花と風にのせて1『花弁の雨』

※二年前くらいに書いたバレンタイン掌編その1。本編以前のお話です。



あるところに男がいた。清らかで優しくて、みなに愛される男だった。

あるところに女がいた。たいそう美しかったが、不気味なものといわれる魔の術が使えたため、みなに蔑まれていた。


あるとき、男が女に恋をした。女も男に惹かれてゆき、やがて二人は愛し合った。

だが、当時の人々の間では、魔術を使う者と交わることは、暗黙のうちに禁忌とされていた。


二人は逢瀬を重ねた。唇を重ね、愛を確かめあった。

けれどやがて、二人のひそかな逢引は人々の知るところとなった。男は糾弾され、女は攻撃され、二人は引き裂かれ、追われる身となった。


二人は逃げ続けた。

だが、それぞれ離れた土地で捕まって、傷つけられた。

傷だらけになった女は、ある花畑のまんなかで、己の死を覚悟した。

せめて愛した者に届けばと、花弁を風に乗せて飛ばした。花弁は逃げてきた方向へと飛んでいった。

男もまた、人々の手で殺されようとしていた。そのとき彼は、遠くの空に舞う淡い紅色の花弁を見た。

それが、現実のものだったのかただの幻影だったのかは、誰も知らない。

けれど男は、花弁に愛しい女の影を重ねると、力いっぱい愛を叫んだ。

そして、人の手により殺された。


これは、悲しき恋の物語。

ある風習のもととなった、小さな小さな、昔話。



 とある世界のとある海。その「まんなか」と信じられている場所に、えんのあちこちにへこみをつくったような大陸が浮かんでいる。その大陸の、北の広域を支配するのが、二百年を超える歴史をもつグランドル王国だ。発展いちじるしいこの王国は、しかしその主は農業と観光業であり、軍事に力を入れ始めたのはごく最近のことである。領土を広げられたのも、大陸北部の無法地帯を少しずつ統一していったからに過ぎない。栄華への誇りと戦への不安、双方を抱えながら、人々は今日も生きてゆく。


 王国西部に学術都市として名をはせる街がある。その西端を陣取って鎮座する巨大な建物もまた、学び舎だった。「ヴェローネル学院」との名をもつそこには、さまざまな事情と思いを抱えた学生たちが集っていた。


 学院の、人の多さのわりに狭い廊下を、ひとりの少年が歩いている。白いシャツの上から濃紺の上着をはおり、ズボンも上着と同じ色。赤地に銀色の太い線が入ったネクタイは、きっちり締められていた。ヴェローネル学院五回生の制服を身にまとった彼は今、ものすごく難しい顔をしていた。いつもは穏やかな目が、ぎゅっと細められている。

「あっれー、フェイ?」

 少年の背後から、能天気な声が聞こえてくる。名前を呼ばれた彼は、緩慢に振り返った。同じ学生服、同じ意匠のネクタイを締めた男子生徒が、ちぎれんばかりに手を振っているところだった。

「ああ……」

 同じ教室の生徒だと気づき、フェイ・グリュースターは軽く手を振り返す。すると、男子生徒が走り寄ってきた。

「よう! 休みの日に出てくるとは、あいかわらずまじめすぎてよくわかんねえな!」

「せっかく、試験期間中で東館と西館が開放されてるからね。そっちこそ、どうしたの?」

「俺は補習だ。逃げてやろうと思ったけど、先生に捕まっちまった」

 そう言って、男子生徒は豪快に笑う。「いや、逃げずにちゃんと受けようね。補習」とフェイは苦笑する。男子生徒は悪びれもせずまた笑い、それからはたと首をかしげた。

「ん? それじゃ、今日は鉄砲玉のアニーは一緒じゃないよな。このあと会う予定、とか?」

 質問を受けて、フェイはびくりと肩を震わせた。

 アニー。アニー・ロズヴェルト。幼馴染の少女であり、学院の中では悪い意味で有名な――いわゆる問題児である。明るくていい子だとフェイは思うのだが、いかんせん、いろいろなところで加減ができない。備品を壊しただとか、誰かとけんかをして流血沙汰になっただとか、そんな話が絶えないのだった。

 ともかく、そんな少女の名前にフェイはひるんだ。それに気づいた男子生徒が、ますます首をひねる。「どうした?」と、とうとう言った。

「フェイがアニーの名前を聞いて、そんな反応するとはな。なに、けんかでもしたか?」

「い、いや。そうじゃないんだけど……」

 口ごもったフェイは、自分の茶髪を軽くかいた。

「なんか、今日はアニーの様子が変だったんだよね。なんというか、よそよそしいというか……こそこそしてるような感じで……」

 彼の言葉に、男子生徒はへえっと眉を上げた。

「珍しいな。よそよそしいなんて、アニーには一番似合わねえじゃんか」

「だよね。今朝、学院に来る前に出くわしたんだけど、挨拶したと思ったら逃げるみたいに街の方に行っちゃって。ぼく、何かしたかなあ」

「なんか隠しごとでもしてんじゃねえのー?」

 からからと笑う男子生徒の横で、フェイはため息とともに肩を落とす。落ち込む優等生を、同級生が、頭を軽く叩いてなぐさめた。


 フェイが学院の寮に戻ったのは、昼過ぎだった。その道の途中、ちょうど、男子寮と女子寮の分かれ道のところで、彼ははたと足を止めた。目の前に、濃紺のスカートをひらひらさせている女性生徒がいる。動きに合わせて揺れる、彼女の金色の三つ編みには、見覚えがあった。

「アニー?」

 フェイがそっと声をかけると、女子生徒は振り返って目を丸くした。

「あっ、フェイ。おかえり」

 女子生徒――アニー・ロズヴェルトは、いつもどおり明るく笑って手をあげた。しかし、その直前に顔がこわばったのを、フェイは見逃さなかった。とはいえいきなり激しく詰め寄るわけにもいかない。さりげなく、少女のそばへ歩み寄った。

「ただいま。アニーは、今日ひとりで何してたの?」

「ちょっと、なんで私がひとりって決めつけてんのよ」

「だって、アニー友達いないじゃん」

 フェイがあっさりそう言うと、アニーは頬をふくらませてそっぽを向いた。彼が続けて「で、何してたの?」と問うと、アニーは唇を突きだした。いつもであれば、ここで楽しそうに、あるいはつまらなそうに話をしてくれるはずなのだが。

「内緒!」

 今日はそれだけ言い置いて、わかれ道の先へ姿を消してしまった。あっという間に道のむこう、生徒の波の中に消えてゆく幼馴染の背中を、フェイは釈然としないながらも黙って見送ったのである。


 結局、フェイの幼馴染アニーの様子がなぜおかしかったのかは、その日のうちには判明しなかった。そしてこの翌日、フェイはまた難しい顔で、学院の外廊下を歩いていた。休憩時間の今は、外廊下の人通りも多く、顔見知りの生徒がすれ違うたびに声をかけてくる。彼はそのひとつひとつに、うわの空で返した。

 アニーは嘘が下手である。長い付き合いのフェイには、それがよくわかっていた。そして、昨日の彼女の態度が、隠しごとをしているときのものだ、ということも。

「ぼくに内緒で何かしようとしてる、ってことだよね」

 言いながら、フェイはため息をこらえきれなかった。別に、まわりに迷惑をかけるようなことでなければ、構わないのだ。いつもいつも、彼にひっついて歩いているだけのアニーではない。依存しているのはフェイの方かもしれなかった。

「うーん」とうなっていたところを、すれ違いざまに誰かが肩を叩いていく。その誰かとは、昨日出会った男子生徒だった。

「よっ。まーた、悩み事か。せっかくのこの日に」

「ああ、うん。ちょっとね」

 相変わらず底抜けに明るい男子生徒にうなずいたフェイは、直後に目を瞬いた。「せっかくのこの日、って?」と素っ頓狂な声がこぼれる。男子生徒は、思わせぶりに指を振った。

「今日はあれじゃねえか。男女が愛を確かめあう日、ってやつ」

「あー……」

――二月にはひとつ、特別な日がある。

 とある清廉な男と魔術師の女の、悲恋ひれんの物語。事実になぞらえて語られたとされる、その話をもとにしてできた記念日だ。只人ただびとと魔術師との垣根を取り払い、男女の愛を確かめあう日、といわれている。今日はちょうど、愛し合った二人が殺された日だったと、フェイは記憶している。

「あれって、まじめにとらえてる人、どのくらいいるのかな」

「そんなにいねえだろ。それこそ、恋人同士とか、夫婦とかは、ちゃんとやったりするのかねえ」

 フェイのまじめな問いかけに、男子生徒が興味なさそうに返す。

 一応、差別意識をなくすという目的ももった記念日ではあるはずだが、今ではただ、恋人や夫婦で贈り物をしあったり、誰それに告白したりするためのお祭りと化している節がある。昔からの風習というのは、時代とともに本来の意味を失うものなのかもしれないが、それにしても切ないなと、フェイはぼんやり思った。

「フェイには、そういうやつ、いねえのかよ」

 男子生徒が陽気な声で問うてくる。フェイは、ゆるやかに首を振った。

「いないよ、そんなの」

「告白されたとか、ねえの?」

「あるけど断った。もしくは、アニーと仲がいいって知られたときに、むこうから離れてった」

「……あ、そう。大変だな」

 フェイが冷たい声で言いきると、男子生徒は顔をひくつかせる。通りがかりの生徒の群が、二人に珍しいものを見るような視線を向けた。

「でもほら。おまえ、密かな人気があるし、期待していいと思うぜー?」

 両手を広げて楽しそうに言う男子にフェイは呆れて、目を細めた。「期待しないよ、そんなの」と疲れのにじんだ声を吐き捨てた。

 いまだ冷たい風が吹く。

 そのとき、フェイは、自分の頭と肩に何かが触れたのを感じた。

「え?」

 思わず肩をのぞきこむと、薄紅色の花びらがひっついている。

「何これ」

「おいフェイ。頭にもくっついてんぞ」

 男子生徒の言葉が終わる前に、薄紅色の花や花びらが、二人の上を飛んだ。その多くが、フェイにむかって降り注ぐ。

「え、え? 何これ?」

 慌てふためく彼の頭に花が滑って、石畳に落ちる。彼は髪を軽く整えたあと、花の飛んできた方をあおいだ。貴族の館のような石壁の建物。ヴェローネル学院の女子寮だ。

 壁面にずらりと並ぶ窓のひとつから、少女が身を乗り出している。

 フェイがまじまじとそちらを見つめていると、彼女はぱっと笑顔を咲かせて手を振った。

「フェイー! やっほー!」

「アニー!?」

 窓から身を乗り出している少女は、昨日とは違ってとても嬉しそうだった。ちぎれんばかりに手を振る彼女と、制服にくっついている花びらを見て、フェイは事情を察した。

 男女の愛を確かめあう日。そのやり方は、国や地域によって違う。ただ、このグランドル王国のあたりでは、女は愛する男にむかって花びらを飛ばし、男はそれにこたえて手を振るか、大声で愛を叫ぶ、という風習があるのだ。

 アニーが昨日こそこそしていたのは、飛ばすための花を摘むため。今日この日、フェイにむかって飛ばすため。

 つまり――

「よっ、フェイ! よかったじゃねえか!」

 突然、男子生徒の大声が背中を叩く。そして次には、実際に、肩を乱暴にどやしつけてきた。フェイはよろめいたあと、満面の笑みの彼を振り返る。顔がとても熱かった。「や、やめてよ!」と抗議の声を上げたが、ここで思わぬことが起きる。

「おっ、なんだ? ついにあの二人、恋人になるのか?」

「ひゅーっ! フェイの色男ー!」

「あれが彼女ってのも、大変そうだなー」

 そばを通りがかって騒ぎを聞きつけた五回生たちが、わらわらとフェイのまわりに群がってきたのである。頭や肩を叩かれながら、フェイはこらえきれずに叫ぶ。

「そんなんじゃない! 絶対、アニー、意味わかってないでしょ!」

 その瞬間だけ、騒ぎの音がぴたりとやむ。フェイがちらと女子寮の方をうかがえば、アニーはなんとなく首をかしげているように見えた。はぁっ、と深いため息がこぼれる。

「おいフェイくん! こういうときは、何するか知らないわけじゃあるまい?」

「ほら、大声で、言っちゃいなよ!」

 加えて、生徒たちのからかう声も、またわきはじめた。フェイは「できるかー!」とどなり散らしてしまったが、その後しぶしぶ、アニーにむかって軽く手を振った。

 幼馴染の少女は、それを見て、また嬉しそうに笑う。

 無邪気な笑顔を前に、フェイはいつものように「まあいいか」と思うのだった。

 ちなみに――その少し後、アニーは先生にこっぴどく怒られて、外廊下の掃除を命じられたそうな。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る