3 影はあれども姿を見せず
年末年始の宴は、大陸のどこでも大事にされる。グランドル王国では、十二月の最後の週から一月の最初の週までは、学業を休んで祝い事――準備や片づけを含めて――に時間を費やす。お祭りをあまり行わない学術都市ヴェローネルでも、それは同じだった。
ヴェローネルは本当にお祭りが少ないので、こういう機会は貴重だったりする。お祭りといえば、先祖供養と慰霊のための、春のほむら
「……あー……」
考えごとをしながらも、手を動かしていたアニーは、重いため息をこぼした。そばでそれを聞いていた、クレマン含む男子三人が振り返る。
「なんだよ、アニー」
「いやね。来年は学芸祭があるんだなあと思うと、憂鬱でね」
「今からそんなこと考えてんの、おまえ?」
クレマンが、目をすがめる。男子生徒のうち一人は、なにも言わずに苦笑する。もう一人は、勢いづいてアニーの方へ顔を突きだした。
「いいじゃん、楽しいじゃん、学芸祭。俺は好きだぜ」
「ぜんっぜん楽しくない! 国じゅうから偉いお医者さんとか学者さんとか来るでしょ。そんな人たちの前で発表しろとか、どんな拷問よ! 私はあれをお祭りとは認めないね!」
アニーは激しくかぶりを振る。手のなかの、イグサの束を地面に叩きつけそうになったが、なんとかこらえた。先ほどの男子生徒が「ええー」と、不満そうに唇をとがらせる。クレマンともう一人の男子生徒が、そんな二人を横目で観察しながら作業を続ける。同じことをしている集団がひしめきあう演習場のなかで、そこだけは険悪ともなごやかともいいがたい、妙な雰囲気に包まれていた。
クレマンが、細いイグサを指先で縄にくぐらせながら、笑った。
「もしかしたら、来年は王都の軍医さんが来るかもしれないぜ。そしたら、どうする?」
「とりあえず、帰りがけにロトの様子だけは見ていってください、って言う!」
「……いや、そりゃそうだけどよ。兄ちゃんが聞いたら、おまえ、殴られるぞ」
拳をにぎって断言するアニーの声は力強く、逆にクレマンの方が、続ける言葉を奪われてしまった。彼は、その後は黙って作業を続けようと心に決める。状況についていけていない二人が、首をかしげていた。そんななか、早くもひとつめを完成させた大人しい方の男子が、できあがったものをかたわらに置き、次に、
「そういえば、アニーとクレマンって、最近よく外出してるよな」
「あ? まあな」
「じゃあ、知ってるかな」
男子生徒は、自分のてのひらほどの入れ物を、器用にイグサ籠の中へ入れて、金属の持ち手をイグサにくくりつける。話を振られたクレマンは首をひねり、アニーも手を止めた。ちなみに、アニーの方は今しがた二つめが完成したところだ。
「ここのところ、ヴェローネルの街中で、変な人を見かけたっていう人がいっぱいいるんだって」
「変な人? どんな」
アニーが問うと、彼はつかのま宙を見た。視線は記憶をたどったあと、少年少女の前に戻される。
「えっとね。文具屋のおっちゃんは、黒い人だって言ってた」
「黒い? なんだそれ。あだ名?」
「いや、本当に黒いんだよ。髪も目も服も。で、腰にさげてる長剣の柄もね。しかもその人の服っていうのが、昔の貴族みたいなんだって。歴史の教科書に出てきそうな」
「なんだそれ」と、男子二人は笑い飛ばす。けれど、そのとき、軽く、乾いた音がした。アニーは慌てて手もとを見る。イグサの束を落としてしまった。あせって拾うが、草をつかむ指は、震えていた。
「アニー?」
彼女のことにいち早く気づいたクレマンが、少しうつむいたアニーの顔をのぞきこむ。アニーは、動揺をごまかすように草の束を抱きしめた。
「――オルトゥーズ」
「は?」
「あれ、気のせいじゃなかったんだ」
黒い髪。黒い上衣。金色の装飾。あの夕暮れ時に見たものは、幻ではなく現実だった。
なぜ『黒い盗賊』がここにいるのか。彼がいるということは、『彼女』もいるのではないか。――何を、する気なのか。
思考は、嫌な方へとのびてゆく。悪い予感をごまかすために、少女はその後、ひたすら作業に没頭した。
※
つかのま寒さがやわらいだ、その日の昼下がり。ロトの幼馴染である黒衣の女性は、『便利屋』の呼び鈴を鳴らした。そのときちょうど、書斎で本をやたらめったら広げていたロトは、わずかなあせりをにじませて、立ち上がった。
「やっほー。腕輪の点検しにきました。ついでに新年までいさせてね」
「……相変わらず直球だな。最初からそのつもりだけどよ」
マリオンは、ロトを見るなりいつもどおりの陽気な挨拶をしてくる。もともと、夏でも厚手の黒衣をまとっている彼女である。冬になっても、それほど格好は変わらない。
「よかった、仕事中じゃなくて」
彼女は、机の上に大きな四角い鞄を置く。それを開いて、てきぱきと工具を取り出す彼女を横目に、ロトはそばに椅子をひいて座った。さながら、医者と患者のようでもある。そして、実際二人は、それに似た関係でもある。「右」という一言で、ロトはマリオンの方へ右腕をさし出す。彼女は、青年の細い手首に
どこかから、鴉の鳴き声が、連なって聞こえる。来客すらない平穏な時間のなか、金属のぶつかる音だけが、かすかに響く。ロトの前でひざまずいて腕輪を点検していたマリオンは、一度目を離すと、思案顔になった。
「ちょっとだけ、石が劣化してるみたい。体におかしいところはない?」
「今のところは特に……」
答えかけたロトは、続きをのみこんだ。とたん、マリオンの顔つきが険しくなる。軍の尋問のような空気に、青年は苦笑した。
「体は変じゃないけど、昨日、久々に夢を見た」
それを聞くなりマリオンは、切なそうに目もとをゆがめた。忙しい奴だな、と思いながらも、ロトはつとめて穏やかに続ける。
「今回は、まあ、そこまでひどくなかったぜ」
「本当に?」
「一日でおさまったし」
アニーたちとじゃれあったのが効いたかね、と彼が肩をすくめると、女魔術師は目を丸くした。ようやく幼馴染に笑顔が戻ったことに、ロトも胸をなでおろす。
「ひどくないなら、よかった。でも、つらかったらテッドにすぐ言うのよ。あんた、すぐ溜めこむんだから」
「一応、早めに相談するようにはしてるんだけど。――つーか、おまえ、親かなにかかよ」
「あたしの方が二歳上だし!」
マリオンは、堂々と胸を張る。その姿が妙に子どもっぽいのがおかしくて、ロトは思いっきり吹き出した。それから、何がおかしいのかよくわからないまま、二人で笑いあう。
腕輪の点検はつつがなく終わった。腕輪に嵌まる緑の石――これが、呪いと魔力をおさえる核となる――の取り換えについては、ひとまず保留。マリオンも、今回は、長くヴェローネルにとどまるので、様子を見て決めるという。
工具を鞄に片付けながら、マリオンは、お茶を運んできたロトを振り仰ぐ。
「そういえば、あたしが来るまで何してたの?」
「向かいの家のガキのおもちゃを直したあとは、ずっと調べ物してた」
ロトが盆を置き、書斎の方を指で示すと、幼馴染はそれだけで納得したらしい。うなずいて、工具の最後のひとつを鞄に収めた。
「そっちは、進展あった?」
「いや――さすがに、前に送ったのでだいぶ調べつくしたらしい。あとは似たような筋の、派生作品しか出てこないな」
かつて、大陸西部の広い地域を支配した帝国と、一人の女性の関係。最近、ロトが仕事の合間に調べていることだ。それを知るためには彼女の本当の名前を知る必要があり、その手がかりは彼女、ルナティアの名とよく似た名前の女神、ルナーティエ。そのため、本名に近い名前が民話や神話に隠れているのではないかとにらんだ彼は、その手の物語を片っ端から調べては、彼女に関連しそうな人名を、知り合いに調べてもらっていたのだ。
ロトは、その橋渡し役でもあるマリオンに、問う。
「そういえば、マリオンはなにか聞いてないか」
マリオンは、かぶりを振った。
「あたしも、まだ報告は受けてない。ロトの予想としては、どうなのよ」
逆に訊かれ、ロトは考えこむ。頭の中で言葉を選び、少しずつ形にする。
「とりあえず、今、資料持ってくる」
まずそう言い置いて書斎に走り、図書館から借りていた本をあらかた居間に持ってきた。机に積まれた本の量にマリオンはひるんでいたが、やがて、一冊ずつ手にとってゆく。
「へえー。ルナーティエ関連だけで、これだけあるのね」
「……その中で、俺が強い関連性があると思うのは、『星の器』か『ナージャと魔女』だ」
片方は神話のなかのひとつの話、もう片方は古い童話だ。どちらも帝国の時代にこのあたりで広まった話とされていて、人間の女の子が大きすぎる力を得て神に転化し、狂った存在がルナーティエだ、という説を使ってある。
『ポルティエの魔女』は、ロトが名前を出した本を手に取り、めくってゆく。形のよい眉を寄せた。
「……うん。この名前なら、今、あの少尉さんが調べてるところだって聞いたわ」
「なるほど、アレイシャか」
ロトは、秋に王都で会ったきりの若い女性軍人を思い浮かべ、うなずく。彼女なら、上手に他人の目を盗んで調査することもできるだろう。……きまじめな性格がどこかで災いしないとも、限らないが。
「とりあえず、報告を待つか」
ロトがうなずくと、マリオンも強い声で、うん、と言う。
「新年のお祭りくらいは、心配事を忘れて楽しむべきよ。あんたは特に」
「その言い方じゃ、俺が心配症か苦労人みたいじゃねえか」
「あれ、違うの?」
強く否定しようとしたつもりが、純粋に首をかしげられて、答えにつまる。ロトが思いっきり眉間にしわを刻むと、マリオンは軽やかに声を立てて、笑った。
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