第一章 出会いと波乱の馬車の旅

1 六月の暮れ時

 ヴェローネルは、グランドル王国屈指の大都市であると同時に――学術都市、という呼び名で知られていた。名のとおり、街のいたる所に大学の本館、分館から図書館までもが点在し、まさに学生のための都市と化している。そんなヴェローネルの、西端の大きな敷地を陣取って鎮座する、城のような建物がある。青緑色を持ち、己を誇示するかのように佇むその建物こそ、名にし負う『ヴェローネル学院』だ。


 ある日の夕方。ヴェローネル学院西館の端。大きな両開きの物々しい扉の前に、一人の少女が佇んでいた。つややかな金の長髪は後ろでまとめて三つ編みにされていて、前髪は眉のあたりで切りそろえられている。口もとをきゅっと引き結び、青い目をまっすぐ前に向けていて、横顔は窓からさしこむ夕日に照らされ、赤く染まっていた。制服の前で結ばれたネクタイは、赤い布地に金色の線が入ったもので、それは彼女が六回生であることを示している。

 黄昏時、ひとけのない校舎――そんな状況もあいまって、佇む少女は清楚にも見える。


 だが、学院の者は知っていた。

 彼女が、六回生の中で、清楚という言葉がもっとも似合わない女子生徒であることを。


 少女の碧眼がきつい光を宿す。その瞬間、横の扉が重々しい音を立てて開かれた。たちまち、中から生徒たちが飛び出して、駆け去っていく。

 少女は彼らの無邪気な声を聞き、とっさに生徒の群れへ目を走らせた。待ち人の姿を探した彼女はやがて、ひょこひょこと揺れる茶色いくせ毛の、気弱そうな顔立ちの少年に目を向ける。講義資料を胸に抱いた彼は、情けない表情で廊下を見ていた。

 少女は身を乗り出して、大きく手を振った。

「フェイ!」

 すると、少年――フェイ・グリュースターは、はっとして振り返った。少女、つまりはアニー・ロズヴェルトの姿を見つけると、顔を輝かせてそちらへ走り寄る。

「アニー! 待っててくれたの!?」

「当然よ。約束を破られたら、たまったもんじゃないし」

「いや、反故ほごにするつもりはないよ、最初から……」

 ぼくってそんなに信用なかったんだ? と顔をそらすフェイを見て、アニーは肩を揺らしながら笑った。

「冗談よ、冗談。フェイ以外に一緒に帰る人もいないし、一人で行くのもなんだから、待ってただけ」

 そう言って、アニーは幼馴染の背中をどやしつける。すると、彼はよろめいて、涙目になった。驚いて自分の手を見たアニーはそれから、慌てて「ごめん!」と謝った。彼女は昔から、力が強すぎるのだ。今でもなかなか加減ができず、ひそかな悩みの種となってしまっている。それを誰よりも知っているフェイは、怒らず、苦笑して背中をさすっただけだった。

 二人はそして、静かな廊下を歩く。空は夕焼け色に染まっていたが、まだまだ暗くなる気配はない。夏のはじまりとあって、少し暑かった。

「歴史の講義、どうだった? 楽しかった?」

「研究科」在籍のフェイに、「戦士科」のアニーはおざなりに尋ねる。学科の字面だけ見てもそりが合わなさそうな二人は、けれど、よちよち歩きのころから一緒にいる、幼馴染だった。

 フェイはアニーの問いに、恥ずかしそうに答えた。

「楽しかったよ。でも、さすがに専攻科の先生は違うね。言ってることが難しくて、メモを取るのがやっとだった」

「わたし、その講義、無理だわ……」

 フェイが難しいというのだから相当だ。勉強嫌いのアニーは肩を落として呟いた。はは、と軽やかに笑ったフェイは、けれどすぐに、苦々しい顔になる。

「けど、まいったなあ」

「え? 何が?」

 フェイの呟きを聞き、アニーは顔を上げた。

「さっきの講義とは関係ないんだけどね、課題が出たんだ」

 講義資料を持つ手に力をこめながら、フェイが言った。

「難しい課題なの、それ」

「難しいというか、何を書いていいのかわからないんだ。『グランドル王国の社会問題について』論文を書いてきてっていうのでさ。はじめての論文課題だから、形式にはこだわらなくても大丈夫だけど、きちんと調べて、資料を集めて書きなさい、ともいわれた」

 不安げなフェイの様子に、アニーも顔をしかめる。

「社会問題、かあ」

「何がいいんだろうね。政治情勢? 経済? 文化の変容? それとも民族間の紛争? どれも大変そうだなあ」

 ぶつぶつと呟く幼馴染を見つめていたアニーはしかし、みるみるうちに眉間のしわを深くして、ついには激しく首を振った。「私、無理! そういうかたっくるしいの無理!」と叫んで、フェイから目をそらす。彼の笑い声が聞こえた気がしたが、無視した。顔をそらして外を見る。凝った装飾がほどこされた窓のむこうには、相変わらず雑然としたヴェローネル市の家並みがあった。彼女は視線を幼馴染に戻して、笑う。

「ま、それより今は、お買いもの付き合ってよね! 早く出ないと、お店が閉まっちゃう」

「そうだね。急いで寮に戻って、荷物取り替えてくる」

「うん。また待ってるから!」

 廊下のつきあたり。道が二手に分かれているところで、アニーとフェイは一度別れた。そして、それぞれに支度を整え、寮の管理人に外に出ることを伝えた後――学院の門前で再び落ちあったのである。


 ヴェローネル学院と街を結ぶ大きな通りは、「学びのみち」とも呼ばれていて、あらゆる大学や高等学校にかかわる建物と、学生のためのお店が軒を連ねている。休日でなくとも学院からここへ繰り出してくる生徒は少なくない。アニーとフェイも、この日は文具の買い出しに街へ出る約束をしていたのだった。

 小ぢんまりとした店から出た二人は、どちらも紙袋を抱えて上機嫌だった。少しずつ沈んでゆく太陽のまぶしさに目を細める二人のそばを、違う学生服を着た集団が通りすぎてゆく。アニーはなんとはなしに、彼らの声に耳を傾けていた。

「ねえ。最近さ、街の外に『黒い盗賊』が出るんだってさ」

「ああ、それ、私も知ってる。先生たちもすごい騒いでるよね」

「こわー。出くわしたらあたし、逃げられないよー……」

「大丈夫だって! 万が一遭遇しちゃったら、リィが守ってくれるよ」

 一人の女子が「私!?」と不服そうに叫び、集団からどっと笑い声が起きる。自分も楽しくなったアニーは、無意識のうちにほほ笑んでいた。フェイの視線に気づいた彼女は、急に恥ずかしくなって唇をとがらせる。

「帰ろうか。あんまり遅くなると怒られちゃうし」

 アニーがわざと大きな声でそう言うと、フェイは、うん、と言った。二人は通行人を避けてそろりと歩きだしたが、アニーはすぐに足を止める。人混みの中に見知った影を発見した彼女は、目を輝かせた。不思議そうに呼びかけてくる幼馴染を振り返ってから、人混みにむかって思いっきり叫んだ。

「おーい、ロトー!」

「えっ、どこ!?」とフェイが驚いた声を上げる。一方、人混みにまぎれていた黒髪の青年が、呼び声に気づいて足を止めた。振り返った拍子に、深海色の瞳が、陽光をチカリと反射する。彼は子どもたちの姿を認めて軽く目をみはったあと、人の流れからそれて二人の方へ歩いてきた。アニーとフェイも、彼の方へ駆けよっていく。

「なんだ、おまえらか。……脱走?」

「そんなわけないでしょうが」

 開口一番、なかなかにひどいことを言う青年である。アニーもフェイも顔をこわばらせた。「買い物よ、かいもの」ふてくされてそう言ったアニーを見て、青年はわずかに口もとをほころばせる。

 彼――ロトは、このヴェローネルの片隅で便利屋を営んでおり、同時に「魔術師」でもあった。今から約一か月前にアニーたちの課題を手伝ってもらって以降、お互いになんのかのと言いながら付き合いを続けている。

「でも、珍しいね。ロトが『学びの路』にいるなんて」

「ああ……ま、そうなんだけどな」

 アニーが顔を突きだして指摘すると、ロトは肩をすぼめて呟いた。自分が歩いていこうとしていた方を、ちらりと振り返る。

「これから、乗合馬車の金を払いにいこうと思ってたんだよ」

「乗合馬車? えっと、どこかに行くの?」

 フェイが首をひねって尋ねる。少し口ごもっているのは、彼相手に気安く話すことに、まだ慣れていないからだった。一方、ロトはフェイの口調を気にするふうもなく「ポルティエにな」と答える。隣町の名を聞いて、子どもたちは顔を見合わせた。彼らの疑問をくみとったロトが、淡々と続ける。

「知り合いの魔術師が、ポルティエに住んでるんだ。そいつに会いに行く」

「――魔術師!」

 アニーとフェイは、声を揃えてささやいた。ロトは反射のように顔をしかめたが、対してアニーたちは目を輝かせた。

「すごい、魔術師だって。しかもロトの知り合い! ロトって知り合いいたんだ!」

「……おまえ、今、すごく失礼なことを口走ったな」

 今にも大声を上げて騒ぎだしそうなアニーの頬を、ロトがむいっとひっぱった。つねられながら、少女が「ごめんなさい」と謝ると、細い指が頬から離れる。彼女はそわそわしている幼馴染を横目に見つつ、身を乗り出した。

「ねえ、いつ行くの?」

「いつって。明後日から二日か三日の予定だけど」

「えっ。じゃあ、私たちも連れてってよ。ちょうど学院の週末休暇と重なるし」

 アニーの言葉に少年と青年はそれぞれの反応を示した。フェイはぎょっと目をむいていて、ロトは「なんでだよ」と鋭く言う。アニーは唇をとがらせた。

「気になるんだもん。会ってみたい」

 少女の言葉は短く、それでいて強い。便利屋で魔術師の青年は、呆れたような目をして腕を組む。物事を拒絶するときの冷やかな態度をされたが、それでもアニーはあきらめなかった。驚きつつもまだ落ちつきのないフェイを指さす。

「ほら。フェイだって、興味津々、って顔だよ」

「い、いや、アニー、それは」

「気になるんでしょ?」

 アニーは花のような笑顔を向けた。しどろもどろになっていたフェイは、そのほほ笑みの前に観念して、肩を落として「気になる」と呟く。すると、とうとう、ロトも大きなため息をこぼした。

「……学生寮の手続きとか、いろいろあるだろ。そっちは平気なのか?」

「大丈夫だって! 外出も外泊も、あっさり許してもらえることが多いんだって。私、あんまりそういうことしたことないから、実際は知らないけど」

 胸を張るアニーを前にし、ロトはゆるくかぶりを振った。

「それなら、好きにしろ」

 呆れとあきらめの感情がこもった言葉は、雑踏の中にするすると消えてゆく。アニーは「やった!」と大きな声を出すと、フェイの手をとって、通りのまんなかで飛び上がった。やんちゃな学生たちの多いこの場所では、アニーの喜ぶ姿を不思議がる人はほとんどいなかった。

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