第二章 魔窟の銀色

1 方陣と隠されていたもの

 三人は慎重に瓦礫をまたぎこえながら、神殿の中へ踏みこんだ。円形の建物はアニーが予想していたよりも広かったが、獣がいるようには見えない。まるい柱と柱のすきまから朝の光がさしこんで、茶色い岩でできた内部をぼんやり照らしている。中央には、男性神とおぼしきものの像があり、かたわらに石板のようなものが立っていた。

「なんだか……思っていたより殺風景ですね」

 ゆっくりと中に踏みこみながら、フェイが呟く。高めの声は奇妙に反響して響いた。好奇心に満ちあふれた顔をしている彼の横で、ロトがひまそうに組んだ腕を伸ばしている。

「ま、神様に祈るためだけの場所っぽいしな。あんまり派手でも落ちつかないだろ」

 投げやりな言葉に、アニーが思わず「てきとう」と呟けば、「うるさい」としっかり文句が返ってきた。耳がよろしいようだ。アニーは小さく鼻を鳴らしてから、ロトを見上げる。

「こんなところに守護獣がいるの?」

「さあな? 俺は『絶対にいる』とは一言も言ってねえし。

守護獣といやあ、番犬がわりに意図的に配置されたものと、その地に棲みついていた強い魔物を閉じ込めて番犬にしたものがいるようだが――ここにいると仮定すれば、後者だな」

 小難しいことを呟きながら、ロトはつまさきで石の床を叩く。乾いた音が高く跳ねた。

「とすると……ものすごーくわかりづらいところにいるかもな」

「なんで?」

「いらんときに暴れられて街の人間が殺されでもしたら困るだろ」

 アニーの問いに、ロトは肩をすくめて答えた。あまりにもあっけらかんとしすぎていて子ども二人は唖然とするが、青年はそんな彼らを気にもとめず手袋をはめながら歩いていく。先に我に返ったアニーが、慌てて遠ざかる背中に声をかけた。

「じゃ、じゃあ『ものすごーくわかりづらい』感じのところを探してみればいいのかな!」

「ああ、まあ、とりあえずそんな感じで。俺は俺で自分の仕事するから、何か見つけたら教えてくれや」

 ロトの返答はまたしても適当だ。アニーとフェイは顔を見合わせたあと、自分たちも慌てて手袋をはめ、飾り気のない革の帽子をかぶり、神殿跡を探りはじめる。――言葉にばかり気を取られていた二人は、ロトが肩と顔をこわばらせてあたりを警戒していることに気づかなかった。

 それから三十分程度、神殿内部を捜索してみたものの、守護獣や魔物につながりそうなものは何一つ出てこない。ぼろぼろになった祭壇の裏をのぞいたあと、ひらべったい瓦礫をひっくりかえしたところで、アニーはため息をつく。少しずつ暑くなってきていて、服の中に汗がにじむのを感じた。

「フェイ、そっちはー?」

 アニーはそばで円柱の土台をのぞきこんでいる幼馴染に、力の抜けた声を投げる。すると、すぐにため息混じりの返答があった。

「だめ。何もない」

「そっかー」

 アニーは言ったあと、頬をぬぐった。ざらざらと砂礫の感触が伝わってきて、顔をしかめる。立ち上がろうとした彼女は人の気配を感じて振り返った。いつのまにか、ロトがそばにかがみこんでいた。

「ねえロト。ここ、何もなさそうだけど」

 文句半分意見半分でそう言ってみる。が、ロトからの返事はない。アニーは首をかしげながら青年の顔をのぞきこみ、驚いた。

 真剣な顔をしている。これまで見たことがないくらい。目が鋭く光り、口は一文字に引き結ばれている。動かす手は止まらない。アニーが呆然としていると、ロトは左手で顎をなでた。

「ここでもない、か」

 呟くと、ロトは強くかぶりを振った。

「ああ、くそっ。わかりづれえな。なんでこんなに気配が曖昧なんだ」

――よくわからないが、何かにいらついているらしい。邪魔をしない方がいいかと判断したアニーは、音を立てずに立ち上がると、青年から距離をとった。そのときふと、男性神の像が目に入る。そのかたわらにかがみこみ、渋い顔をした。

「ここ、さっき調べたんだよねえ」

 ぼやきながら、意味もなく神像のまわりをながめまわしながら、石の床を手で触る。考えなしに、そばに立っている石板の裏を上から下までのぞき見て――視線が地面に達したとき、高い視力を誇るアニーの両目は、違和感を覚えた。

「……ん?」

 呟いて、思わず石板のそばの地面を手でなでまわす。あたりと何度も何度も見比べたアニーは、ふくらむばかりの疑念に眉をしかめた。

――床の色が違うのだ。

 神像と石板の間には、大人の女性が寝そべられるほどの隙間がある。その隙間の、ほんの一部分だけ、周囲の床と色が違うのだ。あたりが砂の薄い茶色なら、その一部は焦げ付きのような濃い茶色。染みか、変色の結果だといわれればそれで納得してしまいそうなほどの違いではあるが、アニーとしては一か所だけ明らかに違う、というのがどうにも気になった。うーん、とうなり、遠くの方でしゃがんでいる青年を振り返る。

「ねえ、ロトー」

 集中していても気づいてもらえるよう、怒鳴り声の一歩手前くらいの大声を出した。結果、狙いどおりロトは振りむいてくれる。

「どうした、何かあったか?」

「うん。なんか、床の色がすこーし違うの」

 アニーが言うと、ロトは一瞬黙ってから「ちょっと待ってろ」といい立ち上がる。それを見たアニーは目尻を下げた。ひょっとしたら、手がかりでもなんでもないかもしれない。馬鹿にされるかもしれない。そんな考えが頭をよぎる。だが、もう遅い。報告してしまったし、ロトもフェイもこちらに注意が向いている。アニーが頭を抱えているうちに、二人がそばへやってきた。少女の苦悩をよそにロトがひょいっと膝を曲げて、アニーの示した床をのぞきこむ。不機嫌そうな目が、焦げ付きのような色を見て。

 瞬間、彼の顔つきが変わった。

「これ――」

「ろ、ロトさん?」

 息をのむような青年の声と、うろたえた幼馴染の声を聞き、アニーはようやく顔を上げた。そのとき、大きい手が彼女を押しのけるようにかざされる。

「アニー、フェイ、どいてろ」

 ロトは怖いくらい静かな声で言った。アニーは戸惑いながら立ち上がり、言われたとおりその場から退く。同じように一歩下がったフェイと、困惑の視線をぶつけあった。わけがわからず黙りこむ子どもたちをよそに、ロトは先程までアニーがいたところでしゃがむと、右手の手袋を乱暴に取り払った。指を広げ、一度目をつぶってまた開く。細い呼吸の音が響いた。

 刹那、アニーは寒気をおぼえて肩をすくめた。ロトの右手のまわりの空気が変わっているのを感じたのだ。消えかけの蝋燭の火と同じくらいかすかな、しかし確かな変質。それがなんなのか、確かめる前に、ロトは右手を焦げ付いたような色をした部分にかざす。すると、地面がいきなり淡い白光を放った。そして消えた白光の先から、これまた光で形作られた複雑な図形が現れる。アニーとフェイは目をむいた。

「な、何これ!?」

「『方陣』だ」

 混乱しきったアニーの叫びに、凪いだ海のごとく静かなロトの声が答える。子どもたちはそろって首をひねった。

「方陣?」

「魔術を使うのに必要な……あー、なんつーか、道具?みたいなもんだ」

「魔術っ!?」

 ロトの曖昧な説明よりも、魔術の一語に驚いて、アニーとフェイは叫ぶ。「なんでこんなところに、魔術がかかってるわけ!?」とアニーが叫ぶ。それに対しては、ロトは首をすくめるだけで何も答えなかった。そのあと、方陣のまわりを手でなでる。

「うまいこと隠してあったから、魔力に敏感じゃないと気づかないな、こりゃ。調査隊が見逃すわけだ」

 呟いた青年は口角を上げた。挑戦的に、そして何かを嘲るように、笑う。

「――が、今回は相手が悪かったな」

 そう言うと彼は、アニーとフェイに「もう少し待て」と言い置いて、方陣に顔を近づけた。宙で、確かめるように左右の指を躍らせてから、方陣の上に置いた。円の中に、複雑な記号と文字が並ぶ図形は、いっそう強い輝きを放つ。自分を前にしている術師を試しているかのようだ。術師かれは目を細くして、すっと指を動かしはじめた。

「三周構造の陣か。複雑にも見えるが……ああでも、第一周では施術の種を定義して、範囲と強度を決めてるだけだ。ほかと関連付けられているようにも見えないから、これを解いてゼロにしてっと」

 ぶつぶつと、アニーには意味のわからないことを呟きながら、ロトの指がとんとんと方陣の上を叩き、滑ってゆく。アニーはそこではじめて、彼の指もまた淡い光を帯びていることに気がついた。あれが魔力か、と遅れて気づく。

 アニーが感嘆している間に、方陣の一番外側の円が消え、そう経たないうちに二番目の円も消えた。最後には、鍵の上下を工具か何かでむりやりねじまげたような、そんな記号が大きく描かれている円だけが残る。が、そこでロトの指が止まった。

「こりゃ……解除式の最終項が暗号化されてるのか?」

「あ、あの、ロトさん。大丈夫ですか?」

 はりつめてゆく空気に耐えかねたのか、フェイがそっと声をかけた。アニーは彼の耳をむいっとひっぱり、同時にロトもあいた手を振って、追い払うようなしぐさをする。再び、指が動き始めた。青年は振った方の手をこめかみに当てる。

「落ちつけ」

 大きな声で言った彼は、それから音量を落として呟いた。今までなんの式を解いたか、そこに『言葉』がまぎれていなかったか。そんなことを言ったように、アニーには思えた。指はしばらく陣の外を叩き、なぞる。そしてやがて、ロトは正解に辿り着いたのだろう。両目が、大きく見開かれた。

「――見つけた」

 彼は不敵に言うと、光をまとった指をまがった鍵のような記号の上で踊らせる。すると、光が指の軌跡を描いて、記号のうえに文字のようなものを浮かび上がらせた。その文字はすぐ記号に吸い込まれていき――やがて、光の文字を吸いこんだ記号も、一瞬だけ強く白い光を発したあと、消えた。

 アニーとフェイは驚愕に息をのむ。だが、彼らにとってはじめて目にする現象は、これで終わらなかった。

 方陣の消えうせた場所には、焦げ付きのような色もなくなっていた。そして、その部分だけが不自然に、三人の視線の向こうへ動く。ずずずっと重い物をひきずるような音を立てて床が動いたその下には、真四角の空洞ができていた。空洞は、底が見えないほどに深い。

「これ、隠し扉だったってことですか?」

 フェイがしかけの意味を理解して、高い声をあげる。アニーにいたっては言葉すら出なかった。

 驚きにひたっている子どもたちをよそに、青年は冷静だ。「そうみたいだな」とこともなげに呟くと、ため息をこぼしながら身を乗り出す。無言で空洞をのぞきこんだあと、一瞬だけ顔をしかめてから子どもたちを振り返った。

「でかした、アニー。だ」

 青い目はアニーを見、そんなふうに言う。

「え?」

 アニーは思わずまばたきした。フェイと顔を見合わせてから、二人揃って、ロトの背中越しに空洞をのぞきこんだ。そして揃って声を上げた。

「あっ!!」

 三人がみすえる空洞の底へ向かって、見るからに古い階段が続いていたのである。

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