5 絶望に挑む

 立っているだけで吐き気がしそうな空気のなか、場にそぐわない、楽しげな笑い声が響いた。

「やるじゃない。罪人の記録を探しだすのは、大変だったでしょう」

「そのへんは、エレノアさんたちがやってくれたから、よくわからないんだけどね」

「そう。やっぱり、彼女は彼女で優秀ね」

 歌うように呟いて、ルナティアは手を振り上げた。三人は、優雅な振る舞いに目を奪われかける。けれど、白い指先に雷光がはしると、我に返った。

 三人は、それぞれ違う方向に跳んだ。すぐあと、彼らのいた場所に雷が落ちた。雷撃に地面がえぐられ、バチバチと光が爆ぜた。マリオンは、考えるより先に方陣を編みはじめた。轟音の間を縫って、笑い声が響く。

「私の『作品』に、勝手に触るとは。いい度胸をしているわね。――あのときと、同じ目に遭わせてあげましょうか」

 語る彼女の目は、マリオンを飛び越えて、青年の背をにらんでいた。同時、ほかの二人が不安げな目を向けてくる。マリオンは少し考えた。ロトのそばにはワーテルがいるから、すぐにどうこう、ということはないだろう。ただ、できるだけ守った方がいいのは確かだ。

 短く考え、決断する。魔術師は敵を見すえた。

「それが、目的なんじゃないの?」

 ルナティアの手が、ほんの一瞬止まる。マリオンは、目をみはりそうになるのをなんとか耐えた。

――ルナティアとオルトゥーズに襲われたあの日。彼女の目的をいくつか予想してみたことがあった。今、マリオンが口にしたのは、そのうちのひとつ。けれど、今はそれ以上を語らない。マリオンが口もとを引き結び、相手の出方をうかがっていると、ルナティアは声なく笑った。

「さあ、どうかしらね」と、ささやきが聞こえる。マリオンがそれ以上言葉を続けることは、できなかった。今までの会話を吹き飛ばすかのように、蒼白い炎のかたまりが飛んでくる。半透明の壁がそれを防いだ。

「私、あなたたちと口げんかをする気はないのよ。わかっているでしょう?」

「ええ、そうね。目的がなんであれ、あなたはあたしたちを殺す気でいる」

 言いながら、マリオンは仲間に目配せした。片や冷静に、片や気合の入った表情でうなずいた男女は、どちらからともなく懐に隠していた小剣を抜いた。

 白い手が動きだすより早く、二人が飛び出した。ふた振りの剣が急所を狙ってひらめいた。息つく間もなく繰り出される突きをルナティアは器用にかわしたが、その目は見開かれていた。一瞬、顔をゆがめた彼女は、女性の小剣が突き出されるより早く、上衣の下から短剣を抜いた。刃がぶつかり、火花が弾ける。二人のシェルバ人は、少し驚いた顔をしたものの、慌ててはいなかった。


 魔術は本来、戦いには向いていない。魔術のみで戦えるのは、一部の規格外な術師だけだ。だから、武器を隠し持っていても不思議ではないどころか、むしろ当然のことだった。


「規格外の術師」を四人ほど知っているマリオンは、自分がそのなかに入るとは思っていない。二人の後ろで淡々と指を動かし、できあがった方陣を弾いた。光が散ると同時、ルナティアの銀髪がふわふわと舞いはじめた。彼女のまわりの空気が震えて、風が起きる。ルナティアは、二人の肩越しにマリオンをにらみつけると、左手をひと振りした。それだけで風がやむが、生まれた隙を狙って銀の光がルナティアの右手首を突いた。血が舞って、短剣が跳ね飛んだ。

 二人は勝ったと安心したようだった。けれども、マリオンは鋭く目を細めた。ルナティアのまわりが、ぼんやりと光ったのは、その直後だった。光のなかから炎が生まれて――そうとしか、表現のしようがない――前の二人に襲いかかる。

 マリオンが声をかける前に、二人は左右に跳んだ。マリオンは急いで方陣を編んだ。目の前の銀色を、半透明の防壁が食い止める。

「間にあった……」

 呟いたマリオンは、はあっ、と大きく息を吐いた。そこに、女性が戻ってくる。

「どうなってんのー!? あれ、魔術だよね」

「ええ。たぶん、単純な魔術なら、方陣がなくても使えるんでしょうね」

「むちゃくちゃな獅子(レーヴ)だなあ!」

「魔女並みだわ」驚きを通り越して怒っている女性の横で、マリオンは呟いた。自然、光る方陣の上を飛ぶ鴉に目がいく。紅い両目はこちらをうかがっているが、鴉はロトの頭上にとどまったままだ。助けてくれる気はないのだろう。そしてマリオンも、助けてもらう気はなかった。視界の端が、青く光る。マリオンはすぐに顔を正面に戻して、腕をのばした。

 マリオンはロトと違って、大陸に渡ってからは荒事あらごとに関わらない生活を送ってきた。王都の一件のときには関わりはしたが、前線に出ていたのはほとんど、アニーやロト、そして軍人たちだった。護身用の短剣を抜くのも、人に向かって術を放つのも、亡命作戦以来のことだ。

 魔術に削られた岩が足もとに突き刺さり、銀色の炎が弾けて空気を焼く。魔術の膜が術を防ぎ、術の光のはなが、容赦なく降り注ぐ。合間で、剣のぶつかる音が何度も響いた。マリオンは、冷えきっているはずの頬に汗がつたうのを感じた。

 ロトがついていない状況で、戦いの中に身を置くことは、はじめてだ。こげた臭いも目を焼く光も、苦く、恐ろしく、つらい日々を思い出させて彼女の足をすくませる。それでも方陣を描く手が止まらないのは、なぜなのか。胸がはりさけそうな緊張をおぼえながらも動けることが不思議だった。

 ただ、いつまでもそんな感慨には浸っていられない。ルナティアには、少しのひるみも疲れも見えなかった。ただマリオンは、なにかがおかしいと感じはじめていた。彼女からにじみ出る魔力はしだいに暴風のようになっていき、瞳には熱っぽい光がちらついている。暴走寸前のように見えた。

「どうしたの?」

 放たれる声も、どこか狂気じみている。それでいて、寒気をおぼえるほど冷徹で。ひどく、いびつだった。

 巨大な魔力にのみこまれ、かつての名を捨て、二百年もの時を生きた――その、末路だというのだろうか。

 後衛のマリオンを守るように立った二人も、蒼白い顔で彼女をにらんでいる。けれど、直後、男性の方が顔を上げた。

「なんだ、これは」

 うめき声がもれる。その理由をマリオンもすぐに知った。


――空気が、変わった。


 今までとはまるで違う。とにかく重く、黒い空気。その不快感は全身にまといつく。引きずられれば、まっくらな穴のなかに引きずりこまれてしまいそうだ。マリオンは反射的に左手で右腕を押さえていた。冷たいおぞけが足もとから頭の先までを貫いた。

「まさか」

 声がこぼれて。それが自分のものだとは思えなかった。足が勝手に震えだす。歯の根が合わない。ひょっとしたら、村が燃えたあの日よりも恐ろしいかもしれなかった。

「ああ」

 このままでは、

「始まったわね」

 みんな死ぬ。


 助けにきてくれた二人は、おそらく、今しかけられている方陣について、詳しいことは知らない。それでも、並み以上の魔術師だ。その異様さと恐ろしさを肌で感じ取ったのだろう。ひきつった顔を見合わせていた。

 すでに、すべてが死んでしまったかのような静寂のなか。色のない魔女の笑い声だけが、やけに大きく響いた。

「ああ、ついに、ついにこの時が来たわ」

 ルナティアは、芝居のように大げさに、両腕をあげる。唇が、弧を描いて、開かれた。

「ずっと――ずっと、待ち続けた」

 マリオンは、目をみはった。

 ルナティアの言葉は、すべてを壊すことを、すべてを殺すことを望んでいるように聞こえる。けれど、ならばなぜ、彼女はこんな顔をしているのか。

 ゆがんだ唇、下がった眉、うるんだ瞳。まるで、今にも泣き出しそうな、小さな子どもだ。

「でも、来たのはあなただけだったわね。『漆黒の魔女』。本当に、なにもしないつもりかしら」

 彼女は、とても鴉には届きそうもないかすれ声で言った。残念がるような、それでいてなにかを期待するような、口ぶりだった。

 空気がにごる。沈んでいく。マリオンは、息苦しさをおぼえて、胸に手を当てた。


 なんだかとても、眠かった。

 立っていられない。目を開けていられない。

 このまま目を閉じて、身をゆだねてしまえば、楽になるだろう。

 小さく息を吐きだして、穏やかな暗闇に身をゆだねようとしたとき――闇のなかで、強烈な光が弾けた。


 なじみ深いその気配は、死へいざなう眠気すらも吹き飛ばした。一気に目ざめたマリオンは、息をのんで、名を呼んだ。彼女の耳に、声が届く。



     ※



 光と文字の流れのなかでは、時間が止まってしまったようにすら感じる。それでも、ロトは自分を見失うことなく、方陣を解き続けていた。確かめた限りだと、全部で八百三十七の周で構成されているらしい。その三分の一ほどまで解き進めたロトは、一度、手を止めた。光を見つめ続けた目を上げれば、おぼろな薄闇が覆いかぶさってくる。

 腹の中を揺るがすような低い音がして、背中のむこうで蒼光が弾ける。ロトは眉ひとつ動かさない。戦いが始まっていることは、知っていた。ロトたちとワーテルの読みが正しければ、ルナティアはあくまで冷徹にロトを殺しにくるだろう。そうしなければいけないのだから。今さら、怖いとは思わない。むこうが本気ならば、こちらも本気で挑めばいい。――帝国と、彼女の技術の結晶に。

 苦い空気を吸って、青年は、また五指を光の上に置いた。

 一瞬のようにも、永遠のようにも感じる時間。そのうちに、また方陣の奥深くへとせまったロトは、けれどびくりと肩を震わせた。慌てて地面に手をついて、かたむいた体を支える。

 どうしたことか、急に息苦しくなって、手足に力が入らなくなった。急いで腕輪を確かめても、どこも壊れた様子はない。

「と、いうことは――」

『気づいたか、小僧』

 乾いた笑い声を聞き、ロトは頭を持ちあげた。悠々と飛ぶ鴉をにらみつける。自分ひとり余裕な魔女が、今は特に憎らしかった。

「これ、完成しかかってるんだな」

 喉元まで出かかった文句をのみこんで、ロトは床の光を叩く。ワーテルは『そうさ』と大げさに翼を振った。

『そろそろ、凡人どもも体がおかしくなりはじめている頃だろう。おまえのその奮闘も、いつまで続くか見ものだね』

「……魔力が、抜けていってる感じがする」

『そりゃ、奪うとしたらまず魔力から、だ』

 ぬけぬけと言い放った魔女を無視して、ロトは両手を広げ、見つめた。ただでさえ鋭い目が、さらに険しく細められる。

「つまり、魔力が多ければ多いほど、時間稼ぎができる」

 いつになく低い呟きは、爆発の音にかき消された。だが、近くを飛ぶワーテルには届いていたらしい。彼女は、一瞬、恐ろしい目つきでロトをにらんだ。彼はそれに気づいていたが、あえて何もなかったように、魔女を見返した。

「ワーテル。ひとつ、いいか」

『なんだい』

「例えば今、俺が腕輪を外したとして……呪いの、おまえの魔力の浸食をおさえておくことはできるのか?」

 ワーテルは黙りこんだ。答えるのを嫌がっているかのようだった。それでもロトが動かずにいると、鳥らしくなく、大きな動作でかぶりを振った。

『できることは、できる。ただし、そう長くは続かない』

「ああ。少し、もたせてくれればいい」

 赤い目が細って、線になった。

『――やる気かい? 運が悪けりゃ、死ぬよ』

「それはいい。運が良ければ生き残れる、ってことだろ」

 ロトはおどけて肩をすくめた。とたん、不機嫌になった鴉に、いいわけのような言葉を付け加える。「どうせ、方陣をこのままにしてたら全員死ぬんだ。おまえ以外は、な。俺一人が犠牲になって残りが助かるなら、安いもんだろ」

 ロトは、ほろ苦く笑った。マリオンが聞けば火を噴いて怒りそうだ。けれども、発言を撤回するつもりはなかった。やると決めたからには、逃げだしたくなかった。方陣から、呪いから――自分自身から。

 ワーテルはというと、不機嫌ながらも、怒ってはいなかった。頑固者を見下ろし、あきれ果てて、ひと声鳴いた。

『勝手にするがいいさ。まったく、せっかくいい駒が手に入ったと思ったのにね』

「死ぬって決めつけんなよ」

 言葉とは裏腹に、声は弾んでいる。ロトはにやりと笑うと、左の腕輪に手をかけた。

 赤い目と、青い目が。ふたつの視線がぶつかる。ワーテルが全身に魔力をたぎらせると同時に、ロトも指先に力をこめる。

 細い腕から、銀の光がこぼれ落ちる。腕輪はかたい地面にぶつかって、澄んだ音を立てた。その音を、打ち消さんとばかりに、ロトは叫んだ。


「踏ん張れ、てめえらっ! まだおやすみの時間じゃねえだろうが!」


 言葉が終わるより早く、熱がふくれて、あふれだした。

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