第一章 噂の編入生

1 再会

 空はからりと晴れわたり、丸い太陽が大地に光を注いでいる。緑の芝生が光を弾いて、色鮮やかに輝いた。茶色い土はまぶしいくらいの金色を放つ。庭を囲む石の外廊下を歩く学生たちは、外の風景を屋根の下からどんな感慨を抱くでもなくながめているが、外で運動させられている学生にとっては、その視線はとても腹立たしいものだったに違いない。

 学術都市と名高いヴェローネル。その象徴ともいえる学院の野外演習場で、十歳、あるいは十一歳の子どもたちが、木剣を手に向き合っていた。彼らは教師の号令とともに打ちあいをはじめる。人が変わって何度も繰り返される試合。そのたびに、演習場には乾いた音が響き渡る。

 模擬試合が繰り返される演習場の一角で、またひと組が向き合っていた。赤い巻き毛の少年と、金の三つ編みの少女。いつもの制服から麻の上下にきがえている彼らは、しばらくは互いに何を言うでもなく見あっていたが、そばにいた教師が「はじめ!」と叫ぶなり、鋭く息を吐きだした。

 先に動いたのは少年の方である。一気に距離を詰めた彼は、木剣を大きく振り上げ、打ちおろした。少女はそれを寸前で受けとめると、刃に指をそわせて剣をずらし、相手の力を外に流す。思わぬ技巧に目を丸くした少年は、流された剣を持ちなおし、慌てて体勢を整える。

 その間に、少女が攻勢に転じていた。ななめに構えた剣を手先で回した彼女は、右手に剣を持って踏みこむ。胴を薙ぐ一撃を、少年がぎりぎりのところで防いだ。刃がぶつかり、かあん、と高い音が響く。剣撃を防がれた少女は、大きく跳んで距離をとり、一拍の間を置いて駆けだした。少年も負けじと走って剣を振る。激しい息遣いが交差した。一合、二合と打ちあいは続いた。そして、少女がわずかによろめいた隙に、少年が再び少女の頭めがけて剣を振るう。だが、そのとき――少女の左手が、少年の肘をつかんでとめた。

「えっ!?」

 少年は、この試合ではじめて、声を上げた。少女はその間にも、肘をよそへと打って相手をよろめかせ――彼が体勢を立て直す前に、木剣を喉もとに突きつけた。

 模擬試合と思えない、緊迫した空気が漂う。少女がまとう尋常ならざる気配を察したのか、教師が鋭い声で試合の終わりを宣言した。互いに礼をして下がったあと、赤毛の少年が顔を情けなくゆがめる。

「ううー。やっぱり『暴れん坊』のアニーじゃ相手が悪いよお」

「男が何泣きごと言ってんのよ。悔しかったら修行しろ」

 とげとげしく返した少女の顔に、険しさはない。むしろ何かを楽しむように、にやにやしていた。少年はむっと唇をとがらせたが、そこで二人揃って教師ににらまれたので、互いに何も言わずに退散したのである。


「あー……眠い……」

 アニー・ロズヴェルトは、廊下を歩きながら目をこすった。

 彼女たちが歩いているのは、食堂と、彼女らの教室がある西館をつなぐ廊下だ。その廊下は外とは比べものにならないくらいきれいにされていて、踏むたびに靴が高い音を立てる。反響する靴音と生徒のざわめきのおかげで、広い廊下は、昼休みらしい喧騒に覆われていた。

「よく動いてよく食べて、よく寝て――健康的な生活の見本だね」

 隣で歩いていた少年、フェイ・グリュースターが笑いを含んだ声で言った。彼もアニーと同じく六回生。その体は、アニーと比べても華奢な印象だった。アニーは、くすくす笑うフェイをにらみつける。

「ちょっとフェイ。まるで私が午後に居眠りするって決めつけてるみたいじゃない」

「だってアニーだもん。それに午後、座学でしょ」

 う、とアニーは喉をつまらせる。居眠り常習犯のつもりはないが、模擬試合のあとの座学がとてもつらいのは確かだ。けれど、それはアニーだけでなく『戦士科』全生徒の悩みの種に違いない。しかたなく反論をあきらめたアニーは、かわりにフェイの頭をぺしんと叩く。彼はわざとらしく大きな悲鳴を上げたが、幸い本当に泣いているわけではなかった。

 なごやかに話をしながら制服の波を抜ける間に、近くを通った生徒たちの声が聞こえるのは、珍しいことではない。耳がいいアニーは、その内容を正確に拾い上げることもできた。今も、数人の女子生徒が、この間の編入生がどうのとささやきあいながら、歩いてゆく。

「そういえば」

 彼女たちの姿が廊下のずっと先に消えた頃になって、フェイが口を開いた。

「この間から、編入生が来たってもっぱらの噂だよね。どんな子だろう」

「さあ――。実際に入ったの、文化の方だし、私はわかんない。フェイの方が、縁ありそうだけど」

 アニーは頭を支えるように手を組んで、幼馴染を見やる。彼は曖昧な笑みを浮かべた。彼の在籍する『研究科』は将来的に、技術開発や薬の研究に進む人が多いが、いわゆる文化人類学や考古学を学びたい人も少なくはない。アニーは噂ていどでしか聞いていないが、そういう人が最近できたばかりの文化学科に転科することもあるという。

 なんの気もなく噂話に花を咲かせていたアニーは、まぶしさと吹き込む風に目を細めた。壁際を見れば、庭へ通じる扉が開けっぱなしになっている。誰よ、もう、と彼女は悪態をついたが、直後に足を止めた。突然のことに、慌てて立ち止まったフェイがつんのめる。

「どうかした、アニー?」

「――なんか、騒がしい」

 え? とフェイは首をひねる。その間にもアニーは、自然な身のこなしで庭の方へと向かっていった。

「あ、ちょっと!」

 追いかけてくるフェイの声を背に受けながら、アニーは庭の方へ出る。ここの庭は、西館から出られるそこと違ってかなり小さい。静かに一人で過ごしたい生徒が、ときどき本を片手にやってくるような場所だ。庭の隅、細い木の陰に、数人の生徒が集まっていた。ほとんどが荒っぽそうな少年で、一人だけ素行の悪そうな少女がまざっている。そして、彼らが囲んでいるのもまた、少女だった。アニーやフェイのいるところからでは、囲まれている方の表情はわからないが、ろくでもないことなのは張りつめた空気からも察せられる。

 少年たちは、少女に向かってひたすら何かを言い募っていたが、彼女がまごついて後ずさりすると、少年たちにまざっていた少女が、その肩を強くつかんだ。アニーがぴくりと肩を震わせる。そして、フェイは苦笑した。

 彼女は「こういうこと」が何よりも許せなくて――それゆえに何度も救われた幼馴染は、彼女の性格をよく理解しているのだった。

「ちょっと、あんたたち! 何してんのよ!」

 踏み出すなり、アニーが怒鳴る。すると、少年少女はぎょっとして振り向いた。いずれも、五回生か六回生らしい。相手の肩をつかんでいた短髪の少女が、険しい顔をさらにきつくした。

「何あんた。部外者が口はさまないでくれる?」

「お、おい待てって」

 少年たちのうち一人が、少女を止めた。少女は彼をにらみつけたが、にらまれた方がぶんぶんと顔の前で手を振る。

「あいつ、『暴れん坊』だぜ。怒らせたら俺たちの命があぶねえよ。何人病院送りになったと思ってんだ」

「ひとを危険生物みたいに言うな! 病院送りにしたのは十年でほんの五人だ!」

 アニーが怒鳴ると、その少年はひいっ、と叫んだきり、黙りこんでしまった。そして、止められた少女は目を細めた。「それでも五人は病院送りか……」と、フェイが遠い目をして呟いていたことなど、誰も気づいていない。

「へえ。こいつが『暴れん坊』」

 少女は、すわった目でアニーをじろじろながめる。その間に彼女の手は、相手の少女の肩から離れていた。短髪の少女は少年たちをかきわけて、二人の方へ踏み出してくる。身をこわばらせたフェイを、アニーはすばやく背後にかばった。

「で、何? 問題児さまが正義の味方きどりかしら」

「そんなつもりはないわ。だけど、いかにも強そうな男の子と女の子が、たった一人を取り囲むなんていう、おもしろそうなことしてたから、気になっただけ」

 ちくりとした皮肉に、少女と、一部の少年が険しい顔をする。誰か一人が怒鳴りだしそうになったが、少女はそれを手で制した。

「あいつ、魔術師なんだってさ」

 彼女が、縮こまっている生徒を指さして言う。アニーとフェイは顔を見合わせ「は?」と言ってしまった。すると少女が、得意気に唇をゆがめる。

「そういう噂が立ってる。どこまで本当か、知りたいじゃない。だから『魔術使ってみて』ってお願いしたんだけど、あいつったら、全然聞いてくれなくて」

 アニーは、そしてさしものフェイも眉をひそめた。二人には本当の魔術師の知りあいがいるから、迫られた生徒の心情も、なんとなくだが想像がついたのだ。

「あのねえ。あの子、嫌がったんじゃないの? ひとの嫌がることを、無理にさせようとすんな。ばかばかしい」

「なんですって――」

 激しかけた少女の手を、アニーが鋭くつかむ。そして彼女は、背後のフェイに「先生呼んできて!」と怒鳴った。フェイが飛びあがって、それから意図をはかりかねたかのように視線をさまよわせる。

 少女が獰猛な笑みを浮かべ、少年たちの一人が踏み出してきた。

「ばっかじゃねえ? こんな状況で先生なんて呼んだら、間違いなくおまえのせいになるぜ。ロズヴェルト」

「そうかしら。先生にもよると思うけど。私の友達は優秀だから、そのへんはよく理解してるのよね。試してみる?」

「てめっ……」

 少年が歯ぎしりしたとき、少女がアニーの手を乱暴に払いのけた。唖然とする少年たちを振りかえり、「行くわよ!」と怒鳴る。

「わかったわよ。今日はこのへんでやめにしておいてあげる。でも、覚えてらっしゃい」

「典型的な捨て台詞ー」

 アニーはわざと挑発的に言ったのだが、少女はふんっと鼻を鳴らすと、少年たちをせかして去っていってしまった。

 とたんに庭が静かになり、フェイの重々しいため息が響く。その終わりに、ピピピ……と、小さく鳥の声が聞こえてきた。草葉が風にそよぎ、今まではじき出されていた自然の音が、再び子どもたちを取り囲む。

「びっくりした。これ見よがしに叫ぶから、事を大きくするつもりなのかと」

 げんなりして呟くフェイを、アニーは腕組みをして振り返る。

「逆よ逆。私をなんだと思ってんの」

「え、何って。暴走しまくる女の子――いだだだだ」

 失礼な幼馴染の頬をつねったアニーは、庭の奥を見た。被害者の少女は、まだ体を抱えて震えている。長い黒髪が、顔を陰鬱に覆ってしまっていた。見かねたアニーは彼女の方へ踏み出して、慎重に声をかけた。

「大丈夫? もう、あいつら、いなくなったよ」

 少女はわかりやすく震えた。顔をわずかに上げてくれたが、やはり目もとは見えない。彼女はおどおどとしたあと、かすれた声で「ありがとう」とささやくなり、勢いよく立ちあがって走り出した。

「あ、ちょっと!」

 アニーは慌ててそれを追いかけ、彼女の腕をつかんだ。フェイのうろたえる声がして、顔をしかめる。

 わかっていた。ふだんならアニーも、こんな強引なまねはしない。けれど今は、そうせずにはいられなかった。

 腕をつかまれた少女が、慌てふためき振り返る。顔を隠すことすら忘れて。

 恐怖に震えていた彼女の瞳は紫色だった。涙がいっぱいたまって、気の毒なくらい充血している。今もひきつって震えている頬は、すきとおるほど白かった。彼女のその、独特の美しい顔立ちは、ひどく見覚えのあるものだった。

 フェイも、予測していたアニーでさえも、息をのんで固まった。相手もそれは同じだったようで、今まで伏せっぱなしだった目を、いっぱいに見開いた。

「アニー……フェイ……?」

 桃色の唇が震えて、二人の名前をささやいた。もう、彼女は逃げだそうとすることをやめていた。呆然としたアニーは手を離し、そこへフェイが追いついてくる。

「エルフリーデ」

 少年が、揺れる声でささやく。

 魔術師の卵たる少女、エルフリーデ・スベンは、しばらく動かなかった。

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