2 和気藹々、食堂にて

「えっと。それで、おやぶ――じゃなかった、ブランジェは何やってるの?」

 食器のぶつかる音と、笑いさざめく人々の声。そのなかで、ぎりぎり相手に届く声を上げ、アニーは問いかけた。ちょうどアニーの向かい側の席に座っている『親分』ことブランジェは、少女の問いに、おびえるように首をすくめる。

「俺か。俺は今、この町を拠点にして、研究の手伝いをしてるんだ」

 彼の言葉に、同じ町で育った二人が顔を見合わせる。「研究……」と呟くフェイの声には、驚きと憧れが同じだけ混ざっているようだった。いじめっ子だった頃からは想像もできない今の姿に、アニーは思わず感心の声を上げた。するとブランジェも、自分の皿に盛った蒸し鶏を切り分けながらひとりごつ。

「しっかし、びびったな。あのアニーがこんなに大人しくなってるとは」

 アニーは眉を上げ、鶏肉の欠片を口に放りこんで噛み砕く。思いのほかやわらかい肉は、かすかな香辛料の風味をふわりと広げ、波だった心をほどよく静めてくれた。しかしそこで、クレマンがわざわざ身を乗り出してくる。

「学院でも『暴れん坊』って呼ばれてるけどな」

「そっか。それなら安心」

「……こら! 安心するな!」

 自分の我慢をむだにされたアニーは、かみつくように怒鳴った。天板を叩きそうになってぐっとこらえる。フェイとエルフリーデは苦笑し、ロトはあからさまなため息をついた。それとは別の息を吐きだしたアニーは、座りなおすと、食卓から目をそらす。

 真昼を少し過ぎた酒場兼食堂は、まだ人の姿が多いものの、出入りは落ちつきはじめていた。さすがに、日が高いうちからお酒をたしなむ人はほとんどいない。アニーの敏感な鼻はわずかな酒気をかぎとっていたけれど、それは気にしないようにしている。

「あの、ところで。研究の手伝いって、どんなことを?」

 エルフリーデが慌てて話題をもとに戻す。話を振られた少年は、軽く首をひねった後に手を打った。

「いろいろだよ。俺の場合あくまで手伝いだけだから、専門分野もねえし。新しい薬を試してやったり、遺跡の発掘についてったり。……ああ、そうそう。少し前に、遺跡の一斉調査があったんだ。そのときにも、いくつかの発掘作業と解析作業に参加した」

 また半分くらい何言ってるのかわかんねえ――とうめいたのはクレマンだが。アニーもだいたい同じ気持ちだった。しかし、『遺跡の一斉調査』と聞くなり、思わずロトを振り返る。彼はいつもの仏頂面で、軽く鼻を鳴らした。黙っていろ、という意味だと気づいたアニーは、おとなしく蒸し鶏のかたまりを征服しにかかる。

「そこでちょっとおもしろいことがわかったんだけどさ。一部の遺跡に守護獣っているだろ。あれって、エリザース帝国の全盛期に突然生まれたものなんだと。って、こんな話してわかるかな?」

 隣で、低いうめき声に似た音がした。フェイが思いっきり咳きこんでいる。食べ物がおかしなところに入りこんだらしい。アニーも思わず、食器を取り落としそうになっていた。これまた、努力を無にされた気分だった。しかしそこで、クレマンがブランジェの話に食い付きはじめる。

「あ、あのさー。守護獣って魔物の強いやつだろ。そんなのが、どうやっていきなり生まれるのさ」

 ブランジェは反応されたのが嬉しかったのか、喜々として話しだした。その隙に、アニーとフェイ、そしてロトの三人は額を突き合わせる。

「ね、ねえ。今のどういうこと?」

 アニーがささやくと、ロトはこめかみに手を当てて、うめく。

「わかんねえよ。ただ、帝国時代は生き物を作れるほど魔術が発達してなかったはずだ。……何かがおかしい」

「それって、ブランジェさんが嘘ついてるってこと?」

「そうは見えないんだが。まあ、嘘をつかれてるか、俺たちの知識不足か。そのどっちかだな」

 ヴァイシェル大陸から流れてきた魔術師。彼の態度は淡々としていたが、ずっと苦り切った表情のままだった。それは、ブランジェがアニーたちに学院の話を聞いてきてからも、変わらなかった。


 同じ田舎町で育った三人の関係は、必ずしもよいものとは言えなかったが。そのせいで生じるぎこちなさも、お互いのことを話していくうちに減っていった。体つきも雰囲気も昔と変わったブランジェだが、お調子者の気質は残っていたらしい。時折、冗談を飛ばしては、きまじめなフェイを慌てさせている。学生生活の話題がとぎれたところで、ふいに、そのブランジェが真剣な顔をした。

「あー。なあ、フェイ」

「ん? なに?」

 お茶を飲んでいたフェイが、少し表情をかたくして、器を置いた。番犬のような雰囲気を漂わせる少年に、アニーたち三人は生温かい視線を注ぐ。だがブランジェだけは表情を変えず、気まずげに頭をかいた。

「その、昔は悪かったな。いろいろと。今さらかも、しんねえけど」

「ん?……ああ」

 年上の少年が何を言いたいのか察したのか、フェイは苦笑した。アニーもおや、と目を瞬く。

「別にいいよ。もう気にしてない」

「ほんとか?」

「だって、もう、アニーにこてんぱんにされたじゃない。ぼくが怒るまでもないよ」

 フェイは、いつものやわらかいほほ笑みのままに言う。ブランジェはそのときのことを思い出したのか、作り笑いを浮かべた。自分のことが話にのぼったことで、アニーも自然、姿勢を正す。

「私も謝らないとね。ぼっこぼこにしてすみませんでした」

「いや、いいから。謝んなくていいから。思いだすから」

 ブランジェはひきつった顔のまま、両手をぶんぶんと振る。幼い日の一件は、根強く彼の中に残っているらしい。それでも彼は、怖がる目を向けてこない。むりやり取りつくろっているのではなく、本当に怖がっていないのだとわかる。アニーにはそれがとてもありがたかった。

 それまで傍観していた三人が、ささやかな笑い声を上げた。アニーは頬をふくらませたが、空気は穏やかなものになった。

 人の姿が少しずつ減ってゆく、食堂の片隅。しばらくくつろぐことにした彼らは、それぞれに食器を脇に寄せる。エルフリーデが鞄を探り、何冊かの本を取り出した。

「お、勉強? えらいなあ」

「先生たちに無理を言って出てきたので。少しは試験勉強、しておかないとなあって」

 エルフリーデがほほ笑む。アニーが目を丸くしていると、脇を軽く小突かれた。小突いた本人であろうロトは、彼女の視線を受けても、いつもどおりの無表情で食後のお茶をすすっている。近所の「いい子」を見た父親のような反応に、少女は軽く眉をしかめた。

 その間にもエルフリーデは嬉しそうに本を広げはじめ、フェイが興味深そうにのぞきこむ。今は研究の手伝いをしているというブランジェも、年下の子たちをほほ笑ましそうに見守っていたが、少女の持つ本の表紙を見るなり、瞳をちかりと光らせた。

「へえ、古典文学かあ。十一歳が難しいことやるんだな。しかもそれ、中期グランドル語だろ」

「あはは……ヴェローネル学院ですからね。文字の勉強になるので、ちょうどいいです」

 魔術の制御をするために、魔術に使う文字を勉強する。それが、エルフリーデ・スベンが学院に入った理由だ。だからこそあえて原語版の本を読むようにしているのだと、何かの折に語っていた。

「わたしは、とても……えっと、悲しかった? になるのかな? えっと、次は――エ・リファーネ・エウリャーナ……」

 小さく声に出しながら本を読み進めていくエルフリーデを、アニーはぼんやりと見つめていた。

 ぬるま湯に似た平穏の時間は、彼女がつむいだ何気ない音で砕け散る。アニーを含む誰もが、身構える前に。

「シェラ・エル・レ・ルナー……ティエ……?」

 誰よりもまず、声に出した本人が、凍りついた。

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