2 晴れのち雷鳴

 彼女とはじめて出会ったのは、ひと月と十日ばかり前のことである。知り合いの青年にくっついて隣町に行くとき、馬車のなかで一緒になり、それから意気投合したのだった。一緒に事件を解決した仲である三人は、また会う約束をしていたが、互いに忙しくてなかなか果たせずにいた。

 アニーは動じていた。「編入生」がまさかエルフリーデだとは、思っていなかったのである。けれど同時に、彼女が「ヴェローネルの学校に入る予定」というようなことを言っていたのも、思い出していた。

 フェイと目を合わせてから、うかがうように少女を見る。彼女はまだ呆然自失の状態だった。何か声をかけようかと、アニーは息を吸ったのだが――次の瞬間、ぎょっとした。エルフリーデの両目から、涙がぽたぽた、こぼれ落ちていたのだ。まぶたも口もとも、震えていて、音にならない声が出ていた。

「え、エルフリーデ?」

 アニーは急いで駆け寄った。フェイも一緒についてきた。

「アニー、フェイも。二人がいる。いる……」

 うわごとのように呟いたエルフリーデは、その場に膝から崩れ落ちた。目もとを手で押さえながら、声を上げて泣きだした。わんわんと泣き叫ぶ少女を前にして、アニーとフェイは困惑しきった顔を見合わせたが、どちらからともなくしゃがみこんだ。アニーが頭をなでて、フェイが背中をさする。

「こわかった、こわかったよお……!」

「うん、うん。怖かったね。頑張ったね」

「いっぱい我慢したんだよね。――えらいえらい」

 フェイの言葉に思いがけず感情がこもっていて、アニーはぱっと顔を上げてしまった。彼自身、昔は我慢に我慢を重ねる立場だったのだ。泣き叫ぶ少女に昔の自分を重ねたのかもしれなかった。何か言おうかと、アニーはつかのま迷ったが、結局はやめてエルフリーデをなだめることに専念した。


 ひとしきり泣くと、エルフリーデはもとの落ちつきを取り戻したようだった。少年たちにからまれた木陰の右側に木の椅子がしつらえられていたので、アニーたちは少女をそこへ連れていった。椅子に腰かけた彼女は、ときどきしゃくりあげながらも、赤い鼻の下をこする。

「ご、ごめんなさい。会って早々、こんな迷惑かけちゃって」

「気にしないで。もともと、アニーが勝手に飛び出しただけだし」

 笑って言うフェイを、アニーはにらみつけたが、今度はつねったり叩いたりはしなかった。その代わり、まんまるに見開いた目で、友人を見つめる。

「それにしても、エルフリーデの言ってた『ヴェローネルの学校』がここだとは思ってなかったよ」

「わたしも、学院にアニーとフェイがいるとは思ってなかったから、びっくりしたわ」

 エルフリーデもまた、しみじみとそうこぼした。はじめて会ったとき、二人が制服だったならば反応もまた違ったものになっていただろうが、そうはいかなかったので、三人は驚きっぱなしだった。お互いの驚いた顔を見ているうち、なんだかおかしくなってきて、誰からともなく笑いだす。

 ひとしきり笑ったのち、アニーとフェイは、エルフリーデをはさんで椅子に腰を下ろした。まだ講義の開始までにはかなり時間がある。その間、彼らは、お互いの話に花を咲かせた。おかげでアニーたちもエルフリーデのいろいろなことを聞くことができたのだ。六月の頭にはヴェローネルに入っていたこと、編入試験では筆記問題に苦労したこと、本当は十二歳だが故郷の学校と学院の差から六回生に編入したこと。そして――先程のようにからまれたのが、今日だけではなかったということ。

「まだ学院に入って間もないけど、今日までに、十回くらいはああして詰め寄られたわ。さっきみたいに『魔術を使って』って言われるのもかなり困るけど……暴走させたら大変だし……それよりも、怖かったのが、先輩に魔術師っていう噂を聞きつけられたときだった」

「先輩? どうして」

 首をかしげたアニーの疑問に答えたのは、エルフリーデではなくフェイの方だった。

「ぼくらくらいの生徒より、八回生以上の人の方が、魔術師を嫌ってる人が多いらしいんだ。あの世代は親から、魔術師がいかに不気味で悪い奴らか、って吹き込まれて育ってる人がかなりいるから……って。この間、ロトさんが言ってたよ」

 突然出てきた事実と名前に、アニーは顔をこわばらせる。この街の片隅に今もいるはずの青年は、王国でも五つの指に入るくらい優秀な魔術師のようだ。と、彼女は最近、感じはじめた。その彼が言ったのなら、それは間違いなくグランドル王国の現状であるのだろう。

「そんな」

「――だから、魔術を使ってって言われても、不用意にこたえられなかったの。わたしが下手に術を使って、それで騒ぎが起きたら、みんなに迷惑がかかるでしょう。そもそもわたしは、そういう状況をどうにかするために、魔力の制御訓練を進めるために、この学院に入ったんだから。術を暴走させてしまったら、意味がなくなるわ」

 思いがけないエルフリーデの言葉に、アニーとフェイは顔を見合わせた。疑問を視線に乗せて投げかけると、エルフリーデはほほ笑んだ。

「もちろん、直接魔術の教えを乞いにきたわけじゃないわ。それなら、町でおじいちゃんやおばあちゃんに教わった方が早いもの。わたしがここで学びたいのは、方陣に使う古代文字や魔術記号のこと」

「あ、それで文化学科……!」

「うん。専攻を選ぶときは、文化人類学にするつもり」

 わかりあったフェイとエルフリーデが、笑顔で言葉を交わしあう。二人のやりとりについていけていなかったアニーは首をかしげたが、それに気づいたエルフリーデが、すぐさま彼女の方を見た。

「おじいちゃんに言われたことなんだけど。わたしは、魔力を制御することよりも、方陣をきちんと操る方を先に考えた方がいいらしいの。そのためには、方陣を形作っているもののことをしっかりとわかっていなきゃいけないの。かつて何に使われていたのか、ひとつでどういう効果を持つか、どう組み合わせればどんな術ができるか――とかね」

「え、じゃあ、エルフリーデは術師を目指すの?」

 アニーは目を丸くしたが、エルフリーデは曖昧な笑みを浮かべた。

「正直、迷ってる。術師を名乗っていいのか、って、学院に入って強く思うようになったし。でも……ロトさんたちを見ていて、少し魔術師を目指す方を考えてみてもいいかな、って思ったのは、確か」

 だから勉強しながら考える、と言ったエルフリーデの顔は、どこか晴れやかだった。アニーとフェイは、ほっと胸をなでおろす。

 久しぶりの再会を楽しんだ三人は、そこで話を切り上げて、それぞれの講義に向かっていったのである。

 

 同じ学院に友人がいる。そう気づいてからというものの、三人の子どもたちは毎日のように顔を合わせるようになった。彼らがいつもまとまって話をしているからか、次第にエルフリーデに対してきつい態度をとってくる生徒もいなくなっていった。

 しかし、七月も半ばを過ぎ――夏の短期休暇をひかえたある日に、事件は起きた。

「あれっ……エルフリーデは?」

 昼休み。食堂前で落ちあったアニーとフェイは、首をかしげあった。まわりには相変わらず制服姿の少年少女がひしめきあっているが、人目を引く容姿の少女は、その中にはいなかった。二人は再び、頭を傾けた互いを見る。

「何か用事があって遅くなってる、とか。ほら、まだ編入したばかりじゃないか」

「そうなのかなあ。珍しいこともあるんだね」

 アニーは自分の三つ編みをいじりまわしながら、呟いた。そわそわしてあたりを見回すも、飛び交うのは知らない声と足音ばかり。気にはなるがまさか探しにいくわけにもいかない。そう思ったアニーは、フェイに向き直り、「どうする?」と、問いかけた。彼が頬をかいてうなっていたそのとき。二人のすぐそばで、制服のスカートがふわりとなびく。

「あ。君たち、エルフィーとよく一緒にいる」

 いきなり快活な声が飛びこんでくる。アニーとフェイは飛び上がり、声の主を見上げた。肩に届くくらいの、ふわふわした茶髪を揺らす女子生徒が、そこにいた。子犬のようにくりくりした瞳に悪意は見えず、むしろ子どもっぽい好奇心がちらついている。ネクタイの色から、アニーたちと同じ六回生と、察せられた。

「え、あの。どちらさまで?」

 フェイがおずおずと問うと、なぜか女子生徒は目を輝かせた。

「あっ、君がグリュースターくんかー。論文、文化の方でも話題になってるよー」

「まだ論文の件、続いてるのか……」

 フェイはがっくりと肩を落とす。一方、アニーは目を瞬いた。

「え? あなた、今『文化』って」

 女子生徒はにっこり笑う。

「うん。私、文化学科。エルフィー――エルフリーデと、よく近くの席で講義受けるんだ」

 さらりと呈された事実に、アニーもフェイも驚いた。しかし、次の言葉で驚きはさらに別の衝撃に、上書きされる。

「で、君たちあの子を待ってるでしょ。――実はさあ、あの子、昼前の講義終わりに知らない男子生徒と会ってたんだよ。そのことを伝えたくて、よさそうな人を探してたんだ」

「え!?」

 アニーは叫んで、身を乗り出した。フェイも目をみはっている。

「どうしてそれを早く言わないの!」

 文句を言えば、女子生徒は顔の前で手を振った。

「ごめんて。下手に慌ててたら、むだに騒ぎが大きくなっちゃうでしょう。私、今からハリス先生あたり呼んでくるから、君たちは様子を見に行ってくれないかな。なんか、雰囲気怖かったんだよ、あいつら」

 私が行っても返り討ちにあいそうで。そう言った女子生徒は、急に落ちつきなくあたりを見回しはじめた。実は彼女も、ものすごくあせっていたのだと、アニーは気づいて反論をのみこんだ。かわりに大きくうなずいてから、幼馴染の手をとる。

「すぐ行く!」

「あの、あなたがエルフリーデたちを見たのって、どのあたりですか?」

 二人の言葉に、女子生徒は安堵した様子でうなずくと、指をさしながら場所を伝え始めた。

 

 教えられたのは、西館の外へ出るための、扉のあたりだった。生徒の目も先生の叱声も気にせず走り抜けた二人は、件の扉の前で顔を見合わせる。予想していたことだが、そこにエルフリーデたちの姿はない。二人は、どちらからともなく扉を開け、外へ飛び出した。

 花壇沿いに続く細い道。このあたりには、人の気配はほとんどない。しんと静まりかえった石畳の道を、二人は小走りで進んでゆく。花壇が視界から消えると、ひらけた空間に出た。倉庫のような小さな建物が、ぽつぽつとたたずんでいる場所だ。アニーもフェイも、ここへは数える程度しか来たことがない。

「いないね」

 ぐるりとその場を見渡しながら、アニーは小さく呟いた。フェイもうなずき、呼吸を整える。

「うーん。そもそも、エルフリーデたちがこっちに行ったっていう保証がないし。こっちじゃなかったら西館の階段の方……」

「フェイ、しっ!」

 ぶつぶつ呟くフェイに、アニーは鋭いささやきを投げかけた。唇に人さし指を当ててやると、彼は慌てた様子で黙りこむ。その場で目をつぶったアニーは耳をすませた。葉のこすれる音、街の方から聞こえる馬蹄の響き、風の声。それらにまじって、かすかに人が騒ぐような音が、聞こえてきた。

「――こっち」

 アニーは、フェイをうながしてから奥へ駆けだす。散らばって建つ建物のなかで、一番大きなものの扉に、彼女はそっとすがりついた。

 間違いない。扉の奥から、音がした。

「アニー」

 ひそめた声がすぐ後ろで聞こえる。顔をこわばらせた幼馴染が、そこにいた。アニーは、なんと返そうか少し悩む。

 そのとき――鉄砲玉が飛ぶに似た音と、少女の悲鳴が、重なって聞こえた。

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