7 誇り高く散れ

 オルトゥーズが、彼女と出会ったのは、グランドル王国に入ったばかりの頃だった。ちょうど、五年前になるだろうか。すでに大量殺人犯として、あらゆる国から指名手配を受けていた彼は、自由に暴れられる環境を与える、という彼女の言葉にひかれて、彼女に協力することにした。お互いの目的と利益のための契約。二人をつなぐものは、それだけだった。


「私はね、道化どうけにならないといけないの」

 あるとき、彼女はそんなことを呟いた。オルトゥーズは、その言葉をさして気にとめなかった。彼女は、出会った頃から回りくどいことと難しいことしか言わない。その点では、オルトゥーズは彼女が苦手だった。

 それでもこの言葉をはっきりと覚えているのは、飽きるほど聞いたからだと思う。「道化にならなければいけない」それは、彼女の口から何度も放たれた言葉だった。何度も、何度も。言い聞かせるように、いましめるように。

 まるで、呪いの言葉だな。オルトゥーズは思った。そしてなぜだか、恐ろしい魔力を持つこの女性が、急にか弱い少女のように見えた。

 彼女の、じょうの話を聞いたのは、その頃だった。オルトゥーズは、自分でも不思議なほどすんなりと、その話を信じた。なんとなく、腑に落ちたのだった。

 おそらく、彼女の時は、止まったままだ。エリザース帝国から飛び出した、あの頃のままなのだ。

 彼女は「狂人ルナティア」である以前に、「アナスタシア・スミーリ」であり続けている。当たり前だ。名を変えたくらいで、人は変われるものではない。動かない時も、今の名前も、「道化にならなければいけない」という言葉も、全部、呪いだ。彼女が、彼女自身にかけた呪い。

 それを終わらせられるのは、オルトゥーズなのか、魔女なのか、別の誰かなのか。当然、彼にはわからない。けれど、黙って見ていられる気はしなかった。だから、彼は、言ったのだ。

「ならば、俺も一緒に道化になろうじゃないか。どうせ、世間から見たら悪者だからな。これ以上、悪くなりようがない」

――彼女がなんと答えたのか、今となっては覚えていない。



     ※



 ガイ・ジェフリーたちが魔女の《爪》もどきと戦いはじめたときから、アニーもまた、オルトゥーズと剣を交えていた。もう、宿敵とさえいってもいい相手は、表情も剣さばきも、相変わらずゆるぎなかった。

 たくましい体は剣そのもの、黒い瞳は鋭い切っ先。武器がそのまま意思と人格を持ったような凶暴さが、オルトゥーズにはあった。その手から繰り出されるのは、命を刈りとる一閃だ。まともに食らっていれば、丈夫が取りのアニーでさえも、ただでは済まないだろう。

 斬り、突き、薙ぎ、叩く。隙のない剣を受けて、流して、払い続ける。それだけのことができているのが、奇跡のようだった。その驚きすらも長くは続かない。刃がぶつかるごとに、アニーのなかから世界の音やよけいな考えは遠ざかり、剣を振るうことだけに集中していくようになった。それは、いつもの衝動の前触れにもよく似ている。しかし、頭の中は、驚くほどに澄みわたっていた。

 もう何度目になるかわからない、つばぜり合いのあと。勢いよく飛びのいたアニーは、息を整えて、黒い男をにらみつけた。便利屋の青年以上に表情がない男は、珍しく、軽く眉を上げていた。

「腕を上げたな。思っていたより楽しいぞ」

「こっちは、全然、楽しくないんだけどね!」

 アニーはとげとげしく言い捨てる。オルトゥーズは、気を悪くした様子もなく、自分の腕をちらりと見やってから、唇をゆがめた。不敵な笑み、とはまさに、このことだろう。アニーはむしょうに腹立たしくなってうなった。「まるで怒った子犬だな」と、その態度がさらに、男の笑いを誘ったらしかった。

 二人の体には、すでに数えきれないほど、小さな傷が走っていた。少女の手足には赤く腫れているところもあった。斬撃の合間で、ときどき殴られたり蹴られたりしているせいだった。そして、二人とも、とうの昔に傷の痛みを忘れ去っている。

 怒った子犬はうなるのをやめる。にらみつけるふりをして、オルトゥーズの全身をながめやった。目線、手と腕、剣先、そして足。その動きを少しも見逃すまいと、両目をすがめる。ただ――アニーが動きをとらえるより先に、オルトゥーズが飛び出していた。

 落ちつけ。アニーは自分に言い聞かせる。出だしは速い。けれど、その動きは今までよりも鈍かった。だから大丈夫。そう思って、構えをとった。

 剣と剣が、ぶつかりあったその瞬間――アニーは大きく後ろによろめいた。

「なっ……んで」

 叫んだつもりが、漏れたのは、吐息のような弱いささやき。手足に力が入らない。気を抜けば、そのまま倒れこんでしまいそうだった。

 速くなる鼓動を感じながら、アニーは正面をにらむ。立っているオルトゥーズも、心なしか、顔色が悪い。それでも彼は、ほほ笑んでいた。

「そうら、始まったぞ。ナージャの二百年越しの計画、その最終段階だ」

「っ、うそでしょ!?」

 アニーは思わず、振り返った。塔の影にはどこも変わったところはないが、あたりの木々が一気に枯れていっているようにも見える。彼女もまた、方陣の完成を肌で感じて震えた。

 どうにかしないと。でも、どうにもできない。

 アニーに今できるのは、まっ黒で凶暴な男と向きあうことだけ。深呼吸したアニーは、再び剣をにぎって、ただ一人の敵をにらみつけた。

 そのまなざしに感じるものがあったのか、オルトゥーズは、アニーを惑わすようなことは、言ってこなかった。無言で剣を持ちあげ、構える。

 短い沈黙。吹き抜ける風。命の終わりをすぐそばに感じながらも、二人はただ、戦うためだけに戦おうとしていた。

 何ものも邪魔をしないにらみあいは、音もなく終わる。次の時のはじまりを告げたのは、ざんっ、と土が蹴られた音だった。


 りの音が連鎖した。絶え間なく刃が噛みあい、弾き弾かれ、光を描いて火花を散らす。二十合近く打ちあったとき、オルトゥーズの長剣が大きくうなる。アニーはすぐさま飛び下がったが、水平に弧を描いた刃は、手首を勢いよく斬った。赤いしぶきが舞うとともに、少女の手から剣が滑り落ちる。相手の得物を容赦なく蹴り飛ばしたオルトゥーズは、あいた手でアニーを突き飛ばした。強い衝撃を腹に受けた少女は、大きくよろけて草の上に倒れこむ。アニーは飛び起きようとしたけれど、うまくいかなかった。魔術のせいもあるのだろう、一度体が地面に触れると、力が抜けて、上半身を起こすのさえも、ひと苦労だった。

 ようやく両足で立ったとき、黒い影がすぐそばにあった。感情を映さない瞳が、彼女をじっと、見下ろしている。

「よく頑張ったが、ここまでだな」

 笑うでもなく馬鹿にするでもなく、男は言った。柄をにぎる手の甲に、骨が白く浮き上がる。剣は、息をのむほど鮮やかに振り上げられた。

 永遠のような一瞬。その間に、碧眼に火がついた。

 アニーは歯を食いしばると、あえて「自分」をかなぐり捨てた。息を吸い、喉が枯れるのにもかまわず音を出す。獣のようなたけびとともに、彼女はまっすぐ飛び出した。何も考えていない。それでも頭は冷えていた。アニーはオルトゥーズの懐に飛びこむと、短剣を抜いた。鳥に投げたせいで刃こぼれしていて使い物にならないはずのそれを、両手でにぎりしめて――突いた。

 耳をかき乱す音。吐き気を誘う嫌な感覚。力をこめて、刃を引き抜き、その勢いで後ろに下がる。倒れそうになるのをなんとかこらえたアニーは、黒い男の脇の下が、赤く染まるのを見た。



     ※



 第七百五十三周。二十五の式を解いたのち、定義を変更。第七百八十周。『不浄ザーナ』を『浄化クラルナ』に変換。第八百五週。空要素ダミーを避ける、裏の式を解く――


 彼の中に、感覚はもはやなかった。痛みも、苦しみも、暑さも寒さも。機械のように文字と向きあいつづけて、どんどん深いところへと降りてゆく。

 ふと、このままだと帰れなくなるのでは、と、漠然とした恐怖にかられた。しかしすぐに恐怖も消えうせた。たとえ帰れなくなっても、この複雑な迷路の最後までたどり着けるなら構わない。その道を選んだのは自分だ。

 彼はひたすら、式を解き、文字と向きあい、指を動かす。魔力を練り上げ、先っぽへとそれを流す。繰り返し、繰り返し。一番奥に、行き着くまで。

 第八百二十三周、百の式を解く。第八百二十七周、定義名を『モールス』から『アニームス』へ変更。


 第八百三十周――百三十二の式を解き、最後の鍵を消去。

 

 かすかに見えたのは、鳥が翼を広げたのを文字にしたような、不思議な記号だった。そのまんなかに、指先が触れたとき――白い光が波のように広がって、澄んだ音が耳の奥を貫いた。

 少しずつ、世界の音が戻ってくる。肉体の感覚が戻ってくると、それは鉛のような重さをもって、彼にのしかかってきた。

――ああ、これで、終わりか。

 彼は、深海色の瞳を穏やかに細めた。



     ※



「おっと……してやられたな」

 オルトゥーズは、ものすごく驚いた顔をしていた。次の瞬間、目もとの力が、ふっと抜ける。それが、彼の中での合図だったかのように、大きな体がその場に崩れ落ちた。染みだした血は、草の上にしたたって、赤い水たまりをどんどん広げてゆく。

 人を、刺した。

 ようやく実感したアニーが、何もできずにいると、足もとで金属のこすれる音がした。我に返って見下ろせば、いつの間にかすぐそばに、自分の剣があった。どうも、オルトゥーズが投げてよこしたらしい。

 どういうつもりだろう。剣と男を見比べていると、冷たい声が飛んだ。

「おい、小娘」

 はっ、と息をのんで、アニーはオルトゥーズを見やる。手招きをされたので、剣を拾って、そちらに歩いていった。顔が見下ろせるところで足を止めると、オルトゥーズは、短く言った。

「俺にとどめを刺せ」

 アニーはぽかんとした。何を言われているのか、まるでわからなかった。アニーが呆けたままでいると、オルトゥーズはいらだったように、目を細めた。震える指が、剣をさす。

「その剣で、俺を殺せと言っているんだ。心臓を突くでもよし、首を切るでもよし。やり方は任せよう。今のおまえの力なら、できないことはないだろう」

「な……に」

 アニーは、うめいた。ようやく、相手の言葉が意味をもって、彼女の中に入ってくる。思わず剣を投げ捨てそうになったが、寸前でこらえて、鞘に収めた。今にも怒鳴りだしそうな男を逆ににらみつけてやる。

「殺すって。そんなこと、するわけないじゃない。あんたには、いっぱい、いーっぱい聞きたいことがあるんだ! 負けを認めてくれたなら、さっさと血を止めて、エレノアさんのところに連れていく!」

「おまえ、自分がどこを切ったか、わかって言ってるのか?」

 アニーは言葉に詰まった。わかっている。脇の下は、簡単には止血できない。学院の授業で、習った記憶があった。押し黙った少女をオルトゥーズはしばらくにらんでいた。しかし、いよいよ血が足りなくなってきたのか。今までになく弱々しい声で、続けた。

「早くしろ。俺は道化だ。そして悪者だ。悪者は悪者らしく、正義の味方に殺されなきゃならん」

「なに言ってんの?」

「それが、ルナティアの計画だった」

 アニーは、目をみはった。

「あいつがわざと、魔女のわざを盗み、禁じられたわざをばらまく。魔女を怒らせ、この大陸につどわせる。そして人々の危機感をあおり、二度と魔女のわざに手を出させないようにする――苦心のすえに、あいつが出した答えだったのさ」

 これだけの言葉を、オルトゥーズはかすれた声で、ときどきつっかえながら、語った。何も言えなくなっている少女を見上げ、ふっと苦い微笑を浮かべる。「本当は、正義の味方は五色の魔女の予定だったんだが。何事も、予定通りにはいかないものだ」

「だが、まあ、若者が英雄になった方が、絵には、なる」

「……オルトゥーズ」

「剣をとれ。それとも、おまえは殺す覚悟も殺される覚悟もなしに、俺と戦ったのか」

 低い声が、久しぶりに、彼らしい気迫をまとった。息を詰めたアニーは、うつむいた。拳をにぎり、唇をかむ。

 手を広げ、指を震わせ、ゆっくりと剣の鞘へ手をのばす。

 爪の先が、金属に触れ――

 

 その指は、ついに、剣を抜かなかった。


「私、は」

 碧眼に、苦みと悲しみが同じだけにじむ。険悪な顔をしていた男は、とうとう、目をそらした。脇を傷つけられていない、右の腕をのばす。

「しかたがないな」

 彼がそう言ったとき、右手には、いつもの長剣がにぎられていた。アニーは、彼が何をしようとしているのか、すぐに悟った。慌てて足を踏み出したが、それ以上は体が動かない。その間にもオルトゥーズは、片手で器用に長剣をひるがえした。

「邪魔をするな」

「待って」

「そして、よく見ておけ」

 切っ先が、男の喉をとらえた。

「やめて――」

「目に焼き付けろ。剣を手にした者は、いずれ剣に殺される」

「オルトゥーズ!!」

 アニーはこらえきれなくなった。ついに動いた。けれど、遅かった。小さな体が、大きな体に飛びつくのと、剣が突きだされるのは、ほとんど同時だった。


 風切り音。刃が光る。皮膚を貫き突きささる。

 飛び散る赤は、彼に、彼女に降りかかる。大きな手は剣を離れて。体が揺れて。倒れて。草が舞う。


 十を数えられないほどの、短い時間の中で、すべてが起きて、終わった。なまぐさい空気が立ち込めるなかで、呆然として男の体にしがみついていた少女の耳に、ささやきが届いた。「……ひとつ、伝言……あった」

「あの女に……ケーシーに行け、と……ナージャに近い奴の……子孫がいるはず……だ」

 血にまみれた手が、ゆっくりと広げられる。その手は、アニーの頬に触れる寸前で、止まった。呆然自失の時を通りすぎて、目に涙をためているアニーに、彼は語りかけてきた。

「俺は……狂気にのまれたが……おまえは乗りこえられるだろう……」

「そん、な」

「だから、こそ……今日のことを……忘れるな……」

 アニーは声を出せなかった。だから、かわりに、男の指に触れた。血がつくことなど、今さら気にならない。それを見て、オルトゥーズは笑った。はじめて見た、穏やかな笑顔だった。

「俺を、超えていけ。アニー・ロズヴェルト」


――そして、彼は目を閉じた。



 アニーは抜けがらになったオルトゥーズの体を、ただ見おろしていた。長い時間、見おろしていた。

 しばらくして彼女が顔を上げたのは、自分で決めたことではなく、ほとんど反射だった。また、空気が変わるのを感じたからだった。もやもやとしたものが、一気に、払われてゆく感じがした。魔術師ではない彼女にも、何が起きたか、なんとなくわかる。

「ああ、なんだ。ロト、やったんじゃん」

 そっと呟くと、自然と、笑みがこぼれた。

 彼は、本当になしとげた。彼にしかできないことをやりとげて、みんなを、すべての命を救ったのだ。そう思うと、心から嬉しかった。

 それなのに、なぜ。

「ねえ、ロト」

 こんなに胸が痛いのか。

「……私、どうしたらいいのかな」

 少女の悲痛な問いかけは、誰のもとにも届かない。

 空より蒼い瞳から、光が一粒、こぼれ落ちた。

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