Ⅲ われら少年探検隊

序章

野花の町の少女

 はじめて「魔術」を使ったのがいつだったか、そのきっかけがなんだったのか、彼女の覚えていることは少ない。

 けれど、きっとささいなことだっただろう。一緒に遊んでいた友達の帽子が木にひっかかっただとか、球がわりに投げていた木の実が池に落ちただとか、そんな小さなきっかけだったろう。それで彼女は、問題を解決するために習いたての魔術を試した。それが成功し、子どもたちの顔がこわばった瞬間、父母の言いつけを破ったことを後悔した。けれど同時に、ある言葉が、彼女の脳裏にひらめいていた。


『魔術師の一族であることを誇りなさい。誇りを、忘れてはなりません』


 それは、祖母の口癖だった。祖父母は特に、自分たちが魔術師であることを強く意識していたから、渋い顔をする息子夫婦をよそにして、孫である彼女に言い聞かせつづけていたのである。相反するふたつの言葉に挟まれて育った彼女は、この日はじめて、迷った。


 道の脇に咲き誇る菖蒲しょうぶの紫色に目を奪われながら、とぼとぼと家へ帰る。一番大きな道を西にそれて、遠くに石垣の影が見えるあたりまで出てゆくと、草木に囲まれた彼女の家が見えた。かすかに聞こえる羊の声に安心したのは、少しの間だけだった。沈みきった声をあげながら扉を開ければ、優しい声が出迎える。

「おかえりなさい。ずいぶん落ちこんでいるみたいだけれど、どうかしたの?」

 顔をあげれば、祖母がいた。少しほっとした。ただいま、と言ってから、「お母さんは?」と訊けば「畑の方に出ているよ」との答えが返ってきた。心から安心して、部屋にあがった彼女は、祖母に外であったことを明かした。

 話を聞いた祖母は少しだけ考えるような顔をしたけれど、最後には頭をなでてくれたのをおぼえている。

「苦しむことはないわ。あなたは正しいことをしたのだから」

「正しいこと? ほんとうに?」

「本当に。だって、正しいことに魔術を使ったのでしょう。悪いことととらえる必要はないのですよ。みな、そういう経験を積み重ねて、魔術師になってゆくものです」

「でも、おかあさんは、わたしに魔術師になってほしくないみたい。はっきりとは、わからないけど」

 彼女は首をかしげつつ、言った。祖母は憂えるような顔をする。母と祖母の仲は決して悪くないのだけれど、魔術に関することだけは、今でも意見が衝突している。祖父母はともに、大昔に外の国からやってきたらしいから、考え方が違うものなのかもしれない。彼女はぼんやりと、そう思っていた。

「お母さんに気をつかうのはおやめ。あなたはあなたの思ったとおりに生きればいいの。魔術師になるかどうかは、最初の訓練が終わったあとに、ゆっくり考えればいいのよ。おばあちゃんは、あなたの味方だからね」

 うん、と言ったのだろうか。彼女は覚えていなかった。首を縦に振った気はする。

 それから彼女は、ときどきではあるが、こっそり祖父母から魔術のことを教わるようになった。両親にすぐばれたが、二人も彼女にだめとは言ってこなかった。あるいは、言えなかったのかもしれない。苦い顔をしながら黙認しているのだから。

 このときの彼女は、そのことに気づかず、ただ勉強に没頭した。

 魔術師になるもならないも、自分が決めること。けれど、魔術師の一族であることの誇りは忘れてはいけない。何度も何度も、彼女はそれを心に刻みつづけていた。


 最初に魔術を使った数年後のある日。彼女は、祖父に呼びだされた。理由がわかっていたから、自然、苦い顔になった。家の一番奥にある、小さな部屋で、祖父は絨毯に座って待っていた。小さく礼をすると、祖父は穏やかに孫娘を招いて、切りだす。

「魔力の制御が、うまくいっていないみたいだな」

「……はい」

 正直に認めた。やっぱりその話か、と、胸のうちでこぼす。いくら練習しても、自分の魔力は暴走してしまう。普通の子なら長くても二年で終わるところを、彼女はそれ以上の時間をかけてやっている。これは「ふつうの魔術師」から見ても異常なので、魔術師の多い土地から渡ってきた祖父母からすれば、なおのこと悪いように映ったのだろう。

「一度、術を使うことを許可する。簡単なものでいい、やってみなさい」

 祖父は優しく言った。彼女はうなずいて、空中に、三つの輪だけでできあがる魔術を編んだ。それは、指先に小さな火を灯す術だ。指が輪を描くと、それは光を放って消えたが、あとに現れたのは丸い灯火ではなくて、一瞬の強い光だった。彼女は悲鳴を上げた。光が消え去ったあと、慌てて謝ったが、祖父は怒っていなかった。ひげをなでて、真剣に考えこんでいる。

「これは……訓練より先に、知識を学ばせるべきか……?」

 意味はわからなかったのに、祖父の言葉は、強く少女の耳に焼きついた。


 祖父の言葉をおぼろげながら理解したのは、家の大人たちから「ヴェローネル学院」の編入試験を受けるよう、すすめられたときだった。詳しい話を聞いて、彼女は、当然のことだろうと納得した。術師になるにしろならないにしろ、今のままでは、彼女はいつ暴発するかもしれない銃火器のようなもの。だからこそ、提案をすなおに受け入れ、学術都市に出た。今度こそうまくいくと思っていて、ただ期待に胸をふくらませていた。

――しかし。

 魔術師の一族であることが当然の環境に育った彼女は、そこで、ひどく戸惑うことになる。

 自分と、微小な魔力しか持たないほかの人たちとの間にある、大きくて厚い壁を前にして。

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