第四章 光の下に誓う

1 真実の断片

 夜という実感のわかない夜を越えて、三人はまた荷物を手に集まっていた。フェイが少し不安そうな顔をしていたが、アニーはあえて気にしないふりをする。むしろ、フェイよりロトの様子が気がかりでならなかった。昨日聞いた話は、まだ嫌でも耳に残っている。

 どことなくぎこちない空気。けれど、青年の無愛想な声は、あっさりとそれを打ち払った。

「さて。じゃあ出発――といきたいところだけど、その前に話しておきたいことがある」

 突然の話に、子どもたちは目を瞬いた。

「話しておきたいこと? なんですか?」

「守護獣と、この神殿についてだ」

 静かな声が響く。アニーもフェイも、知らず知らずのうちに息をのんだ。

「……何か、わかったの?」

 アニーはそっと身を乗り出す。ロトは紙を広げてうなずいた。

「すべてではないけどな。この地下で行われていたことが、わかった」

 言いながら、彼は自分のつくった資料に目を走らせている。アニーは唾を飲みこんでから問いかけた。

「な、なに? 何か変なことしてたの?」

「変、というかな。この神殿――神殿の地下には予想どおり守護獣がいたみたいなんだ。そして、その守護獣は『大いなる石』なるものを体内に宿していたっていう記述がある。都市国家だったここが栄えてきたことで、心に余裕と野心が生まれた国民はあることを考えた」

 歴史書を読み上げるように淡々と語っていたロトが、一度、そこで言葉を切る。アニーとフェイは息を詰めて、続きを待った。

 いつも静かな青年の瞳に、かすかな影がさし、熱のようなものがよぎる。

「守護獣から『大いなる石』をとりだすことだ」

 氷塊のような沈黙が落ちた。驚いて言葉も出ない子どもたちを、青年が無感情に一瞥する。それから彼はまた、淡々と話を続けた。

「今まで見てきた紙にはな。それにまつわる研究や、守護獣を意のままにあやつるための魔術の方陣……の試し書きがしてあったりした。で、実際、何度か成功したみたいだな。連中は、守護獣から『大いなる石』、つまり《雪月花》をしぼりとったんだよ」

 とんでもないことしやがる、と呟くロトを見て、アニーは喉を鳴らした。重苦しい空気の中、助けを求めるように、フェイの方へ視線を向ける。だが、幼馴染の少年もまた、青ざめていて、他人を気にしている余裕はなさそうだった。彼はそのとき、はっと口を押さえる。

「あ、の……もしかして、祈祷杯、は」

「ああ。推測にすぎねえけど、あの杯に捧げられていた血肉ってのは、守護獣のものだったんだろう。守護者の獣から勝手に搾取しておきながら、その力が怖いからって、形式的な儀式で許しを乞うていた、ってところか」

 答える青年の声は、とげとげしい。怒っているか、あるいはいらだっているのだろうと、子どもたちにはわかった。

 しばらく動揺していたフェイが、ややあって青ざめた顔のまま、けれど冷静な様子で質問を重ねる。

「い、今は、どうなってるんですか。その、守護獣は」

「はっきりとはわかんねえけど」

 ロトはそう前置きしてから居住まいを正した。

「おそらくは、自分の中のものを勝手に取られてとうとう守護獣が怒り狂ったんじゃねえのかと思う。で、強力な魔術で眠らされた……そのための方陣もいくつか記録に残っていて、これは実用化された形跡がある。おそらく今も、地下道の奥で眠ってるんだ。あるいは、もう、目を覚ましてるかもしれないな」

「それ、まずくない?」とアニーが思わず呟くと、ロトは無言でうなずいた。

 強引に眠らされた最後の記憶を抱いたまま、目を覚ましていたとしたら、かなり怒っているはずだ。誰かれ構わず牙をむき、襲いかかってくるに違いない。震えあがる二人に対して、魔術師は妙に冷静だった。

「まあ、もともと守護獣は部外者を消すために配置された魔物で、俺たちは間違いなく部外者だ。最初から、いるなら襲われるっていうつもりではいた」

「私も、わかってはいたつもりだけど……」

 自分に活を入れるつもりで、アニーは呟いた。けれど、その言葉は尻すぼみに消えてゆく。やはり、どうしても不安なものは不安だ。子どもたちが戸惑っているのを見てとったのか、ロトは軽く息を吐いてから、紙をしまいはじめた。

「注意しておくに越したことはない。けど、考えすぎても前に進めなくなる。俺としても一応伝えておこうって思っただけだ。――だから」

「……うん。わかってる。奥まで行こう」

「もしかしたら、魔物の大量発生とも関係しているかもしれませんしね」

 アニーとフェイが力強くうなずくと、ロトはにっと口角を上げて立ちあがった。


 しばらくは、昨日と同じように歩き続けた。ただし、魔物は昨日と違ってずいぶん大人しい。襲ってこないどころか、人間たちを威嚇するそぶりさえ見せない。地下道を包む静寂がかえって不気味なように感じて、アニーは身震いした。気をまぎらわせるつもりで前を見ると、落ちつきなくきょろきょろしている少年の姿が目に入る。

「フェイ?」

 小声で名前を呼ぶと、フェイは肩を跳ねさせてからアニーを振り返った。

「どうかした?」

「い、いや。その、たいしたことじゃないんだ。壁……」

 かべ、と意味もなく繰り返したアニーは壁を見る。そして、幼馴染の言わんとしていることに気づいた。壁にとりつけられている燭台の数が、あきらかに増えている。明かりが灯っているわけではないので、見ていなければ気づかない。錆ついた燭台の列は、ずっと奥まで続いていた。寒気をおぼえたアニーは首をすくめる。

 何かが起きそうだ、と思った。

 直後、先頭を歩くロトが、ぴたりと足を止める。アニーは慌てて立ち止まり、背伸びして青年のむこうを見た。「え」と間抜けな声がもれる。

 すぐ前に、不自然なほど大きな穴があいていたのだ。薄い闇が、口を開けて客を待っている。出入り口であることは明らかだった。アニーとフェイが言葉もなく薄闇に見入っていると、青年魔術師が肩越しに二人を振り返った。子どもたちは顔を見合わせてから、うなずく。三人は再び歩き出し、みずから闇の中へと入っていった。

 穴の中は、やはり視界が悪かった。壁や地面がなめらかなことくらいしか、わからない。けれど――アニーは震えをこらえきれず、肩を抱いた。

「なにこれ……寒い……」

 後ろからフェイが心配してくれているが、言葉を返す余裕がなかった。黒い闇にまぎれて、銀色の靄が漂っているように見えるのは気のせいだろうか。意味のわからない恐ろしさにのまれかけていたアニーはしかし、前に見えていた人の背中が視界から消えていることに気づいて息をのんだ。目を少し下げると、青年がうずくまっているのがわかる。

「ロト!」

 金縛りが解けたように飛び跳ねた彼女は、そのままロトに飛びついた。おそるおそる顔をのぞきこもうとしたところで、彼の手に追い払われる。

「平気。ちょっと魔力に酔っただけだ」

「魔力に酔った……って」

 フェイがおろおろと呟いている間に、ロトはゆっくりと立ち上がり、かぶりを振っていた。

「アニー、おまえ今、寒いだろ」

「え?……うん」

「たぶん、魔力を感じてるせいだと思う」

 いつもの平たんさを取り戻した青年にそう言われ、アニーは目を丸くした。なんとなく、自分の両手を見つめる。

「でも、私、魔術師じゃないよ?」

「大きな魔力だと、術師じゃなくても感じられることがあるんだよ。それだけここがやばい場所だってこった」

 ロトはそう言い、前をにらむ。アニーたちもつられて前を見た。とはいえ、目に映るのは闇ばかり。忘れかけていた不安がじわりとよみがえり、後ずさりをしそうになる。

 暗闇の中心に、ひとひらの白い光が灯ったのは、そのときだった。

「え?」

 素っ頓狂な声をあげたアニーは、思わず目を細め、身を乗り出した。

 次の瞬間、光はふくれて弾け、黒を食らい尽くした。「目ぇ閉じろ!」という叱声に反応し、少女はぎゅっと目をつむる。それでも光は目を突き刺してきて、たまらず両手で顔を覆った。

 目の裏側まで届いた白い光は、ほどなくしておさまった。アニーはそろそろと手をどけた。目の前で、星がチカチカ瞬いていて、焦点が定まらない。アニーはしばらくふらついて、落ちつくのを待ってからあたりを見回した。

「な、なんなの、いったい……」

 無意識のうちに、文句が口から飛び出る。けれどそれは、まわりを見ているうちに、尻すぼみに消えていった。

「何、これ」

 うめいたのはアニーではなく、隣にいたフェイだった。あのロトでさえ、目をいっぱいに見開いて固まっている。彼ら三人は、それからしばらく言葉もなく、闇に隠されていた光景に見入っていた。

 照明がともったかのように明るくなったその場所に広がっていたのは、今までとまったく違う空間。さながら、第二の神殿ともいえる部屋だったのだ。いびつな円形をした空間を支える柱が、見えるだけで六本。大理石のようになめらかな床に目をこらしてみれば、なぜか、びっしりと文字なのか記号なのかわからないものが彫りこまれて、道を作っている。道をたどってみても、その先にあるのは白くてごつごつした壁だけで、何を意図してこの文字が床に刻まれているのかは、わからなかった。

「ここ、なんなんでしょう……。お祈りの部屋、ではないですよね」

「祀るようなもんも、祈祷杯もないしな。それにしても、不気味だ」

 きょろきょろしているフェイの声に、ロトが冷静に答える。彼は時折、自分の腕を確かめるようにしていた。それに気づいたアニーはむっと眉をひそめたものの、ひとまずは何も言わずにおいた。この部屋の謎を解き明かすことに、集中してみる。

 鍵となるのはやはり床に彫られたものではないか、と彼女なりに考えた。しばらくアニーはそれを目で追っていたのだが、やがては、文字が作る道の上を歩いてみることにする。一歩一歩、高く足を上げて、力強く地面を踏みしめ、彫られたものの存在を確かめながら、進んでゆく。黙々と歩いていたアニーは、白壁の前を通りすぎて――文字や記号の一部が、円をつくっていることに気づいた。

「この円が、ぐるーって囲んでるってこと?」

 アニーは円の外から内を見てみる。円の内にあたる部分には、まだまだびっしり彫りこまれているものがあり、奇妙に光を反射するこの場所では、彼女の目をもってしても、全部を確認することは難しかった。そのうち、少女の意図に気づきはじめた少年と青年も、円の外周に立って、床をながめはじめた。

 しばらく、無音の時が流れた。アニーが床の観察に疲れてきて、顔をあげた頃。息をのむ音が、静かな時を終わらせた。アニーとフェイが、同時に音のした方を見る。しきりに床を指でなぞっていたロトが、顔をこわばらせて固まっていた。

「ロトさん? どうかしましたか?」

 ロトは、すぐには答えなかった。彼の視線は、何度も床の同じところを行ったり来たりする。それが三、四回続いたあと、彼はようやく子どもたちを見た。

「これ……方陣だ」

「……え?」

 素っ頓狂な声が、純白の間に反響する。からり、とどこかで石の破片がはがれおちて、床の上を跳ねた。

 まるで、彼らが気づくのを見計らっていたかのように――声が消えた直後、文字のひとつに光が灯った。ひとつめを追いかけるようにして、床に刻まれた文字と記号が、いっせいに輝きだす。ロトが、弾かれたように地面を蹴った。

「まずい、退け!」

 彼の声に跳ね飛ばされるように、アニーもその場から飛びのく。フェイも慌てて後ろにさがっていた。刻まれたものたちが放った光は、その間に繋がって、白銀しろがねの筋をつくりだし――息をのむほど緻密な方陣を、純白の床に浮かび上がらせた。

 アニーは呆然として、輝きに見入っていた。けれど、ふいに方陣がかげったことに気づいて、天井をあおぐ。彼女はぎょっと目をむいて、剣の柄に手をかけた。

「あ、あれ」

 あえぐような彼女の声に反応し、フェイとロトも天をあおぐ。フェイは唖然として硬直し、ロトは見えない何かに撃たれたようによろめいたあと、右手を空中に添えて身構えた。ひきつった笑みが浮かぶ。

「おいおい、よかったじゃねえか。神殿の主のお出ましだぜ」

「……よ、喜んで、いいのかな。これ」

「そりゃ、おまえら次第だ」

 アニーとロトの応酬が終わらないうちに、唐突に現れて降ってきた『それ』は着地を果たし、遺跡全体を重く揺らした。子どもたちは、強い衝撃と威圧感によろめく。ずずん、と重い音が消えてゆき、揺れがおさまったとき、彼らは確かに、希望と絶望を同時に抱いた。

 いきなり降ってきた『それ』は――狼のようでいて、そうではない獣。

 白銀の獣は、小さな人間たちをじろりと見回すと、鋭い牙を光らせた。

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