余話

親愛なるソーニャへ

※本編後のお話。

参照:Ⅶの第二章「5 そして、ナージャは死んだ」

   同じく第四章「7 誇り高く散れ」



 謁見の間に、氷水のような沈黙が満ちている。金細工と垂れ幕の鮮やかな壁際で、高官たちは苦々しさを隠そうともせず立っている。そして、この間の――この国のあるじたる男は、まぶたひとつも動かさず、かしずく者を見おろしていた。

「報告は、以上でございます」

『彼女』は上からの視線をものともせず、涼やかな声で言いきった。堂々たる、を通り越してふてぶてしささえ覚える態度に、高官たちがざわついても、垂れた髪の下の表情はまったく動かない。

「首謀者は自死した、そして共犯者は、剣士の少女が討ちとった――と申したな」

 それでも、国王の声が降れば、体をわずかにこわばらせた。

「それはつまり、『白翼はくよくの隊』は首謀者を捕らえられなかった、という解釈でよいのか」

「――弁解のしようもございませぬ」

 言いきった瞬間、壁際の男どもがざわついた。『彼女』はもとの姿勢のまま、声を張り上げ、彼らを黙らせた。

「『首謀者を捕らえよ』という陛下のご命令を遂行できなかったことは事実です。その責任は、隊長の私にあります。――どのような処分が下されようと、受け入れる所存であります」

 その言葉の圧力におされたのか、今度、高官たちが騒ぎだすことはなかった。国王の、吐息に似た思案の声がこぼれる。

「失態は失態だ。何らかの処罰を与えなければ、他の者にも示しがつかぬ。かといって、現段階で貴官の任を解けば、わが国にとっては痛手となろうな」

 独白めいた言葉は、物言いたげな壁際の人々への、牽制の意味もあったのだろう。その後、思考のための沈黙と、意見交換の喧騒とがかわるがわる、続いた。その流れを断ち切ったのもやはり、国王だった。

おもてを上げよ、ユーゼス少将」

 命じられ、『彼女』――エレノアは、ようやく顔を上げた。感情の読めぬ碧眼を、燃えさかる鳶色が、まっすぐ見上げる。

「魔術師部隊隊長、エレノア・ユーゼス少将。貴官に命ずる――」

 その瞳が、謁見の間ではじめて、大きく見開かれた。



「というわけで、しばらく留守にするからよろしく頼む」

 あっけらかんと、エレノアが言い放てば、まわりを囲んでいた部下たちはさまざまな表情をした。

 しかたない、と首を振る者が一名。あちゃあ、とばかりに頭を押さえている者が数名。そして、唖然として目と口を開いている者が多数。その姿があまりにおもしろくて、エレノアは吹き出してしまった。それを見た部下の一人、アレイシャ・リンフォード少尉が身を乗り出した。ちなみに彼女は、唖然としていた人たちの部類に入る。

「笑いごとですか、隊長! 本当に一人で赴かれるおつもりですか!?」

「声が大きいぞ。リンフォード少尉」

 女性の慎みだとか、上官に対する礼節だとか、そういうものを軒並みかなぐり捨てて詰め寄ってくるアレイシャは、まさに鬼気迫る表情をしていた。エレノアは、顔の前で手を振って彼女をおさえると、放心している部下たちめがけて咳払いをする。

「だいたい心配し過ぎだろう。国外に行くわけではないのだぞ」

「国境の山村、という意味では、ほぼ国外でしょ」砕けた口調で口を挟んだガイ・ジェフリー大尉が、肩をすくめた。「でもまあ、首がつながっただけでもましっすなあ」

 彼ののんびりした物言いにこたえたのは、唯一、あきらめたように事態を受け入れている副隊長だった。

「現状、『白翼の隊』をまとめられるのはユーゼス少将だけ――というのが、軍部内の見解です。ほかに適任者がいない以上、隊長が任を解かれることはあり得ないでしょう。悪くて謹慎でしたでしょうが」

「今回だって、実質謹慎みたいなもんじゃないですか?」

 部下の一人が眉を曇らせたので、エレノアは笑って指を立ててやった。

「留守の間のことは、そこな副隊長に任せてある。心配するな」

――なぜか、全員が呆れ顔で黙りこんでしまった。


 とりあえず必要なことを告げたので、エレノアが解散を命じると、部下たちはその場――エレノアの執務室から去っていった。部屋の主のほかに残された一人、副隊長ことコンラッド・フォスター大佐が、長く息を吐く。

「本当によろしいので?」

「構わんさ。もともと、叶うならば私が行きたい、と思っていたところだったしな」

 なんのかの言いながら、一番憂いが抜けきっていない彼の問いに、エレノアは笑顔で応じる。ようやく、フォスターの顔にいつものれいな色が戻った。

「ケーシー、ですか。あの男の言葉を信じてもよいものでしょうかね」

「さすがに彼も、十五にもならぬ娘に嘘は言うまい」

「そう信じたいものです」

 あくまでも疑り深いフォスター大佐に笑みを向けると、なぜかかぶりを振られる。そんなに甘いことを言っただろうかと、エレノアは首をかしげた。ルナティアと比べ、接点の少なかった男のことを思い出しかけ――同時に一人の少女のことも思いだして、目を伏せた。

「本当は、私たちが頑張らなければいけなかったのだがな」

 フォスターが、目を丸くして振り返る。エレノアは、それに気づかず唇を歪めた。

「アニー・ロズヴェルトに、まだ小さい娘に、あのような重荷を背負わせるべきではなかった」

 大の男と戦った上、救おうという気持ちが拒まれて、目の前で命を絶たれた――

 まだ若く、戦争の道理を知らなかった頃、エレノアにも似たようなことがあった。だからこそ、そのときの絶望と無力感はよくわかる。育った環境と状況の違いという点で、アニーのそれは若き日のエレノアを上回るだろう。

 仲の良い青年が意識を取り戻したことで、今は立ち直っていると聞くが、それでも気がかりだ。

 だからこそ、少しでも――エレノアの手で得た情報を、自身の口から、彼女たちに伝えてやりたかった。

 上官のそんな思いを読みとったのか否か。フォスター大佐は何も言わず、静かな視線を注いでいた。



     ※



 まどろみを誘う陽気の下、天へ届けと腕を伸ばす枝の先の若葉は、みずみずしく輝いている。決して平和とも言いきれぬ人里の情勢など関係のない山の木々は、見上げた人の苦笑を誘うほど穏やかに育っていた。

 東部国境付近最大の都市を抜け、北寄りに進むと高い山が立ちはだかる。その中腹あたりに、ケーシー村はあるらしい。文字どおり単身で、数日かけて馬を駆ってきたエレノアは、この日の朝方、ようやくかの山に入ったところだった。

 若葉の天蓋てんがいのおかげで、山道は薄暗く、ひんやりしている。エレノアは、ときどき馬を励まし、休憩を入れながら、ひたすらに走った。途中に何度か確かめたのはケーシー村周辺の地図。フォスター大佐が、出立前に渡してくれたものだった。副官の準備のよさには、いつも感心させられる。

 静かな道行きが終わりを告げたのは、昼前のことだった。競うように並ぶ木々のむこうに、柵に囲まれた家の集まりを見つけた。エレノアは馬の速度を落としながら、村の方へと近づいていく。彼女の目が簡易の門をとらえたとき、ちょうど、そこに人影が現れた。警戒しているふうに、こちらへ近づいてくる。エレノアは、手綱をひいて馬を止めて下りた。近づいてきたその人を改めて見やる。

「おや、まあ、軍人さんですか。このような山奥にどんなご用で?」

 歳の頃、六十代半ばほどの女性だった。腰はまっすぐで、しゃべり方もはきはきしている。軽く波打った茶髪は色あせはじめてぱさついていたが、いかにも田舎の女という風体が、軍人の瞳には快く映った。

 エレノアは、その場で軽く一礼をした後、みずからの胸の紋章を示す。

「突然の訪問、失礼いたします。私は、魔術師部隊の隊長を務めております、エレノア・ユーゼスと申します。本日は、任務のためケーシー村にお邪魔させていただきたいのですが」

 女性は、目を丸くした。存外腰が低いので、驚いたのだ。

 そんな彼女に、エレノアは手早く用件を説明した。ただし、もともと公にしにくい事柄であるから、肝心なところをぼかさなくてはいけなかった。事情を聞いた女性はけれど、大きく息を吐くと、「なるほど」とうなずいたのである。

「ソフィーヤのことを調べにいらっしゃったのですね」

 彼女がこぼした一言を拾い、エレノアは目を丸くする。女性は、エレノアを見返すと、いたずらっぽく笑った。

「アナスタシア・スミーリ様の侍女ソフィーヤは、私の先祖ですよ」


 先の女性は、イネッサと名乗り、エレノアを自分の家へ案内してくれた。木の板を合わせただけの、簡素な家。けれど、厨房と居間と寝室がひとつになった部屋を奥へ進み、壁の一角の板を外すと、その奥に本がびっしりと並べられた空間があった。唖然としている少将を横目に見たイネッサは、少女のように笑った。

「ここにあるのは、すべてソフィーヤの代から伝わる書や資料です。好きなだけご覧になってくださいな。ああでも、汚したり破いたりしないように気をつけてくださいね。古いですから」

「それはありがたい、ですが……いやしかし、よろしいのですか。好き勝手に暴かれたくないこともおありでしょうに」

 珍しくうろたえながら手袋をはめるエレノアは、イネッサに尋ねたが、彼女はいくつかの書を取り出しながらさらりと答えたのである。

「そのようなことをお尋ねになる時点で、好き勝手に秘密を暴くお人でないことはわかりますから」

――エレノアは、すでに、完敗していた。

 そういうわけで、秘密の書庫を慎重に調べてゆくことにした。いくつかの書をめくり、上層部が欲しそうな情報についていくつか書きつけをとったエレノアは、けれどそこで、眉を寄せる。これらをすべて報告してよいものか。アナスタシアや、その侍女の思いを踏みにじることに、なりはしないだろうか。

 よどんだ思考にふけりながら本をめくっていたエレノアは、本の間から紙が滑り落ちたのを見て、慌てて本をそばの机に置いた。かがみこんで拾い上げれば、二つ折りのその紙もまた、ずいぶん古いもののようである。家の者が後からしおり代わりに使った、とかいうことではなさそうだ。エレノアはそっと紙を開き――驚きに息を詰めた。

 ところどころかすれている文字に散見される癖は、ルナティアの方陣に見られたそれと、まったく同じだったのだ。

 ソフィーヤに宛てた手紙らしい。古い言葉で書かれているが、エレノアでもなんとか、意味がとれる程度には読むことができた。最後の行に目を通した頃には、脳裏に、あの女性の苛烈な表情が浮かんでいた。


『親愛なるソーニャへ

この手紙を読んでいるとき、あなたはとても困っているでしょう。本当にごめんなさい。いつも、あなたには迷惑と心配をかけてばかりね。本当に申し訳ないけれど、また心配をかけると思うわ。


――私は、お父様を止めにいきます。今日の実験を中止させます。


相談もせず、勝手なことをしてごめんなさい。でも、あなたを巻きこみたくなかったの。あなたには、魔術にとりつかれず、幸せになってもらいたいの。だからね、もしも、お父様やその部下の方々があなたのところへやってきたら、こう言ってね。


“私は何も知りません”

それだけでいい。それ以上のことは言わないで。あくまで、無関係を装って。そして、すべてが終わったら――そうなれば最悪、スミーリ家は崩壊するから、そうなったら、あなたは急いで逃げなさい。確か、地方に親戚がいると言っていたわね。そこでかくまってもらうか、家を手配してもらうか、しなさい。スミーリ家には、これ以上関わってはいけないわ。

ソーニャ、あなたが私の侍女になってから、私は毎日が楽しかった。なんでも気軽に話せる人は、あなたが初めてだったから。本当に感謝している。私はもう、あなたのこれからを見届けることはできないと思うけれど、ずっとあなたのことを想っている。

ありがとう、ソーニャ。これからも、どうか元気で、幸せにね。


アナスタシアより』


「――ソフィーヤ、いえ、ソーニャは最後まで悩んでいたそうです」

 突然頭上から降った声に驚き、エレノアは肩を震わせて振り返った。家の方に行っていたはずのイネッサが、複雑な表情で立っていた。

「主の指示のとおりにするか、逆にすべてを――アナスタシア様の計画に限らず、スミーリ家の闇のすべてを――白日はくじつのもとにさらすのか。何度も二つの選択肢の間を行き来したと、彼女の日記にありました。けれど、ヤロスラーフ様と研究者の方々が亡くなり、スミーリ家じたいが消滅するという段になって、決断したようです。アナスタシア様の言う通り、すべてを隠し通して逃げて、逃げて。最後に、このケーシー村へ行きついた」

 訥々と語るその声は、エレノアの嘆息を誘った。彼女は「そうですか」とだけ言って手紙を畳み、もとの本のもとのページにさしこんだ。その本を棚に戻すと、また息を吐く。

 きっとルナティアは、アナスタシアだった頃から、すべてわかっていたのだ。父を殺せばスミーリ家が崩壊すること。それにより帝国じたいが大きく揺らぐこと。最後には攻め滅ぼされるであろうこと。そして、自身が膨大な魔力を取り込んで、数百年の長きにわたってさまよう、人ならざる存在になるであろうことも。そして――いつ訪れるかも知れぬ最後には、によって自分の計画が壊されることまで。

 必ずそうなるとまでは思っていなかっただろうが、少なくとも予期していた。だからこそ、自分が一番大事にしていた侍女を、事件の中心からできるだけ遠ざけようとしたのだろう。

 この手紙を書いたときに、あの日の戦いも、その結果の死も、全部覚悟したというのなら。エレノアは、アナスタシアの心の強さに、感心せざるを得なかった。

「ねえ、ユーゼスさん。少し休憩しませんか。お茶を用意しました」

「む、かたじけない」

 イネッサの声がけで我に返ったエレノアは、ほほ笑む。けれどすぐに表情を引き締めて、二百五十年前から続くこの家の主を見すえた。

「お言葉に甘えさせていただきます。私も、あなたにお話ししたいことがある」

「……それは、どのようなことで?」

「アナスタシア嬢の、その後について」

 イネッサは、初めて、エレノアにもはっきりわかるほどの、驚きの表情を見せた。


 その後エレノアは、彼女が淹れてくれたお茶を片手に、先の事件のことを話した。彼女アナスタシアがルナティアと名乗り、そうして行ったことと、その結果を。本当は一般人に漏らしてはならぬ情報だ。けれどエレノアは、伝えずにはおれなかった。アナスタシアにもっとも近かった少女の子孫である、この人に。せめて、ソフィーヤの主人が最期まで、人々を想っていたということだけでも。

 話が終わる頃には日が傾きはじめて、二人のカップは空になっていた。イネッサが、深く息をつく。

「そうでしたか。先の事件のことは、伝わってきてはいましたが――その女性がアナスタシア様本人とは」

「にわかには信じられぬことでしょうが……強すぎる魔力を持つ者が、優に百年以上を生きる存在となることは、実際にあります。『しきの魔女』など、その好例です」

 イネッサは、すぐに答えなかった。しばらくカップを見つめた後、唇を震わせる。「だとすれば」

「だとすれば、アナスタシア様は不器用すぎますね。ソフィーヤの日記にあった通り。わざわざ、そんなむごいやり方をしなくても、よかったでしょうに。……いえ、それとも本当に、そのやり方しかなかったのでしょうか。私たちは、本当の恐れを知らなければ、魔女のわざから手を放すことができないのでしょうか」

 エレノアは、黙ったままだった。何も答えることができなかった。

 しばらくしてイネッサは、苦みのまざった笑みを向けてきた。

「ありがとうございます。ソフィーヤの主人がその後どうなったかは、いくら調べてもわからなかったので、話を聞くことができてよかった。先祖も安心していることでしょう」

 気負いのない言葉を受け、エレノアもようやく、いつもどおりの笑みを浮かべる。ただ、胸の奥には、形容しがたい痛みが残ったままだった。


 ひととおり話を済ませた頃には、夜になっていたので、イネッサの家に泊めてもらった。そして、翌日の朝早く、彼女に村の入り口まで見送られ、エレノアはケーシー村を出た。ゆるやかな山道、彼女は馬上で、「ケーシー村に行け」という言葉を伝えてくれた少女のことを思い浮かべる。あの子が持ってきたオルトゥーズの伝言は、確かなものだった。そのおかげで、ソフィーヤの、そしてアナスタシアの多くの面に触れられた。今後の調査に役立つ情報も、多かった。

 やはり、自分が来てよかったと、エレノアは口もとをほころばせる。

「なあ、アナスタシア嬢。あなたの親友は、あなたの望んだとおり、幸せになったようだぞ。けれど、それでも――彼女はあなたのことを忘れていなかったし、後悔もしたと思う」

 エレノアは、まだ夜の名残のある空を見上げる。吐息が空へ立ちのぼり、白くたなびいた。

「わざわざ、私が言う必要もないかもしれんな。もう、ソフィーヤ殿に、さんざん叱られたかな?」

 姿も知らぬ侍女に、アナスタシアが説教されている光景を想像し、ほくそ笑んだエレノアは、それから軽く馬の腹を蹴った。速度を上げた馬は、順調に山道を下りてゆく。

「さあ、戻ろう。このことを報告せねばならない相手がたくさんいる」

 女性の明るい呼びかけに、馬は鼻を鳴らしてこたえた。


(おしまい)

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