3 新たな依頼

 小さな窓から黄金色の光がさしこんで、少女の意識を引きあげた。アニーは習慣どおり、日の出とともに目を開ける。目に入ったのは見慣れた天井ではなく、薬草のにおいが鼻をついた。その意味を思い出した彼女は、数回ほどまばたきをして起きあがる。

 マリオンの家の一室をあらためて見回す。患者や客人が使うという部屋は、狭かったが、寝泊まりするぶんに不足はなかった。まだ、エルフリーデは気持ちよさそうに寝息を立てているが――いるはずの場所に、幼馴染がいないと気づき、アニーは目を見開いた。

「……フェイ?」

「あ、アニー。おはよう」

 声はすぐに返ってきた。アニーは視線を巡らせる。フェイ・グリュースターは、戸口の方にある書き物机で、紙とにらみあっていた。うちの幼馴染はこんなに早起きだったか、と驚いたアニーは、けれど彼の眠そうな顔を見て、ひそかに胸をなでおろす。

「珍しく早起きだけど、どうしたの」

 上掛けを畳みながら問えば、フェイはため息をついた。

「論文、考えなきゃって思って。今、題材の候補を整理してるとこ」

「こんなとこでも課題のことを考えてるんですか、フェイくんは」

 優等生すぎる彼の答えに、アニーはげんなりとして言葉を返す。するとフェイは、軽やかに笑った。「まだ、うまく整理できないんだけど」と苦笑いしている彼を見ながら、アニーはかばんを手もとに引き寄せる。

「じゃ、私は朝の走りこみでもしてこようかな」

「アニーはアニーで完璧な戦士科生だね」

 お返しとばかりに飛んだ言葉に、アニーも悪戯っぽく笑った。そして、服を取り出しかけて――ほんの一瞬、手を止める。

「着替えるから、こっち見ないでよ」

 鋭く釘をさせば、フェイは慌てふためき「はい」と言った。

 

 着替えを済ませて外に出たアニーは、朝の冷たい空気をいっぱいに吸いこんだ。黙って、後ろ手に扉を閉める。マリオンの姿は見かけたのだが、家の隅で作業に没頭していたので、声はかけずに出てきた。土を踏み固めただけの細い道をながめていると、どこからか水の音がする。

「誰か花でも育ててるのかな」

 ぼやきながら、後ろの三つ編みを軽くはじいたアニーは、その場で数度足踏みをしたあとに、走り出した。

 小走り程度の速さで走りながら、流れていく風景を観察する。時には焼き立てのパンの香りが鼻をくすぐり、時には店の開店準備をしている男性と目が合って、珍しそうに見られた。アニーは苦笑しつつ、とりあえずはりきって挨拶をする。軍式の鋭く角ばった発声に、男性はさらに驚いたようだったが、挨拶を返してくれた。

 田舎町と自他ともに認めるポルティエは、アニーたちの故郷と近い雰囲気があった。朝を迎えて少しずつ動き出す町に、懐かしさをおぼえてほほ笑む。町の一角を巡ったあと、マリオンの家の方へ戻ったアニーは、そこで青年の影を見つけて歩調を緩めた。

「ロト、おはよう!」

 親しみをこめて叫べば、ロトはびっくりした様子で振り向いた。しかし、アニーがそのまま走り寄る頃には、彼の顔にはいつもの冷静さが戻っている。

「おはようさん。朝から元気だな。……ひょっとして、毎朝そんなことしてんのか」

「うん。戦士科生はみんなそうだよ」

「むさくるしそうだな」

 青年の率直な感想に、少女は笑い声を弾けさせる。足を止め、汗をぬぐった彼女は、髪の毛を手で整えながら隣をあおいだ。

「そういえば、ロト、体は平気なの?」

 問いかけた瞬間、昨夜のマリオンの言葉が、とげとなってよみがえる。アニーが不快感を追いだす横で、ロトはこともなげに答えた。

「平気だよ。こいつのおかげで呪いの浸食は止まってるし、頭痛も慣れちまえばたいしたことはない」

「そこは、慣れない方がいいと思うんだけど」

 これ、と言いつつ自分の腕の模様を指さすロトに、アニーは呆れて言葉を投げ返す。ロトは肩をすぼめただけで、反論してこなかった。ただ、悪いな、と小声でささやく。意味を察したアニーはすぐ、ぶすっと頬をふくらませた。

「別に、いい。というか、謝らないでよ」

「――ああ。うん、そうだな。そういえば、前にもそうやって怒られたことがある」

 誰に、と問うてみたが、ロトは答えてくれなかった。家の扉を振り返り、戻るか、と呟く。アニーは静かにうなずいた。

 

 扉を開けると、寝室から出たらしいフェイとエルフリーデの姿が見えた。そして、腕輪を両手に持ったマリオンが、満面の笑みで出迎える。

「さあ、ロト! つけてちょうだい!」

 勢いよく詰め寄ってきそうなマリオンに、ロトは引きつった笑みを返していた。そのまま引きずられるようにして椅子に座らせられたロトの腕に、マリオンが腕輪をはめてゆく。つけたての石が、陽光を反射してきらめいた。アニーは途中で視線をひきはがし、何気なく隣を見る。エルフリーデが身を乗り出して、女魔術師の手もとを食い入るように見ている。

 これって、やっぱりすごいことなのかな。アニーは首をひねった。

 腕輪の取りつけはほどなくして終わった。ロトはしげしげと自分の両腕をながめたのち、幼馴染に向かってうなずいている。仕事の終わりを確認したマリオンが、満足げな様子で手を打った。朝ごはんにしましょう、という一言とともに、この家も動きだす。

 今日の朝食は小さく切った豚肉と大きな野菜が入った汁物、それから黒っぽいパンだった。木皿に並んだ食べ物をながめ、アニーはほっと息をつく。子どもたち三人は、軽く祈りを終えてから手をつけた。対面の二人は、彼らとはまた違う祈りの文句を述べていたので、彼らは少し驚いた。けれど、そのことを訊く前にマリオンが口を開く。

「ロト、ちょっといい? 実は、あんたに手伝ってほしいことがあるの」

「なんだ、それ。あんまりいい予感がしねえぞ」

「鋭い」と、マリオンは悪びれたふうでもなく、指を鳴らす。思いっきり顔をしかめたロトを無視して、話を続けた。

「手伝ってほしいこと、っていうのはね。ずばり、行方不明事件を引き起こしている、あの結界の調査よ」

 アニーは手を止めた。彼女のみならず、フェイも、エルフリーデも固まった。向かいの二人だけは、無言で見つめあっている。その間に音のない言葉が飛び交っていることを、アニーはなんとなく察した。とりあえず、匙ですくっていた汁を口に運ぶ。塩を少し入れただけの汁は、けれど具から染み出たうまみのおかげで、薄味とは感じられない。

「そういえば、行方不明事件を調べていたって……」

「そうなのよ。まあ、私も魔術師としてそれなりにやっている身だからね。不思議なこととか起きると、真っ先に頼られるわけ。この件も、ポルティエの人にどうにかしてくれって泣きつかれて、調べはじめたわけよ」

 マリオンは、からから笑いながらそう言った。どこかで似たような話を聞いた気がするアニーは、フェイと顔を見合わせる。そうしているうちに、瑠璃色の瞳はその視線を青年の方へ移していた。

「実は、街道の脇の方を調べていたときに、怪しい方陣を複数発見したのよ。それで、見つけた分は解除したのよね」

「なんだ、もう対処してるじゃねえか」

「問題はここからよ。あたしが見つけた方陣は三つ。けど、魔力の感じからするにそれが全部じゃない。しかも、どれもがとても複雑な式と文字と記号を駆使して編まれたものでね、解除ができても時間がかかって効率が悪いわ。さらに言えば」

 マリオンの、食器を動かす手が止まる。瞳の奥に、ちらりと、炎のようなものがよぎった気がして、アニーは息をのんだ。

「解除した数日後に、現場を見にいったらね……方陣がしかけなおされていたの」

 さすがにロトの手も止まる。少しの沈黙のあと、彼は「いたちごっこじゃねえか」と毒づいた。それにマリオンはうなずいてから、ロトの腕を小突く。

「だからあんたの力を借りたいって言ってるのよ。どういう意味、なんて訊かないでよね」

「あのな。結界のなかで呪いが強まったって話、忘れたのか?」

「大丈夫。その辺は、ちゃんと対策するから。それにこれは、あたしから便利屋への依頼よ。報酬はちゃんと払うわ」

 アニーがよく知る、嫌がっているときのロトの態度だ。けれど、さすが幼馴染というべきか、マリオンも一歩も引かない。とうとう、ロトが机に視線を落として考えこむ素振りを見せた。それから彼は、まっすぐに、女性を見すえる。

「いや……。お金はいらんから、腕輪の修理代、安くしてくれ」

 すると、マリオンは目を丸くした。フェイも驚いて「お金取ってたの!?」と叫んでいた。アニーは、ひそかに彼に同意する。てっきり、幼馴染のよしみで、無料で修理しているとばかり思っていたから。

 ややあって、女魔術師は、小さく吹き出した。

「なるほど、そう来たか。……いいわ、考えとく」

 ロトは軽く口の端をつりあげてから、うなずいた。そこではじめて、彼の目が子どもたちに向く。

「おまえら。まさか、ついてくるとか言わねえよな」

 先手を打つ問いかけ。しかし、今度ばかりはアニーもフェイも、ひるまなかった。

「わかってて訊いてるんでしょ」

「ぼくたちにも手伝わせて。その結界がどうにかならないと、どのみち帰れないんでしょう」

 二人そろって、まっすぐに対面を見てそう言った。ロトが呆れかえったふうにかぶりを振り、マリオンは先程までの勢いはどこへやら、慌てて視線を泳がせている。

 それでもアニーたちが粘っていると、そこへさらに、もう一人の少女が加勢した。

「わ、わたしも行かせてください! 基礎は勉強したので、何か役に立てるかもしれません」

「エルフリーデ」

 アニーは驚き、ひっくり返った声で名前を呼んだ。エルフリーデは胸の前で、ぐっと拳をにぎる。薄桃色の唇はきゅっと引き結ばれて、いつになく気合が感じられた。年上の魔術師たちは、顔を見合わせる。意外にも、先にあきらめたのはロトだった。

「あー、行かせてやってくれ、マリオン。こうなったら意地でもついてくるからな、このガキども」

「……大丈夫なの?」

「ま、少なくともこの二人は平気だろ。遺跡の守護獣相手に立ち回って、生きて戻ってこれたくらいだし」

 深海色の瞳は、アニーとフェイをとらえる。珍しく穏やかな視線に名前をつけられず、アニーはぽかんとした。

 マリオンは、しばらく考えこんだ。家の外がざわめきに包まれゆく頃になって、ようやく口を開く。

「わかったわ。ただし、無茶はしないこと。いいわね」

 かすかにとげを含んだ了承の言葉。それでも、認められた三人の子どもたちは、笑顔で手を打ちあった。

 ひと組の男女は、今にも騒ぎだしそうな彼らを生温かく見守りつつも、うなずきあう。

「じゃ、詳しい話をしようじゃないか」

「ええ。――調査開始よ」

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