだった。


 少年少女が食い入るように、黒色に見入るなか。ロトだけが「まずい」とささやき、アニーだけがそれを聞いていた。

 どうしていいかわからず固まっている間にも、黒はじわじわと広がる。手をくすぐられた気がしたアニーはのけぞり、唖然として玉を見つめた。硝子ににた丸いものは、小刻みに震えはじめていたのだ。

「ちょっと、何あれ」

 彼らが叫ぶより早く、広場にいる人々の中から声があがる。人々は、不安げに空を見上げていた。だから、近づく軍靴の響きにも気がついていなかった。

 人々の視線を追いかけた学生と魔術師は、今度こそ何もできずに凍りつく。いつの間にか、抜けるような青空のなかに、光がたちのぼっていた。青、赤、黄の三色が、互いに離れて立っている。それは柱のようであり、紙の上にひかれた直線のようでもあった。

「あれって、もしかして、玉の……」

 フェイが、呟く。その声が終わるより早く、彼らのまんなかで、かたい音がした。何かがひび割れる音が、玉のまんなかから漏れている。魔力持ちの青年と少女が青ざめた。

「あ、アニー」

「玉を離せ、早く!」

 二人が同時に怒鳴る。アニーは言われるより早く、亀裂が入った玉を放り投げていた。宙に放り出された玉は、地面に落ちるより前に、音を立てて砕け散る。その中からもれた黒色は、一瞬だけあたりを染めたあと、煙のように散ってゆく。


 一瞬のことだったが、一瞬のあとに何もかもが変わったように、アニーには思えた。耳がつんと痛くなり、思わず顔をしかめる。隣を見れば、蒼白い顔でよろめいたエルフリーデが、クレマンとフェイに支えられていた。

 そして。

「ちょ、お兄さん!?」

「危ない!」

 うめき声のあとに、先輩たちの声が重なって響く。――ロトが、二人の腕に支えられる形で立っていた。いや、立っているように見えるだけで、手足からは力が抜けている。頭はがっくりと下がっていて、顔色はうかがえない。それでも、気を失っているのは明らかだった。

「ロトさん、しっかり」

 エルフリーデをクレマンに任せ、フェイが駆け寄る。彼の声がけにも、青年はまったく反応しなかった。リーヴァたちがどうにか体勢を立て直そうとしているときに、少しだけ、顔が彼らの方を向く。目を閉じたきり、動く気配がない。

 いったい何がどうなっているのか。アニーとフェイは、混乱し、呆然とした。

 彼らに追いうちをかけるように、地面が揺れて、大気が震える。腹の底にずんっと響く震動のあと、広場のあちこちから悲鳴があがった。そこへ軍人とおぼしき人々の、鋭い言葉も混じる。

 突然、濃い影がさす。強く、風が吹いた。目をすがめたアニーは、風の来た方を見上げ――尻もちをつきそうになった。

 いつの間にか、空は大きな黒いものに覆われている。はじめは何かよくわからなかったが、すぐに生き物であると気づく。

 広場を丸ごと覆うほどの巨体。ばっさりと広がる黒い翼は、形だけみればこうもりの羽に似ていなくもない。四本の脚は太く、その先からは凶悪な爪がのびている。口の隙間から白い牙がちらちらのぞき、赤くにごった目が、地上を無遠慮にながめまわす。頭には、牛などかわいいと思えるくらい立派な角が二本、生えていた。

 アニーたちは、三色の玉に浮かんだものを思い出した。

「これのこと、だったの? でも、これって」

 その生き物を示す名を、彼らは知っている。けれどそれは、おとぎ話の中だけの、最強の獣のはずだった。

「黒い――竜?」

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