3 友達
無事に屋敷の一階へ戻ったアニーたちは、簡単に中を調べてまわった。けれど、幽霊がいるような痕跡は見当たらない。あれから、不審な音や揺れには一度も遭遇しなかった。幽霊騒ぎはあの狼たちのせいだったのだろう、と結論付け、ヴェローネルに戻ることにした。
「『度胸試しの勝負』にはならなかったね」
扉の前でアニーがぼやくと、クレマンが目をつりあげる。
「何言ってんだよ。どう考えても勝負は俺の勝ちだろ。おまえが粉まいてる間、戦ったのは俺だぜ」
「はあ、なんでよ!? あんたなんか、ずーっと狼にびびりっぱなしだったくせに!」
「……せっかく平和に終わろうとしてたのを、ぶち壊さないでくれるかな」
そのまま言い合いをはじめる二人に、フェイがため息と言葉を投げかけたが、まったく届いていなかった。くすくすと笑って楽しげにしているのは、エルフリーデ・スベンひとりである。
開き切りもせず、かといって閉まりもせず揺れている扉を、アニーが強引に押し開けた。さしこむ日の光に目を細めつつ、ゆっくり外へと踏み出す。とたん、草木のにおいがふわりと広がって、ささくれていた子どもたちの心をほんのり癒していった。
「じゃあ、帰ろうか」
クレマンとの言い合いに飽きたアニーがぽつりと言うと、エルフリーデが笑顔のままで大きくうなずく。
しかし、彼らがヴェローネルの方につま先を向けたとき、すぐそばのしげみが揺れた。彼らはびくんと飛び跳ねて振り返ったあと、口をあんぐりと開けて固まる。しげみの中から、見慣れない格好をした人たちが出てきたからだった。男女ひと組の彼らも、子どもたちに出くわすと、目をみはる。
多分、毛皮か何かだ。揺れる衣のすそを見て、アニーはそう思った。ところどころに、石か何かだろうか、不思議な飾り物が揺れている。履物も草を編んだものだった。不思議ないでたちの彼らは、互いの顔を見た。その後、男性の方が踏み出してくる。
「君たち、街の人間か?」
流暢な言葉に、四人は息をのんだ。代表してアニーがうなずくと、男性はにっこりほほ笑む。
「いきなりで申し訳ないけど、灰色の狼の群を知らないか。探しているんだ」
「灰色の狼? それって」
アニーは三人を振り返る。
……あの屋敷でのことを、言ってもいいのかどうなのか。迷いはしたが、アニーは、言うことに決めた。男性をまっすぐに見返し、小さくうなずく。
「灰色の狼なら、あの屋敷だよ。屋敷の地下室に棲みついているみたい」
「地下室だって?」
裏返った声を上げた男性が、仁王立ちしている女性を振り返る。女性は、苦々しく目を細めた。
「荒らされてないだろうか。街の人間と取引するものをごっそり入れてんでしょ、確か」
「ああ。まあ、箱のひとつやふたつ荒らされててもどうにかなる、とゼクたちは笑っていたが」
意味の取れないやりとりは、それからしばらく続いた。アニーたちは目と口をだらしなく開いて首をかしげあっていたが――そのうち、フェイがさあっと青ざめた。
「ちょ……待って。あの地下室の箱って、この人たちのだったの……? お屋敷の人じゃなくて」
フェイの声は、泣きそうに揺れている。アニーははじめ、意味がわからなくて顔をしかめた。けれど、手から漂ってきた辛い臭いに記憶をつつかれて、はっとする。
「あ――」
しまった、と呟いたのがアニー自身だったのか、ほかの誰かだったのか、わからなかった。
けれど、その声に気づいた男女の視線を浴びたのは、アニーである。彼女は頬をかいたあと、観念してうなだれた。
「あ、あのう、実は」
――こうして、アニーは、今までの出来事を語る。
話を聞いた二人は唖然としていた。男性が呆けているかたわらで、女性はわなわなと震えだす。
「ご、ごめんなさい!」
『辛い粉』を勝手に使ったことについて、四人が全力で頭を下げて謝罪すると――突然、男性が吹きだした。彼がそのまま腹を抱えて笑いだしたので、青筋を立てた女性が、その背中に拳を振るう。
「わ、笑っている場合か! あれ、作るの大変なんだからね!」
「くくっ、いや、すまない。だがいいじゃないか。この子たちの身を守るのに役だったんなら」
「『兄弟』を怒らせるようなまねをするこいつらが悪い!」
「狼だと知らなかったうえに、いきなり襲われたんだろう。さすがに、一頭でもこの子たちが殺してしまっていたら問題だったが、わざわざそうせずに戻ってきてくれたんだから、そこまで怒ることはない」
男性は、腹を抱えながらも、女性の怒りをのらくらとかわした。女性は彼の態度に気を削がれたのか、すぐに矛を収めたが、その後もしばらく「これだから街の人間は」などとぶつぶつ言っていた。アニーとしては居心地が悪かったが、謝って戻ろうと提案する前に、エルフリーデがそろりと手をあげる。
「あの、き、きいてもいいですか?」
「うん、なんだ?」
「狼さんたちのところに行って、どうするんですか。その……子どもが、いたみたい、なんですが」
エルフリーデは小声で訴えたあと、顔を伏せる。途切れがちな言葉だったが、男性は意味を察したらしい。眉を上げ、悪戯っぽくほほ笑んだ。
「大丈夫。彼らに危害を加えるつもりはない。むしろ彼らを守るために、ここへ来たんだ」
「だいたい、危害を加えたのはあんたらの方だろう」
鋭い女性の一言に、子どもたちは背中を丸める。男性は、やんわりと彼女をたしなめると、改めて四人を見おろした。
「私たちは、この森の奥に住み、野獣や魔物とともに暮らす一族だ」
「え、そんな人たちがいるんだ」
「あまり知られていないからな。驚かれるのも無理はない」
男性は、しれっとそう言い、腕を組む。
「実は、世の中には魔物を狩ることを仕事にしている人たちがいる。そいつらが最近、人を襲わない魔物たちを、むりやり
「あの狼たちも、それで……?」
「そう。廃屋に棲みついたという話を聞いたからな。加えてその廃屋が『幽霊屋敷』と呼ばれはじめたと知ったから、慌てて探していたんだ」
無事なようでよかった、とささやいた彼になんとも言えず、アニーたちはただうなずいた。彼は笑いをこぼすと、子どもたちに背を向ける。むっつりしている女性も一緒だ。
「とりあえず、今から地下室に行ってみる。情報をありがとう」
男性はそれだけ言うと、女性をともなって、屋敷へと歩いてゆく。アニーたちは、彼らの背中と負われた矢筒を呆然と見送った。
彼らの姿が、外れかけた
※
「それじゃあ、また後で」
ヴェローネル学院の、寮の入口。私服姿の学生が行き交うそこで、アニーはクレマンたちを振り返り、珍しくにこやかに手を振った。けれど、その笑顔は隣にいる少女に向けられたものだと、クレマンはわかっていた。なので、「うん、また」とほほ笑んで手を振るエルフリーデをちろりと見つつも、顔はわずかに見える女子寮の食堂に向けて、無関心を装っていた。アニーが寮の奥へ駆け去り、それに合わせてフェイ・グリュースターも男子寮の方へと急ぐ。
彼らが少年少女の波にもまれて消えると、クレマンはようやく、女子寮から視線をひきはがした。女子生徒の群から距離をとって、石の柱に背を預けると、エルフリーデをにらむ。
「それで、話って何?」
「――うん」
エルフリーデは少しひるみつつも、うなずいた。
――クレマンが言い出した『度胸試しの勝負』は、ひとまずお流れになった。はなからその気はなかったので、どうでもいい。アニー・ロズヴェルトが最後まで、そう思いこんでくれたのが幸いだった。――無駄に勘のいい彼女のことだ、気づかないふりをしているだけなのかもしれないが。
ともかくこれで、クレマンはひとつ難関を乗り越えたということになる。しかし、今は、ヒューゴになんと報告しようかと悩んでいる。そんな矢先でエルフリーデから『話がある』と言われてしまったから、思わず身構えていた。
しかし、恥ずかしそうにしたエルフリーデの口から出たのは、意外な言葉だった。
「今日は、ありがとう」
「へ?」
意表を突かれたクレマンは、固まってしまった。エルフリーデはさっとうつむき、両手の十指をからませながら、呟く。
「いろいろあったけど、でも、楽しかった。今まで、誰かとあんなふうに探検をしたことがなかったから、嬉しかったわ。だからその、お礼を言いたくて」
小さくつむがれた言葉に、クレマンは愕然とした。伏せられた紫の瞳に宿るきれいな光を見てしまい、その瞬間、頭の中がかあっと熱を帯びる。
「お、お礼、なんて……」
ぐっと拳をにぎった彼は、気付けば少女に詰め寄っていた。
「やめろよ。お礼なんていらねえよ。だって、お、俺」
「ヒューゴ先輩に、頼まれたんでしょう。わたしを困らせてって」
エルフリーデが目の前で笑う。クレマンは、頬を打たれたかのように体を震わせた。彼女の言葉が、ゆったりと続く。
「わかってたの。だって、はじめて見たときのクレマンくん、先輩のまわりにいた子たちと雰囲気が似ていたから」
「そ、れは」
「でも、クレマンくんはそうしなかったよね。もしかしたら、アニーやフェイが来たからなのかもしれないけど。でも、最後までわたしをだましたりいじめたり、しようとしなかった。それどころか、『守る』って言ってくれた。……嬉しかったよ、本当に」
「だから、わたしのありがとうを受け取って」――どこまでもまっすぐな言葉が、クレマンの胸を打つ。彼は両頬をまっ赤に染めて、言葉を失い立ち尽くしていたが、やがてぽつりと呟いた。
「ごめん」
動きの止まった頭の中で、それでも懸命に言葉を探した。けれど、出てきたのは、なんの変哲もない謝罪だった。エルフリーデは、それでも、風に揺れる花のようなやわらかい笑みを浮かべる。
「謝らなくて、いいの。だけど」
少女は、うなだれるクレマンを見ると、顎に手を当てて少し考えこんだ。それから彼を再び見て、ぴん、と人さし指を立てる。
「じゃあクレマンくん、ひとつお願いしてもいい?」
「な、なに」
「わたしと、お友達になってほしいの」
クレマンが、言葉にならない声を上げると、紫の目におもしろがるような光が宿る。しかし、それも一瞬のことで、次には不安げな表情があった。
「だめ、かな」
放心していたクレマンは、その一言に意識を引きあげられる。よく考えもしないまま、彼はただ、うなずいた。エルフリーデはぱっと顔を輝かせ、白い両手でクレマンの右手をはしっとつかんだ。
「あ、ありがとう! 学院でのはじめてのお友達だよ」
いきなりのことに少年は目を回したが、少女の手が離れると同時に、少し冷静になる。はあっ、と深いため息をついた。
「お、おおげさな……だいたい、はじめての友達って……アニーたちは違うのか?」
「あの二人は学院の外で仲良くなったから、ちょっと違うの」
「……ふうん、そういう感じか」
「よろしくね、クレマンくん」
たわいもないやり取りのあと、エルフリーデは右手をさしだしてくる。握手をもとめるしぐさに、クレマンも反射的に手を出そうとするが、寸前で止めた。しばらく、きょとんとしている少女の顔を見やってから、口を開く。
「……おまえさ、俺に聞いたよな。『怖いって思うか』って」
静かな声で切り出すと、エルフリーデは首を傾けた。だが、すぐに、目には理解の色が浮かぶ。自分がお屋敷で訊いたことを思い出したのだろう。
クレマンは、緊張に息をのんだあと、続ける。
「正直、俺、魔術師のこととか全然わからないんだ。……わかろうとも、してこなかった。だから、あんまり偉そうなことは言えない。けどさ、おまえのことは怖くねえし、不気味とも思わない。それどころかふわふわしてて、びくびくしてて、危なっかしくてほっとけない」
「えーっと、つまり、何が言いたいかっていうと。おまえが魔術師だろうとなんだろうと気にしないから――よろしく、ってこと」
彼は、口早にそう言い切ると、少し乱暴にエルフリーデの右手をにぎった。
少女はしばらく唖然としていたが、やがてはにぎられた手に、優しく力をこめたのだった。
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