4 青い玉
「あー……緊張した……」
脱力しきった声がする。アニーはそちらを振り返り、口もとをほころばせた。疲れきって肩を落とすクレマンを、エルフリーデが気遣わしげに見ている。アニーはというと、あえて、にまにまとゆがめた顔を向けていた。
「あれくらいで疲れるとか、情けないねえ。クレマンくん」
「んだよ! アニーだって、ずっとがちがちだったくせに!」
「どこが!」
犬のようにうなる。その裏で、アニーは少し驚いていた。同じ『戦士科』とはいえ、こうもたやすく見すかされるとは思っていなかったのだ。お互い、他人のことはよく見える、というわけか。
情報院を出た一行は、再び、人でごった返す道を歩いていた。ふと隣を見ると、フェイがぎょっとした顔をしている。何事かと思ってみれば、やけに色の白い男の人が、彼に向かって笑顔を振りまいていた。乾かした木の実らしきものがいっぱいに詰まった籠を、しきりに振っている。想像もしていなかった事態に、さすがのアニーも身をすくませた。
いわゆる、妙な人にからまれている状況なのは、すぐにわかる。けれど、相手が何をしゃべっているのかまったくわからないうえに、口をはさむ隙間もない。幼馴染二人が同時に先輩たちに助けを求めようとしたとき、フェイのななめ後ろから手がのびて、ひょいっと彼の襟首をつかんだ。
「――あっ」
「どいてろ」
振り向くなり、深海色の瞳を間近に見たフェイが、目を丸くする。アニーも口を開けていた。さっさとフェイを自分の脇に避けたロトが、男性に向かって短く言葉をかけた。彼が話している言葉に似ていたが、音がはっきりしている。男性はうつむきがちになって目をそらした。ロトは構わず、木の実を数粒つかんで、代わりに銅貨を放った。
「あ、ありがとう」
ロトは黙って手を振った。やりとりを聞きつけて、アニーたちの方へ戻ってきたほかの四人が、あっと声を上げる。
「すごいですね。なんて言ったんですか、今の」
「『それはグランドル人には受けないからやめとけ』ってな」
リーヴァの問いに答えたロトは、木の実らしきものを一粒口に放りこんで、噛みつぶす。アニーはその姿を、じっと見上げた。見たことのない木の実だ。どんな味がするのだろう――。少女の、好奇心に満ちた視線に気づいたのか、ロトが木の実をつまむ。
「食うか? すっげえ変な味がするぜ」
「うわ、やな勧め方」
アニーが顔をしかめていると、横からクレマンが「俺、食ってみてもいいっすか?」と、顔を出す。ロトに渡された木の実を口に含んだ少年は、すぐに、顔をくしゃくしゃにしてのたうち回った。彼の背をなぐさめるようにさすったエルフリーデが、ふと、思いついたように視線を上げる。
「ロトさん。さっき、どうして、軍人さんと情報院にいたんですか?」
「あっ。それ、ぼくも気になってたんだけど……」
フェイもおずおずと手をあげる。ロトは、一瞬、ものすごく嫌そうな顔をした。それからしばらく地面をにらみつけていたが、六人に続いて歩きはじめると、声をこぼした。
「あの軍人への付き添いを頼まれてな。魔術師部隊って、聞いたことがあるだろ。俺たちは一時期、あそこの連中に世話になってたことがあってな。今でもまあ、繋がりがあるんだよ」
「じゃあ、もしかして、今回会いにきた人って」
アニーがぽんっと手を打つと、ロトは小さくうなずいた。「そこの隊長に呼ばれたんだ」と言って、短く息を吐く。
「ジルフィードとも、その頃に知りあって、今でもときどきやり取りしてる」
青年の静かな瞳が、子どもたちの一番前を歩く、少女をとらえた。
「それと、あんたの親父さんも知ってる」
声を投げかけられたリーヴァが、弾かれたように後ろを向いた。歩みが一瞬止まる。フランに小突かれて、慌てて足を進めた。
「ほ、ほんとですか?」
「ガイだろ。ガイ・ジェフリー大尉。さんざん娘自慢聞かされてたからな、すぐにわかった」
「うわあ……それは、ご迷惑をおかけしてます」
父の姿を想像したのか、リーヴァはげんなりと呟く。世界は狭いな、と、ぼんやり考えていたアニーは、三つ編みを軽くひっぱられて顔をそちらに向ける。クレマンが、しかめっ面をしていた。
「なあ。あの兄ちゃん、不良なのにすっげえ顔広くないか? どうなってんだ」
「そんなの、私に聞かれても困るんだけど」
ひそめられた問いかけに、同じく小声で返す。さらにエルフリーデが、「だからロトさんは不良じゃないって」とささやいた。
『便利屋』の青年の人間関係がどうなっていたのか、という議論をしていた彼らは気づかなかった。以前、リーヴァから父親の話を聞かされていたフェイが、「そういうことか」とうなずき、彼女の友人と笑いあっていることに。
そんなやりとりをしながらも、宿屋を目指しているさなか。アニーは目の端に、見覚えのある掲示板をとらえていた。同時に、不思議な光り方をする青い玉のことも思いだす。ちょうど、そのとき、ロトとエルフリーデが顔をしかめた。
自然、子どもたちの間に緊張が走る。
「ど、どうかしたの?」
フェイが、どちらにともなく問いかける。二人ともが、しばらくじっと考えこんでいた。だが、やがて、ロトがくるりと体の向きを変える。
「何かある」と、彼がにらみつけたのは――アニーとフランがのぞきこんだ、薄暗い小路だった。
アニーは、口を開きかけてすぐに閉じる。隣を見れば、フランも唇をもぞもぞと動かしていた。小路に目がいっている魔術師たちは、二人の表情に気づかない。小柄なエルフリーデが、奥に体を忍び込ませた。
「ロトさん。なんだか変な玉がありました!」
「変な玉?」
ロトがエルフリーデに続く。後ろから、少年たちも身を乗り出した。アニーもまた、フェイの肩越しにそれを見る。青い玉は、今もなお、不気味に光を瞬かせていた。
「これ、ひょっとして、魔術がらみの代物なの?」
とうとう、フランが呟く。声を聞きつけたロトが、じっとりと一瞥をくれた。アニーが視線にひるんでいるうちに、フランの方が「実は、昼間、僕らがそれを見つけたんですよ」と白状してしまった。アニーの予想に反して、ロトは気のない相槌を打つだけだった。それよりも、とばかりに、エルフリーデの肩を叩く。
「ちょっとどいてろ」
エルフリーデは、すなおに体をひねった。前に踏みだしたロトが人さし指をのばして、青い玉の表面に触れる。とたん、瞬いていた光が一気に表面を覆い、薄い青のむこうに、見慣れない図形が浮かびあがった。
「な、なんだよ、これ!?」
「それは俺が訊きてえよ。なんで儀式道具がこんなところに……」
ぎょっとして叫んだクレマンに、ロトは淡白な言葉を返す。クレマンはめげずに「儀式道具ってなんだ?」と訊き返していたが、ロトはまともに取り合わなかった。指をそうっと玉から離すと、手を払って立ち上がる。
「どうもきな臭いな」
「通報した方がいいんですかねー?」
「それは俺がやっておく。おまえらは口も手も出すな」
リーヴァが、了解、と敬礼をしてみせる。一方、アニーとクレマンは同時に唇をとがらせた。特にアニーは、胸の中がもやもやしてしかたがない。けれど同時に、彼の言うことが正しいのだということも、わかっていた。
今回はポルティエの一件とはわけが違う。誰かから調べてくれと頼まれたわけではないし、本当に軍や警察が動くのなら、アニーたち子どもにできることなどないのだ。
面倒くさい、と頭をかくロトと、彼と何かを話す先輩たちをながめていたアニーは、その視線を玉の方へ移す。
「あれ、なんだったのかしら……。何かに似ているような気はしたけど」
「んー。わかんねえ。葉っぱか?」
「葉っぱ? いや、ううん、どうなのかな」
同じように玉を見つめているエルフリーデとクレマンが、静かに言葉を交わしている。アニーは、彼らのやりとりを、後ろで指を組みながら聞いていた。声を聞き流していた彼女の脳裏に、ふっと、懐かしい地下道の風景が浮かびあがった。ふいに見えたものと、青色の図形が、頭の中で重なる。
「あ。――こうもり、の羽?」
少女の声は、どこにも届かない。誰かに届ける気もない。ただ、彼女はもう一度、小路の奥を振り返る。
再び、ちかちかと光りだした玉の表面には、何も浮かんでいなかった。
※
「どうした、こんなに朝早くから」
眠い目をこする青年を出迎えたのは、魔術師部隊を束ねる女の、裏返った声だった。軍部に出てきたばかりの彼女は、整えていた書類を放り出さんばかりの勢いで、彼の方に顔を突き出す。ロトは、ひらりと手を振った。
「ちょっと、報告しておきたいことがあってな。大したことじゃないんだけど」
言うなり、鞄から折りたたんだ紙を取り出して、執務机にすべらせた。エレノアは黙って紙を受け取り、開く。描かれたものを見るなり、凍りついた。その反応をあるていど予想していたロトは、けれどそれをおくびにも出さず、続ける。
「昨日、王都の街中で青い玉を見つけた。で、玉に触れたらその模様が浮かび上がった」
「王都の街中、だと?」
エレノアの声は高い。ロトはあくびを噛み殺し、何気ないふうを装って、続けた。
「俺たちの故郷に伝わる、古い魔術のなかにはな。術ひとつ発動させるのに、面倒くさい手順を踏んで、いくつかの道具を使うものもあったんだ。そのときに使う道具は俺たちの間じゃ、ただ単に儀式道具と呼ばれた。その、『
凍てついた沈黙が返る。ロトはただ、エレノアの決断を待った。
『おそらくあれは、君でなければ対処できない』
ジルフィードの言葉が聞こえてくる。
本当はロトも、関わりたくなどなかった。エレノアも巻きこみたくないと、いろいろ気をつかってくれていたのだろう。けれども、世の中の流れというのは時として、逃げることを許さない。まるで、はじめから波にのせることを決めていたかのように、偶然という手で彼らをからめとってくる。今までもそうして何度か、軍内部の騒ぎに巻きこまれたことがある。そのときと同じ――と思えば、不思議と、怖くなかった。
「実は今、王国各地から集まったと思われる魔術師たちが、不穏な動きを見せている」
凛とした声が、二人しかいない執務室に落とされた。ロトが目を上向けると、エレノアはあきらめきった表情で、頬杖をついている。ロトは彼女の方へ顔を突きだしかけて、やめた。かわりに、腕を組んだ。エレノアは皮肉げな笑みを刻み、口を開く。
「ひそかに集まっては、大がかりな魔術の準備をしていたようなのだ。最近になってようやく尻尾をつかめたが、そこでひとつ、問題が起きていてな」
「問題?」
「ああ。――これを」
エレノアが、執務机から身を乗り出した。それと同時にさしだされた紙を受け取ったロトは、距離をとって、全体をながめる。
そして――思いっきり、顔をしかめた。
「なるほど確かに。俺でなきゃ、対処できないわけだ」
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