2 彼らが背負うもの

 日が落ちる直前になって、マリオンの家の扉が叩かれた。家主が開けた扉の先に、箱を抱えた少女がたたずんでいる。それに気づいたアニーとフェイは、すぐさま戸口に走った。

「エルフリーデ!」

 名前を呼ぶと、少女は目をみはった後にほほ笑んだ。

 馬車がポルティエに到着したあと、本来の目的である荷物をとりにいくため、いったんアニーたちと別れたエルフリーデだったが、どうにかマリオンの家を突きとめてここまでやってきたらしい。マリオンがエルフリーデを見おろし、やわらかく目を細めた。

「それが例の荷物ってやつね。でも、本当にうちに泊まってくの?」

「はい。……わたし、あまりよく思われていないので」

 わずかに目を伏せたエルフリーデを、女魔術師はしばらく見ていたが、ややあって「そう」とそっけない声を出した。彼女に手ぶりで招き入れられたエルフリーデは、とことこと家に入ってくる。出迎えたアニーたちと、部屋のまんなかあたりまで行った彼女は、そこでぴたりと固まった。

 紫色の瞳が見るのは、机と椅子。正確には、椅子に腰かけ、腕輪を見つめている青年だ。ロトは少女の視線に気づくと、「ああ、戻ったか」といつもどおりの平たんな声で言う。エルフリーデは、こくんとうなずいたあと――そのまま、勢いよく頭を下げた。

「あの、すみませんでした!」

 外の通りまで響くのではないかという大声に、全員がのけぞった。中でも、直接言葉を向けられたロトは、珍しく少しうろたえている。

「なんだ、どうした」

「本当にすみません。わたしが、うかつだったばっかりに、馬車を追い出されることになって……こんな、大変なことに、なって……」

 言葉の終わりは嗚咽混じりだった。アニーはそこでようやく、エルフリーデが何を言いたかったのか理解した。ロトも同じだったようで、ああ、と肩の力を抜く。

「気にすることじゃない。確かに、力の制御ができないのは危険だけど、それで助けられた部分もある。馬車から追い出されるのは、まあ、遅かれ早かれそうなってただろうし」

「え……ど、どういうこと?」

 フェイが目を丸くする。エルフリーデも、顔を上げて、不思議そうにしていた。ロトはため息をつくと、服のそでをまくる。まだ、「黒いもの」はひききっていないのか、上腕のあたりでうぞうぞと動いていた。子どもたちはそろって、あ、と目をみはる。

「こんな不気味な模様があったら、魔術師でなくても気持ち悪いって思うだろう」

「どうだろう。私は平気だけどなー」

「おまえはな」

 投げ捨てるように言ったロトが、椅子の背もたれに背中を預けて、とにかく気にするな、とエルフリーデへ手を振った。それでもなお恐縮していた彼女は、マリオンにうながされて、ちょこんと椅子に腰かける。アニーとフェイも、後に続いた。

 

「さて、と。いろいろあったけど……ようやく落ちついて話せそうね」

 マリオンは、来客の四人にお茶を出すなりそう言った。腕輪をあらためる手を止めて、瑠璃色の瞳は子どもたちをながめる。まずは、と言った彼女は、ついっと目をそらして隣の青年を見た。

「なんであんたが子どもになつかれてるのか教えてほしいわ」

「なつかれてるとか言うなよ……」

 げんなりしたふうに呟いたロトは、それでも、これまでのことをぽつぽつと語った。黙って聞いているのも居心地が悪かったので、三人もときどき口を挟んだ。先月の遺跡探検から今に至るまでの話を、女魔術師は、とても楽しそうに聞いていた。ひととおりの説明が済むと、カップの底で机を叩く。

「へえ、ふーん、なるほどね。どういう心境の変化かしら」

「にやにやしながらこっちを見るのやめろ」

「いーやーよー。あれだけ人間不信だったあんたが、わざわざ年下の世話を焼くなんて、おもしろくてしかたがないもの」

「さんざんな言われよう」

 二人のやり取りを断ち切るように、アニーはぽつりとこぼした。ロトにぎろりとにらまれてしまったが、素知らぬ顔で受け流す。青年からの追及が飛ぶ前に、アニーはさらりと話題を変えた。

「それよりも、私はマリオンさんとロトの関係が気になるな。ロトの言ってた『知り合い』がマリオンさんなのは、わかってるけどさ」

「あ、あの。幼馴染って、おっしゃってましたよね」

 彼女の言葉に便乗した少年が二人を見比べる。マリオンは得意気に腕を組み、ロトはそんな彼女を驚いたように見上げた。しかし、すぐに小さくうなずくと、カップを手にとりお茶をすする。

「ああ、ま、そうだ。もともと親同士が仲良しだったみたいでな。俺が生まれたころからずっと一緒にいるんじゃないか」

「そうねー。二歳の頃の記憶なんてたいがい曖昧だけど、あんたが生まれたときのことは覚えてるわよ」

 あのあたりでは、出産だけでも母親は命がけ、村じゅうが大わらわだからね、こいつのときもそりゃあもうすごい騒ぎで。――などと言い、マリオンは声を立てて笑う。ロトはというと、気まずげに目をそらしていた。思いがけず壮絶な出生話を聞かされた子どもたちは、ぽかんとする。アニーが、「マリオンさんの方が年上なんだ」と言うと、無言の肯定があった。

「それ以降ずっと一緒よ。だから、もちろん、呪いをくらったときのことも知ってる。……というか、目の前で見てたのよ、その瞬間を」

 呪いの話が出てきたためか、部屋の空気が重くなる。アニーたちは息をのみ、ロトは静かに目を閉じた。

「見てたのに、止められなかった。助けられなかった。だからせめて、支えになってやりたかったの。それで今は、ロトの腕輪を作ったり直したりしてるのよ」

 女性の声は、ぽつり、ぽつりとこぼれ落ちる。驚きと戸惑いの沈黙を終わらせたのは、当事者である青年のため息だった。

「あんまり気にすんなよ。五歳と三歳に、どれだけのことができたと思う。今生きていられるだけでも、十分以上に助かってるんだ」

「それは」

 何かを言いかけたマリオンだったが、結局は言葉をのみこんだ。

「とまあ――そんな具合でね。あたしがヴェローネルに行くことの方が多いけど、今回は直前までこっちの仕事が立てこんでたから、ロトに来てもらったの」

 明るい声でそう言い切ったマリオンは、一人先に立ち上がる。それから、四人を見てほほ笑んだ。

「そろそろご飯にしましょうか。といっても、たいしたもの出せないけどね」


 夕飯を食べ終えた頃、ポルティエの教会の方から日没を知らせる鐘の音が聞こえてきた。それにあわせて、ロトはあてがわれた部屋へひっこんでしまったので、最初の部屋に残ったのは、マリオンと三人の少年少女だった。

 三人は、鐘が鳴り止んだあとしばらく、マリオンが腕輪につける緑色の石を選別しているところを見学した。彼女はやがて、石をひとつ選んだらしく、そこへ針のようなものを当てながら、慎重に何かを彫っていた。アニーとフェイは、腕輪にはまっている石の内側に方陣らしきものが彫られていることを知っていたから、すぐに納得する。作業はゆっくりと、丁寧に行われていた。その途中、エルフリーデがおずおずと、口を開く。

「あの、ロトさんには『呪い』がかけられているんですよね」

 マリオンの手が止まる。エルフリーデは不安そうにしながらも、言葉を続けた。「呪いって、そんなにまずいものですか?」と。彼女の言葉に、なんとなく違和感をおぼえたアニーは、顔をしかめた。

 手を止めた女魔術師が、今度は顔を上げる。エルフリーデを見た後、今度はアニーたちの方へ視線をやった。不思議がったのが顔に出たのだろうと、アニーは背筋を伸ばす。

「――呪い、ってのは魔術の一種よ。ただ、ほかの魔術と違うのは、方陣を必要としないこと」

 彼女は語りながら、針を机に置いた。

「方陣っていうのは、術師の魔力がどういう効果を示すのかを決めるもの。手もとにある物を変形させるのか、水を集めて玉にするのか、とかそういうことをね。だから普通、魔力と方陣が合わさって、はじめて魔術になるわ。

けど、『呪い』と呼ばれる魔術は、慣れた魔術師なら方陣がなくてもかけられるの。なぜかっていうと、呪う相手の体の中に働きかけて、体がもともと持っている魔力や機能を一時的にいじくるものだからよ」

 少女と少年が、ふんふんうなずく横で、アニーは首をかしげていた。いまいち理解できていない人がいると気づいたらしい。マリオンは、「普通の魔術師の呪いっていうと、ある期間だけ風邪をひきやすい体質になるとか、目が悪くなるとか、そういうものなの」と言い添えた。普通の魔術師なら、そのくらいの呪いしかかけられない、とも。

「じゃあ、ロトさんの呪いは特殊で、その呪いをかけた魔術師は普通じゃないってことですか?」

 説明が本題へつながったところで、熱心に聞いていたフェイが、講義中のように手をあげて質問した。アニーはその姿をぼんやり見ていたが、視界の端でエルフリーデが目を見開いたのに気づく。

「エルフリーデ? どうかした?」

 訊いてみたが、答えはない。かわりに、彼女はみるみる青ざめた。唇が、まさか、とでも言うようにわななく。少女の声なき言葉に答えるように、マリオンが重々しくうなずいた。

「そうよ。あいつの呪いも、それをかけた魔術師も、普通じゃない。『漆黒の魔女』という通り名を持つ――ずば抜けた知識と力をもった魔術師なの」


 この世界には、飛び抜けた知識と力を持ち、なにかの理由で社会とのかかわりを断った女魔術師が、五人いる。

 本当にたった五人でおさまる話か、とささやかれたことはあるが、存在が知れ渡っているのはその五人だけらしい。

 世界中の辺境に散らばる魔術師、一人ひとりに、人々は色の名と魔女という呼び名を与えた。彼らはひとまとめに、畏怖の念をこめて『五色ごしきの魔女』と、呼ばれるという。

 

「『漆黒の魔女』は、私たちの故郷の近くにある、森の奥深くに住んでいるとされる魔女よ。森に入った者に恐ろしい呪いをかけるんだって、昔からいわれていた。だから村の人々は、誰も森に入らなかった。当時三歳だったロトも――一度も、森に入ったことがなかった」

 え、とアニーたちは目をみはる。マリオンもその理由はわかっているようで、「だから、なんで呪われたのかが、まだわかっていないのよ」と付け加えた。彼女は、方陣を彫りかけたままの石に視線を落とす。

「魔女の呪いは強力よ。どれも、さっき挙げたようななまやさしいものじゃないわ。ロトの場合は、魔術を使うたびに魔力の一部が変質して、体を壊していくものなんじゃないかっていうのが、あたしやあたしの師匠の推測」

「体を壊していくって。じゃあ、腕や足に力が入りにくくなる、っていうのは」

 アニーは言いかけ、どう続けていいかわからなくなって、言葉を切った。マリオンが後を引きとる。

「あれは、腕や足を動かすための筋肉が呪いのせいで弱ってるの。変わってしまった魔力は、黒いあざになって表れる。術を工夫すればそれを外に出してやることはできるわ。魔力を外に出せばひとまずは元の状態に戻せるから、黒いあざが広がったときはそうしてる。あとは、この腕輪で魔力が『動く』のをおさえてるの」

「それで黒いのが広がらないかわりに、魔術があまり使えなくなる……?」

「ご名答」

 アニーの言葉を肯定したあと、マリオンは一瞬沈黙して、子どもたちを見る。三人が理解を示す。そして、フェイが緊張の面持ちで身を乗り出した。

「じゃ、じゃあ。もし――もしあれを放置して、全身に広がってしまったら」

 そのときは、とマリオンが言いかけて止まる。けれど、それはつかのまのことで――彼女は一瞬後、迷いなく言いきった。

「死ぬわね」


 アニーは息をのんだ。喉が細く鳴ったのがわかった。

 遺跡で、ロトがのみこんだはずの続きの言葉を、マリオンがなんのためらいもなく口にした。そのことが怖かった。

 マリオンも、何も思っていないわけではないのだと、アニーは気づく。ただ冷徹に言いきっただけならば、今、泣きそうな顔をすることもないはずだ。

 

「だいたい、そうなる前にだめになるわ。体の中にある、空気を送るための管や、心臓がやられた時点で」

 女性の白い指が、黒衣の上から喉と心臓のあたりを順番につつく。少女二人は顔を見合わせ、フェイは、あ、と声をこぼした。

 アニーは無言で、自分の胸をおさえた。静かな脈動。それが消えれば生き物は生きていられなくなる。医学を知らない少女でも、それはわかる。すべてが消えて静かになってしまう瞬間を想像すると、ぞっとした。

「そうならないためにも、今は腕輪をどうにかしなきゃ」と言い、再び針を手に取る魔術師の女性。アニーは彼女の横顔を、どこか遠い人のように見つめていた。

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