3 二度目の対峙

 前を行く女性の空気が変わった。気づいたアニーは表情をひきしめながらも、まわりへの気づかいをおこたらない。とはいえ、一番心配だったフェイは、息が上がってきてはいるものの、まだまだ走れそうだ。体力がついてきたのだろうか。自分のことのように嬉しくなる。

 それよりも、今気がかりなのは、女性のほぼ隣を走る少女の方だ。ときどきよろめいてはそこで立ち止まりそうになるエルフリーデをクレマンが支えている。


 途中までは取り乱すエルフリーデをなんとか止めようとしていたのだが、あの瞬く光を見たときから、前に立って走る人はアレイシャ・リンフォード少尉に変わった。彼女は学生でもある子どもたちを巻きこむのを嫌がった。けれども、エルフリーデがあまりにも必死に「連れていってください」と懇願こんがんするものだから、しぶしぶ一緒に行くことを許可してくれたのである。そのときに、彼女が想定する事態に出くわしたときの動き方も話しあった。


「アニー! 悔しいけど、ちょっとの間、頼む!」

 名前を呼ばれ、アニーは我に返った。振り返るクレマンの顔を見て、すぐに少女のことを頼まれたのだと気づく。任せて、と叫び返すと、彼は少しだけ笑った。不安そうにするエルフリーデへ「安心しろよ、少尉さんの手伝いするだけなんだから」と呼びかけてから、石畳を強く蹴った。先頭を走る二人の姿が、ひと息に遠ざかる。アニーは角を一度曲がったとき、友人を見やった。

「エルフィー」

 呼べば、小さなうなずきが返る。

「大丈夫。大丈夫」

「うん」

「……アニー、フェイ。ごめんね」

 謝る少女は、色の悪い唇を震わせる。幼馴染二人は一瞬だけ顔を見合わせて、笑った。二人同時に、気にしないで、というしぐさをすると、紫色の瞳に涙の膜が張る。本当は、彼女が心から落ちつくまでどこかでおとなしくしていたい気持ちがあったが、アレイシャの表情を見るに、なにか重大なことが起きているのは間違いない。エルフリーデはそれを無視することをよしとしないだろう。――それに、先ほどの、彼女の悲鳴の意味も気にかかる。

 フェイのひっくり返った叫びが耳に入った。彼が指さす先には、アレイシャとクレマンの背中。安心したのもつかのま。鉄と生ものが混ざった臭気をとらえ、アニーは顔をしかめる。そのとき、エルフリーデに「止まって!」と言われて驚いた。

「アニー。このまま先に行って。クレマンくんを追いかけて」

 見つめる目には強い光がある。不安で震えていたときとはまるで違うりんとした表情に、アニーはひるみかけた。彼女がいわんとしていることはわかる。それでも足を踏み出すことにためらいをおぼえた。

「でも、エルフィー」

「わたしは大丈夫。だから、行って」

 ふんわりとほほ笑みながらも、彼女のきれいな右手は、空中を叩いていた。光の筋が形を描く。その意味に気づいて、アニーはとうとう一歩を踏み出した。エルフリーデとフェイへ手を振った後は、振り返りもせず走る。

 上着の裏の剣帯けんたいへ手を伸ばす。柄をにぎり、鞘をひいて、勢いよく剣を引き出した。彼女のすぐそばを透明な球が通りすぎる。それはやがて、そう遠くない場所で澄んだ音を立てて砕けたようだった。薄い闇のなか、敵影てきえいを見つける。先ほどの硝子のような音にひるんだのだろう。一瞬だけれど、動きが止まった。じゅうぶんだ。

「クレマンっ!」

 喉がひきつっても構わず、敵と向きあう少年の名を呼んで。アニーはひと息に踏みこんだ。彼めがけて振り下ろされる剣を見る。早い。それでも間にあわない距離ではない。叫びに気づいたクレマンが、大きく後ろに跳んだ。いい反応。相手はそこへ追撃をかけようとしたが――跳ぶように駆けたアニーが、長剣を思いっきり横に弾いた。なかなかに無茶な動きだったが、どうにかうまくいった。ひとまず敵から距離をとり、汗だくの少年をかばうように立つ。

「平気?」

「な、なんとか……」

 答える声が震えているのは、疲れのせいではない。視線で彼の方をうかがえば、クレマンは唇を軽く噛んでから、息を吸った。

「アニー、気をつけろ。勢いで飛びこんじまったけど……そいつ、やばい」

「うん」

 アニーは、暗がりの中の影をにらみつける。黒い髪に黒い瞳。前時代の貴族を思わせる衣も黒で、すそにほどこされた金のしゅうだけが光っている。黒鞘から引き抜かれた長剣には、赤茶色のものがこびりついていた。かけらも動じていない彼の姿に、いやでもあの日の緊張がよみがえる。

「――知ってる」

 アニーの言葉に、クレマンは素っ頓狂な声を出した。申し訳ないけれど、彼に説明している時間はない。アニーは暴れる心ノ臓を落ちつけてから、敵に向きあった。彼は、オルトゥーズは面倒くさそうに肩をすくめる。

「そのガキはおまえのお友達か。手癖が悪いところはよく似ている」

「あんたに言われたくない」

 構えて立つ。クレマンに、小声で呼びかける。彼は目ざめたような顔で、民家の壁際に駆け寄った。なにもかもを壊してしまいそうなほどの怒りをむりやり押さえつけ、アニーはオルトゥーズをねめつける。

「ひとつ、訊く」

「なんだ?」

 アニーは、手の骨が浮き出るほどに強く、剣をにぎりしめた。

「おまえ、ロトに何をした」


 見えていなかったわけではない。いや、ずっと見えていた。気づいていた。クレマンが誰かとぶつかりあっているとわかったときから。その「誰か」がオルトゥーズだと見て取ったときから。

 知りたくなかった。認めたくなかった。なんだあれは、と、頭の中で悲鳴が上がった。

 壁際にうずくまったロトは、意識はあるらしかった。ときどき、激しく咳きこんでいる。吐き出されたものの中に赤が混じっていることに気づき、アニーは怒りと恐れを同時に抱いた。駆け寄ったクレマンが呼びかけると、ほんの一瞬ものすごく驚いた顔をしたあと、目を閉じた。全身から力が抜ける。

 ひどいありさまだ。色白の体には深い傷がいくつかあった。なぜか血は止まっている。それでも、おそらくは逃げられない体で、オルトゥーズに対して必死に抵抗したのだとわかる。


 オルトゥーズは、アニーの質問に、すぐには答えなかった。少しの間、ロトの状態を確かめている少年の背中を退屈そうにながめてから、また剣を構える。

「俺はただ、面倒なものを始末しようとしただけだ」

 どこか疲れのにじんだ声音。今まさに人を殺そうとしていたというのにのんきな男に対し、アニーは今にも斬りかかりそうになった。腹に力を入れて、かろうじてこらえる。その間に、オルトゥーズが右側を見やった。

「そもそも、あいつを今のありさまにしたのはルナティアだ」

「……ルナティア……!」

 弾かれたように振り返り、アニーは息をのむ。銀髪の女性は、アレイシャと対峙していた。アレイシャはおそらくルナティアを止める気でいただろう。が、ほほ笑んでいるところを見る限り、あの女性に軍人の言葉を聞く気はないらしい。

 方陣が弾けると同時、アレイシャは一度軍刀をさげて跳んだ。それから、後ろにいるマリオンに何事かを話しかけて、ついでになにかを放っている。

 そう、マリオンがいる。アニーが気づいて目をみはった瞬間、前から殺気がほとばしった。アニーはとっさに後退して、打ちこまれた剣を受けた。刃のむこうで、オルトゥーズがわらう。

「よそ見をしている場合か。前に死にかけたというのに、変わらんな」

「――うるさい!」

 アニーは怒鳴りながらも、相手の剣に対抗する。カタカタと鳴りながら押しあった刃は、やがて耐えかねてお互いを弾いた。二人がそれぞれ半歩後ろにさがったとき、アニーの後ろから悲鳴じみた声がする。フェイとエルフリーデだ。オルトゥーズが一瞬、そちらをにらむ。アニーはすばやく踏みこんだ。相手の眉間を狙った突きは、剣を使わずに避けられる。けれど、時間は作れた。二人はクレマンに呼ばれ、大慌てでロトのもとへと走っている。

 そのとき、アレイシャの声がした。

「みなさん! 先ほど話したとおりに!」

 アニーは、オルトゥーズから目をそらさずにうなずいた。わかったという合図を送るひまもないが、アレイシャはそれがなくてもわかってくれるだろう。ひとまずは目の前の相手に集中することに決める。狂った男と、狂気を隠し持った少女は、またぶつかりあう。ふた振りの剣が交差した。



     ※



 民家の壁に背をあずけて、ぐったりしている青年を見た瞬間、エルフリーデが今にも泣き叫びそうな顔をした。フェイも、頭がまっしろになりかけていた。二人を今にとどめたのは、意外にもクレマンだった。彼の指示をもとに、三人はできる限りの応急処置をしようと頑張った。クレマンの指示は的確だった。なんでも、戦士科では戦場での応急処置のしかたなどを学ぶ「衛生」の講義や実習があるらしい。学院の講義が思わぬところで役に立つ。しかし、クレマンは「人形と本物の人は全然違う」と、青ざめた顔で呟いた。

 不思議なことに、深いはずの傷は、すでに血が止まり、端が治りかけていた。腕輪がないことに気づいたフェイは、縮みあがりそうになったが、代わりなのか、ロトの手首には黒い蔓草つるくさ模様のようなものが走っている。ひとまず呪いの方も心配はなさそう、と安心したが、そこでエルフリーデが、それよりもまずいことがある、と言った。

「魔力が、むりやりひっぱりだされたみたいな感じがするの」

「……なんかまずいのか?」

 クレマンが、傷を確かめながら首をひねる。その隙間でフェイはロトにひたすら呼びかけていた。かすかながら反応はある。とりあえず意識もあると胸をなでおろすが、エルフリーデの表情は晴れない。

「フェイやクレマンくんみたいに、ほんの少ししか魔力がない人は、魔力が急になくなっても、どこもおかしくならない。でも、わたしたちは違うの。おじいちゃんが言ってたわ、魔力持ちにとっての魔力は、血と同じくらいだいじなんだって」

「それって……」

 血と同じくらい、と言われて、少年たちは唐突に理解する。戦いなどで血を流すと動きが鈍くなることがあるし、血を出しすぎると、死ぬこともある。血が足りなくて倒れるような人もいる。魔術師たちにとって、魔力がなくなるということは、それと同じだと。とたん、クレマンが青ざめた。エルフリーデが続けようとしたところで、後ろで布のこすれる音がする。

「ロトがぎりぎり助かったのは、腕輪で魔力のほとんどをおさえつけていたおかげよ。そのかわり、とられた魔力を補おうとして、残りが暴走しちゃったけど。ふつうの魔術師なら、即死だわ」

 荒い息づかいとともに添えられた言葉に驚いて、三人は振り返る。マリオンが、フェイのすぐそばで膝をついていた。手にしている袋の口をゆるめて、中から傷の手当てに使う布などを取り出している。道をあけながら、フェイは顔色の悪い彼女を見上げた。口を開いたとき、瑠璃色の目がちらりとほほ笑む。

「ありがとうね。すごくびっくりしたけど、助かった」

「い、いえ。それよりも、マリオンさんも、けが……」

 彼女はロトほどひどいけがはないが、あちらこちらに細かい傷が走っている。衣服もところどころ破けていて、目をそむけたくなる痛々しさだった。それでも、マリオンはかぶりを振る。

「あたしは平気。ロトに比べたら、こんなの、けがのうちにも入らない」

 フェイは思わず言い募ろうとした。けれど、マリオンは聞く耳を持たなかった。一度、唇をかんだあと、青年の傷を確かめて手当てしていく。その動きにはよどみがない。剣の音が聞こえても、魔術の光が弾けても。

 ややして、彼女は手をとめた。袋の口をきつく縛る。すばやく振り向き、手ぶりでアレイシャたちへなにかを伝えたようだった。フェイにはなにかがわからなかった。振り向けばエルフリーデも、首をかしげていた。

 それでも彼は、その合図ひとつで小路の空気が変わったのを感じて、息をのんだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援した人

応援すると応援コメントも書けます