終章

薄曇りの空の下

 ヴェローネル学院の建物は、基本的にはきらびやかなお城を思わせる見た目をしている。けれど、一部の研究棟などは、本当に同じ敷地の建物かと疑いたくなるような、みすぼらしいたたずまいをしているのだった。敷地の南側、正門にほど近い、大きな石の建物も、そのひとつだった。あるのは一階だけで、かわりにやたらと天井が高いこの建物には、よく木剣を打ちあう音や、取っ組み合いの音が響きわたっている。

 この日もまた、乾いた音が、高い天井に反響していた。生徒と教師が木剣を手に立ちまわる。決して激しくはなく、あくまでも決まった形に沿って、立ち回っていた。やがて、十合以上に及んだ打ちあいは終わり、教師の方が先に剣をおろす。

「今日は、ここまでにしようか」

「はい」

 教師の言葉に、生徒はうなずき、頭を下げる。金色の三つ編みが、ひょこりと揺れた。

「それにしても、アニー。最近は、より熱心だね。何かあったのかな」

 木剣で肩を叩く彼にそう問われて、アニー・ロズヴェルトは、目を瞬いた。

「熱心に見えますか」

「見える見える。放課後に、わざわざ稽古をつけてくれなんて頼まれたときは、目が飛び出るかもってくらい、驚いたもんなあ」

「おおげさですよー」

 おどける彼女の担任教師、ハリス先生。あまりの言い草に、アニーは唇をとがらせた。けれど、やんちゃな表情は、すぐにひっこむ。彼女は自分が持つ木剣を見上げたあと、ハリス先生を見上げた。

「あの、先生。聞いていいですか」

「ん? なんだい」

「――もし、おかしくなった私みたいな人がいて、その人にとってはそれが『普通』で。そんな人と、戦うことになっちゃったら。どうしたら、いいんでしょうか。……どうしたら、のまれずに済みますか」

 言葉にするには、あまりにも難しすぎた。けれど、アニーの頭の中には、はっきりと、漆黒をまとった男の顔が浮かんでいた。それを察したかどうかはわからないが、ハリスは穏やかであろうと努力したようだった。優しげに、目を細める。

「難しい問題だね。先生には、そういう人と出会った経験がないから、なんとも言えないが……あえてひとつ言うとすれば、一人で立ち向かわないようにしろってことかな」

 アニーは、ぽかんとする。ハリス先生は持ち上げていた木剣を下ろしながら、続けた。

「実際に二人以上で戦え、っていう意味だけじゃない。常に、大事な誰かのことを頭の隅に置いておくんだ。そうすれば、自分を見失わずに済むかもしれない。先生も、戦場に立ったときはそうしていたよ」

「戦場に行ってたんですか?」

「若い頃の話だ。軍に入ってたんだよ。すぐ、やめちゃったけどね」

 地位は三等兵どまりだ、とハリス先生は笑う。だから、経験した戦場も、それほど多くない、とも。アニーはふんふんうなずいたあと、自分の木剣を、再び見おろす。

 大事な誰か。そう思って、浮かぶ顔はいくつかある。けれどどうにも、はっきりとした形をもたせることができなかった。――考えてみよう、と思いなおし、アニーは先生に頭を下げる。木剣を返してから建物を出た。駆け足で寮に戻って、寮母のもとへ行き、外出許可をもらう。

 久しぶりに冷えた空気のなかを、少しだけ歩きたい気分だった。


 学びの路を少しそれて、大通りの方に出る。黒っぽい学生服の集団ばかりだったのが、とたんに色鮮やかな往来に変わって、アニーはほんの一瞬、ひるんだ。それでも気を取り直して歩き出す。通りを横切り、土産物なのか古い文字を刻んだ首飾りを売っている露店を見るともなしにながめていたとき、薄い影がさす。

「なんだ、アニーか。補習から逃げてきたのか?」

「……散歩だよ」

 アニーは振り返り、出会いがしらにひどいことを言ってきた青年をねめつける。ロトは表情を変えずに肩をすくめ、それからアニーの隣に立った。

「散歩にしては元気がないな」

「そう? 別に、いつもどおりだけど」

 アニーはどきりとしつつもそう返した。ふうん、とロトが言っている間に、人混みが割れて、黒塗りの馬車が道のまんなかを通りすぎてゆく。いかつい馬たちが視界から消えるのを待ち、アニーは青年を見上げた。

「ねえ、ロト。ロトだったら、大事な人、って言われたら誰が浮かぶ?」

「あん? なんだ、いきなり」

「いいから」

 面倒くさそうにしていたロトだったが、アニーが低い声でせかすと、神妙に考えはじめる。やがて、ざわめきの戻った街路に、声が落ちた。

「そうだな。一番は、やっぱマリオンかな。家族みたいなもんだし」

「――へえ」

 自然に出てきたポルティエの女魔術師の名に、アニーは思わず頬をゆるめる。なんだよ、と聞き咎められてしまったが、首を振ってごまかした。こぼれそうな笑みをごまかすつもりで、アニーは身を乗り出す。

「じゃあさ、お父さんやお母さんは、何番目?」

 アニーとしてはもっとも参考にしたい話だった。自分のなかで、父と母が大事な誰かのどこにいるのかが、はっきりしなかったからである。けれど、返ってきたのは、予想だにしない答えだった。

「何番目、だったんだろうな。いなくなっちまったから」

 そう言って、空を見上げる彼の瞳は。どこまでも優しく、悲しく、深かった。

 アニーがぎょっとして、顔をこわばらせていると、彼は視線を戻す。彼女は慌てて頭を下げた。

「ご、ごめんなさい」

「別にいいって。もう、十年以上も前の話だ。だからまあ、答えは『わからない』かな」

「……そっか」

 アニーはそれ以上、なんと言っていいかわからず、上を向いた。ロトから逃げるように。

 自分の「大切」のどこにいるのかわからない存在。けれど、いるのが当たり前で、かけがえのない人たち。彼らが「いなくなる」とはどういうことなのか。十一歳の少女には、想像もできないことだった。

「あんまり考えすぎるなよ。そういうの、似合わねえし、おまえ」

 笑い含みの声がけに、うなずいたのか、怒ったのか、アニーはよくわかっていなかった。

 ただ、見上げた空に、紗幕のような薄い雲がかかっていたのは、たしかだった。

 

 

 フェイが声をかけられたのは、外廊下を一人で歩いているときだった。

「君が、フェイ・グリュースターくんだね」

 少し高いところからそう言われ、フェイは驚いて見上げた。そこには、女子生徒が立っていた。背丈と制服の意匠から、十一回生だとわかる。フェイよりもずっと先輩の見知らぬ少女になぜ声をかけられたのかわからず、フェイはあせった。頭がまっしろになる。それでもなんとか、「はい」と返事をしぼりだせたので上出来だ。

 女子生徒は目を細めていたが、フェイが気をつけをしていると、ぐいっと顔を近づけてくる。彼が後ずさりをする前に、いきなり両手で頬をはさまれた。

「か、かわいい……! こんなかわいい子があれ書いたの? 信じられない」

「え、は? あ、うぇ、あの」

 いきなりとろけるような笑顔で近寄られたフェイは、目を回す。しかも相手はなかなかの美人だ。困る、かなり困る。

 外廊下のまんなかで少年がうろたえていると、元凶たる少女の後ろから声がした。

「こら、そのへんにしなリーヴァ」

 今度は、男子生徒の声だった。少女の制服をひっぱった男子生徒は、やはり十一回生で、浅黒い肌をしていた。珍しい見た目に、別の意味でフェイは呆然とする。その間にも、リーヴァと呼ばれた女子生徒は、同級生の男子に向かってまくし立てていた。

「フランー! どうしよう、どうしよう! 六回生かわいすぎるよ最高だよ、私たちにもこんな時代があったんだよねえー!」

「リーヴァ。我が友リーヴァ・ジェフリー。とりあえず落ちつくんだ。後輩が困ってるじゃないか」

 男子生徒は片手を突きだし、淡々とした口調で女子生徒をなだめる。彼女はようやくそこで、一応の落ち着きを取り戻したようだった。フェイはそのときを見計らい、おずおずと口を開く。

「あ、の。先輩がた、は、いったい」

「ああ、うん。ごめんよ。友達が騒ぎ立ててしまって」

 男子生徒がそう言い、女子生徒に前を向かせる。

「僕らは十一回生で、在籍学科は『研究科』。――つまり、君の直接の先輩だ」

 流れるように言われたことに、フェイはますますびっくりした。彼が目をまんまるにして立ちすくんでいると、女子生徒がウェーブのかかった豊かな茶髪を軽く振り、自分の顔を自信満々に指さした。

「私はリーヴァ・ジェフリー。専攻してるのは、今のところ王国史一本。魔術学があったらとりたかったんだけど、まだないみたいー」

「僕はフラン。フラン・アイビスだ。専攻は機械工学と民俗学」

「ぜんっぜん違うでしょ、笑えるよねー」と茶化したリーヴァが、フランに頭をはたかれる。それに戸惑いつつ、フェイも一応、名乗った。すると、フランが顔を突き出してくる。

「確か、八回生で専攻を決めることになるはずだけど、フェイくんは何をとるつもりだい? やっぱり歴史系かな」

「い、いえ。まだ、ちゃんと決めてないんですけど。でも、どうして『やっぱり』歴史っておっしゃったんですか」

 それはね、とフランが言ったところで、リーヴァが続きを引きとる。

「君の論文を見たからなのさ」

 ふふん、と笑いだしそうなリーヴァを見て、フェイは固まった。

 一瞬、何を言われているのかわからなかった。けれどすぐに、脳裏に声がこだまする。

――高評価のついた論文は、先輩方にも読んでいただくことにしています。そのことを、頭に入れておいてください。

 論文の課題が出たとき。そして、提出した日に担当の先生から言われたこと。それを一気に思いだし、彼は、全身が熱を帯びるのを感じた。

「ま、ま、まさか、あ、あれを」

「うん、あれ。はじめての論文であんな主題で書く子どもがいると思わなかったよ。ゼナ先生も驚いてた。よかったね、あの先生が驚くことって、めったにないんだ」

 早口で言い、からからと笑うリーヴァを前にして、フェイはとうとう頭を抱えた。

「そ、そんな……! 恥ずかしい……!」

 わきでた感情そのままに主題を決めて書いたはいいが、冷静に考えてみるととんでもない代物ができた、と思っていたフェイである。それを見知らぬ先輩に読まれていたとわかって、もう、消えてしまいたい気分になっていた。しかし、そんな後輩をよそにリーヴァとフランは感心しきっている。

「恥ずかしがることはないよ。君が取り扱ったことは、グランドル王国にとって、非常に重要な課題のひとつだ」

「『魔術師の特異性と差別について』だね」

「たんに差別・偏見を批判するのでなく、歴史をひもとき、そこから読み取れる人の心理をもとに、冷静な分析をしているのがとてもよかった」

 うんうん、とうなずきあう先輩二人を見ていて、フェイはいたたまれなくなってくる。「で、史料を引用しているところが結構あったから、歴史関係の学問を掘り下げるのかと思ってた」と、元気な少女に水を向けられると、ようやく顔を上げる。

「そ、そうじゃないんです。私情をはさみすぎないように、本とか昔の記述とかに頼ってしまった、っていうだけで……」

「私情?」

「はい。あの、知り合いに魔術師の人がいるんです。ひと月前から付き合いがあって、とてもよくしてもらって。その人と一緒にいるとき、魔術師差別の一部……っていうんでしょうかね。そういうのを見てしまったから。だから、これについて書きたいと思って」

 先輩二人は顔を見合わせていた。少しして、フランが口を開く。

「よかったな、リーヴァ」

 思いもよらぬ言葉に反応したのは、リーヴァ自身ではなくフェイだった。少女は、フェイを向いて、編みこんだ前髪をいじりながらほほ笑む。

「うんとねー。私のお父さん、魔術師じゃないんだけど。王都で、魔術師に関わる仕事してんの」

「そうなんですか」

「そう。だから、真剣に考えてくれてる後輩がいるとわかって、嬉しかったの」

 ありがとうね、と言われて、フェイはなんと返していいかわからなくなる。いいえ、と言った後少し口ごもり――結局、おどけたような笑みを浮かべた。

「よければ今度、『その人』を紹介しますよ」

 彼の言葉に、先輩は目を輝かせる。踊りだしそうなリーヴァに、フランは呆れ、フェイは声を出して笑う。

 勝手にこんな約束をしたら怒られるだろうとわかりながらも、そんなに悪い気分ではなかった。

 

 

 薄い雲のかかる空の下。エルフリーデ・スベンは、荘厳な建物を前にして、立ちすくんでいた。背後を振り返ると、門番をしている若いお兄さん二人に、「頑張れ!」とばかりに拳を突き出される。泣きたい気分で笑いかけた。

 もっとも、彼女がこれから行くのは、豪華な建物から離れたところに佇んでいる小屋だ。小屋といっても丸太小屋よりずっときれいで大きい。だから余計に緊張するのだが、それでもエルフリーデは決心した。唾をのみこみ、もう一度門番を振り返って、くだんの小屋に突撃する。腕に抱えた紙の束が、乾いた音を立てた。

「失礼します! 編入試験の手続きに来ました!」

 小屋に入るなり、ひっくり返った大声を張り上げたエルフリーデ。彼女の声に、小屋にいた男性が驚いていたが、来訪者ががちがちに緊張した少女だとわかったからか、すぐに顔をほころばせる。「いらっしゃい。こちらへどうぞ」とエルフリーデを手招いた。

 彼女は、持ってきた書類を小机に広げて、男性に見せる。彼の指示にしたがって、いくつかに署名をしたり、質問に答えたりした。以前、通っていた故郷の青空教室についても訊かれたが、どうにか必要なことは答えた。

 親にしてもらうことはひととおり一緒に終わらせたので、エルフリーデ一人の手続きは、そう時間はかからなかった。手続きの終わりに、男性が文字の彫りこまれた板を渡してくる。

「編入試験の日程は、さっき話したとおり。で、当日は、これを見せてね」

「はい」

 エルフリーデは板を受け取った。そして、ありがとうございました、と言い、男性に背を向ける。

 小屋を出る前、エルフリーデの背中に男性の優しい声がかかった。

「試験、頑張ってね。ヴェローネル学院は、未来ある子どもを歓迎するよ」

 一種の決まり文句なのであろう言葉は、エルフリーデの胸の中に強くしみこんだ。



(Ⅱ 闇の五芒星・終)

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