4 芝居

『幽霊屋敷』の調査から数日。夏の短期休暇が明けた最初の日の放課後に、アニーとフェイはクレマンに呼び出された。以前、ヒューゴたちと出くわした、倉庫が並ぶ一角に。二人して首をかしげながら言われた場所に行ってみると、そこにはなぜか、エルフリーデもいた。クレマンは、ひとつの倉庫の壁に寄りかかって待っていた。彼は、二人がやってくるなり――たいへん珍しいことに、頭を下げて謝ってきたのである。

「どうしたの?」と、フェイが上ずった声で問えば、彼は事情を説明した。なぜ、幽霊屋敷に行くなどと言い出したのか、本当の理由を。


「……へえ。ふーん。そういうことだったんだ」

 アニーは、縮こまっているクレマンを見る目をすがめた。フェイも頭を押さえて黙りこんでいる。彼らの間に漂う空気は、明らかに不穏だった。

 クレマン・ウォードがよくない先輩とつるんでいるという話は、アニーも噂で知っていた。さすがに、それがヒューゴで、今回のクレマンが彼の命令でエルフリーデと接触した、というところまでは推測できなかったが。ヒューゴと関わりがある、と知ってしまったせいで、クレマンを見る碧眼は、これまでよりずっと冷たくなっていた。

「幽霊屋敷に行かせようとしたのも、エルフィーを怖がらせるためだったのね。……じゃあ、なんで私に、『度胸試しの勝負』なんて言い出したの」

「そ、それは」

「アニー待って」

 クレマンが困り果てた声を上げたのと、エルフリーデがアニーの方へ身を乗り出して叫んだのは、同時だった。その間にも、蒼い瞳と黒い瞳がぶつかり合う。しばらくの間、薄氷の上にいるような危うい静けさがる。少年を予断なく見つめていたアニーはだが、ふいに、ひらめいた。

 クレマンがエルフリーデに意地悪をしなかった理由。その答えはすでに、少女の中にあったのだ。

「ああ、なんだ。そういうことか」

 え、と、クレマンが呆けた声を出した。一方アニーは、不敵に笑うと、手を振った。

「とりあえず、今のあんたがエルフィーに意地悪する気がないっていうのは、わかった」

 アニーがそう言うと、エルフリーデは安堵の表情を見せていたが、男子二人は戸惑っていた。フェイに、どういうこと、と問うような視線を向けられたアニーは、うっすらと笑みを返す。「この間、お屋敷で話したでしょう。多分、ああいうこと」とささやくと、彼はこれ以上ないくらいに目をみはったあと、乾いた笑い声をもらした。

 幼馴染が納得したことを確かめて、アニーは早々と視線をそらす。目を泳がせているクレマンを真っ向から見て、腕をくんだ。

「なんで、私たちにこの話をしたの? 内緒にしててもよかったでしょ」

「……っ、そ、そう。実は……」

 クレマンは、肩を落とす。

「ヒューゴさんになんて報告していいか、わかんねえんだ。こいつに嫌な思いはさせたくないし、かといって正直、ヒューゴさんに刃向かうのも……」

 言葉は歯切れ悪く、彼自身もしおれた花のようにうなだれている。ふだんだったら、少しばかり愉快になる光景だが、このときのアニーは眉をひそめた。自分がその、ヒューゴに刃向かった人間だからでもある。しかし、フェイとエルフリーデは「あれはそう思ってもしかたない」と同意した。

 アニーたちが大げんかをしたときも、フラン・アイビスが割って入ってくれなければ危なかったのだ。クレマンがたった一人で反抗すれば、何をされるかわからない。かといって、もともと彼らとつるんでいるから、先生に相談するわけにもいかない。クレマンの心情はそんなところだろうと、アニーはうなずいた。

 話を聞いたアニーとフェイ、それからエルフリーデは、目を合わせて考えこむ。

――長くうなったあと、アニーはふと『あること』を思いついて、手を打った。自分で評価するのはなんだが、悪くない思いつきだった。年上のヒューゴがどこまでだまされてくれるかはわからないが、何もしないよりましである。

「……ねえ、クレマン。じゃあ、私が手伝ってあげるよ」

 彼女は、にっこりとかわいらしい笑顔で、少年にそう言った。

 アニーの顔を見ていたフェイが、まるで戦士科準備室に忍びこむ、って言ったときみたいだ――と思っていたことは、誰も知らなかった。



 クレマン・ウォードの目の前には、鬼より恐ろしい形相をした先輩がいる。休暇の前、命令してきたときと同じように、薄暗い倉庫の中で、木箱にむりやり腰かけている。取り巻きたちもいるが、前と比べると数は少ない。

 クレマンは、ヒューゴを見すえ、背筋を伸ばした。

「で? どうだったんだ、あのガキは」

 ヒューゴが、にい、と口の端をつりあげて訊いてきた。クレマンは、気圧されたかのように背中を丸め、あちこちに視線を泳がせてみせる。それから、小さな声を出した。

「あ、あの、すみません。うまくびびらせることができなくて……」

「ああ?」

「ひっ」

 ざらついたヒューゴの声に、クレマンは演技でなく飛び上がった。まわりの生徒たちですら、一歩退いている。ヒューゴはゆっくり立ち上がると、高い所からクレマンをにらみつけた。

「なんだって? もう一度言ってみろ」

「い、や。だから、えっと」

 クレマンは、青ざめて震えた。夏の暑気などないかのように、指先が凍りついて動かない。

 頭がまっしろになり、いよいよ先輩の拳が飛ぶのを覚悟したとき――

「邪魔してやったのよ、私が!」

 二人の間に、少女が割って入った。


 ヒューゴや取り巻きの生徒たちが、目をみはっている。クレマンもぎょっとはしたが、割り込んできた少女が金の三つ編みで、腰から何かをさげていると気づいた瞬間、先輩たちにばれないように安堵の息を吐いた。

 乱入してきた少女、アニー・ロズヴェルトは、偉そうに胸を張ってあたりを見渡すと、最後にヒューゴをにらみつけた。「邪魔をした、だと?」剣呑な声を上げる十一回生に、真っ向から挑んだ。

「そう。だって、そこのクレマンくんが、私の友達にむちゃなことばっかり言うんだもん。片っ端から全部私が邪魔しちゃった。最後には穴に突き落してやったし」

「こ、この……あんときは、よくもやってくれたな!」

 クレマンはアニーの背後で、反抗の声を上げる。――もちろん、穴に落とされたのではなく地下室に落ちたのであって、クレマン自身、今回はアニーに対してなんの恨みも持っていない。けれど、数年間のけんかの数々を思い出せば、嫌でも『それらしい』反応ができた。

 ヒューゴは、少女の声が途切れてから少し、腕を組んでじっとしていた。しかし、それをほどくと、静かに目を細める。

「で? おまえは、こいつが俺の手下だとわかったうえで、のこのこ出てきたわけだな?」

「当然。先輩ってわかったからこそ、出てきたの」

 アニーが堂々と答えると、ヒューゴは「いい度胸だ」とえた。いよいよ殴りかかりそうな男子生徒を、しかし、かすかな金属音が制した。

「来るならどうぞ。『これ』があれば、負ける気しないんだよね、私」

 にやりと笑ったアニーは、自分の腰を叩いた。革の帯につりさげられた剣が揺れる。正真正銘の真剣があることと、アニーのまとう空気が武人の鋭さを帯びたことが、少年たちの動揺を誘った。周囲の生徒がどよめき、ヒューゴは顔をこわばらせる。

「お、おまえ、何考えてる!? 学院内で武器を持つのは禁止だろうが」

「だから、ばれたら怒られる。最悪停学かも。……でもそれは、こんなところで後輩いじめてるあなたも一緒でしょ。なんなら、ひと暴れして一緒に怒られますか、先輩?」

 アニーが口早にまくし立てると、ヒューゴは沈黙した。顔を蒼くしたり赤くしたり忙しい。

 不穏な沈黙が漂い、取り巻きたちが不安そうに顔を見合わせる頃になって、ヒューゴはアニーとクレマンの肩を押しのけ、歩きだした。

「今度会ったらただじゃ済まさねえからな! くそったれな『暴れん坊』め!」

 アニーは、よろけたクレマンを雑に支えながら「どうぞお好きにー」と言い、手を振った。一方、困りきっていた取り巻きたちは、ヒューゴが一喝したことによって、彼の後にそそくさとついていく。


 不良たちの姿が消えると、クレマンはへたりこんだ。緊張の解けた手足には、もう、ほとんど力が入らない。石床に座ったクレマンを、アニーが珍しく穏やかな瞳で見おろした。

「お疲れさまでした」

「……どうなるかと思った」

 クレマンはうめいた。そのとき、倉庫近くの木の陰から、顔をこわばらせたフェイとエルフリーデが、ひょっこり顔を出す。彼らは、アニーがへらへら笑っているのを見ると、互いに苦笑して駆けよってきた。

「ほんとにどうなるかと思ったけど、いったんごまかせてよかったね」

 エルフリーデは、言い終わりに深く息を吐く。緊張の名残を感じたクレマンは、頬をかいて「ああ」と返した。

「さて、アニー。剣を寮に戻してくる? 見つかったら本当に停学ものだよ」

「そうだね。ひとに見つからないようにしないと。布かなにかでくるんだ方がいいかな」

 鞘の留め具を帯から外しながら、アニーがぼやいた。フェイがかたわらから、分厚い布を差しだしている。

――用意のいい奴だな。あの程度でどこまでごまかせるかはわからないけど。

 二人のやりとりを見ながら、クレマンはぼんやり思った。

 そして、気づけば、同時に浮かんできた疑問を口に出していた。

「なあ、アニー」

「なによ」

「どうして、そんな危ないことまでして、俺のことを手伝ったんだ」

 先程のアニーの言葉ではないが、黙っていればよかったのだ。『悪ガキ』が困っているのを見て見ぬふりをすることも、当然できたはずである。なのになぜ、と問えば、アニーは首をひねった。本当に、彼の言っている意味がわからない、とでもいうように。

「だって、あんた、エルフィーの友達なんでしょ」

 あっさりと投げられた言葉に、クレマンは絶句した。ぽかんとしていると、視界の隅でエルフリーデがにっこり笑う。急に恥ずかしくなったクレマンは、視線から逃れて、灰色の床をにらんだ。

「…………言っとくけど、友達だと思ってるのは、エルフリーデだけだからな」

「私だって、あんたなんか友達だって思ってないわよ」

 アニーは、言ったあと、いー、と舌を突き出してくる。互いに鼻を鳴らした二人は、どちらからともなく拳を突き出した。


 拳のぶつかる音が、夏の空に弾けて消える。二人のやり取りを見ていた少年が、ぽつりと呟いた。

「そういうの、『けんかするほど仲がいい』っていうんじゃないかな?」

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