4 短い逃走劇

 ななめ前で鋼が光る。考えるより先に手は動く。刃どうしがぶつかって、鋭く跳ねた。アニーは自分自身に、何度も、落ちつけと言い聞かせながら足を動かす。吐き出される息は熱を帯びて、冬のただ中だというのに、汗が吹き出した。

 オルトゥーズにはまだ鈍りが見えない。疲れを知らないのだろうかと、疑わしくなるほどだ。アニーはだから、くじけそうな心をなんとか保ち、彼の剣を防いでいく。その隙間でたまに大きく踏みこむと、無愛想な黒い男性が、眉間に深くしわを寄せた。

 ほとばしる声。少女は後ろへ飛び跳ねる。長剣がかすって血が飛び散る。ちくりとした痛みを無視し、彼女は一瞬、両側をうかがった。そのなかで、目に入ったのは、ポルティエから来た女性の短い手ぶり。その意味がわかるのは、この場では四人ほどだろう。軍で使われる『準備完了』を示す合図。潮時だ。

 アニーは、突っこんでくるオルトゥーズの剣戟をかわす。瞬間、右目の端で図形が弾けて、まばゆい光が空から降り注いだ。強く目を細めてそれらをやり過ごした少女は、風景にチカチカと色が映りこむなかで体を反転させた。

「逃げる気か、小娘!」

 低い怒声が背中を打つ。アニーは振り向いて軽く舌を出したあと、民家の壁際に駆け寄った。応急処置の済んだロトをマリオンが背負おうとしているところだった。あちこちに傷をつくった彼女を見て、眉を曇らせる。

「マリオンさん、無理しない方がいいって」

「……大丈夫。ありがとう」

 再会の挨拶もそこそこに忠告したが、魔術師の女性はほほ笑むばかりで手を止めようとはしない。アニーは、ほかの三人を振り返った。全員がかぶりを振っているのを見とめて、彼女もまた肩をすくめた。そこへ、アレイシャが小走りでやってくる。彼女はアニーたちに話しかける前に、背中の方に隠していたらしい短剣を抜き放って後ろに放つ。金属の響きと舌打ちが重なった。

 同時、彼らは駆けだした。脇目もふらず走り抜ける。そのまま小路を飛び出して、大通りに入った。人々の話し声が、前から後ろへ流れてゆく。好奇の視線の中にわずかな殺気を感じ取り、アニーは苦みをおぼえた。どうも、ルナティアもオルトゥーズも、逃がしてくれる気はないらしい。自分たちがよけいなことを知っているせいなのか、なにか違う理由があるのかは、わからない。

「ど、どうします?」

 クレマンがひきつった顔をアレイシャの方へ向けた。彼女は一瞬眉を寄せたあと、「このまま進みましょう。どこかで、また裏通りに駆けこみます」と言いきった。その後、どうするのかは明かさなかった。それでもアニーたちは、軍人の彼女に何かしら考えがあるのだと信じることにした。

 人混みのなかだからなのか、直接剣や術が飛んでくることはない。それでも、気配は執拗に追いかけてくる。猛獣じみた殺気は、オルトゥーズのものだ。マリオンを囲むような陣形をつくっているから、彼女やロトが背後から斬られることはないとは思うが、緊張はぬぐえない。アニーは唾をのみこんで、ひりつく喉をむりやり湿らせる。

 それからいくら経っただろうか。足も耳も麻痺してきた頃、女性の声が「左!」と叫んだ。アニーはとっさに、遅れているフェイの腕をとって、言われた方向へ飛びこむ。ひとけのない、薄暗い路地。地面を覆う石畳すら古くもろくなっているそこをしばらく駆ければ、やはり二人は追いかけてくる。

 曲がり角が見えたとき、アレイシャが足を止めた。つられて止まりそうになった子どもたちを、彼女は手ぶりで先へうながす。瞬間、あいた左手が腰にのびた。そこから外された筒状のものが目に入り、アニーは細く息をのむ。出かかった質問の言葉は、飛び跳ねた心ノ臓と、今は走れという理性の叫びに押しとどめられる。

 ひたすら走る。角を曲がる。かたいものが跳ねて鳴る。間もなく、細い吐息をうんと大きくしたような音が耳を覆った。後ろで立ちのぼった煙の名残が、アニーたちの方へ少し流れてくる。咳きこまないようこらえていたところで、アレイシャが追いついてきた。

「このまま一気に引き離してしまいましょう」

 彼女のささやきに、全員がうなずき、足を速めた。


 煙がまったく感じられなくなって、少し広い通りに出る。ようやく六人は足を止めて、ほっと息をついた。街路を行き交う人々は、ときおり不思議がって上を見ながらこそこそと話しているが、おおむねいつもどおりに買い物をしたり談笑をしたりしている。そのなかにまぎれこんだ後に、アニーはやっと、アレイシャに問いかけた。

「さっきの、発煙はつえんだんだよね。一回だけ見たことある」

「そうですよ」

「使っちゃって、よかったの?」

 おそるおそる問えば、少尉はひきつった笑みを浮かべた。

「よくないです。街中で、しかも上官の許可なくしゅりゅうだんを使用。始末書ものですね」

 誰もが頬をひくつかせた。固形物のような沈黙が転がる。空気の悪さを感じていないのは、気を失っているロトだけだ。アレイシャは、そのロトを見上げて、皮肉げにゆがめていた口もとをゆるめた。

「でも、後悔はしていません。安全第一、人命第一です」

 言いきる女性の立ち姿には、気負いも迷いもない。そのことに、アニーもなぜだかほっとしていた。誰かがかすかに声を立てて笑うと、アレイシャが「さて」と話題を切りかえる。

「ひとまずはのがれられましたが、まだ安心できませんね。どこか、駆けこめる場所があればよいのですが……」

「うーん。ロトさんの家に行きますか?」

 フェイが、首をかしげて提案する。彼の言葉を静かに退しりぞけたのは、意外にもマリオンだった。

「ここからなら、テッドの家……薬屋の方が近いわ。あそこなら薬も治療器具も揃ってるし」

 アニーとフェイが、同時に目をみはった。一度だけ訪れたことのある薬屋。そのおおまかな道筋と、たたずまいを思い浮かべて、うなずきあう。

「それ、賛成」

「ぼくもです」

 二人が手をあげれば、クレマンとエルフリーデは顔を見合わせてから、「わからないから任せる」と言いきった。しかつめらしく相槌をうち、話をまとめたのはやはり、『白翼の隊』の少尉だった。

「では、セオドアさんのところへ。案内していただけますか?」

 アレイシャはマリオンを見てそう言ったが、フェイがそこで手をあげる。

「あ、じゃあ、ぼくが前に立ちます。ぼくも場所はわかるので」

 先ほどまでと同じ、マリオンたちを守る隊列をつくりたかったのだ。アレイシャたちも意図を察して、すばやく動いてくれる。しんがりはアニーが務めることになり、彼らは一路、緑の屋根の薬屋を目指す。

 ロトとマリオンの今の姿を見たら、セオドアはどういう反応をするだろう。アニーはちらりとそんなことを考える。苦みがおりのように、胸の底へとたまってゆく気がした。首を振る。よけいなことを考えていたら足が止まってしまうから、忘れよう、と思いなおした。

 慌ただしく動く彼らは、しかし葬列のような重苦しい空気をまとって進む。


 その後ろの空を、一羽の鴉が静かに飛んでいることには、誰も気づいていなかった。

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