3 逃亡者と家紋

 さえぎるものは、にょっきり生えたような岩だけ。広々とした大地を、少女は野うさぎのごとく駆けていた。今まで見た限りでは、外にも中にも探し人の姿はなかった。まさかまだ、最初の岩窟にとどまっているとは思えないけれど、そこへ向かうつもりで走っていた。岩の前で足を止め、細い穴から中を見る。人の気配がないことがわかったところで、また走り出そうとした。しかしアニーは、踏みとどまった。視線だけであたりをうかがう。するりと流れるように、自分の得物に手をのばす。

「誰?」

 鋭い声は、風にさらわれ散らばった。ごうごうと、低いうなりが聞こえる。その隙間を縫うように、乾いた足音が響いた。一人のものではない。幾重いくえにも重なった音は気配をともない、やがて形をともなった。近くの岩の陰から、こっそりと姿を見せる人々。その数、四人ほど。今まで気づかなかったのが不思議だが、それまでは自分たちが通らなかった場所に息をひそめていたのだろう、とアニーは結論付けた。

 考えるよりも先に、やることがある。

「なにか用なの? 私、ここへ来るのははじめてだから、道案内はできないよ」

 乾いた土の感触を確かめながら。アニーは、にじり寄る四人の人々を見つめた。いずれも、ぼろきれといってよい上着をまとっていて、おびえたようなふぜいだ。手にはくわや古びた剣がある。彼らは一瞬、不安そうに視線を交差させた。最年長に見える、ひょろりと背の高い男が、剣をかたくにぎる。

「金目のものか、食料。ここに置いていけ!」

「……ふーん。おじさんたち、盗賊かなにか?」

「早くしてくれ。子どもに手荒なまねはしたくない」

 アニーがまったくおびえなかったからか。男の方が、わずかにひるんだようだった。震える切っ先を向けて、恫喝どうかつというにはあまりに弱い言葉を浴びせてくる。アニーは思わず、軽いため息をこぼしていた。

「あのさ、本当は怖いんでしょ? だったら、そんなことしない方がいいって。身がもたないよ」

 彼らは人間だ。どこまでも、ふつうの人だ。――『黒い盗賊』に比べれば。

 人々の顔に、動揺の色が波立つ。突きつけられたままの切っ先は、ぼやけた太陽の光を反射して、瞬いた。

「は、早くしろ!」

 しぼりだされた声には、ありったけの勇気がにじんでいる。あまりに必死な彼らを前にして、アニーは困り果ててしまった。実戦経験もほとんどなさそうな彼らに対して剣を抜くのは気が引ける。どうやって穏便に済まそうかと、珍しいことに悩んだ。

「――おい、何やってんだ」

 思考の海に浸かりかけていたアニーを引き戻したのは、ざらついた足音と無愛想な一言だった。アニーを囲む四人の顔からさあっと血の気が引く。囲まれている方の少女はというと、まったり視線を巡らせた。人の輪の外に、探し人たちの姿を見つけて、ほっと頬を緩める。

「あ、ロト。よかった、呼びに行こうと思ってたんだー」

「なんで俺を呼びにいこうとして、こんなとこで不審者に捕まってんだ。馬鹿かおまえは」

「そんな言い方しなくてもいいじゃんか」

 ロトは男たちを油断なく観察しつつも、腕組みをしてかぶりを振っている。幼い少女を、まったく心配していないふうだ。後ろから顔をのぞかせているエルフリーデの方が、よっぽど心配そうな表情だ。アニーはアニーで、いつもと変わらず唇をとがらせる。それから思わず、道をふさいでいる男たちを振り仰いだ。彼女の視線に気づいたのか、深海色の瞳も彼らをにらんだ。

「……それで?」

 男たちは、か細い悲鳴をあげた。しかし、アニーは知っている。ロトはまだ彼らを痛めつけようとは思っていない。あくまでただの脅しだ。

 武人でもない人々にそれがわかるはずもなく――彼らは目に見えておびえきっていた。ロトは構わず、自分が佩いている短剣の存在を主張するように、かつかつと柄を爪で弾いた。

年端としはもいかねえ娘に寄ってたかって、金目のものを要求した落とし前は、どうつけるつもりだ? おまえら」

「そ、それは……」

「お、お、俺たちだってしかたなく――ひっ!」

 慌てて反論した男たちは、小さな金属音に震えあがる。ロトが、短剣の柄をつかんで、半分ほど引いたからだった。怖すぎて口もきけなくなりつつある彼らをながめ、アニーとロトは同時に息を吐く。脅すのもばかばかしくなったのか、ロトが短剣を収めなおした。「とりあえず少し離れろ」と言い捨て、彼が手を振ると、人々はすなおにアニーから距離をとる。

 ロトはすぐにアニーのところまで歩いてきて、頭をぐしゃぐしゃにしてくれた。しかめっ面で見上げたが、無視される。そこへ、エルフリーデがやってきた。目もとはゆるんでいるが、口は不服そうにとがっている。

「遠くから、アニーが囲まれてるのが見えたから。何があったかと思ったわ」

「あはは……心配かけてごめん」

 もろい棘をまとった苦言に、アニーは曖昧な笑みを浮かべる。そこでようやく、エルフリーデは、やわらかい笑顔を見せた。

 花の香りのような空気を漂わせる少女二人。それを呆然と見つめている四人を、ロトが感情の読めない瞳で見おろす。

「さて。それじゃあ、わけを聞こうかね」

 彼が軽やかに口火を切ったことで、少女たちもそちらを見た。四人の男たちは、小さな目を丸くしている。

「……理由、聴いてくれるのか?」

「聞くだろ、ふつう」

 青年が肩をすくめると、四人は顔を見合わせた。

「いや。問答無用でひねられると思ってたから」

「それか警察に突き出されるか、な」

「俺、大けがする覚悟してたから……」

「びっくりしたよ。なあ」

「なんだよそりゃ。ぶん殴って警察に突き出せばよかったのか?」

 ロトは、いらだちのこもった表情で四人をにらむ。好き勝手にしゃべっていた彼らは、青年の気迫におされて、口をつぐんだ。風に巻かれた砂塵が沈黙をさらうと、最初にアニーを脅した人が口を開く。

「俺ら、東から流れてきたんだよ」

「東? 東部ってことか?」

「ああ」

 彼は重々しくうなずく。

「ちょっと、ごたごたに巻きこまれてな。シェルバとグランドルの混血の坊主が、がらの悪い連中にからまれてたんだ。それを慌てて止めたら、町じゅうの人間に追われて……。

その町の奴ら、ほとんどが、シェルバ人の流入に反対してたんだ。だから、坊主をかばった俺たちが許せなかったんだろうなあ。

その、反対派ってのが、国じゅうに繋がりをつくってるらしくて、いくら逃げても追われ続けて、気づいたら西まで流れてきてたんだ。正直、人のいるところに入るのが怖くてさ。ここで身を潜めてた……」

 思いがけない話に、アニーたち三人は顔を見合わせる。アニーとロトは、その後自然と、エルフリーデに目を移していた。少女は、膝のあたりで拳をにぎり、厳しい顔をしていた。彼女もまた、いわゆる『混血』だ。この話も、他人事ではない。

「でも、その頃には路銀も食いもんも尽きかけてて。おまけにここ、人通らないだろ? だから、たまにくる人をちょっと脅して、食いもんを奪うくらいしか、思いつかなかったんだ」

「それで、あんなことしたの? 私以外にも、何人か?」

 アニーが、話し手を見上げて問うと、彼は沈痛な面持ちで指を折った。

「三、四人かな……身ぐるみはぐまではやってないけど、少しの金と、少しの食いもんを」

 男はそこで、言葉を切る。四人ともがうなだれた。脅している方も、かなりつらかったのだろうと、アニーは目を伏せた。

「なるほどな」

 ため息混じりに、ロトが呟く。どうしてくれよう、と小さくこぼれた声に、男たちがおびえて身を寄せ合った。

「そ、その。すまなかった。た、頼むから、痛いことだけは……」

 アニーは思わず、顔を上向け、ロトを食い入るように見てしまう。エルフリーデも同じようにしていた。ロトはしばらく地面をにらんで考えていたが、ほどなくして手を叩く。

「じゃあ、ここの探索」

「へ?」

 男たちは目を瞬く。少女二人は、意図に気づいて「あっ」と呟いた。

「俺たち、今、ここの調査をしてるんだ。とりあえずは俺たちと一緒に来てもらおう。その後……」

 いったん言葉を切ったロトは、二人の頭に手を置く。

「こいつらの用事が済んだら、俺の指示に従って、あの突き出た岩の中を調べてほしい」

 どうだ? と、ロトが言ったあと。四人は唖然として、かたまっていた。うち一人が、手にしていた鍬を取り落とす。我に返って鍬を拾った彼が、ロトをこわごわとあおいだ。

「ほ、本当にそんなことで、いいのか?」

「人手が足りなかったんだ。ちょうどいい」

 魔術師の青年は、冷めた表情でうなずく。戸惑いに染められていた四人の瞳が、ぱっと輝いた。子どものような姿にアニーたちの心もほころぶ。アニーとエルフリーデは、思わず互いの手を打って、喜んだ。

 彼らが落ちつくと、ロトが「じゃあ行くか」と切り出した。鋭い瞳がアニーを見る。説明を求められていると気づいた少女は、背筋を伸ばした。

「一番奥の、あの、おっきな岩を調べてたら、すごいものを発見しました!」

「へえ、何?」

「スミーリ家の家紋! って、フェイが言ってた!」

 ここぞとばかりに笑顔を見せると、ロトとエルフリーデが顔を見合わせる。それから、エルフリーデが、アニーの方へ身を乗り出した。

「それじゃあ、おんなじね。アニー」

「え?」

「わたしたちも、岩の中を見て回ってるときに、家紋が刻まれた石や道具をいくつか見つけたの」

 どうしてこんな大事な場所を、国の偉い人は調べないんだろう。エルフリーデはそう言って、首をひねった。アニーは驚き、間抜けとわかっていても口を半開きにして止まってしまう。砂混じりの空気を肌に受け、ざらついた感触で我に返った彼女は、青年の細い腕にすがりついた。

「どういうこと、ロト? ここ、スミーリ家のものだったの?」

「そういうことだな、たぶん。ただし、領地といっても町じゃなくて、研究施設だったんだろう」

「研究って、な――」

 なんの、と訊きかけて、アニーは言葉を止めた。最初の岩窟で、そして別の岩窟の地下室で見つけた方陣。それだけで、答えはわかる。

「魔術の研究……」

 エルフリーデが、目を細めた。彼女のかたい呟きは、静かな荒れ地に、しみいるように広がる。誰もが――事情を知らない四人の男でさえ――黙ってそれを、受け入れていた。

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