第四章 呪いと魔女

1 鴉はわらう

 少し息を吸うだけで、強い薬草のにおいが鼻をつく。アニーは顔をしかめたあと、うつむいた。床のしみを数える趣味などないけれど、この空気の中だと、自然そうして気をまぎらわせたくもなる。かたわらにいる黒髪の少年が、ときどき頑張って言葉をひねり出しているのだが、今の状況でそれは必要ないだろうと、少女は思っていた。かといって、黙りこめばよけいなことを考えてしまうのだから、少年が必死になるのもしかたのないことかもしれなかった。

 なんとはなしにまわりを見る。薄暗い部屋に、ほんの少しの明かりを灯すのは、古く曇った行燈ランプだ。所狭しと並ぶ棚には、見慣れないものが詰まった瓶や箱が隙間なく置かれている。薬くささはこれのせいもあるが、奥から流れてくる薬草のくさみが、においをより濃くしているのは間違いない。

 ヴェローネルの一角に、ほかの建物にまぎれてたたずんでいる薬屋。北の大陸から渡ってきたという男性が経営するそこを、アニーとフェイは一度だけ訪ねたことがあった。『便利屋』の青年と出会って間もない日のことは、昨日のことのようにも何年も前の出来事のようにも感じられる。


 その男性、セオドアは、アニーたちが駆けこんでくると、目玉が飛び出そうなほどに目を見開いて驚いていた。ロトの様子を見るや、手にしていた小さなすり鉢を台の上に落としてしまったが、すぐに冷静な医者の顔になり、彼を奥へ連れてゆくように指示した。薄い扉でへだてられた場所では、今も治療が続いているのだろう。


「その服、つくろっておきましょうか?」

「いいわよ、そこまで。あとで自分でやるから。……ありがとう」

「いえ」

 ささやきが耳に入り、アニーは弾かれたように顔を上げる。近くに座ったアレイシャが、マリオンの膝の上の黒衣を見ていた。軍人の厚意をやんわりと退けた魔術師は、いつもと変わらずほほ笑んでいる。手当ての跡も相まって、今はその笑顔が痛々しかった。

 少し離れたところでは、不安げなエルフリーデにクレマンが一生懸命話しかけていた。先ほどから彼の声が聞こえるのは、そのせいだった。一応、努力のかいあって、友人の表情は少しずつほぐれてきているらしい。なごやかに談笑する姿に、場違いにも胸をなでおろしたアニーだった。隣を振り向けば、ちょうどフェイと目があって、笑うような泣くような顔で見つめ返された。

 ぎこちない空気が薬屋を包み、大声を上げることも、物音を立てることすら嫌がるような雰囲気をつくっている。アニーが薬瓶をながめながら身じろぎしたとき、金属の動く音がした。奥の扉が静かに開いて、薬屋の店主が出てくる。前はよく動いていた黒い目は、今は薄い影のなかでじっとしている。この数刻で一気にやつれてしまったようにさえ思えた。アニーがびっくりしてひるんでいるうちに、マリオンが飛びつくほどの勢いで、彼に駆け寄った。

「テッド、ロトは」

 セオドアは、勢いづいているマリオンを見やると、その頭に優しく手をおく。父親が娘を慰めるときと同じ優しさが垣間見える。

「……一命は取り留めた。おまえさんの推測どおり、腕輪に封じられていた魔力が残ってたおかげだな。そいつが一気に吹き出したんで、傷もほとんどふさがってる。ただ、かなり弱ってるからな。まだ目を覚ましてないし、数日起きねえかもしんねえ」

 淡々と告げたセオドアは、黒い頭においた手をぐりぐりと動かした。マリオンは、物言いたげに口をぱくぱくさせたが、ややして重々しく黙りこむ。うつむいてしまった娘を、薬屋は小突いた。

「ま、あいつなら大丈夫だろう。いつまでも落ちこんでんな。かわいい幼馴染がそんな顔してちゃ、ロトが、起きたときによけい心配するぞ」

 彼女は小さくうなずいた。けれども、声はなかった。セオドアは、一瞬顔をしわだらけにゆがめた後、残りの五人を見やる。

「久しぶりの顔が揃ってるねえ。慌ただしくて挨拶もできなんだ。悪いな」

「いえ。こちらこそ、突然押しかけて申し訳ありませんでした。ありがとうございます」

 アレイシャが直立不動の姿勢をとると、薬屋は声を立てて笑う。それまではりつめていた場が、ようやくふっと緩んだ。何人かが、ため息をこぼす。セオドアは、それから一言二言、軍人と会話した。黒い目はすぐに、ぐるんと動いてアニーたちを振り返る。

「おまえさんらは、ちゃんと会うのは、春先以来だな」

「は、はい」

「お久しぶりです!」

 アニーとフェイまで背筋を伸ばしてしまった。セオドアは、にやりと唇をゆがめる。

「相変わらず元気のいいこって。さっきの様子を見る限り、ずいぶんロトと仲良くなったようだが」

 二人は思わず目を合わせ。それから、思いっきり笑ってみせた。このつらい状況の中でできる、せいいっぱいの笑顔を作る。

「いろいろと、本当にいろいろと、お世話になってます」

 小さな黒眼が、さらに小さくなった。固まっていたセオドアはしかし、わずかに顔をそむけると、「そうか」とささやく。声が少し震えていることに気がついたのは、たぶん、アニーだけだ。彼女は息をのみかけて、けれどもそれを言葉に変える。

「ところで、おじさんが前に言ってたロトの『女房』って、マリオンさんのことですよね」

 瞬間、フェイが思いっきり視線をそらし、マリオンは前のめりになった。セオドアはしばらく呆けていたが、すぐに思いだしたのか、楽しげに両手を叩く。

「よくわかったなあ、嬢ちゃん」

「ちょ、テッド、うそ、あんたそんなこと言ったの!?」

「いいじゃねえか。おんなじようなもんだろ」

「ち、ちがっ、違うわよ!」

 マリオンはそのまま、セオドアに向かって何事かをまくし立てはじめた。顔がまっ赤になっていることに、彼女自身は気づいていないだろう。取り残された人々はとりあえず、父娘のような二人のやり取りをほほ笑ましく見守った。アニーは、「うらやましい」と呟いたクレマンの頭を叩いておいた。


 ようやく鬱屈とした気分から抜けだしたところで、セオドアがマリオンに状況の説明をするよう言った。彼女はひとつうなずいたあと、理路整然とこれまでのことを話してくれる。アニーたちがわかっていたのは、ルナティアとオルトゥーズが二人に手を出した、という事実だけだった。今になってようやく詳しいところを聞くことができたのである。

 マリオンの話が一段落すると、薬屋には気まずい沈黙が漂っていた。ひたすら黙っているしかなかったそれまでとは違って、誰もが言葉を探しているような雰囲気。

 口火を切ったのは、小机にお茶の器を並べていたセオドアだった。

「魔力を奪う、か。にわかには信じられんが……。それが本当なら、ヴェローネルを覆ってた変な魔力も、その女のもんだろう」

「断言なさるのですか」

 お茶を受け取って感謝を述べたアレイシャが、そのまま首をかしげる。セオドアは、少し顎を動かしてから、わずかに光を取り入れている小窓を指さした。

「あれは、なんつーかな、何人もの魔力をぐちゃぐちゃにしたような感じだったから。人から奪ったもんを自分の中に入れてるんなら、多少強引だが、説明はできるだろう」

「そういえばテッド、そういう分析は得意だったわね」

 感心のこもったマリオンの言葉に、セオドアは「術はへたくそだけどなあ」と、陽気に返す。大人たちのやり取りを必死に聞いていたフェイが、ようやく、口をはさむべく器を置いた。

「ええっと。つまり、今のルナティアさんは何人か分の魔力を体の中に持ってるってことですか? そんなことができるんですか」

「できねえよ。ふつうなら。自分じゃない人間の魔力を取り入れるのなんて、一人が限界だ。それだって、長い時間やっていいことじゃない。無理すると体が内側から破裂するらしいぜ」

 フェイが、細い悲鳴を上げて縮みあがる。アニーも「内側から破裂する」様子を想像してしまい、首をすくめた。ごまかすようにお茶をすすれば、少しのしぶみと苦みが口の中を満たす。そのとき、年上の女性二人が頭を抱えるのが見えた。

「そのうえでロトさんにまで……何がしたいんでしょうか、あの方は」

「でも、何かな。ロトの場合は特殊というか、今までとは違うような口ぶりだったわ。『これがないと始まらない』とか、言ってたし」

 クレマンが首をひねる。

「始まらないって。前みたいに変な生き物でも作るのか」

 彼は頼るように三人を見まわしたが、子どもたちとしては首を振ることしかできない。なんとなしに小窓の方を見やったアニーは、そこで一羽のからすが毛づくろいをしていることに気づく。少しの間、ぼうっとそれをながめてみたが、鴉に質問できるわけではないし、何一つひらめかない。しかたなく目を戻した。

「なんでわざわざロトさんの魔力だったんだろう」

「うーん……言われてみれば……。強い魔術師なんてほかにもいるし、それこそマリオンさんでもよかったじゃん」

 お茶を飲みながらの幼馴染の呟きに、アニーはしかめっ面でうなずいた。その後、はっとしてマリオンを見上げる。他意はなかったが、今の言い方はきつかったかもしれないと思ったのだった。慌てる少女に、女魔術師はやわらかくほほ笑んで手を振った。

 とはいえ、疑問は何一つ解決していない。気まずさからまた器に手をのばしたアニーは、直後、その手をひっこめた。一瞬、首をちくりと刺すような感じがしたのだ。振り返ろうとしたとき、耳障りな羽音が聞こえてくる。先ほどの、小窓の方から。


『あの魔女気取りが狙ってるのは、小僧の魔力じゃない。私の魔力さ』


 突然、割って入った声に、誰もが驚いてかたまった。しわがれた老婆ろうばの声は、この場の誰のものでもない。アニーはすぐに小窓をにらむが、そこには鴉がいるだけだ。黒い目に見つめられると、気ががれた。先ほどの声はなんだったのか。アニーは思わず立ちあがって、鴉の方へ近づいた。

「何、今の。おまえがしゃべったの?」

 手を振ってみるが、返事はない。うーん、とうなった少女は、そのまま黒い羽毛に手をのばし、

「だめっ!」

 金切り声に、止められた。羽に触れようとしていた指が、ぴくりと震える。アニーが振り返ると、マリオンがまっさおになって、そばに寄ってきた。

「マリオンさん、どうし――」

「そいつから離れて、早く。アニーまで呪われたら大変よ」

「え? 呪いって」

 目をみはる、こわばった視界に映る鴉は、それまでより大きく感じる。アニーが凍りついたとき、くちばしがわずかに開いた。まるで、笑っているようだった。実際に、少し遅れて老婆の笑い声が聞こえてくる。

 何かがおかしい。アニーは小さな手で、くらくらしてきた頭を押さえた。かろうじて小窓から目を離さずにいると、鴉の目がマリオンの方を見やった。

『失礼だねえ。触れたものすべてを呪うほど、わたしゃ短気じゃないよ。こんなわっぱを呪ったところで、なんの得もない。違うか、え?』

 また、しゃべった。今度こそ、呆然としていたほかの人たちも立ちあがる。マリオンが、鴉を鋭くにらみつけた。

「子どもを呪っても得がない、ね。三歳児を呪った人の言うことかしら」

 鴉は――正体不明の老婆は――楽しげに喉を鳴らす。彼女らのやり取りに目を白黒させていたアニーはけれど、そこで小さく声を上げてしまった。鴉がなんなのか、わかってしまった気がした。肩をつかんでいた女性の手をそっと払って、石の床を踏みしめる。

 じわりと汗が吹き出してきた。こらえて、深呼吸をして、鴉に向きあう。

「あなた、だれ?」

 かろうじて質問できたが、その声はかすれていた。鴉に意識を集中させようとしたアニーは、突きあげてきた恐怖に動かされて、後ずさりしそうになる。ひたと見つめてきた鴉の目は、いつの間にか、ぼんやり赤く光っていた。

 血の気が引く。冷えた指が震えだす。知ってはだめだという警告と、知らなければならないという意地が頭の中でせめぎあう。

 そうしているうちに、くちばしが開いた。

『なに。私はただの魔術師さ。外の連中には、“漆黒の魔女”と呼ばれているがね』


 マリオン以外の全員が、唖然とする。

 驚きによってもたらされた沈黙のなか、あっさり自分の正体を明かした鴉は、羽をばたつかせて、カァッと鳴いた。

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