第三章 罪と誓い

1 岩と方陣

「なにこれ……」

「おもしれーなあ」

 呆然と呟くアニーたちをよそに、クレマン・ウォードは目を輝かせた。もともとこういう謎めいた物が好きなのかもしれない。

 丈の短い草が、ぽつりぽつりと見える野は、そのほとんどが赤茶色。どこまでも続いていそうな大地に、先端が丸くなった岩が、突き出ている。地面を破って芽を出したかのような岩は、大小様々、形もばらばら。よく見ると、入口のような穴があいている岩もあった。

 不思議な光景を前にして、誰もがしばらくぼうっとしていた。やがて、ロトが重い足取りで一歩を踏み出す。

「本当に岩しかないんだな。想像以上だ。どこから手ぇつけよう」

「とりあえず、近いところからでいいんじゃない?」

 顔をしかめるロトに対し、アニーは雑な意見をぶつける。ふだんなら、「適当なこと言ってんじゃねえ」と頭をはたかれるところだろうが、今日のロトは静かにうなずいた。

 それから、近場の岩を見て回った。いくつかわかったことがある。岩はどれも、いくつか穴があいていて――それが、入口と窓であること。中は空洞になっていること。子どもたちには何がなんだかわからなかったが、ロトいわく「杯みたいなものが見つかった」らしい。

「もしかしたら、ここに人が住んでたのかもしれないねえ」

 フェイが、冷え冷えとした空洞をのぞきこんで、独語する。中には、彼らにはなんなのかわからない、錆ついた金属のかたまりが転がっている。よくよく床を見てみると、文字のようなものが刻まれている。しかし、アニーたちの知らない文字なのか、崩し字だからなのか、ミミズがのたくっているようでまったく読めない。

 床とにらみあうアニーをよそに、フェイはうなりながら奥へ進む。そこへさらに、エルフリーデやクレマンもついてきた。革手袋をはめた手は、砂埃だらけの石壁を、慎重になでてゆく。

「ほかのところは、どうだった?」

 アニーは四つん這いになったまま、誰にともなく問いかける。答えたのは、エルフリーデだった。

「変わったものはなかったわ。本当に、こんなところに石碑があるのかな」

「ここ、見終わったら、もう少し奥に行ってみようぜ」

 ロトの目的は遺跡そのものの調査だが、アニーたちの目的は、ヒューゴから指示されたものを読むことだ。

 クレマンの提案に、三人は誰からともなくうなずいた。

 床から得られる手がかりはほとんどない。アニーがいよいよ疲れて顔を上げたとき、フェイと目があった。彼は、ちょうどそのとき、せわしなく埃を払っていた手を止める。茶色い両目に、好奇心の光が灯るのを、アニーは確かに見た。

「これ……」

 吐息のような声を聞くと同時、立ちあがる。

「何かあった?」

 そう言いながらのぞきこんで、アニーはぽかんとしてしまった。フェイが埃を払ったばかりの石壁に、少しかすれた黒い線が浮かびあがっている。黒い線が形作っているのは、図形。アニーの勘が正しければ、それは、方陣だった。

「なんで、こんなところに方陣が……」

「ぼくも知りたいよ。――エルフリーデ、ごめん。これ、なんの術かわかる?」

 フェイは、振り向いて声を張る。呼ばれたエルフリーデは、首をかしげつつ駆けよってきた。かすれた方陣に目を丸くしたが、すぐに顔をひきしめて、冷たい壁に手をついた。少しの間方陣とにらみあった彼女は、ゆるくかぶりを振る。

「だめ。絵も文字もほとんどつぶれてて読めない。式も、復元しないと解くのは難しいと思う」

 うなだれて肩を落とすフェイを見つつ、エルフリーデは考えこむそぶりを見せた。

「復元……ロトさんなら、できるかなあ」

「あ、そうか」

 アニーはぱん、と手を打った。いくらロトでも古い方陣の復元は難しいかもしれないが、なにか手がかりを見つけてくれるかもしれない。誰かが言うより先に、三人のやり取りを聞いていたクレマンが、「俺が呼んでくる!」と叫んで、岩窟がんくつの外に飛び出した。

 アニーたちは、すぐに軽く目を見開いて、入口を振り返る。クレマンが出てからほとんど時間が経たぬうちに、外から話し声が聞こえたのだ。アニーがまっさきに、外をのぞいた。

「今から俺、兄ちゃんのこと呼びにいこうと思ってたんだけど……」

「へえ。そりゃ奇遇。俺もおまえらを呼びにきた」

「え? どうかしたのか?」

「いや。そっちの用件を先に聞くさ」

 すでに、そこにはロトがいて。クレマンは呆けた顔をしながらも、大事なことは伝えたらしかった。振り返ってアニーに気づくと、照れているようにも、嫌そうにも見える表情でうなずいた。アニーはあえて、「話が早い!」と笑うと、ロトを岩窟に招き入れる。

 彼は、入ってすぐ、壁の方陣に気がついた。残る二人にも軽く声をかけてから、方陣をしばし、ながめる。

「……いろいろと消えすぎててわかんねえな」

「えっと。復元とかできませんか?」

「今は無理だな。人手と時間が足りない。マリオンかテッドをひっぱってくるくらいしねえと」

 答えを聞き、エルフリーデがうなだれる。しかし、ロトの言葉は終わっていなかった。

「ただ、見た限りでわかるのは――これが高度な術だってことだ。少なくとも、この時代のエウレリアの人間が使えたとは思えねえ」

 フェイとエルフリーデが顔を見合わせる。二人は、よくないことを聞いてしまったような顔をしていた。言葉の意味がわからなかったアニーが首をかしげていると、フェイがじっと見つめ返してきた。

「つまり、ここを日々使っていた人たちは、ものすごい魔術の知識と技術を持ってた、ってことだよ。ひょっとしたら、歴史を変える大発見につながるかも」

「え、ええ……」

 アニーは、半歩しりぞく。少年の声は熱を帯びていたが、歴史にも魔術にもうとい彼女には、それのどこがすごいのかがわからない。とりあえずは幼馴染の気持ちをくんで「じゃあ、探し物ついでにそういうのも探してみる?」とだけ言ってから、青年を振り仰ぐ。彼は熱心に方陣を見ていたが、アニーの視線に気づいたのか、ふっと目だけを後ろに向けた。

「ところで、ロトの用はなんだったの? 呼びにきたとか、なんとか」

 青年は、ああ、と吐息のような声を漏らす。それから、体ごと振り返った。

「さっき、別の岩の中で地下につながる入口みたいなもんを見つけてな。おまえらの探し物がそっちにあるかもわからんから、一応呼びにきた」

 え、と四人ともが声を上げる。それから、クレマンがはりきって手をあげた。

「なら、さっそく行こうぜ!」

「ああ。ただし、期待しすぎんなよ」

 無愛想に釘を刺したロトは、勇んで走りだすクレマンの後ろにつく。アニーたちも苦笑しつつ、彼に並んだ。ヒューゴの言っていたことを思いだし、見つかるといいね、とそんな話をしながら歩く。

 だからこそ、アニーたちは気づいていなかった。ロトが、一度だけ、古びた方陣を振り返ったことに。

「あの方陣……似てる気もするんだけどな……」

 彼が、かすれた呟きをこぼしたことにも。



 ロトが言った『別の岩』は、少しばかり奥にあった。大きく立派な岩だった。中の空洞をのぞきこめば、またよくわからないものが転がっている。しかしそのなかには、すり鉢や鍋に似たもの、黒いかたまりと化したパンのようなものが混じっていた。生活感を漂わせる前時代の遺物に、さすがのアニーも興味を引かれる。しかし今は、地下が先だ。フェルツ遺跡の時といい、幽霊屋敷といい、王都での玉探しのときといい――地下に縁があるようだ。そう考えると、なんだかおかしかった。

 地下への入口は、四角い穴だった。人の手で開けられたものである。その穴があったのは、空洞の一番奥。鎮座している円錐形の丸い物をどかした、その下だ。アニーたちと違い、フェルツ遺跡のときにいなかった二人は、顔をこわばらせ、息をのんでいた。ロトはいつもどおり淡々としているし、フェイにいたっては真剣に穴をにらんでいる。

「前と違って、そんなに深くなさそうだね」

「ああ。どうせ地下室か何かだろ。食糧庫に避難所に……色々使えるからな、あったとしても不思議じゃない」

「なるほど」

 春先、地下に入るだけでびくついていた彼からは想像もできない姿に、アニーは笑いをこぼす。それを見たクレマンが「気持ちわりーぞ」と言ってきたので、肘で腹を打ってやった。

 穴の先からは、ご丁寧にも梯子がぶらさがっていた。そうとう古いものだが、傷みは少ない。五人は慎重に地下へおりて、最初に床に足をつけたロトが、持ち歩いていた小型の角灯に火を入れる。橙色にぼんやりとあたりが照らされた瞬間、誰もが言葉を失った。

「な、なんだこれ!」

「――どちらかというと、さっきの方陣に関係してそうだな」

 上ずった声をあげるクレマンをよそに、ロトは落ちついてあたりをゆっくり照らしてゆく。それから、アニーたちを見、「残念だったな」などとうそぶいた。眉を上げかけたアニーはけれど、視線をそらす。彼も内心では驚いているのだろう。火を灯した瞬間、ロトが息をのんだのを、アニーは見逃していなかった。

 地下室には、一面に方陣が描かれていた。その多くが砂埃をかぶってしまっていて、すべてを見ることはできない。だが、どれも、とても複雑な方陣のようだった。それだけでなく、見慣れない硝子の杯や蝋燭などが、あちらこちらに散乱している。ここが地下だからか、それらのものは、まだきれいな姿を保っている。

 アニーはそっと、手をのばした。近くに落ちていた石を拾い上げる。それは、ただの石ころというには大きすぎた。手袋ごしに伝わるかたい感触をたしかめながら、石をぐるりと回してながめてゆく。途中でしみのようなものを見つけたアニーは、手を止めた。よく見ると、しみではない。これまで何度か目にしてきた、文字だった。今までのものはやはり崩し字だったのか、それはいくらか整った形をして、並んでいた。

「ね、ね、ロト。これ読める?」

 石を突きだしてみると、ロトは目を丸くした。

「なんだこれ。古代シェルバ文字と……どこの文字が混ざってんだ? 帝国時代のもんか?」

 彼もフェイと似て、研究者気質なのかもしれない。見知らぬ文字に、深海色の瞳が吸い寄せられる。しかし、好奇心に輝いていた瞳は、すぐ険悪に細められた。

「……ロトさん?」

 エルフリーデが不安げに呼びかける。アニーも、むっと眉を寄せた。

 そのとき、青年の唇がかすかに動く。

「『魔女』の『技術』――」

 アニーの手の反対側から石をつかむ指。白くて細い彼の指は、力がこもって、先がさらに白くなった。

「どういうことだ」

 吐き捨てるような声に、子どもたちは肩を震わす。彼の声を間近で聞いていたアニーは、思わず身を乗り出した。

「なに? この部屋、魔女と関係があるの?」

 ロトは、すぐには答えなかった。アニーの手から石をひきとると、しばらくそれをながめまわす。ぐっと石をにぎりこんだ彼は、ようやく、口を開いた。

「正確なことはわからねえ。けど、ここに書いてあることを見る限り、この遺跡をかつて使っていた連中は、この大陸の魔女と何かしらの関わりを持っていたかもしれない」

「この大陸の魔女、って。確か、『橙色とうしょくの魔女』ですよね」

「そうだ。人の体を石に変える、っていう呪いをかけるらしいぜ」

 石を投げては受けとめ、もてあそぶ彼の口調はことさらに軽い。だからこそ子どもたちは、顔をこわばらせた。ロトはややして、石を放っていた手を止めて、それを包むようににぎった。

「ここが本当に帝国の遺跡なのか、魔女とどんな関係があったのか。もうちょっと調べてみる必要がありそうだ。……けど、一人じゃ無理だな」

「だ、だったら!」

 消えそうな呟きを聞いてか、少女が一人、手をあげる。驚いてかたまるロトに向け、エルフリーデが顔をあげた。

「わたし、一緒に行きます」

 言葉を受けとめた青年が、空気を吸って動く。しかし、彼が声を出す前に、エルフリーデがアニーを見た。

「ねえ、みんな。本当にごめんけど、ヒューゴさんに言われたものを探すの、お願いしてもいい? 魔術に関することなら、わたしも一緒に調べたいって思ったの。だから……」

「いや、私はいいよ」

 アニーは笑って手を振った。それから、少年二人を振り返る。

「俺も別に――エルフリーデがそうしたいっていうんなら、いいぜ。実はもともと、おまえを巻き込むつもりじゃなかったし」

「ぼくも大丈夫。本当は一緒に行きたいけど、こっちにつくよ」

 フェイは、アニーとクレマンを示して「こっち」と言った。暗に二人では何をしでかすかわからないということだ。問題児二人は互いのしかめっ面を見たが、少女と青年の小さな笑い声を聞き、我に返った。

「ありがとう」

 まっすぐな感謝の言葉に、クレマンだけがさっとうつむく。首をかしげる彼女をよそに、アニーたちはにこやかに手を振った。

「頑張ってね! わたしたちも頑張るから!」

 明るいアニーの声に、魔力持ちの少女はうなずき、青年は軽く手を振り返した。

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