2 遺跡の地下

 階段は石でできたもののようだった。そうとう古いらしいが、崩れそうな様子はない。石段はひややかに、空洞の奥へとのびて、暗闇に吸い込まれていっている。

「こ、これ……下に続いてるってこと、なんですよね」

 黙って空洞をのぞきこんでいたフェイが、ロトに訊いた。彼はあっさりうなずいた。

「しかも、嫌な感じがする。この先に何かいるかもしれないな」

「何かって何よ?」

「そりゃわかんねえ。知りたければ、行ってみるしかないだろ」

 ロトの声音は変わらない。それに少し安心して、アニーとフェイは強く首を縦に振る。もとよりそのつもりで、フェルツ遺跡までやってきたのだ。振り返ったロトは、二人の表情からにじみ出る覚悟を感じたのだろう。無駄なことはいわず、帽子を目深にかぶって立ち上がった。それから火の入っていない角灯を持ちあげ、背嚢はいのうをあさって道具を取り出して火を起こした。角灯に火をいれた彼は、それを持ちあげ、踏み出した。

「俺が先に行く。二人は、ゆっくり、ついてこい」

「うん」

「は、はい」

 青年の言葉にそれぞれ答えたアニーとフェイは、ロトに続いて石段をそっと降りはじめる。四角い空洞の底からは、冷たい風がかすかに吹き上げてきた。

 一段、一段と下りてゆくごとに、まわりの風景は闇の中に沈みこんでゆく。地下の寒さにぶるりと震えたアニーは、直後、地面に足がついたのを感じた。顔を上げれば、岩に挟まれた細い道がゆるやかに蛇行しながら続いているのが見える。足もとを照らす火の明りを、不思議な心地でながめた。

「すごい……こんなところに地下道があったなんて……」

 隣にやってきたフェイがこぼす。感動して目を輝かせていた。その少し前で、ロトが「これ報告したら、またいろいろ言われそうだな」と嫌そうにぼやいている。この温度差はなんなのか、とアニーは首をひねった。

「ロトさん?」

 ふいに、フェイが青年を呼んだ。彼は振り返って「なんだ」と言う。いつもどおり無愛想だが、一方で怪訝に思っているようでもあった。問いかけるようなまなざしを受け、フェイが肩をこわばらせる。

「あ、いえ。なんだか、顔色が悪い気がしたので。大丈夫かな、って」

 幼馴染の言葉にはっとしたアニーは、まじまじとロトを見る。確かに、わずかに青ざめているように見えた。遺跡に入ってからというもの、昨日のような苛烈さがないのも気にかかる。だが青年は、ふんっと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。

「気のせいだ。それより、とっとと行くぞ」

 そう言って彼は背を向けたが、すぐ思い出したように二人を振り返った。

「そうだ。忘れるところだったが、いくつか注意することを言っておくぞ」

 二人が慌ててうなずくと、ロトは指を一本立てた。

「第一に、単独行動は禁止だ。必ず、俺の後ろについて歩くこと。勝手に動いて迷子になっても、探しには行かねえからな」

「わかった」

 アニーが返事をすると、ロトはうなずいて、二本目の指を立てた。

「第二に、動くときはゆっくりだ。何かの気配を感じても、俺が指示したとき以外は、走ろうとするな。ここに棲みついている魔物を刺激するってのもあるが、走った衝撃で遺跡が崩れてくることが一番危険だからな」

 これにはフェイが、こくこくとうなずいた。天井が崩落する様を想像したのだろう。ロトは無表情で三本目の指を立て、もう一方の手に持っているランタンを掲げた。

「第三に、明りは最小限のものだけを使う。角灯一個だ。おまえたちが持ってるのは、予備だと考えてくれ。あんまり明りが多いと、魔物を怒らせる可能性がある」

「そ、それ一個で大丈夫なの?」

 アニーが震える声で訊くと、ロトはにやりと笑った。

「魔術で少し、光を強くしてある。道を照らす分には問題ねえ」

 青年の本職を思い出したアニーとフェイは、ほっと息をついた。ロトはそんな彼らの様子に構うことなく、「ほれ、行くぞ」と歩き出す。二人は短く返事をして、その後を追った。

 暗くて狭い通路に、三人分の足音だけが響く。しきりに壁を触ってみたり立ち止まってあたりを見たりしているロトの背後で、アニーは静かな時間を持て余して目を巡らせた。壁にはなぜか、燭台が等間隔にとりつけられている。昔はここに火がともっていたのかな、とぼんやり考えた。

 少し歩くと、ふいに道幅が広くなった。曲がり角や分岐が増えて道も複雑なものになる。その途中でロトが顔をしかめたのに合わせるように、フェイが口を開いた。

「そういえばロトさん、ヴェローネルのまわりに魔物が大量発生してるっておっしゃってましたよね。ぼくらがここに来るまで、全然魔物に出くわさなかったですけど……」

「そりゃ、朝だからな」

 少年の疑問に、ロトはそっけなく答えた。

「今回目撃されてる魔物は、夕方から夜にかけてかなり活発になって、街道まで出てくることもあるらしい」

「え、ええっ!?」

 アニーとフェイは声を揃えて叫ぶ。叫んでから、慌てて口を押さえた。ロトが呆れたようにため息をついたが、すぐに説明を続けてくれる。

「それで、何度か調査に出た結果、俺はこの遺跡のあたりに、魔物をおびき寄せる何かがあるんじゃないかと考えた。あとは……昨日話した通りだ」

 つまり、手がかりを求めて遺跡に入ろうとしたものの、申請書をもらえず参っていた――ということだ。それは怒って投げだしたくなりそうだとも思うが、アニーはその話を聞きながらなんとなく、考えていた。

 きっとロトは、私たちに出会わなくても、なんとかして依頼をこなしていただろう、と。

 そんな会話をした後、三人は淡々と歩いていた。一個の角灯だけが、行く先を照らしている。ときおり、ロトが辺りを見回して何かを考え込んでいたが、彼は何も言わない。

「どう? 何か、見つかりそう?」

 小さな焦りを感じながら、アニーが身を乗り出して問う。ロトは「いや」という言葉とともに首を振った後、顎に指をひっかけて付け足した。

「でも、なんだかこう……嫌な感じはあるな。妙に濃い魔力が、奥の方から漂ってきてる気がする。なんかでかいのがいるかもしれねえ」

「でかいのって……守護獣ですかね」

「だといいけどな。もしかしたら、ただ厄介なだけの魔物かもしれない」

 それを聞き、アニーは眉を寄せる。

「でも、なんでそんなのわかるの? 私、そんなに嫌なものがあるとは思えないけど」

「そりゃ……俺は魔術師だからな。魔術師自身、術を使えるほどの魔力を持った身だ。外や他人の魔力にも敏感になって当然だわな」

 淡々としたロトの言葉に、アニーとフェイは顔を見合わせる。そういえばそうだった、とお互いの目が語っていた。ついさっきその能力の一端を見せつけられたばかりだというのに。

「なんか、ロトの本職、忘れそうだわ」

「覚えててもらわなくても支障はない。むしろ、魔術師うんぬんは気にしないでもらえた方がいい」

 てっきり無視されるか憎まれ口を叩かれるかのどっちかだろうと思っていたアニーは、思わぬ返しに目を見開いた。疑問と不安と好奇心に満ちた目で、青年の背中を見上げる。

「え? それってどういう」

 しかし、言葉を続けようとしたアニーを、ロトは手で制した。角灯を掲げると、小さく指を動かして、てのひらほどの方陣を描く。それが明滅して角灯へ吸い込まれていくと、火がじょじょにしぼんでいった。

 ぽかんとしている子ども二人を振り返らずに、彼は言う。

「フェイ、下がってろ。アニーはいつでも剣を抜けるようにしておけ」

 角灯の光が小さくなる。ロトは、半歩後ろに下がってきた。初めてそこで振り返り、暗い海のような瞳で、アニーをひたと見据える。

「武器を取れ。――来るぞ」

 直後、道の向こうの暗闇から、不穏な音がした。


 ロトが手ぶりでアニーを呼ぶ。前線に出ろ、という意味だ。アニーはうなずいてロトの前に出ると、腰に下げた鞘から、すらりと剣を抜き放った。普通の剣より短い。が、刃は本物だ。わずかな明かりを受けて、白刃がちかりときらめく。

 同時に、闇の先で何かが動いた。バサバサとやかましい羽音が辺りを包む。アニーが構えをとると、上空から黒い塊が飛来した。塊が低空飛行をしたところを狙って、アニーは思いっきり剣を叩きつける。刃はあっさりと塊を両断した。塊は、こげ茶色の血を噴き上げながら地面に落ちる。

「血の色が違う……」

「魔物だね」

 背後から、フェイの震えた声が聞こえてくる。それに、アニーは答えた。

 刹那。突然、アニーの右耳のあたりが熱くなった。はっとして彼女が前を見ると、襲撃者が炎の矢に貫かれたところだった。火に照らし出された姿は、コウモリだった。コウモリは、目を見開いてギッ、ギギッと鳴くと、焦げて崩れ落ちた。

「油断するんじゃないぞ!」

 ななめ後ろから大声が聞こえる。アニーは少しだけ首を傾けて、声の主を――ロトを見た。彼は右手を前面に突き出しており、その前には赤い光で形作られた方陣が浮かんでいる。

「ありがとう、ロト! そうしてると魔術師らしいね!」

「阿呆、言ってる場合か。あと、あんまり俺をあてにするな。そんなたくさん魔術を使えないからな」

「……どういうこと?」

「ちょいと事情があるんだよ。それより、来るぞ」

 ロトに促され、再び前を見たアニーは、顔を引きつらせた。羽音だけでなく、キィキィと甲高い鳴き声まで聞こえてくる。彼女の目の前は、黒い塊で埋め尽くされていた。しかも、一対の赤い光がたくさん見える。

「目、光ってるぅ……。怖い、気持ち悪い……」

 呟いて、彼女が半歩後ずさりをすると、ロトの声が聞こえた。

「厄介な大群だな。――アニー! おまえは死なないことだけ考えて、とにかく戦え!」

「わ、わかった!」

 アニーはうなずき、剣の柄をにぎり締めた。手が汗ばんでいる。口が渇く。こんなに緊張した戦いは初めてだ。初めての、模擬戦ではない、命のやりとり。

 わずか十一歳の少女は、地下道の真ん中で深呼吸をする。まるでそれが合図だったかのように、コウモリの大群が飛びかかってきた。


 殺気立った鳴き声を聞きながら、アニーはひとり、群れへと飛びこむ。次々と、コウモリたちを切りはらっていった。もう無我夢中で、何をしているのか分からない。だが確かに、アニーのにぎる剣は、コウモリを切り、薙ぎ、刺していた。横から羽音が聞こえると、彼女はぱっと体を反転させて、襲撃者の体を突いた。続けざまに剣を回転させて、一匹を切りはらう。息もつかせず襲ってきた二匹を見たアニーは、腹に力を込め、鋭い裂帛れっぱくとともに、一息にそれらを両断した。

 アニーの大立ち回りの間を縫うようにして、火の矢や氷の刃が、コウモリを撃ち落としていく。ロトの魔術だ。アニーは彼の援護のおかげで、背後を気にせず戦うことができていた。アニーに対して、「あてにするな」と彼は言ったが、実力は、十分以上、戦場において通用するほどだったのである。

 血と悲鳴がほとばしる。アニーは夢中で剣を振っていた。必死すぎて、自分が戦場に恐怖しているのだという自覚さえ、なかった。

 彼女のにぎる剣が、コウモリの群れの、最後の一匹を切り裂いた。ギギッと悲鳴を上げてコウモリが落ちると同時に、あたりは静寂に包まれた。剣を構えた姿勢で固まっていたアニーは、はっとして腕を下ろす。

 狭い通路は、血と死骸の山になっていた。地に落ちたコウモリたちは一匹も動かない。切り裂かれているものだけでなく、炭と化しているものや、氷漬けのものもいた。

「これが……」

 アニーは力の抜けた声で呟く。血の気が引いていくのを感じた。

 これが戦い。これが、命を奪うということ。――そして今回、命を奪ったのは、自分だ。

 事実に気付いた途端、足先から脳天まで、一気に寒気が駆け抜ける。ふらついて、剣を落としそうになる。だが、彼女がへたりこみかけたとき、体を支えられる感覚があった。顔を上げると、目の前に魔術師の青年がいる。

「初めての実戦にしては、よくやったと思うぞ。――お疲れさん」

「うん……」

 無愛想には変わりなかったが、そう言われた途端、目頭が熱くなる。アニーは、唇を噛んでうなずいた。するとロトは、彼女の肩をいささか乱暴にどやしつける。

「ほれ、しゃきっとしろ! まだ遺跡に入ったばっかりだぞ。ま、吐いたり小便漏らしたりしなかっただけ、大したもんだけどな」

「――! や、やめてよぉっ!」

 ロトにそう言われた途端、アニーは眦をつり上げてぱっと体を起こす。下品な物言いをされたことに、少し腹を立てた。だから彼女は、怒った自分を見てロトがかすかに頬を緩めたことに、気付かなかった。

 アニーがぷりぷり怒りながら剣を鞘に収めている横で、ロトが振り返る。それから大きすぎず小さすぎない声で、残る一人を呼んだ。

「おい! そっちは大丈夫か?」

「そっち」というのが幼馴染のことだと気付いて、少女は慌てて振り返る。同時に、少し離れた岩陰からフェイが姿を現した。言葉はない。彼は小刻みに震えながら、こくこくと何度もうなずく。涙目で二人のを順繰りに見てから、その涙を両腕でめちゃくちゃにぬぐった。

「す、すみません……本物の戦い、なんて、初めて見たから……」

 フェイがしゃくりあげながらそう言うと、ロトは安堵とも呆れともとれる表情で、肩をすくめる。

「最初はそんなもんだ、気にするな。そのうち慣れる」

「ほんとですか……?」

「本当だ。多少なりとも戦いをする人間なら、誰もが通る道だからな」

 フェイが訊くと、ロトはさらりと答えた。それから腰を上げる。彼の姿を目で追いながら、アニーはその言葉を舌で転がす。そして浮かんだ疑問を、なんの気なしに口にした。

「ロトも、そうなの?」

 誰もが通る道、を彼もまた、通ってきたのか。アニーが問うと、ロトは一瞬だけ動きを止めてから、冷やかな笑みを浮かべる。

「さあ、どうかな」

 返された声はひどく平板だった。何かを嘲るような彼の態度に、アニーもフェイもぎくりとする。が、彼は先のやり取りすらなかったかのように、すぐいつもの仏頂面に戻った。

「そんなことより先に進むぞ。もう少し行ったら休憩するからふんばれ」

 言いたいことだけ言い残し、青年はさっさと歩きだす。子どもたちは慌てて、後を追った。

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