2 彼女の思惑

『漆黒の魔女』。ヴァイシェル大陸が東南の、黒い針葉樹林にすむといわれる『五色ごしきの魔女』の一角。色の通り名をもった五人の魔女のなかで、もっとも人の世と関わることを嫌い、そのためにもっとも謎が多い魔女といわれている。住処すみかの森林に一歩でも踏み入った者は、強力な呪いを受けて、数日のうちに死んでしまう。

――というのが、人々の間に広まっている知識だ。アニーも最初に魔女の話を聞いてから、少しそれらに気を配るようにはしていたので、なんとなく知っている。けれど、まさかその、五色のうちで一番外と関わるのが嫌いな魔女が、目の前にいるというのは信じがたい話だ。声高に名乗った鴉を食い入るように見てしまう。


「こ、こいつが……漆黒の魔女だあ?」

 すべての音をのみこむ沈黙を震える声が打ち破った。セオドアが、不信感をあらわにしてアニーと同じ方向を見ていた。目を赤く光らせた鴉は、日向ぼっこを楽しむような態度である。

『そうさ。見たところ、おまえもうちの大陸の出だね。あの争いから逃れた連中の一人か』

 呟きは、弾んで響く。この魔女も一応、自分のいる大陸で起きた事件は把握しているらしい。妙に冷静な頭で考えたアニーは、すぐにかぶりを振った。今、大事なのはそんなことではない。

「うそでしょ。魔女って。あり得ない。だって鴉だし」

『ひとを見た目で決めつけるな、と習わなかったかい? 小童』

 老婆の言葉が胸に刺さる。アニーが言葉に詰まっていると、エルフリーデが横から不安げな視線を向けてきた。

「で、でも。あの鴉、変な感じがする。王都で見た、竜みたいな」

「ええ?」

 アニーは眉をひそめてしまったが、友人の隣ではアレイシャがしきりにうなずいている。二人を見やり、鴉が満足げに鳴いた。

『確かに、多少《爪》と似ているがね。違うのは、鴉が魔力のかたまりじゃなく、本当の鴉だということだ。私自身は今、自分の住処にいるけどね、この鴉を通してあんたたちを見てんだよ。……ああ、視覚やら聴覚やらは、ちょっといじらせてもらったが』

 語る彼女の口調は、楽しい遊びを思いついた子どものもののようだった。それを聞き、魔術師たちがそろって目をむく。

「おい、こら、ちょっと待て。そんなむちゃくちゃなこと、できてたまるかよ」

『そこらの魔術師には無理だろうね。私にとってはほんのお遊びみたいなもんだ』

 セオドアがうめけば、老婆の声が笑う。ひきつった音を聞き、アニーは全身を震わせた。そして、ようやく、この鳥は――この女性は魔女なのかもしれないと、思いはじめた。

『ちょっとなら、術を使うことだってできる』

「それでさっき、ロトの呪いをおさえたのね」

 歌うように口にした『漆黒の魔女』へ、マリオンが険しい声を突きつける。魔女はまったく動じず、羽を鳴らした。『そうだよ。感謝してもらいたいものだ』とあっさり認めた鴉の魔女を瑠璃色の瞳がにらむ。

「どういうつもり? 殺すために呪ったんじゃないの」

 魔女は、少し考えるそぶりを見せた。それから、鳥らしく俊敏に頭を上げる。

『簡単に言えば、今死なれては困るから生かした。それだけだ』

「それだけって……」

『けど、そこで終わらせてはおまえたちは納得しないんだろう? だから一から話そう。私の探し人はまだ寝ている最中のようだしね』

 くつくつと笑う鴉に刃のような視線が集まる。マリオンだけではなく、誰もが敵愾心てきがいしんと警戒心をあらわにしていた。まんじりと鴉を見ていたアニーもだ。しかしアニーは、魔女が話を始める気配に気づくと、深呼吸して椅子に座りなおす。

 間もなく、くちばしが人の口のように動きはじめた。

『事の始まりからがよいかね。むかーしむかし、のお話になってしまうが、しょうがない。

五色の魔女と呼ばれる私らには、いくつか共通点がある。

ひとつは外の世界が嫌いだから閉じこもっていること。ひとつはそこらの奴らより長生きなこと。ひとつは、魔術をきわめてきわめて、並みの魔術師じゃ扱えないようなわざをいくつも生み出し、隠し持っていること。

けど、今よりずいぶん昔にね、この大陸の魔女のわざ、その一部が、外の魔術師に盗まれた。そいつらは、エリザース帝国とかいうところの術師だと名乗ったそうだ』

 思わぬ昔話の出だしに、人々は愕然とした。



     ※



 外の術師が、この大陸の魔女、つまり『橙色とうしょくの魔女』の持つわざを盗んだ。どうやってかは知らんね。

 で、連中は盗みだしたわざをあれこれ研究して、ずいぶん好き勝手やってくれた。戦争に使ったり、力を高めた魔物を城や神殿の番犬にしたりね。『橙色』本人や私らは、一時期その対処に明け暮れてた。この街の近くの番犬が暴れ出したときに、やりあって眠らせたのも私だよ。奴らめ、盗んだわざのおかげでどんどん魔術を高めてゆくもんだから、どうなることか誰もが気をもんだけど、そんな勝手な連中がいる帝国も、そのうち滅んだ。


 これでようやく落ちつくか、と一息ついた。が、まあ、甘かったね。


 帝国がなくなってから少しして、帝国が生み出した魔術を何者かがあちらこちらで使いはじめた。そいつは短い間だけ暴れると、すぐ煙のように姿をくらました。それを繰り返したもんだから、そいつの正体がなかなか突き止められなかった。


 最初は黙って見てたんだけど、そいつがどうも私ら並みに長生きだったようでね。やがては、術を使うことにいたかのように、魔女のわざを盗み出しはじめた。かつての帝国のように。それより、もっとずっと巧妙に。


 私はその頃、居所を知られていなかったから、わざを盗まれずに済んだ。しかし一度――三十年か、二十五年か、そのくらい前だね――奴がヴァイシェル大陸に姿を現したことがあった。次は自分かと身構えたね、そりゃあ。

 五色の魔女は発明家みたいなもんだ。長い長い時間をかけて生み出した術を、自分の手柄をとられるのは、あたりまえだが嫌だった。それに、私らのわざは外でむやみに使われると、ろくなことが起きないんだよ。今回小僧の魔力を奪った術だってそうだ。恐ろしさはわかるだろう?


 いよいよ危ないと思った私は考えて、盗人ぬすっとの行動を逆に利用することにした。

 よくよく、そいつのことをながめているとね。なにかを探しているみたいだったのさ。

 帝国時代の魔術をあちこちにばらまくのも、まるで実験のようだった。魔女のわざを盗みだしては、それを試して回っているふうでもあった。だから、そいつは魔女のわざをもとにしてなにかを生み出すか、なにかを見つけるかしたいんじゃないかね、と、推測した。


 だったら、こちらから、研究材料を提供してやろうじゃないか。そう思いついてね。……おやおや、そこの小童は頭が弱いのか? ちゃんとついてこないと置いてくよ。

 なに。要は釣りと一緒さ。盗人の目的は知らんが、とにかく我々のことを知りたがっている。なら、それを調べられるものをこっちから野に放ってやる。釣りでいうところのえさだ。こちらから餌を向かわせれば、獲物はそれに食いついて、正体をあらわす、というわけさ。

 何がいいかといろいろ迷ったんだがね。――おまえたちが言うところの『呪い』をかけることにした。


 けど、いつものように侵入者を呪ったんじゃ、大抵は簡単に死なれちまう。それは困る。だから、私の呪いに耐えられるような強い人間を探しだして、こちらから呪いをかけに向かってやることにした。



     ※



『そうして何年か、《爪》を外に放ちながら探していたときに、森林のそばを人が通りがかった。近くの村の連中だった。私は、その中にまじっていた二人の子どもに目をつけた。女子おなご稚児ちごだ。どちらにしようか迷ったが、より大きな魔力を持っていた、稚児を選んだ。幼い子どもはすぐ死ぬかもしれなかったけど、一度耐えてくれればその後は長持ちするから』

 魔女の話し声がぶきみに揺れる。アニーは気づけば、息をすることを忘れて聞き入っていた。

 胸がざわつく。手指がわななく。その先は、聞きたくない。

『そいつらは自分から近づいてくれそうになかったからねえ。大人どもが目を離したすきに、ひょうのかたちの《爪》を向かわせて、“呪い”をかけた』

 鴉のつぶらな目が、ぐるり、と人々を見回して。呆然としている女性の前で、視線が止まる。

『――後のことは、おまえの方がよく知ってるんじゃないかねえ? 小娘や』

 遠回しに呼ばれたマリオンは、肩を跳ねさせた。彼女は少しの間、口を開いたり閉じたりしていたが、結局、言葉は出てこなかった。マリオンだけではない、誰も、なにも言えなくなっていた。魔女だけが凍りついた人々をながめておもしろそうにしていた。

『まあ、いい。とにかく狙いどおり呪いはかかり、小僧は生きのびた。途中で大陸の人間が仲間割れなんぞ起こしてくれたが、それも私にとってはいい方向に働いた。盗人がそのときいた大陸へ、餌がみずから飛びこんでくれたのだからね。長い時間がかかったが……ようやく、釣り上げてくれた』

 つぶらな瞳が、笑みのかたちにゆがんだ。鴉が笑うはずなど、ないのに。

『今日は、その礼をしにきたんだよ。今は本人不在だけれどね』

「――ちょ、ちょっと待って!」

 叫び声が、凍てついた空気を切り裂く。みんな、振り返った。唇をかみしめて、気の毒なほど顔をこわばらせているマリオンを。彼女は何度か深呼吸をした後、紫色の唇を動かした。

「つまり、なに? あいつは、森を侵したからでもなく、あなたに無礼を働いたからでもなく――あなたの目的のためだけに、呪いを……」

『そうだね。だから言っているだろう、餌だと。おっと、おとり、と言った方が、まだ聞こえがよいか』

 当然のこととして、漆黒の魔女は答えた。マリオンは、なにもこたえない。うつむいた。長い黒髪のせいで、アニーのところからでは表情がわからない。

 冬といえど、いや、だからこそ、薬屋のなかでは明かりが入れられ、火がかれていて、外よりは暖かくなっている。だというのに、今は身震いするほどの寒気が足もとからはい上がってきていた。


 まずい。このままだとよくないことが起きる。直感したアニーはマリオンを振り返り、口を開いた。しかし、声が出る前に、黒衣が揺れた。マリオンが立ちあがったのだと遅れて気づいた。

「……るな」

 ぼそりと、マリオンがささやいた。聞こえるか聞こえないか、というくらいの言葉。すぐに火がつき、それは部屋を揺らすほどの叫びに変わる。


「ふざけるな!」


 瑠璃色の瞳が、魔女に向けられる。怒りをたたえて涙の膜が張った目を魔女はどうでもいいもののように見ていたけれど。アニーたちの方は、涙まじりの絶叫に縮みあがっていた。セオドアやアレイシャでさえ、唖然としている。その間にも、マリオンは乱暴な足取りで、小窓へ近づいてゆく。

「人をなんだと思ってる……。その呪いひとつで、ロトがどれだけのものを失ったと思ってる! あれがなければ、村が焼かれたときだって、船の上でだって、つらい思いをせずに済んだかもしれないのに!」

 細い手が鴉にのびる。鴉はとっさに飛び上がった。かわりにその手は窓枠に叩きつけられた。細い木材は、苦しげにきしんだ。

「痛がってた、苦しんでたわよ、ずっと! あいつ、強がりだから顔には出さない。無理して冷静にふるまってた。それでも苦しかったんだ、ロトも、ロトを見てるまわりの人たちだって! でも、なにかしらこっちに理由が――呪われるだけの理由があったんなら、まだ納得できると思った。だからずっと、呪われた理由は知りたかった。知りたかった、けど……」

 彼女の全身から力が抜ける。アニーはとっさに立ちあがっていたが、すぐには動けなかった。対して、鉄砲玉のように飛び出したのはセオドアだ。その間にも、悲痛な声が部屋じゅうにこだまする。

「結局、ぜんぶあんたの都合じゃない! そっちの勝手で、あんな目にあって……あんな思いをして……!」

 声は、ひきつってとぎれる。そのかわり、腕が動いた。宙をはしる光を見てはじめて、アニーは彼女が方陣を描いているのだと気づいた。体がすっと冷える。いくらマリオンでも、五色の魔女相手に魔術でやりあって、勝てるとは思えない。あの魔女は、なにもかもがふつうではない。

 鴉から響く老婆の声が、厳しくなった。

『ほう? やる気か、小娘』

 マリオンは返事をしない。嗚咽おえつににたなにかだけが不安定に響く。鴉は退屈そうに羽を鳴らした。

『怒りに任せて力をぶちまけたところで、どうにもならんと思うがね』

「魔女にはわからないでしょうね。こういう、人間の気持ちは」

 マリオンのささやきは、今までと違って低かった。血を吐くようなすごみがあった。今にも戦いの態勢に入りそうなマリオンをセオドアが後ろから押さえつける。それでも、彼女の手は止まらなかった。方陣がほとんど描き上がる。それが、強い光を放って――術になる前に、跡形もなく消えた。

『私に術で挑もうとは。いい度胸じゃないか』

 アニーには、なにが起こったか、最初はわからなかった。けれど、呪いに似た気配が風に乗って漂ってきたことで、察した。どうやったかは知らないが、あの魔女は、方陣を一瞬で消したのだ。アニーはもはや震えることすらできず、石像のように立ち尽くす。セオドアが、かろうじて「よせ!」と叫んだが、それはどちらの女性にも届かなかった。

 殺気と魔力がふくれあがる。マリオンが、先に鴉に手をのばした。

 つぶらな瞳が細る。そのときはじめて、老婆の怒った顔が見えた。

 どちらもが動こうとした。アニーはようやく金縛りが解けたかのように窓辺へ駆け寄る。何ができるかわからないけれど、とにかくなにかしなければ。ひとまず、マリオンに触れようと前のめりになった。心ノ臓がうるさく鳴るなかで、かすかに扉の開く音を聞いた。


「マリオン、やめろ!」


 かすれ声が、部屋じゅうを打ちすえた。行燈ランプの炎が揺れる。

 吸い寄せられるように振り返り、アニーは今日何度目になるかわからない驚きで、動きを止めた。ほかの人たちも同じだったらしい。誰も、物音を立てなくなって、あたりが静まりかえった。

 薬屋の奥。今まで閉ざされていた扉が前へと開き、よろめきながら、青年が出てきていた。顔色は悪い。額には脂汗がにじんでいる。それでも、必死に体を動かして、ときどきつまずきながらこちらへ走り寄ってきた。

「ロト、さん?」

 ぼうっとしながらも、アレイシャが名を呼ぶ。同時、セオドアが取って返してきた。ふらりと大きく傾いた青年の体を慌てて支える。

「馬鹿野郎! そんな体で起きてくんじゃねえ!」

「……つったって……ぶち切れたマリオンを止められるのなんて、俺くらいだろうが」

 浅く息をしながらも、ロトは頭を持ちあげる。薬屋に支えられたままで、幼馴染の前まで歩いた。名前を呼ばれ、つらそうな青年の顔を間近で見たマリオンは、あげていた手を力なくおろす。きれいな横顔はくしゃりとゆがんだ。

「ロ、ト」

「あー。まあ、なんだ。心配させて悪かった」

 ロトは、らしくない作り笑いをしてそう言った。今にも泣き崩れそうなマリオンの頭を雑に叩いたあと、わざとらしいため息をつく。

「でも、今のはちょっとやりすぎだ。おまえが先に爆発してくれたおかげで、俺が怒鳴れなくなっただろうが」

「――ごめん」

「俺だって当事者だからな。恨みごとのひとつやふたつ、三つや四つは言いたいんだよ。まず話をさせろ」

 ロトは、それから深呼吸をして額を軽くぬぐった。どこからどう見ても病人の姿だ。今しがた目ざめたばかりなのだろう。けれど、それにしては魔女の鴉に驚いているふうではない。アニーがそれを問う前に、青年は窓辺の鴉に細めた目を向けていた。

「直接会うのははじめてか? 漆黒の魔女」

 子どもたちは、いっせいに身を縮める。――ロトの声は、地をはうように低く、静かだ。本気で怒ったときの響きである。けれども魔女はひるんでいない。それどころか、楽しそうにひと声鳴いた。

『お目にかかれて嬉しいよ』

「ずっと見てたくせに、よく言う」

 吐き捨てるようにささやいた彼は、一度かぶりを振ってから、静かに続けた。

「まあいい。それより、正直に話せよ、魔女。おまえに訊きたいことがある」

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