8 傷だらけの幕引き

 なにかが砕け散る、澄んだ音。嫌でも身がまえそうな音を聞いても、地下室にいる人々は、誰ひとり動かなかった。それよりも、魔力の変化で何が起きたかを察する方が早かったし、何より状況についていけていなかった。

 ようやく、マリオンが振り向いたのは、紫色の光が完全に消えてからだった。

「解けた……の?」

 言葉にしても、まだ信じられなかった。けれど、彼女が呆けていたとき、幼馴染の青年が、ゆっくりと振り返った。ひきつった笑みを浮かべた彼は、短い言葉でマリオンに頼みごとをしてきた。

「腕輪、つけてくれ」

 そう言われたとき、瑠璃色の瞳には、知性の光が戻っていた。これも、一種の職業病だろうか。腕輪を作り続け、はめ続けてきた彼女は、ポルティエの仕事場にいるときとなんら変わらない足取りで、ロトのもとへ向かう。「しかたないわね」とぼやきながら。

 シェルバ人の二人が、その後に続いた。後には、女性と鴉だけが残された。ワーテルは、しばらく、やかましい若者たちをながめていた。けれどあるとき、思い出したように、魔女をかたった「小娘」を見おろした。

『おまえは、私ら魔女の力を借りようとしたようだが』

 ゆっくりと、顔が上がる。少女のような、心細げな顔を見すえ、静かな声を魔女は落とした。

『もう、わかっただろう。世界を変えるのは、前に進めていくのは――かびくさい魔女なんかじゃあないんだよ』

 ルナティアは答えなかった。ただ、ゆっくりとうつむいて。たっぷり黙りこんだあとに、「そうかもしれないわね」とだけ、ささやいた。


 マリオンは、幼馴染に手早く腕輪をつけてやった。すべてが終わるとロトはほほ笑んで「ありがとう」とだけ言った。力ない表情を見て、マリオンはわざとそっけなく、「どういたしまして」と言った。

「ねえ、ロト」

「おう」

「あたし、今、めちゃくちゃ怒ってるわよ」

 ロトは苦虫を何匹かまとめて噛みつぶしたような顔をした後、「悪かった」と頭を下げた。それから、なぜか、マリオンの方にもたれてきた。

「マリオン、説教は後でちゃんと聞く」

 マリオンは、はっ、と彼の方を見た。なぜか胸がざわついた。あせる彼女の頬に、青年の華奢きゃしゃな手が触れる。

「だから今は、ちょっとだけ、休ませ……」

 言葉は、最後まで続かなかった。

 声がとぎれると、指はするりと頬をすべり落ちてゆく。体は力を失って、かわりにずしりと重くなった。マリオンは、声も出さずに青年を見おろした。慌ててその体を横たえて、膝の上に頭をのせる。目は閉じ、顔はつちいろ。息の音は聞こえるけれど、あまりにも弱々しい。

――まるで、今にも消えてしまいそうだった。

 その顔をのぞきこんだ、二人のシェルバ人が、さっと青ざめる。

「ちょっとー。これ、まずくない?」

「まずい、というか、危ない。あと何刻もつか、わからない」

 女性の言葉に男性が淡々と答え、立ち上がる。「上も忙しいだろうけど、誰か人を呼んでくる」と言うなり、彼はうすやみの中に駆けだしていった。マリオンはその後ろ姿を見送る前に、また、ロトに目を戻す。

 危ない。何刻もつかわからない。聞こえた言葉が、頭のなかでこだました。

「は……? 何よそれ」

 ようやく出た声は、みっともなく、かすれていた。今度はマリオンが、指をのばして彼の頬に触れた。冷たかった。命がないかのようだった。そんなはずがないと否定するより前に、たとえようのない恐怖が、全身を駆け抜けた。

「なんだそれ。ふざけるな。ロト、ねえ」

「……マリオン」

 女性のかたい声が、彼女の名を呼んだ。目を見開いて、震えている仲間がふつうの状態でないことに気がついたのだった。けれど、マリオンの耳に、声は届いていなかった。

 頬を叩く。体を揺さぶる。いくら、何をしても、彼は目を開けない。そうしている間にも、息づかいは小さくなっていっていた。体の冷たさが、時が経つごとに強く感じられるようになる。マリオンは震えた。

 死ぬのか。そう思ったとたん、なにもかもをおさえきれなくなった。とうとう彼女はうずくまるようにして、青年の体をかき抱いた。両手に力をこめて。そのていどで、引きとめられはしないと、わかっているのに。

「うそだ。だって、あんた、説教聞くって言ったばっかじゃない。うそつかないでよ、起きてよ、ロトの馬鹿野郎……!」

 訴える言葉は、もはや悲鳴だった。涙はぽたりと落ちて、青年の顔をぬらす。ロトは、やはり、目を閉じたままだった。

 ふだんは気丈な彼女の痛々しい姿を誰もが見守ることしかできなかった。そして誰もが、ロトはもうだと、気づいていた。あのワーテルでさえも、翼をたたんで、深刻そうなまなざしを注いでいた。

 重たい、などというにはなまやさしい雰囲気のなか。ただ一人、動いた人がいた。その人は、マリオンのかたわらに近づくと、そっと声をかけた。

「少しだけ、いいかしら」

「……何をするつもり?」

 マリオンは、殺気をはらんだ声を相手に向けた。だが、相手はほほ笑んだだけだった。白い手で青年の額に触れると、前髪をそっとかきあげる。

「悪いことは、しない。ただ、私はあなたたちに、賭けてみようと思った。あの方陣を消した彼になら、私に勝ったあなたたちになら、賭けてみてもいいと思った」

 彼女――ルナティアは、そっと目を閉じる。すぐに開いて、眠っているような青年を見おろした。

「だから、最後に、受け取ってちょうだい。これは私なりのけじめであり、つぐないでもある」

 マリオンも、女性も、ワーテルも驚きに目をみはった。ルナティアを中心にして、魔力が広がりはじめたのだ。これまでとは違うやさしくて温かい気配は、あっという間に監獄塔を覆い、外へと流れ出した。

「な、何これー?」

 女性が、彼女らしい素っ頓狂な声を上げる。

「枯れた命に、活力を与える魔術。スミーリ家で、初期に研究されていたものよ」

「つまり……」

 驚いて見上げたマリオンに、ルナティアは微笑を向けた。

「ええ。あの魔術で枯れた植物は、少しずつよみがえっていくはずだわ」

 それを聞き、二人の女性は顔を見合わせた。そのあと、一緒になって、「あ!」と叫んだ。

「じゃあ、ロトも」

 女性は期待をこめて尋ねたが、ルナティアはゆるやかにかぶりを振った。

「確かに彼にも効いているけれど。私は、活力を与えただけ、つまりは、自力で回復できるだけの力をちょっとあげただけだから。彼が目を覚ますかどうかは、彼しだいよ」

 そっか、と女性は肩を落とす。マリオンも、ロトの顔をまんじりと見つめた。少しして、ルナティアに呼びかけられたことに気がついて、目を戻す。ルナティアは、やさしい表情でささやいた。

「大切な人がいるというのは、いいことだわ。そして、それが誰か、気づいているのが一番大事。私はあのとき、きっと、そういう人を自分で見つけられなかったから。一番の友達だと思っていた人も、遠ざけてしまったから、こうなってしまった」

「ルナティア……アナスタシア」

「彼のこと、支えてあげなさい。きっと、あなたも、彼に支えられることでしょう」

 それだけ言うと、彼女は眠ったようにうつむいた。音もなく、静かに地面に倒れて、そしてそれきり、動かなくなった。生き残った人々は、人が呼ばれるまでの間、彼女の姿を目に焼き付けるように見つめ続けた。



 フェイは、そっと目を開けた。いつのまにか目を閉じていたことに気づいて、なんとも言えない気持ちになる。ぼんやりと見える風景のなかで、まだ鳥は暴れ狂っている。けれど、彼の中の息苦しさは消えていた。

 それにしても、このぬくもりは、なんだろう。今まで泥水の中でもがいていたのに、急に空気のきれいな森の中に来たような感覚だった。首をひねったフェイは、そのまま、かたわらにいるエレノアを見上げる。彼女もまた信じられないという顔をしていた。けれど、フェイと違って、すぐに真剣な顔になった。そして一瞬、にやりと笑うと、軍刀を突きあげた。

「みんな、ロトがやったぞ!」

 その叫びは、戦場を瞬く間に駆け巡った。驚きのざわめきが起き、すぐに歓声へと変わってゆく。

「あとはこいつを倒せば、俺たちの勝ち、ってわけだ!」

 軍人の誰かが、言った。フェイも顔をほころばせた。――しかし、喜びは長く続かない。

「でも……いったい、どうやって倒せば……?」

「心配は、いらないだろう」

 いきなり声が降ってくる。フェイは、飛び上がってエレノアを見上げた。

「どういうことですか?」

「すぐにわかるさ。まあ、我々にしてみれば、悔しい話ではあるんだが」

 エレノアは、苦笑する。フェイにはなんのことか、さっぱりわからない。彼は頭を傾けた。

 そのとき、上から――どこかは、はっきりとわからないところから、声がした。


『止まれ。おまえの役目は、終わりだ』


 ずしりと重い、老女の声。それがあちこちに反響したとき。鳥が震えて、動きをとめた。くちばしをあえぐように動かした鳥は、激しく翼をばたつかせて、もがきはじめる。フェイを含め、人々は呆然とした。その人々に、はりつめた号令が叩きつけられる。

「何をしている! 今が好機だ、総攻撃!」

 エレノアが、言い終わる前に方陣を描きあげて炎を飛ばす。我に返った人々も、いっせいに武器をとり、あるいは方陣を描きはじめた。たちまち、空は矢と光でうめ尽くされる。フェイの見ている先では、エルフリーデが苦労して描いた方陣を弾いた。光はぱっと粒になったあと、もう一度集まって、太いひもに変わった。ひもは、ひゅんっ、と風を切って、鳥のもとへ飛んでゆく。灰色の体にからみつき、もがく鳥をさらにぐるぐる巻きにした。

「や、やった!」

「っしゃあ! さすが、エルフリーデだぜ!」

 感激して涙目になったエルフリーデと、隣にいたクレマンが、手を打ちあわせる。その後すぐに、クレマンが矢をつがえ、弓をひいた。少年の放った矢は、鋭く飛んで、翼を射ぬく。そこへさらに、シェルバ人たちの矢が追い打ちをかけた。翼を傷つけられた鳥の体が、がくりと揺らぐ。そこへ魔術の雨が降り注ぎ、ついに、鳥は身の毛もよだつ断末魔をあげながら、ちていった。それを見た人びとは、喜びの声を上げる。枯れた大地に、割れんばかりの歓声が響いた。


 フェイは、煙をあげながら遠くへ消えていく鳥の影に見入っていた。なぜか、目が離せない。

「心配いらなかっただろう?」頭上に笑い声が落ちてきた。フェイは、ぼんやりしたままうなずく。そして、ふと思い立って、空をあおいだ。

「でも、さっきの声はなんだったんでしょうか」

「決まっているさ。あの鳥の、もとの持ち主だよ」

 あっけらかんとしたエレノアの答えを、フェイは頭の中で繰り返す。しばらく考えて、閃いた。まさか、と背後の木々を振り仰ぐ。けれども、緑が戻りはじめている木々の間に、探し求める人の姿は、なかった。


 一人の女性の宣戦布告で始まった戦いは、こうして静かに終わりを告げた。もちろん、勝ったから終わり、というわけにはいかない。エレノアたち『白翼の隊』は、さっそく後片付けのために動きだした。幸い枯れた地は勝手に戻りはじめたけれど、町の人々を呼びもどしたり、《爪》もどきの行方を追ったりしなければいけない。やることは、多かった。

 ルナティアが監獄塔の中で亡くなったことを、フェイたちはワーテルに聞いて知った。ロトがいわゆる「意識不明の重体」だということも。そして――


「そういえば、アニーはどうなったんだ」

 人々が慌ただしく駆けまわる、喧騒けんそうのただ中で。手当てが終わったクレマンが、ひょいっと手を挙げて言った。フェイとエルフリーデは、顔を見合わせてから、あたりを見回す。いつもなら、はぐれても、どこかから姿を現しそうな少女。今、その姿は、どこにも見当たらなかった。

「無事らしいとは聞いたけど……ひょっとしたら、動けなくなってるかも。また無茶をして」

「ああ、ありえる」クレマンとエルフリーデが、息とともに吐き捨てた。ちなみに、全員、自分たちのことは棚にあげている。

「エルフリーデ、アニーと別れたのって、どのへん?」

「あ、うん。ちょっと待ってね!」

 拳をにぎったエルフリーデは、鮮やかに記憶をたどって駆けだした。少年たちは彼女の背中を追いかけて、乾いた草木をかき分け進む。行き着いた先で、彼らはまず血のにおいにひるみ、次に立ちすくんだ。

「アニー!?」

「おまえ……それ」

 フェイとクレマンの叫び声が、重なる。エルフリーデにいたっては、もはや何も言うことができずに、青ざめていた。

 エルフリーデの記憶は正しかった。そこには、確かに、アニーがいた。けれど、彼女は頭から足先まで血まみれで、どこかうつろな碧眼を、すぐそばに倒れる人だったものに向けていた。

 声に気づいたアニーは、ゆっくりと頭を動かす。返り血にまみれた自分の腕を見やると、「ああ、これか」と呟いた。

「ごめん。びっくりするよね」

「びっくりどころじゃねえだろ! なんだよそれ!」

「大丈夫。ほとんど、私の血じゃない」

 笑って言うアニーに、クレマンはさらに何かをまくし立てようとしていた。けれども、勢いを削がれたのか、むっつりと押し黙ってしまった。フェイは、そっと、アニーに近寄る。

 血まみれの体と、オルトゥーズの亡骸なきがら。彼の喉にささった剣。これだけ見れば、何があったのか、嫌でも想像がつく。正直、フェイの方が気絶してしまいそうだった。彼はなるべくむごいものを見ないようにしながら、アニーの肩に手をおいた。

「……アニー。行こう。少し、休もう」

 アニーは目を見開くと、頭を激しく振った。

「平気よ! それより、私たちもなにか手伝わないと」

「アニー」今度は、フェイの方が、首を振る。肩においた手をそのまま引き寄せて、幼馴染を抱き寄せた。さすがに慌てたアニーが、もがく。

「わ、ちょ、何すんの。フェイが汚れる……!」

「別にいいよ。ぼくよりアニーが心配だし」

「何それ。平気だって言ってるじゃない」

 アニーは唇をとがらせた。フェイは取り合わなかった。

「ねえ、アニー。こんな大変なこと、一人でためこんじゃだめだ」

 アニーは、何も言わない。ただ、わずかに震えた。

「力にはなれないかもしれないけど、せめて、ぼくらにも背負わせてよ」

 フェイは、少女の背中をあやすように叩く。そこへクレマンとエルフリーデがやってきて、アニーの頭をかき混ぜた。顔色が悪いまま、それでも無理して笑顔をつくる。

「そうだそうだ。一人だけいい格好しようったって、そうはいかねえぞ!」

「別々の場所で、みんな一緒に戦ったのよ。アニーは一人じゃないんだよ」

 答えはない。ただ、沈黙の隙間から、かすかなえつがもれている。

「……とりあえず、戻らねえ? 軍人さんが来たみたいだ」

 ざわめきながら近づく軍服の群を見つけて、目陰をさして、クレマンが言った。フェイとエルフリーデはうなずくと、アニーを支えて立ちあがる。そのアニーはというと、フェイから体を離して、代わりに腕をぎゅっとつかんだ。

「ねえ、フェイ。しばらくこうしてていい?」

「いいよ」

 ゆっくりと、歩きだす。アニーは、笑顔を消して、ささやいた。

「ありがと。ありがとね、ほんとに」

「なに言ってるの、今さら」

 フェイがおどけて切り返すと、アニーは小さくうなずいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます