3 魔女との取引

 人々は息をのんだ。鴉は、くちばしを使って器用に羽を整えた。それから、ロトに向き直る。

『訊きたいことか。だいたいは話したと思うが』

「聞かせたの間違いじゃないか? だいたい、あのぶきみな夢もおまえが見せてたものなんだろ。俺の睡眠時間、返せよ」

『ほう、ようやく気づいたか』

「その羽、むしってやろうか」

 ロトの目つきが鋭くなった。それでも鴉は笑うばかりだ。アニーはただ、せわしなく二人を見比べる。会話のなかに信じがたい言葉が混ざっていた気がするが、それを問う余裕もなかった。

 ややして、鴉は羽と体を落ちつける。くいっと頭を持ちあげると、みずからが呪った青年を見すえた。

『まあ、よいだろう。聞いてやる』

 えらそうに、と、ロトは呟いた。けれど、それ以上の悪態はつかず、静かに息を吸う。薬屋にうながされるままあいた椅子に倒れるように座った彼は、深呼吸のあと、口を開いた。

「俺の呪いは解くことができるのか」

 全員が身を固くする。魔術に詳しいエルフリーデやアレイシャなどは、唇を引き結びつつも前のめりになっていた。――それが、魔女に会ったらまっさきに聞きたかったことであろうというのは、無知なアニーでも想像できる。だからこそ、憎らしい魔女の言葉を待ち続けた。

 漆黒の魔女は、すぐには答えない。鳥らしく首をかしげ、いくらか黙りこむ。決してもったいぶっているふうではなく、言葉を探しているような雰囲気だった。時計の針以外の音が消える頃になり、ぶきみに揺れる老婆の声がこぼれ落ちた。

『解けるか解けないか、でいえば、解けない』


 答える声は静かだった。今までのようなからかう響きはなかった。空気がゆるみ、落胆のため息がこぼれる。おそらくは、マリオンやセオドアのものだ。少女が見つめる青年は、ただ、目を細めて椅子に体を預け、一切を受け入れているようだった。

 誰かがなにかを言う前に、鴉のくちばしが動く。

『ただし、おまえの体に起きている呪いの“作用”をなくすことはできる』

 ロトが目をみはり、マリオンが身を乗り出した。子どもたちや軍人の女性も、その場で息をつめる。

「そうなのか?」

『そうだよ。おまえは小さな頃から呪いを受けて、すでに私の魔力を受け入れている。それが完全に馴染みきれば作用はなくなり、術を使うたびに魔力が暴走したり、動けなくなったり、なんてことは起きなくなる。私のそれは、そういうもんだ。ま、大抵の奴は私の強い魔力に負けて死んじまうんだけどね』

「なるほど」

 淡々とした言葉に、青年も静かに相槌を打つ。

「魔力を受け入れ……ん?」

 内容を確認しようとしたらしいロトが、首をひねる。アニーもなんとなく違和感をおぼえたものの、その正体はつかめずにいた。逆に、すぐに指摘したのは、前に呪いについての説明をしてくれたマリオンだった。

「どういう、こと? あなたの呪いは、もしかして、相手の魔力を変質させるもの……じゃないってこと?」

 言葉の途中で、女魔術師は目ざめたような表情になる。察しのいい娘を前にし、鴉はくちばしの先をかすかに鳴らした。

『なるほど、なるほど。――質が変わっちまった本人の魔力が体をかきまわしておかしくする、そういうものだと思ってたのか。そいつはネサンの推論だね』

「え、ええ。お師匠様の」

 気まずげなマリオンの答えをさえぎるように、鴉はかぶりを振った。妙に人間らしいしぐさだ。

『まったく、相変わらずだね、あの坊やは。頭が固くていかん。姉の方がまだ見こみがあるんじゃないか』

 鴉はそれから、まったく遺憾いかんだと叫んで羽を広げる。いきなり大きくなった鳥に、フェイやエルフリーデが飛び上がった。しかし、彼女はまったく構わず、わめきだす。

『だいたい、“呪いの一種”とくくっているから考えがひとところに固まるんだよ。いいかい、どこかの誰かが呪いと呼んだ私らの術は、ほかの魔術師が使う呪いとは違うんだ。同じところといったら、方陣を使わないことくらいだよ』

 鴉は、一言ごとに怒りを強くしていた。ばさりと大きく羽ばたいたあと、ようやく落ちついて窓辺に戻る。アニーたちがぽかんとしているのをよそに、ひとりで言葉を続けた。


『ついでだ。教えておいてやる。魔女の呪いは人によって効果は違っても、やっていることは一緒だよ。自分の魔力の一部を、相手の体のなかに植え付けてんのさ。そして、自分の魔力に相手の体を食い荒らさせて死に至らしめる。わかるかい?』


 口早に言いきった魔女は、どこか満足げだ。しかし、アニーたちは唖然として、いっせいにセオドアを振り返っていた。魔女の鴉がやってくる少し前、他人の魔力を長く体に入れていたら内側から破裂する、という物騒な話をしたばかりだと、思わず視線で語る。けれど、そうはいっても、薬屋本人も顎が落ちそうなほどに口を開き、言葉を失っていたのだからしかたがない。

 動揺していないのは、魔女とロトだけだった。ロトは、いかにも具合が悪そうに背を丸めつつも、こめかみをつついて考えを整理しているようだった。少しして、慎重に息を吸う。

「なるほど。つまり、俺は三歳の頃から、体内に自分の魔力とおまえの魔力の両方を飼っていた、と。それは確かに、体がおかしくもなるな。今まで突然死しなかったのが不思議なくらいじゃねえか」

『そう。だからおまえはおもしろいんだよ、小僧。十七年も二つの魔力を飼ったんだ、とっくにどちらも、おまえのものとして馴染みはじめている。けど、おまえが私の魔力を完全にものにするためには、少なく見積もってもあと二十年はかかるね」

 ロトは、目をいっぱいに開いてから細めて、ため息をついた。疲れきった旅人がようやく見つけた町の影が廃墟はいきょだったかのような、強い絶望が感じられる。まだ子どものアニーから見ても、二十年は遠すぎる。立ちくらみがしそうだった。しかし、そこで、呆然とする人々をもてあそぶかのように、鴉がわらった。

『しかしね。その魔力の馴染みを早くする方法も、あるにはあるんだよ。まだ誰も試したことがないから、実際やるとしたら、実験を重ねながらになるだろうがね』

「なるほど。それが、さっき言ってた『作用をなくす』って話だな」

『そういうわけさ』

 漆黒の魔女の言葉に膝を叩いたのは、セオドアだ。彼は、すっかり冷めてしまっただろうお茶を乱暴に流しこんでいる。そこまでして、ようやく数々の驚きから立ち直ったらしかった。アニーも、冷えきった器を両手で包んで、ふちに口をつける。

 魔女が真剣に問うたのは、そのときだった。

『で、小僧。おまえ、それを聞いてどうするんだい? 私がすなおに作用をなくしてやるとでも、思ってんのかい?』

 老婆の声は、それまでよりいくらか鋭い。アニーのみならず、子どもたち全員が、ロトを食い入るように見ていた。色の悪い顔をただ鴉へ向けていた青年は、うなずきも首を振りもしなかった。ただ、静かに、唇を動かした。

「……今は、話が聞けただけでじゅうぶんだよ。それより、大事な、二つ目の質問だ」

 彼の座る姿は、夜の凪いだ海を思わせる静けさだ。深海色の瞳に、ようやく、彼らしい怜悧れいりな光がさしこんだ。

「『漆黒の魔女』。おまえは今、俺に何を望んでいる?」


 人より長生きだという魔女は、今度こそ意表を突かれたようだった。鴉なので表情はそれほど動かないけれど、ぽかんとしたような空気が伝わってくる。無理もない。その場にいる人たちも呆然としていた。アニーには何がなんだかわからなかったが、あたりを見回せば、なにかをこらえるようにやり取りを見守っている大人の姿が、ちらりと見える。おそらくは、ロトの意図を察したのだろうけれど、彼らはそれを子どもたちに教えてくれなかった。

 魔女は悩んだようだった。上を向いたり、下を向いたり、忙しくしながら答える。

『そうさね。獲物を――あの魔女気取りの女を――つり上げてくれただけでもじゅうぶんなんだが。まあ、さらに奴らの馬鹿げたたくらみを暴いてくれれば称賛に値する、というところかな?』

 語る魔女は、しだいに鋭い気配をまとっていった。敵意や殺意とは違う、けれども武人の気に近いものだ。アニーはそれを知っていた。つい昨日、身をもって体感したばかりだ。自然、姿勢を正して見守っていた。

 ロトも魔女の変化には気づいただろう。それでも淡々と、返した。

「なら、俺がルナティアたちを止めれば、おまえは作用をなくすのに協力してくれるのかね」

『ほう。取引のつもりか。私の半分も生きていない、くちばしの黄色いひな鳥のくせをして』

 魔女はせせら笑う。冗談なのか本気なのかわからない。それでも険しい切り返しに、ロトは微塵も動じていなかった。むしろ、不敵にほほ笑み、鴉をにらむ。

「悪くない話だろ。おまえは自分の手を煩わせることなく、『盗人』を止めることができる。俺は平和な生活を取り戻せるし、何より呪いの症状がなくなる。願ったりかなったりだ」

 いつになく大げさな口ぶりで語った青年は、それから、少しだけ身を乗り出す。続けて放たれた声は、彼らしく、低く落ちついたものだった。

「それに、おまえとしても、せっかく生き残るよう厳選して呪いをかけた奴に死なれちゃ、困るんじゃねえのか。発明家みたいなもん、なんだろ」

 青年は、とげとげしく魔女に答えを求める。鴉は微動だにしなかった。

 時計の針が鳴る。太陽は少しずつかたむいて、光の色も白から黄金に移ろっていた。誰かが生唾をのんだとき、ふいに、冷えきった空気が震える。

 魔女が声を立てて笑っていた。小馬鹿にしたのでもなく、つくったのでもなく、ただ笑い声を上げていた。無邪気な子どものように。それはだんだんと大きくなり、古い家の天井をかすかに揺らした。ひとしきり笑ったあと、魔女は鴉の羽を振る。

『なんてこった! 私に取引を持ちかけ、あまつさえ焚きつけようとするとは! そんな奴は後にも先にもおまえだけだろうな、小僧』

 声高く褒められたロトは、けれど不快そうに目を細めて、これ見よがしに鼻を鳴らす。魔女はそれを見て、ますます愉快そうに体を揺すった。

『肝の据わったひな鳥は嫌いじゃないよ。

――いいだろう。乗ってやる。おまえがあの女を止めたあかつきには、私も作用をなくすための術をつくりあげてやろうじゃないか』

 彼女が大声で宣言した瞬間、それまで黙りこんでいた誰もが、肩を落として息を吐いた。アニーも、いつの間にかにぎっていた拳から力を抜く。どうにか少し良い方向に転がりそうだ、というのはわかって、ほっとした。

「なあ」

『なんだ。まだ言い足りないのかい』

 ロトが、淡白に鴉へ呼びかける。彼女は、面倒くさそうに頭をかたむけた。ロトは眉ひとつ動かさない。

「おまえ、名前はなんていうんだ」

『名前なんて聞いてどうするんだ。そんなものは、ただの記号だろうに』

「ただの人間にとっちゃ、ただの記号が大事なんだよ。だいたい、いつまでも漆黒の魔女って呼ぶわけにいかないじゃねえか。面倒だ」

 ため息混じりのロトの言葉に、マリオンが少しだけひるんで、顔をひきつらせた。しかし、青年と魔女は気づかない。漆黒の魔女は、また楽しそうにしたあと、自分の背後を見たようだった。なんとなく、祖父母が昔話をするのに似た雰囲気が漂う。それから鴉は、また部屋の中を見渡した。

『そういうことなら、教えてやるよ。ヴァイシェル大陸の魔女が一角、我が名は、ワーテルだ』

 今じゃ、誰も呼ばない名前だよ。自分でも忘れそうになっていた。そう言う魔女――ワーテルは、どこかさびしげだった。名前を受け取ったロトは、ただ目を閉じる。すぐに瞼を持ちあげた彼は、自分も短く名乗ったあとに、手を振った。

「じゃ、ワーテル。約束は忘れんなよ」

『……言われるまでもない』

 嬉しそうな響きは、すぐ、からかい混じりの言葉にかき消されてしまう。それでもアニーは、彼らのやり取りを見て、ほほ笑んだ。


 うるさい羽音が、温まった空気を切り裂いた。見れば、ワーテルの鴉が飛びたとうとしているところだった。

『それでは私は、少しあの女を追いかけてみることにする。安心しな、する気はないよ。おまえがどうやってあの女を止めるのか、きっちり見届けてやんないといけないからねえ』

 ロトを見やってそれだけ言うと、返事も待たずに鴉はった。黒い影は、あっという間に雲の白と空の青の、まだら模様の中に消えてゆく。


 魔女が去ったとたん、薬屋は静まりかえった。そして、それまで固まっているしかなかったクレマンやフェイ、エルフリーデたちが立ち上がる。

「びっくりした……なんだったんだよ、今のは」

「あれが魔女、かあ。はじめて見た」

 ほう、と息を吐きながら窓辺をながめる友人に、アニーは苦笑を向ける。けれど、すぐに、顔をこわばらせて振り返った。セオドアの野太い声が強く響いて、青年の名を呼んだからだった。

 それまで椅子を借りながらも、なんとか体を起こしていたロトが、とうとうくずおれた。倒れた全身をセオドアの太い腕に預けた彼は、気だるそうに目を細めている。顔は不自然に赤かった。

「ああ、くそ。言わんこっちゃねえ!」

 セオドアは、どうにかロトを支えて立ちあがると、毒づいた。そこへアレイシャがすばやくやってきて、手を貸す。

「熱がありますね。少し眠った方がいいと思います」

「だとよ。ほら、戻って大人しくしてろ、クソガキが」

 船の上を思い出すぜ、といらだったふうに呟いたセオドアは、声に出さずうなずいただけのロトを連れて、また奥の部屋へとひっこむ。マリオンが一瞬だけ顔をゆがめ、その後を追った。四人の子どもたちは、ひとまず、大人たちを戸惑いながらも見送る。乾いた音を立てて閉まる扉は、寒々しい灰色をしていた。

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