第二章 探検

1 幽霊屋敷

 今日も容赦なく照りつける太陽は、石畳に降り注ぐ。熱を吸い込んだ石は、それを重い空気に変えて立ち昇らせていた。熱気に包まれる真昼のヴェローネル市。そのただ中には、いつもより多く若者の姿が見受けられる。せっせと店を手伝う者もいれば、数人で固まって、楽しげに話しながら歩いてゆく人たちもいる。夏の短期休暇の時期にたむろする学生たちは、もはや夏の風物詩のひとつとなっていた。

 そんななか。大きく動くことを想定した薄手の衣服をまとう子どもたちは、街の南口の方へと歩いていた。

「ちょっとフェイー。今からそんなでどうすんのー」

 アニーは、さっそく暑さで溶けそうになっている幼馴染の頬を、ぐいっとひっぱった。彼は軽いうめき声をあげたあと、どうにか背筋をのばし、少女の跡を追う。横で彼らのやり取りを見ていたエルフリーデは、くすくす笑いながら続いた。

 南の門前は、あまり人がいない。それは、休暇中の学生が多いこの時期でも変わりなかった。灰色の道に木の影が落ちるそこは、静寂と熱に満ちている。

 ひとけのない道のまんなかで立ち止まって、アニーはきょろきょろとあたりを見回した。そして、すぐ、探し人を見つけた。アニーはわずかに背伸びをしてから、大きく手を振ってみせる。

「おーい、クレマン!」

 すると、小さな門の前に立っていた少年が、振り向いて目を見開いた。アニーたち三人は、すぐ彼の方へと駆け寄る。クレマン・ウォードもまた薄手の上下を着ている。ただし、腰にはアニー同様、剣を佩いていた。体格のよさも相まって、黙っていればたくましい小さな戦士である。

「よ、来たか」

 クレマンは、たちまち悪戯っぽい笑みを浮かべた。アニーは、唇を曲げて、彼を見る。

「行くなら早く行きましょう。フェイが溶けそうだし」

「なんだよ、だらっしねえな」

 クレマンはそう毒づきはしたものの、必要以上にフェイをからかうことはしなかった。視線をそらすように三人へ背を向け、足早に歩きだす。三人は、顔を見合せながらも彼の後を追いかけた。


 街の南へ一刻ほど歩くと、木々がうっそりと茂っているのが見える。ティスタ森林とも呼ばれるその森を前にして、四人は緊張や興奮を隠しきれず、顔を見合わせた。やがて、森の入口にたどり着くと、フェイが唾をのみこんだ。

「幽霊屋敷って、ずっと奥にあるんだっけ」

 アニーが、クレマンの方に身を乗り出して尋ねる。彼はこくりとうなずいた。

「ああ。この先のずっと奥に、くろ葡萄ぶどうの大樹があるんだけどさ。そこから東にそれて、細い道をずっと行くと、あるらしい」

「詳しいね。ひょっとして、来たことある?」

「葡萄の木あたりまではな。その先は、幽霊屋敷をのぞきにいった連中に訊いた」

「そいつらは、中、のぞかなかったの?」

「なんかな、のぞこうとしたらうなり声みたいなのが三回くらい立て続けに聞こえてきたから、怖くて逃げだしたんだと」

 言葉の終わり、クレマンの一言に、アニーは微妙に顔をしかめて沈黙する。フェイとエルフリーデも、ちらりと目を見あって身震いした。

 ここで話していてもしかたがない、と誰かが言ったので、三人は順番に森へ入っていった。木こりや森の恵みをいただきにくる人がよく来る森のはずなのだが、この日は人っ子ひとりいなかった。子どもたちは、草葉の生み出す影の中を、落ちついた足取りで進んでゆく。どこか遠くで、鳥の声がした。

 誰も、話さなかった。足音と、ときどき草をかきわける音だけが、とぎれとぎれに響いていた。

 どのくらい歩いたか、アニーに正確なことはわからなかった。少しだけ足が痛くなってきた頃、クレマンがぴたりと止まる。無言で手招きされた三人は、彼のそばに寄った。そうっと、からみあう枝の先をのぞきこんで、息をのむ。

「あれだ」

 クレマンが、ささやく。

 視線の先には、屋敷が建っていた。もともとは、かなり豪華な邸宅だったのだろう。両開きの扉は大きく、壁も屋根もすばらしくきれいだったに違いない。いくつもある窓のそばに、宗教めいた繊細な彫刻が彫りこまれている。ただ、今は、壁には蔓がからみつき、瓦ははげて、窓枠もどこかへ行ってしまっている。かつての豪華さの面影があるだけに、不気味さが際立っていた。

「それで、幽霊っていうのは、昼間も出るの?」

 アニーが、うすら寒さをこらえて問うと、クレマンはうなずいた。

「時間は関係ない。声も物音も、昼間だろうが夜中だろうが聞こえるらしいぜ」

 怪談を語るような少年の口調に、フェイとエルフリーデが震えあがる。しかし、アニーはうなずくだけうなずいて、じゃあ行こうか、と立ち上がった。網のように巡る細い枝を苦労して潜り抜け、噂の幽霊屋敷へ一歩を踏み出す。そばに立つと、がよくわかった。壁の細かなひびまでが、目に入ったからだ。

 黒い扉の前に立つ。わずかに口を開けた屋敷の内側から、北風のような冷気が漂ってきて、子どもたちの足をすくませた。それでも、アニーとクレマンが率先して扉を押し開け、中に踏みこむ。

 屋敷の中には明かりがなかった。けれど、ぼろぼろの窓からさしこむ光のおかげで、おぼろげながら内装を確かめることができた。広い空間。ぐちゃぐちゃになった絨毯は、正面にのびて続く。その先に階段があり、二階へと続いていた。

「さて、と」

 クレマンが、明るい声を上げる。

「どこに行けば幽霊に会えるかな、っと」

「できれば会いたくないけどね」

 フェイの弱々しい反論をさらりと無視して、クレマンは歩きだす。アニーたち三人もひょっこりと続き、幽霊屋敷――と噂される建物の探索が、はじまった。

 ひとまず、一階にあるものをひととおりひっくりかえしてみることにした。錆びた燭台に触ろうとして、ぐらりと揺れたことに驚いたアニーは、慌てて手をひっこめる。一方、その奥の部屋にあった衣装箪笥を開けてきたエルフリーデは、戻ってくるなりかぶりを振った。

「中には何も入ってなかった。ただ……」

「ただ?」

 三人が首をかしげると、エルフリーデは少しためらったあと、言葉を続ける。

「なにか、手か足の跡みたいなものがあったわ」


 エルフリーデの証言にひきつけられた三人は、彼女が来たばかりの部屋へ入った。あちこち折れたり削れたりしている箪笥たんすをのぞきこみ、誰からともなく息をのむ。そこには確かに、手形か足跡のようなものがついていた。どちらかはっきりしないのは、薄くて見えづらいからである。正面をのぞいただけでも、三か所ほど発見できた。その上、まるで獣がひっかいたかのような跡が、まっすぐ表面を走っている。

 この家の人は猫でも飼ってたのかしら。アニーはぼんやり考える。

「この跡……薄いけど、このお屋敷に比べたら、だいぶ新しいよ」

 フェイが、こわごわと茶色を指さしながらささやく。それを聞いたエルフリーデが、縮みあがった。

「あまり幽霊っぽくはないけど……幽霊に限らず、何かいるかもしれないわ……森の主とか」

「ほんとにエルフィーは、そういうことをさらっと言うよね」

 フェイのように震えあがりはしないものの、アニーは思わず目をすがめた。エルフリーデは、ごめんなさい、と言ったものの、あまり自覚がなさそうである。ひそひそと会話を続ける三人をよそに、クレマン・ウォードは強がって胸をそらした。

「お、おまえら。この程度で怖がるのか? なさけないなあ」

「顔、ひきつってるよ」

「うるせえ!」

 アニーが指さして本当のことを指摘すると、クレマンは野犬のように怒鳴る。エルフリーデは、そんなクレマンの方へ身を乗り出した。

「クレマンくんは怖くないの?」

 問いかけられた少年が、やりにくそうに顔をしかめた。エルフリーデはクレマンの強がりに気づいていないのか。アニーとフェイは思わず顔を見合わせた。むくむくと浮かんだ疑問は、いきなり響いた少年の大声に吹き飛ばされる。

「あ、あったりまえよ! このクレマン・ウォード様に任せとけ! 幽霊だろうが森の主だろうが、ちゃっちゃとぶっ飛ばしてやる!」

「本当? すごい」エルフリーデは、宝石のような紫の瞳を輝かせた。『森の主はぶっ飛ばしたらたたられそうだけど』――アニーは、胸に浮かんだ呟きを、そっとしまいこむ。せっかく、友達が喜んでいるのだ。水を差すようなことはすまい。

 その代わり、彼女はクレマンを見た。エルフリーデに褒められると、彼は顔を赤くして、鼻の下をこすっている。今までに見たことのない表情だったので、少し驚いた。あのいじめっ子でも、こんなふうに照れることがあるのか、と、失礼ながら感心する。

 そのときだった。突然に、ひらめいたのは。

 ひらめきを噛みしめながら少年を観察していると、自然に笑みが広がってくる。

「はっはーん……?」

 にやりと笑って、そう呟いたアニーに、フェイが不審者を見るような視線を注いでいた。しかし、機嫌をよくしていたアニーは、目くじらを立てることはなかった。さあ次だ次、と盛り上がるクレマンに近づいて、腕を叩く。

「あ? なんだよ、アニー」

 とげとげしい目をして振り向いたクレマンを前にしながら、アニーは今までになくきれいなほほ笑みを浮かべた。少年がたじろいでいるのにも構わない。

「ねえ。ここから先、ふた手に分かれない?」

 今にも笑いが混じりそうな、弾んだ声で、提案したのである。

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