2 銀色の獣

 銀色の獣の姿は、実に奇妙だった。アニーはそう思った。

 全体的にはどことなく狼を思わせる風貌だが、白い耳は狼のものにしては丸い。金色の目や顔立ちは、猫を連想させる。毛に覆われた太い尻尾は、ゆっくりと上下に動いていて、いらだっているのが感じ取れる。

「ひょっとして、これが守護獣? でも、なんか、変な感じ」

 アニーは呟いた。剣を抜くことすら忘れてしまっていた。金色の瞳に一瞥されたが、すぐ興味を失ったかのようにそらされる。獣に警戒しながら、アニーの隣までやってきたフェイが、顔をしかめた。

「虎みたいだ」

「とら? 何それ」

「別の大陸にいる動物で、猫の仲間らしい。前に見た図鑑に書いてあったよ」

 少年の言葉は、独り言かうわごとのように力がない。アニーはとりあえず納得したふうにうなずいたが、あれが虎だったとしたら、謎が謎を呼ぶばかりである。別の大陸の生き物が、なぜこんなところにいるのか。

「本物の虎じゃねえさ。魔物化する過程でたまたま似ただけだろ」

 アニーの疑問に、青年の苦々しげな声が答えをくれる。彼は身構えて、険しい目を獣に向けていた。その、いつになく厳しい警戒の姿勢に、アニーは状況を思い出させられて、慌てて剣を抜いた。

「ロトは見たことあるの?」

「実際に見たことはない。図鑑についてた絵くらいだな」

 口早に問うと、感情の読めない低い声が返る。彼の声は、言葉を続けた。

「さて。今はそんなのん気な会話をしてる場合じゃねえぞ。守護獣さまが、こっちに気づきはじめてる」

 言われてアニーはぎょっとした。気づけば、虎のような獣の目が低い怒りに細められて、三人をじろじろと見渡しているではないか。やたらと大きな二本の牙が純白の間の光を受けて輝き、その隙間からうなり声がもれる。

「アニー、わかってると思うが、出くわしたからには」と、遠くからロトが言う。アニーは小さくうなずいた。「うん」と口の中で呟いて、剣を構えた。

「戦うしか、ないよね」

 刃がすらりと光り、高圧的な目が少女をにらむ。獣はうなり声を大きくし、背を丸め、足をたわめて――跳んだ。

「フェイ、さがって!」

 叫ぶなり、アニーは踏みこんで剣を振った。ガリッ、と金属がこすれあう音がして、遅れて嫌なしびれとすさまじい衝撃が手に走る。アニーは歯を食いしばって踏みとどまったが、しびれた指は小刻みに震えている。武器は落とすまいと、柄をにぎる手に力をこめた。

 守護獣の勢いは止まらない。アニーが体勢を立て直すより早く、また飛びかかってくる。彼女は慌てて飛びのき、しゃがみこんで攻撃をかわした。こんなに大きな生き物と戦うのははじめてで、どう立ちまわっていいのかわからない。少女の碧眼が、戸惑いに揺れる。

 そのとき、彼女のすぐ横を赤い光が通りすぎた。赤い光は獣の鼻先で爆発し、獣は咆哮とともにのけ反る。「――斬れ!」と鋭い声が飛んで、アニーはほとんど反射で剣を薙いだ。白刃は守護獣の足を浅く切り裂く。血は飛んだが、獣はまったくひるまない。光の飛んできた方に、ぎらついた目を向けていた。

「うえっ――」

「構うな! そのまま、狙えるところを狙え!」

 ひるみかけたアニーを押しとどめるように、容赦のない叱声が飛ぶ。アニーが視線を後ろに向けると、ロトが方陣を乗り越えて彼女のそばまで駆けてきていた。

「入りこみすぎんなよ。生きのびることを考えろ」

「う、うん」

 わかったのかわかっていないのか、自分でもはっきりしないが、ぼんやりとした頭のままうなずいて、アニーは再び剣を構えた。その間に、すくんでいたフェイが二人の後ろに隠れるようにして走る。

「フェイはそのへんの柱の裏にでもいて!」

 アニーは思わずそう叫んでいた。後になって何か言い返されるかと思ってぎくりとしたが、フェイはすなおにうなずいた。

「そ、そうする。遠くから見てたら、なにか、わかるかもしれないし」

「――うん。あてにしてる」

 アニーは息をのんで、うなずいた。

 気弱な幼馴染がどこまで自覚しているかわからないが、彼は人やものをよく観察するし、細かいことにもよく気づくたちだ。この守護獣についても何か見つけてくれるのでは、と、とっさに思った。それゆえに、期待をかけてしまう。フェイがどう受け取ったのかはわからない。けれど彼は、言ったとおり、柱の陰に身を隠したようだった。

「じゃ、こっちはこっちで、やるぞ」

 ロトが鋭くささやいている。彼の手は、すでに方陣を作りはじめていた。アニーは短くうなずいて、駆けだした。


 青い光がひらめいて、氷の矢が飛ぶ。守護獣はいらだたしげに矢を噛み砕いた。消えゆく氷のかけらを頭から浴びながら、アニーは守護獣の脚を集中的に狙って、剣を振った。頭をまっしろにして、狂ったように刃を叩きこむ。けれど、頭の中はまだ熱を帯びていない。とうとう、小さな刺激にいらだったのか、獣は右前脚をゆるやかに振り上げて、薙ぐ。アニーは後ろに跳躍してこれを避けた。そのとき、見えたものに、ぎょっとする。

 細かくついていたはずの傷が見る間にふさがってゆくのだ。

「なっ、何これ! 反則!?」

 アニーは、荒い呼吸を整えるのも忘れて、叫ぶ。

「なるほど。恐ろしい回復力だな。――アニー、いったんさがれ!」

 ロトの声に反応したアニーは、言われたとおり彼の隣まで後退した。すると、彼は両手を前に突き出して、右手でやや大きい方陣を描く。それが完成する直前になって、左手で、円の中に三角形があるだけの小さな方陣を描いた。小さい方陣が先に発光し、五つほどの火の玉が守護獣にむかって撃ち出される。次の瞬間、大きい方陣が輝いて、アニーとロトを半球状の薄い膜が覆った。

「ちょ、ちょっとロト?」

「ひと休みだ」

 彼は淡々とそう言って、アニーの方を見る。

「さっきの話の続きだよ。どうも、あの書類を読み解いた限りでは、連中は生きた守護獣から《雪月花》を取り出すときに、奴の体のどこかにある『白い光』に何かをしていたらしい。すると、守護獣が動かなくなるんだそうだ。その白い光っていうのが、弱点なんだと思う」

 彼の声は、いつもより少し大きかった。フェイにも届くよう意識しているのだろう。

「何かって、何?」

「それはわからなかった。書き方が曖昧すぎるんだよ、ったく」

「うーん……。じゃあ、白い光をどうにかして探せばいいってことね」

 アニーが首をひねりながらもそう言うと、ロトはうなずいた後、彼女の額に人さし指を当てた。

「ただし、そればっかり考えて突っこむのはよせよ。死んだら元も子もないんだから」

「……がんばる……」

 曖昧なアニーの返事にロトはため息をついたが、それ以上念を押すことはなかった。正面を向いて、空中に手をかざし、「じゃあ、消すぞ」と短く声をかける。アニーが走りだす準備を整えたとき、半球状の膜がぱっと消えうせた。待ちかまえていたらしい守護獣が、雄叫びをあげて突っこんでくる。

「おっと、熱烈な歓迎だな」

「なんでそんな余裕なの!」

「余裕じゃねえよ」

 軽いやり取りをしながら、アニーは前へと飛び出して、ロトは後ろにさがる。そのとき、また、守護獣が強くえた。瞬間、まぶしい銀色がアニーの目の前を覆う。肌が粟立つのを感じて、彼女は立ち止った。目をこすり、チカチカとうるさい光が消えたあとに守護獣を見る。

 四本足で地面を踏みしめて立つ、虎に似た獣。その全身から、銀色の、光のような靄のようなものが漂ってきていた。もう一度守護獣が声をあげると、薄い光はすばやく空中をすべって、アニーたちの背後へ流れていった。

 つまりは、純白の間を抜けて、暗い地下道に吸い込まれたのだ。

 アニーは呆然と、光の帯を見送る。かすかだが、あの銀色からは、とても嫌な感じがした。

「それに、なんか、見たことあるわ……」

「地下に入ったときから感じていた、嫌な気配の正体はあれか」

 呟きが、聞こえたわけではないだろう。けれど、まるで答えるように、ロトが渋い顔で呟いた。彼はそのまま、なんてこった、とぼやいて目を細める。

「……守護獣の魔力。魔物が凶暴化してたのも、あれのせい、ってことか?」

 いらだたしげな青年の言葉に驚き、アニーは振り返りかけるが、慌てて守護獣に視線を戻した。――彼女はようやく、見たことがあると思った理由を察した。魔物のそばに時折ついてまわっていた、銀色の靄。今の光は、あれとまったく同じだった。考えてみれば、魔物たちは何かにおびえているようにも見えたのだ。

「あなたが、怒っていたからなの?」

 聞いたところで答えてはくれない。そのことをわかっていながらも、アニーは小声で問いかけた。案の定、獣は蔑むように少女を見おろして、威嚇のうなり声をあげる。再び、牙がのぞいた。アニーはため息をついて、再び構える。こみあげるやりきれなさを、むりやり噛み殺した。

 守護獣との一進一退の攻防は、しばらく続いた。アニーの攻撃の間を縫って、ロトが魔術で気をひいてくれるのでまだ致命的なことにはなっていないが、彼女はそろそろ消耗していることを自覚しはじめていた。ちらりと柱の方を振り返る。フェイが懸命に身を乗り出し、ときどき顔をしかめながらこめかみをおさえているのが見える。考えこんでいるしぐさだ。まだ、守護獣の弱点を見つけられてはいないらしい。

 大ぶりな前足の一撃を跳んでかわしたアニーは、光の弾の下を駆け抜ける。左の前足が光にむかって振り切られた瞬間を狙って、勢いよく剣を突き刺した。目論見通り、剣は足を鋭く刺して、銀の下から赤い血が吹きあがる。獣は、鬱陶しそうに目を細めた。

 白い間が静まりかえる。獣は、うなりながら後ずさりした。アニーはそれにほっとしつつも、まだ油断はせず、じっと剣を構えたまま立つ。やはり、獣はそのあと、雄叫びをあげながら突進してきた。アニーはすぐさま横に跳ぶ。

――次の瞬間、横から重い衝撃がきた。

 名前を呼ぶ声を、知らない音のように聞く。体は一瞬、ふわりと浮きあがったあと、かたい床に容赦なく叩きつけられた。アニーは金属がすべる音を聞いた。剣を手放してしまったのだと気づいたが、拾いにいく余裕はない。痛みのあまり、声すら上げることができなかった。少しうめいた後、ようやく視線を上げた彼女は、凍りつく。

 爛々と燃える金色の両目が、じっと見下ろしてきている。アニーは目をみはって、中途半端に上半身を起こした姿勢のままで、固まった。

 守護獣がうなる。口の隙間から、すらりと鋭い牙がのぞく。

 この獣は侵入者をどうするのだろう。切り裂くのか、喰らうのか。そんな考えが頭をよぎる。

 濁流のように目まぐるしい思考が、頭の中を満たしたあと――アニーの意識はほんの一瞬、ぶつりと途切れた。そして一瞬後に、すべてが切り替わった。

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