2 地下と地上
にぎやかな三人が去り、エルフリーデとロトだけが残されると、地下室は静まりかえった。気まずくなってうつむいた少女の気持ちをくんだ、わけではなかろうが、ロトが「やるか」と呟いて、しゃがみこむ。エルフリーデも慌てて彼にならった。
しばらく、床の上の品々をひっくり返したり、方陣をながめてみたりしたが、何一つ手がかりを得られない。ただ流れてゆく時間の中。ひび割れた皿を手に取ったエルフリーデは、大きなため息をこぼしていた。
「そもそも、この道具はなんなんでしょうか……」
彼女の予想に反して、部屋にいる青年の答えが、石壁をつたい跳ね返ってくる。
「儀式のための道具だろ。王都で見た玉と同じようなものだ」
「あの、玉と?」
「ああ。儀式の道具があるってことは、この方陣は古代魔術のたぐいか……方陣の存在しない術をむりやり使おうとしたものだろうな」
それはつまり、黒い竜を――魔女の《爪》もどきを生み出した術と同じ種類の方陣であるということだ。得体の知れない感覚に、背筋が冷えるのを感じて、エルフリーデは唇を軽くかむ。そうして次に、かたくて丸い物を手に取った彼女は、目をみはった。
「これ、って……」
※
石碑か壁画か、そういったものがあるらしい。その内容を読んでこい。これがヒューゴからの指令だった。アニーは、正直なところ、その『文字を読んでくる』ということじたいに意味があるとは思っていなかった。エルフリーデひとりを幽霊屋敷に誘いこもうとしたときのクレマンと、同じだ。どちらかというと危険な目に遭わせるのが目的だろうというのは、嫌でもわかる。
それはきっと、フェイもクレマンも同じだったが、誰も『内容をでっち上げよう』とは言いださなかった。なんとなく、きちんとやらないといけない、という緊張感が、彼らの中にあったのだ。間接的にロトを示しての脅しに対する恐怖も、まだ残っているのかもしれない。
三人は、それからいくつもの岩を見回った。草の生えていない大地も、手当たりしだい探った。けれど、石碑も壁画もなかなか見つからない。くすんだ緑の下草を囲んで、困り顔を突き合わせた彼らは、そのまま曇天をあおぐ。
灰色の空を駆け抜ける風の音は、誰かの泣き声のようだった。かつてこの地にいた人の声だろうか。アニーは、かすかな寒気に首をすくめる。その拍子に、視界の隅に黒い影をとらえた。気づいた彼女は首をめぐらせる。
「あっ……。ねえ、今度はあそこに行ってみない?」
少年二人が、いぶかしげにアニーを見る。
彼女が指さしたのは、ばらけて突き出す岩の中でも、特に大きな岩だった。遠くにあるのでわからないが、ほかの多くの岩と同じく、入口や窓がある可能性は高い。二人も同じ考えにいたったのか、納得したようすでアニーに目を配った。
「そうだね。行ってみようか」
「あそこはさしずめ、村長か領主の家だぜ」
クレマンが大きく伸びをし、ついでに拳を突き上げる。笑顔を見せて想像を語る彼の姿は、無邪気な少年そのものだ。ふだん、同じような姿を見れば呆れしか出てこないものだが、今はその明るさが頼もしい。アニーは、ここは村とか町には見えないけど、という言葉を胸にしまった。
一番奥の岩までは、歩けば長かった。フェイは少し疲れた様子を見せていたが、春に比べれば体力がついた方だろう。アニーやクレマンは、軽く汗をかいたものの、息はまったく乱さなかった。珍しく生えていた丈の長い草を、足を器用に動かして避けたアニーは、そびえ立つ岩を見上げた。
ごつごつした肌を持つ岩は、それまでに見たものよりも丸みを帯びている。入口と窓の、黒い穴が、目と口に見えなくもない。たわいもない想像をするアニーの横で、クレマンが「よっしゃ行くか!」と、はりきっている。
三人は岩に近づいた。念のため、アニーが最初に中をのぞき見る。それまでと違い、奥の方に机のような台や、さらに奥へ続いているらしい穴が見えた。危険なものはなさそうだ、と確かめて少年たちを振り返ると、彼らも慎重に寄ってくる。
中に入ると、冷気が足をつたって全身を駆け巡る。一瞬だけ震えたアニーは、気を取り直してあたりを見回した。大きな台以外は、ほかの岩窟との違いはないように思えた。だとしたら、先ほど見かけたもうひとつの入口の奥はどうなのか。ふと思い立って、そちらを振り返ったとき、アニーは軽く口を開いた。別のものが、碧眼に映る。
「ねえ。あれ、なんだろ」
アニーは壁を指さした。気づいたフェイとクレマンも、同時に奥の壁を見る。
自然の力か、わずかに丸まった壁には、紋章を思わせる模様が太い線で描かれていた。どこかで見た模様だ。アニーがその答えを出す前に、叫び声が耳を打った。
「これって!」
なじみのある、幼馴染の声だ。アニーはフェイを見やり、口をつぐむ。彼が目を見開き、ただ呆然と壁を見上げていたから。
「どうしたんだよ、フェイ」
「どうしたも何もないって! 忘れたの!?」
不審そうにするクレマンの肩を、フェイがつかんで揺さぶる。力のないフェイの揺さぶりにクレマンはびくともしないが、めったに荒々しい様子を見せない少年の態度に、戸惑ったせいだろう。目尻をわずかに下げていた。しかし、フェイはそんな様子にも気づく気配はなく。そのまま、壁の模様をにらむ。
「これ、スミーリ家の家紋だよ!」
二人はその場に凍りつく。アニーは、フェイをまじまじと見てしまった。彼が何を言っているのか、すぐには理解できなかった。けれど、頭の中で、忘れかけていた点と点がつながる。スミーリ家。家紋。帝国。胸飾り。ルナティアが、持っていた。そびえる岩。遺跡――
「――ええっ!?」
甲高い少女の声が、岩窟に反響する。クレマンがしぶい顔で耳をふさいだが、アニーは構っていられなかった。
「た、たいへん! それこそ大発見じゃん! ロトに伝えないと!」
「う、うん!」
叫び声に面食らっていたらしいフェイが、こくこくと首を縦に振る。アニーの慌てぶりを見て落ちついたのか、彼女から離れると、顎に指をかけてうつむいた。
「で、でも。ここがスミーリ家に関する場所だとすると、あの方陣も関係があるってことだよね。どういうこと、なんだろう。確かにスミーリ家は、帝国で一番魔術にくわしい家だって書いてあったけど……」
「そういうことは、ロトが考えてくれるでしょ! とにかく、私、二人を呼んでくるから」
投げ捨てるように言葉を放り、アニーは飛び跳ねるようにして駆けだす。
「あ、ちょ――アニー! 待てって!」
慌てふためく少年の声が後ろから響いたが、無視した。岩窟の段差を飛び越え、赤茶けた大地を蹴る。岩と岩の隙間に二人の影がないかと視線を巡らせ探しつつ、最後に別れた岩を目指す。岩をよけながら走る彼女を、物陰からうかがう静かな視線があったのだが、誰もそれには気づかなかった。
一方、取り残された少年たちは、岩窟の薄暗がりの中、顔を見合わせた。それからフェイが、ため息とともに額を押さえた。
「ま、まったくもう、アニーってば……」
「しょーがね。俺たちはここ、調べてようぜ」
さっさと入口に背を向けたクレマンに、フェイが呆れたふうな視線を注ぐ。
「追いかけようとか、言わないんだね」
「だって、あれに追いつこうとしても無理だろ、無理無理」
「それは、そうなんだけど」
幼い頃から俊足の少女に振りまわされたフェイは、なにも言葉を返せなかった。結局は、ため息をのみこんで、岩窟の奥へと入る。自然と、淡い光をもらす、いびつな穴が目についた。さらに奥、あるいは外へと続いているであろう、人工の穴。
クレマンもそれが気になったのだろう。しばらくじっと見つめたあと、「行ってみようぜ」と、フェイをうながした。
そっと穴の先を見てみると、うろこ雲の隙間からもれた太陽が見えた。やわらかい光に目を細める。やはり、穴の先は外に続いていた。だが、そこはただの荒れ地ではなかった。背の低い石垣のようなもので、囲われた空間だった。
「ん? なんだあれ」
後ろからひょっこり顔をのぞかせたクレマンが、目陰をさして呟く。フェイも、目をこらした。その先に見えた、クレマンが先に見つけたものに気づいて、声をあげそうになった。
石垣に囲まれた空間には、地下室で見たような器や、ぼろぼろのひもがすてられている。それをずっとたどり、一番奥の石垣。積み上げられた灰色の石には、黒い線が走っていた。それが文字だと、フェイは直感する。
フェイは思わず踏みだしかけた。だが、その足は止まった。岩窟に冷たい風が吹きこむ。その風に乗って、荒々しい音がした。それは、いくつも重なる険しい声。低い音に混じる甲高い音は、先ほど出ていったばかりの幼馴染の声だった。
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