7 隠された歴史

 王宮や国軍で重用されている軍医・ジルフィードは、城に運びこまれる兵士を見送って、解放感に息を吐いた。彼はひかえていた若い軍人を振り返ると、やわらかく目を細める。

「重傷者は彼が最後かな」

「はい。ありがとうございました、ジルフィード先生」

「お礼はいらないよ。これが僕の仕事さ」

 かしこまって敬礼する若者に対し、彼は肩をすくめた。そのとき、少し離れた場所から、ぎゃあ、とか、わあ、というふうな叫びが聞こえる。何事かと振り返った軍医と軍人は、すぐに苦笑した。


「い、いたい! いたいいいい!」

「はいはい、暴れちゃだめよー」

「そうそうクレマン。こういうのは暴れたらよけい痛いから」

「あ、アニー……どうして、経験したことがあるみたいに言ってるの?」

「そりゃ、経験してるからね。故郷にいたころに。あの頃から、わんぱくすぎる娘って呼ばれてたなあ」

「いらないこと言うなあ!」


 大人たちの視線の先では、戦場では数少ない子どもたち、その全員が集まって、ぎゃあぎゃあと騒ぎあっている。涙目の少年と彼を手当てする軍医、二人を囲むかっこうになっていた。ちなみに、うち一人、三つ編みの少女も手当てが済んでいる。

 あちこち崩れてうらさびしい雰囲気をただよわせる、王宮下の広場。その空気とは反対にどこまでもにぎやかな子どもたちへ、ジルフィードが歩み寄った。

「まったく、君たちは。そんな傷で、よく最後まで戦ったね」

「じょうぶなのが取り柄なので!」

 ジルフィードを見上げ、得意気に答えたのはアニーだ。打ちつけたところに貼られた白布や巻かれた包帯を気にするそぶりも見せず、少しゆるんでしまった髪の毛を結びなおす。三つ編みをするりとほどくと、ひとつにして結びなおした。小さな娘はそれだけで、ずいぶんと印象が変わる。

 アニーが「よし!」と金糸きんしの髪をはじいたとき、ぱたぱたと足音がした。

「みーんーなあああ! 無事ー?」

 甲高い声が広場じゅうに響き渡り、一瞬、軍人たちがぎょっとして顔を上げる。けれど、そのうちの何人かは、すぐに表情をゆるめた。近所の子どもを見るおじいさんのようなふぜいである。

「ああもう、こんなにけがして!」

「ぐえっ。ちょ、先輩、揺らさないで……いたあっ!」

 駆けつけるなりクレマンに飛びつき、彼に痛みを与えたのは、リーヴァ・ジェフリーだ。その後ろには、フランやマリオンがいる。そして、もう一人。軍服をまとった、がたいのいい男性が立っていた。

 一人ひとりに声をかけてまわるリーヴァをながめていた軍医が、肩をすくめた。

「おや、ジェフリー大尉。娘さんに会えたようで、何よりだ」

「おおよ。ジルフィード先生。相変わらず蹴ったり殴ったり激しい娘ですがね、まあそこもかわいいっすよ。ああ、やっぱり我が子ってのはいいですなあ」

「――そんなだから、避けられるんじゃないかな」

 岩のような頬をたらりと下げて語る軍人。ジルフィードが呼んだその名に、リーヴァの腕から逃れたアニーとフェイが振り返った。けれど、深く問う前に、おぼえのある声に肩を叩かれる。黒衣の魔術師がそこにいて、刃を布で包んだ小剣を掲げ持っていた。その柄に見覚えがあったアニーは、目を見開く。

「はい、アニーの剣。さっき、彼が見つけてくれたのよ」

 マリオンはほほ笑むと、フランに目配せした。彼はあまり表情を動かすことなく、うなずく。アニーは二人にお礼を言ったあと、薄汚れてしまっている布を、ゆっくりとほどいた。

「うわ、ぼろぼろ」

 フェイが呟く。歯に衣着せぬ物言いに、けれどアニーは怒らなかった。事実だからだ。

 刃はあちこち欠けて、汚れてしまっている。錆が浮いてくるのも時間の問題だろう。剣をまじまじと見たフランが、眉間にしわを寄せた。

「これは――もう、かえた方がいいかもね」

「はい……でも、学院の許可がいて……」

「だめって言われることはないと思う。どのみち、僕らが帰るころには、学院に今回のことが伝わってるだろうし」

 さらりとしたフランの一言に、子どもたちが、つぶれかけのかえるのような声を上げた。けれど、しかたがない。ここまで派手に立ち回って、しかも、軍隊とも関わりを持ってしまったのだ。国側としても、学院に伝えないわけにはいかないだろう。

「あああ怒られるうううう」

 アニーが頭を抱えてうなる。今さらだ、と誰もが思ったが、誰も口には出さなかった。彼女のように声にはしないまでも、鬱屈とした気分になった子どもたちは、むりやり話題を変えようとする。きょろきょろとあたりを見回したエルフリーデが、あれ、と首をひねった。

「あの……ロトさんは、いったいどこに?」

 紫色の目が、不安げにマリオンを見上げる。彼女は苦笑し、肩をすくめた。

「ロトなら、寝るって。腕輪が壊れてからもむりやり動いてたから、疲れたんだと思うわ」



 これだけの大事件があったにもかかわらず、前夜祭は予定どおりひらかれるらしい。幸か不幸か、破壊されたのが広場だけだったので、祭への影響は少ないのだという。けれど、今回の一件で家や店を失った人への対応は、急がなければならなかった。

――というのは、アニーたちが王宮の廊下を歩いている間に拾えた情報だった。人々は、場違いな子どもたちにも気づかずに、大声で言葉を交わしあっている。軍服や官吏の上衣が行き交う王宮内は、ひりつくような空気に満ちていた。

 壁や天井に見える色鮮やかなや、金色の装飾に目がくらくらする。それでもどうにか足を動かし、マリオンに教えられたとおりに廊下を曲がると、言われたとおり、装飾の少ない木の扉が見えた。すぐそばの看板には、こじゃれた文字で『医務室』と書かれている。柱の陰からそれを見つけたアニーは飛び出そうとしたが、寸前で後ろから腕をつかまれた。フェイが、顔をこわばらせて立っている。

「何するの?」

「ちょっと、待って」

 フェイが、震え声でささやく。アニーは柱の陰に身を戻した。そこで、彼が引きとめた理由に気づく。医務室の前に、人影があったのだ。

 一方は、アニーたちも知っている人。エレノア・ユーゼス少将。そしてもう一人は、見たことのない男性だった。もう六十代にはさしかかろうとしているのではないだろうか。白い髪を後ろで束ねたその男性は、太い眉をむっつりと寄せている。長い衣には光沢があってゆったりとしていた。紅色のすそを目にしたクレマンが、ひっと細い息をのんだ。

「う、おいおい! あのじいちゃん、貴族院の議員じゃねえか」

 え、とひそめた声で三人が叫ぶ。その間にも、どうも貴族らしい老人の方から、大きな声があがっていた。

「今回の件、どう責任を取るつもりか、エレノア・ユーゼス少将」

 しわがれた声は険しい。柱の陰で息をのむ子どもたちとは逆に、エレノアは落ちついていた。いっそ、冷たいくらいといってもいい。姿勢を正し、軍帽をとってから訊いた。

「責任、とは?」

「とぼけるのは感心できないな。貴殿の隊が保護した北地ほくちじんのおかげで、化け物が元気よく暴れてくれたようだが」

 あからさまに何かをあざける議員の物言いに、エレノアは軽く眉を寄せた、ようだった。一方子どもたちは、顔を見合わせる。アニーやクレマンの戸惑いに気づいたエルフリーデが、口を開いた。

「北地人っていうのは、シェルバ人の別の呼び方だわ。あまりよくない言葉だから使うなって、おじいちゃんやおばあちゃんに言われたことがある」

「それをいい大人が使うって、どうなってんだ」

 クレマンが、珍しく嫌そうな顔をする。エルフリーデの目にうっすらと涙が浮かんでいたせいもあるだろうが、きっと、それだけではない。アニーはあえて何も言わず、また二人に目を向けた。今、繰り広げられているやりとりだけでは、誰のことだかわからない。けれど、何か、むずむずする。

 彼女が感じた違和感の理由は、すぐに明かされた。最悪のかたちで。

「はぐらかすのもいい加減にしろ! あれの呪いが、化け物を呼んだのだろう!」

「結果としてはそうなりました。それは、謀反人たちの意図に気付けなかった我々の落ち度です。申し訳ない。しかし、少なくとも、彼自身はなにもしていません。むしろ、あの方陣を止めるために、もっとも積極的に動いてくれていました」

「それはそうだろうよ! 化け物が呼び出されれば、自分が悪者になるとわかっていただろうからな!」

 誰かが、悲鳴をのみこんだ。老人の怒声に驚いたからではない。こちらに背を向けて立つ、エレノアが――ひどく冷たい気配をまとったからだ。

「だから、あれを野放しにするのはよせと言っておったのに。今からでも拘束して牢につなぐべきではないか? 魔女の呪いがこれ以上ばらまかれては、何が起きるか――」

「失礼。ひとつ、言わせていただけますかな」

 憤慨する老人の言葉を、鋭利な刃がさえぎった。彼の顔がこわばる。そしてエレノアは、よどみなく続けた。

「繰り返すようですが、彼にはなんの罪もない。それは国王陛下もお認めになったことです。異議を申し立てるのはけっこうですが、それならば廊下で私に対してぶちまけるのではなく、おおやけの場で意見なさればよろしいのではないのですか」

「なっ……! 貴様、魔術師のくせをして……!」

「術師か否かは、この場では関係のないことです」

 エレノアは、ぴしゃりと言いきった。譲る気はない、あなたの意見を聞き入れる気はないと、背中が語っている。彼女は軽く息を吐くと、軍帽をかぶりなおした。

「今さら強調することでもないでしょうが、国王陛下の勅命ちょくめいにより、彼らの処遇は我が隊に一任されております。お忘れなきよう」

 議員の男性は、顔を赤くしたり青くしたりと忙しかった。けれど、エレノアが微動だにしないでいると、わざとらしく靴を鳴らして去ってゆく。

 やがて、靴音が遠ざかって消えても、アニーたちはその場から動くことができなくなっていた。

――あの話題の中心は、彼らがもっともよく知る青年だった。何もしていないはずの彼をしざまに言われたことが、小さな心に傷をつけたのだ。

 何を言おうか。どうしようか。考えるより先に、茶色がかった金髪が揺れた。

「立ち聞きを咎めはしないよ。出ておいで」

 エレノアは、柱に向かってほほ笑むと、優しい声でうながした。四人は迷ったが、すなおに彼女の前に並ぶ。

「あ、の。ごめんなさい」

「気にするな。むしろ、怖がらせて悪かった」

 エルフリーデがひょこんと頭をさげると、エレノアは慌てたふうに手を振る。その手をそのまま、茶色い扉の方へさしだした。

「ロトの様子を見にきたのだろう。一緒に行こう」

 快活な少将の誘いに、四人は戸惑いながらもうなずく。

 

 医務室は、思ったよりも狭かった。怪我人が来る場所だからか、装飾はほとんどない。けれど、行燈ランプは高級そうな、草花の彫刻があしらわれたものだ。四つある寝台のうち、うまっているのはひとつだけ。彼らのほかには、人もいない。

 子どもたちがそうっと寝台に近づく。そのとき、エレノアが軽く目をみはった。

「――よう」

「なんだ、ロト。起きていたのか」

 子どもたちも驚いた。ロトは上半身を起こして、片手をあげている。顔色はあまりよくないが、笑顔を見せる余裕はあるようだ。エレノアが驚いたふうにしていたが、彼女はすぐ、眉をさげる。

「ひょっとして、さっきのやりとりで起きたか?」

「ま、そんなとこだ」

 ロトは軽く肩をすくめる。

「すまないな」

「別に構わん。いつものことだろ。それより、面倒かけて悪いな、エレノア」

「いや……」

 エレノア・ユーゼスは、珍しく言葉をにごして、頭をかいた。その間に、深海色の目が、包帯だらけの少年少女を見やる。

「ひっでえことになってんな。特にアニーとクレマン」

「このくらいいつものことだし!」

「いつものこととか言うな、問題児」

 アニーが胸を張ると、ロトは軽くにぎった拳を、金色の頭にこつんと落とす。アニーが痛がるふりをすると、ロトは少しだけ、声をあげて笑ってくれた。けれど、すぐに、その目は真剣さを帯びたものになる。

「気になるか?」

 静かな言葉は、アニーやクレマンに向けられたものではない。その後ろで、ずっとうつむいていたエルフリーデを、ロトは正面から見つめていた。

「北地人だの牢だの呪いがばらまかれるだの、物騒な単語ばっかりだったもんな。しかたねえ」

 彼が笑いを含んでそう言うと、エルフリーデは顔を上げる。否定しようとしていたが、すぐにまた、うなだれた。彼女を気遣わしげにうかがう子どもたちをよそに、ロトはエレノアの軍服のすそをひく。

「あのさ。時間があったら、昔話してやってくんねえか。……俺が話すと、余計なもんが混じるから」

「そ、それは構わないが。いいのか?」

「いい。どうせ、いつかは話すつもりだった」

 目を白黒させるエレノアをよそに、ロトは迷いなくうなずいた。『白翼の隊』隊長は、ため息をついて軍帽を小机に置くと、あいている寝台を指さして、子どもたちに座るよううながす。

 アニーたちがすなおに座ると、エレノアも向かいに椅子をひいて腰かける。それから――おもむろに、語りだした。


「――君たちも、ひょっとしたら覚えているかもしれない。

グランドル暦二百三十四年、十一月。王国北西沿岸の漁村に、一隻の大型船が流れ着いた。その船は、型こそ大型漁船だったが、ところどころに我々の知らない部品や設備が見受けられた。当然だ。その船は、ここより遥か北の大陸、ヴァイシェル大陸の人々によって造られたものだったのだからな。

そして、その船には人が乗っていた。ヴァイシェル系シェルバ人、と呼ばれる人々だ。

上は六十歳、下は十代前半の子どもまで。乗組員二十一名は、全員救助された」


 遠くない歴史の話は、子どもたちにとっては、唐突に感じられた。話の隙間で、フェイが目をみはる。

「その話……学院でも話題になりました。でも、騒がれたのは最初だけで、その船が、船に乗っていた人たちがどうなったのか、わからなかったんです」

「しかたがないな。情報が徹底的に隠されたから。国側の、判断だ」

 エレノアの静かな声に、フェイが言葉を失う。話は、続いた。


「乗組員の処遇を巡って、議会ではかなりもめた。怒鳴りあいにひとしい議論のすえ、二十一人の身柄は王宮で保護されることとなり、彼らにまつわることのほとんどが、魔術師部隊『白翼の隊』に任された。まだ、私が副隊長だった頃の話だよ。

彼らはたくましかった。一人、また一人と、自分の生きる場所を見つけて、狭い王宮を飛び出していった。残された人々も、これから過ごす場所を、過ごす方法を、いっしょうけんめい探していた。我々もまた、彼らにこたえようと、いっしょうけんめい向きあったつもりだ」


「ひょっとして、それが」

 アニーは言いながら、エレノアのさらに向こうを見る。生粋のシェルバ人である青年は、ただ目を閉じている。

 うなずいたのは、エレノアだった。

「ロトも、マリオンも。ああ、あと薬屋のセオドアもだな。もとは、ヴァイシェル大陸の者だ。むこうの大陸で、魔術師とそうでない者との大きな抗争があったそうで、そのなかで家族や住む場所を失ってしまった者たちだ。いつ人々が暴徒になるかわからん大陸の中で生きていけなくなって、海へと飛び出したんだそうだよ」

 四人とも、身をかたくして話に聞きいった。そうするよりほかになかった。

 アニーはふと、前にロトがこぼした言葉を思い出した。父と母は、もう、いなくなってしまったのだと。――その、本当の意味が、今になってようやくしみてくる。恐らく、その頃まだ子どもだったロトは、両親の死をどんなふうに見たのだろう。考えることすら、怖かった。

「それでもなんとか、自分たちで生きていこうと頑張っていたんだけどな。ロトに関しては、なかなかうまくいかなかった。貴族院の議員たちが、彼を外に出すのを嫌がったからだ。なぜかは、言うまでもないだろう」

――『漆黒の魔女』の呪い。

 その言葉は、おそらく、この場にいる誰の頭にも浮かんでいただろう。

「この、エウレリア大陸にも魔女はいる。そして、おそれられている。だというのに、そのうえさらに、得体の知れない北の魔女の呪いをおった奴が来た。魔術も呪いも知らぬ者の目には、さぞ不気味に映ったのだろうな。先ほどの議員が言っていたような『幽閉すべきだ』という意見が、強く支持されたこともあったんだ」

 いやあ、あのときは本当に危なかった。エレノアは笑いながら肩をすくめるが、子どもたち――特にアニーとフェイ――にとっては、まったく笑いごとではなかった。フェイが、蒼白い顔をぱっとロトの方へ向けた。そのときになってはじめて、青年は目を開く。

「今はほとんどそんなことないから安心しろ。エレノアがだいぶごねてくれたおかげで、なんとかなった」

「うん。だいぶごねたな。……いろいろな意見を会議に持ちこんで戦った。最終的には、彼にあるていどの自由を与えるかわりに、半年に一回報告書を提出させる、というかたちに落ちついているよ」

「あれ? ひょっとして、今回ロトさんが王都に来たのって、そのためなの?」

「そういうことだ」

 ロトが軽くうなずく。それが合図だったかのように、医務室の空気がゆるんだ。アニーとクレマンが同時に息を吐き、エレノアが話をしめくくる。

「先ほどのやりとりには、そういう意味が込められていたわけだ。納得していただけただろうか」

 穏やかに笑う鳶色の瞳は、魔術師の卵の少女をとらえている。それまで黙りきりだったエルフリーデが、気が抜けたような声を出した。彼女はそれから、立ちあがって、ロトのそばに歩み寄る。

「ひとつだけ、訊いてもいいですか」

「なんだ?」

 ロトが首をひねると、エルフリーデはためらいながら、息を吸う。


「今、幸せですか?」


 アニーは目を丸くする。フェイやクレマンも、ぽかんとしていた。

 穏やかな沈黙の先に、言葉を投げたのは、問いを向けられていた青年だ。

「まあ、それなりに」

 気負った様子のない青年の答えに、少女が何を思ったかは、誰にもわからない。ただ彼女は、答えを得ると、花がほころぶようにほほ笑んだのである。

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