Ⅱ 闇の五芒星

序章

真夜中の黒と白

 夜は深く、闇は濃い。うっそうと茂る草木に覆われたここは、なおさらだ。聞こえるのは葉のそよぐ音と虫の声、それだけ。今日は月光さえささない。そんな中にあれば、漆黒をまとう男の姿など、たやすく夜の中にまぎれてしまう。彼は、闇よりもさらに深い黒の瞳を、光の乏しい空に向ける。その目は、まるで感情を宿さない。硝子のような、とさえ形容できない。たたえられているのは、果てしない虚無だ。おぞましい、という者もいるだろう。寒気がする、と思う者もあるだろう。けれど少なくとも、彼の連れは漆黒の瞳を美しいと言って、ほほえむ。

――狂人を演ずるあいつらしい言い草だ。

 男は、連れの称賛に感動も喜びも見いださない。ただ、ぼんやりと、そんな感想を抱くのみである。


 夜はどこまでも深い。闇に果てはない。

 けれど、地上に目を下ろすと、その闇をさえぎるかのような、強い光がたちのぼっていた。男は眉をひそめ、光の方に視線を動かす。

 草と土がまだらに続く地面の上。そこに、本来はないものがあった。不自然に強い光を放つ、五芒星を基調とした図形。自然物にはありえない、整えられた美しさをもつそれは、魔術を使うための道具であり、式であり、空間であると男は知っている。そして、方陣の前に立ち、仰々しく手を広げる女のことも、よく、知っている。

 女は、何かをささやいた。あまりにも小さなささやきは、近くにいる男ですら聞きとれない。彼女だけの声は、静かに立ちのぼり、木々をすり抜けて夜空へと溶けてゆく。それとともに、方陣の光も、ゆるやかにおさまっていった。

 いつであろうと、強い光のもとに生まれるのは、濃い影だ。方陣の輝きが失せると、あたりは一層深い夜の闇に満たされる。そのなかで、女の影を見失わなかった男は、口を開いた。

「終わったのか」

 どこまでも平板で、感情を映さない声。それは、彼の瞳の虚無と、とてもよく似ていた。漆黒の目を美しいという彼女は、振り返り、ほほえんだ。一寸先も見通せない夜の中であるはずなのに、男は女がほほえんだのだと、わかった。

「ええ。これで、『仕掛け』は済んだわ。あとは獲物がひっかかるのを待つだけよ」

「そうか」

 男は短く返事をしたきり、女から顔をそらす。終わった、というのに、彼女は立っている場所から動く気がないようだった。男は、女がここを立ち去る気になるまで待つことにした。理由もなく、そばの木の幹に背中を預ける。背に伝わる硬さは、好きでも嫌いでもない。こういうものだ、と、受け入れた。

 静けさが満ちる。黒い瞳は、木々のむこうの夜空をとらえて細められた。

「『これ』にひっかかった獲物を、どうする気だ」

 なんの気なしに訊いてみた。答えは返らない。男も答えを急かさない。返答を求めていたつもりはないし、どうせ何も答えないだろうと、わかっていたからだ。男はまた、天をあおいで、息を吸った。湿り気を帯びた空気が、ゆっくりと体にしみこんでくる。

「まあいい」

 連れの女が何をするのかに興味はあるが、知る権利はない。知ろうという気持ちもない。

 ただ彼は、そばに立って、見届ける。それだけだ。それで、じゅうぶんだ。

 しばらく空を見つめていると、ようやく、強く瞬く星を、ひとつ見つけた。

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