第三章 交わる三色
1 黄色い玉
小さく、何かが破裂した気がした。その音は、かつてフェルツ遺跡の中で聞いた、光の弾ける音にも似ている。アニーが上を見ると、青く高く色づいた空に、煙が立ちのぼって、白い花を咲かせていた。
「おっと。前夜祭は明日のはずだけど、別の催しものでもやるのかな」
同じように上を見ていたフランが、ぽつりと呟く。アニーは首をひねった。彼女が、あの天に咲く白い花が行事の前の合図だと知るのは、もう少し後のことだ。
ともかく、ヴェローネルからやってきた子どもたち六人は、今日はより王宮に近い場所まで来ていた。家いえを彩る飾りも華やかで、人の姿も昨日よりうんと多い。さまざまなにおいと熱が立ち込める道のまんなかを歩く。けれどもアニーたち四人は、昨日と違って、ひるんでいなかった。
今日は、やらねばならないことがある。
「どうだ? なんか、感じる?」
クレマンが、エルフリーデにささやきかけた。彼女がゆるゆる首を振ると、クレマンは正面に視線を戻す。アニーやフェイもまた、何食わぬ顔で王都観光をしている……ふりをした。とりあえず、このあたりに玉はないらしい、とうなずきあいながら。
さりげなく変なものがないかとあたりを見ていたアニーは、一瞬、足を止める。どこからかふんわりと、
「朝ごはん、少なかったもんね。何か食べようか?」
彼女の提案に、後輩たちはこくこくとうなずく。すると、はりきったリーヴァは、人混みをかき分けながら彼らをどこかへ案内する。進むほどに、先ほどのにおいが強くなることに気づいたアニーは、幼馴染と同じようにお腹を押さえてしまった。ぐう、と低い音が鳴る。
はたしてたどり着いたのは、一軒の屋台の前だった。ほどよく日に焼けた男性が、かたわらの鉄板を、穴があくほど見つめている。彼はやってきた子どもたちに気づくと、「いらっしゃい!」としゃがれ声を弾けさせた。まっさきにリーヴァが身を乗り出す。
「おじさん。それ、串焼き?」
「おうよ、うめえぞ!」
「ひゅう、いいね! 人数分ちょうだい」
「はいよ」
陽気な少女の言葉に、男性は歯を見せて笑った。目尻のしわが深くなる。そして彼は、肉と野菜を選んで串に刺すと、鉄板に置いた。流れるような手つきに見入っていたアニーは、だから、彼の独り言を聞くことになる。
「いやあ、やっぱり祭の前は人が多いなあ。あちい、あちい」
「……おじさん、いっつもここで串焼き売ってるの?」
アニーは何気なくそう訊いた。男性がおもしろいほど目を見開く。けれども、視線は鉄板の上の食べ物たちに向いたままだ。
「おうともさ。ふだんから、商人やら軍人さんやら、腹をすかした連中相手にやってんのさ」
「へえ、いいなあ。ヴェローネルにももっとそういうお店があればいいのに」
「あの街はお上品だから、難しいかもな。娘っこは、ヴェローネルから来たのか」
アニーがうなずくと同時、男性はすばやく串焼きをひっくり返す。
「ヴェローネルの学生なんざ、めったにこんなところにゃ寄らねえぜ。祭ならではの客だ」
まだ、本番じゃねえけどなあ、と男性は笑う。そばで会話を聞いていたエルフリーデが、きょとんとした。
「あの、なんで学生ってわかったんですか?」
「育ちの良さそうな顔してるから。それに、あの街にいる子どもの半分以上は学生だ」
身も蓋もない答えに、しかし六人は笑いあう。彼らはたしかに、学生なのだ。
そんな会話をしているうちに、串焼きができあがる。それを受け取って、リーヴァが硬貨を男性に手渡したとき、アニーは背後を振り返っていた。聞き慣れない靴の音が聞こえたからだった。見てみれば、屋台の方へ歩いてきた小柄な女性が、アニーたちを見て「おっと」と小さく呟いている。学生がよく着るような白い服の上から茶色い上衣と似た色の
「今日は珍しく先客がいたな」
「珍しく、とか、外からの客の前で言わないでくだせえ。印象が悪くなる」
「なに、問題なかろう。それで味が落ちるわけでもなし」
六人は、それぞれに手もとの串焼きを見おろす。彼女が、話をしながら串焼きをちらりと見たことに気がついたからだ。
アニーは知らず、身構えていた。さりげなく同じ学科の少年の方に目をやると、彼も驚いた顔をしつつ左足をわずかにひいている。
変わったひとだ。そして、できる人だ。まとう空気は穏やかだが、足さばきや目配りは、ただの市民のそれではない。アニーが、彼女から目を離さないでいると、鳶色の瞳が見つめ返してきた。勝手に喉が上下して、唾をのみこむ。
知らない女性は、優しくほほ笑んだ。
「怖がらせてしまったかな。すまない。そこまでわかる人がいるとは思っていなくてね」
「えっ?」
「将来が楽しみだな、君たちは」
構えていたアニーとクレマンが、顔を見合わせる。その間に、女性は肩を揺らして笑いながら、彼らの間をすり抜けていってしまった。振り向くと、あっけらかんとした態度で、屋台の店主に「串焼き、私も一本いただくよ」などと言っている女性がいた。
アニーはぽかんと口をあけ、リーヴァは肩を震わせて笑い、ほかの四人は首をひねった。
「何、あの人」
「すごい人だよ。きっとね」
少女の独白に返された答えは、よくわからないものだった。しかし、それを追及する前に、小さな悲鳴が聞こえてくる。エルフリーデが目を見開いて、両手で口を押さえていた。まさか、と顔を見合わせた四人の子どもたちが、さりげなくエルフリーデの方に顔を寄せる。
「何かあった?」
フェイが、慎重に尋ねると、エルフリーデはうなずいた。それから、少しだけ振り返って指をさす。来た道を戻って、つきあたりを左に曲がった角の先――のようだった。アニーたちはすぐさまうなずく。クレマンが、先輩たちを見上げた。
「あ、あのう。あっちの方、見てみたいんすけど」
「え? なになに、どこ」
クレマンが先輩たちを誘導している間に、フェイが女子たちへささやいた。
「まずは二人で見てきてよ。何があったか教えて。あと、必要以上にものに触らないでね。危険だから」
二人は、はっきりと首を縦に振った。同時に、クレマンも、リーヴァとフランをうまく言いくるめたようだ。誇らしげな笑みとともに、小さく指を立てている。三人は、そっと頬をゆるめる。
鳶色の瞳が自分たちのことをそっとうかがっていることには、まったく気がついていなかった。
六人で向かったのは、曲がり角よりわずか手前にある、ずらりと並ぶ彫像の前だった。フランが何かを解説し、フェイたちがそれに耳をかたむけるそぶりを見せる。フェイに関しては、本当に聞き入っているのかもしれなかったが。
ともかく、その隙に、アニーたちはこっそりと角を左に曲がると、一気に走った。ひとけのない、細い路地。ふだんだったら、二人だけで踏み入ろうとはしなかっただろう。だが、今は別だ。
息を殺して走っていると、やがて、行き止まりにぶつかる。石畳はそこでとぎれていて、かわりに、古い階段が続いていた。
「これ、ひょっとして地下に続いてるのかしら」
息を切らせたエルフリーデが、呟く。少し、腰が引けていた。対してアニーは意気込んでいた。
「行こうよ。この先なんでしょ」
「う、うん」
ひるんでいる友人の手を、優しくひいて歩き出す。アニーはかつて、もっと危うい地下にもぐったことがあるのだ。今さらこのていどで怖気づくはずもなかった。
石段は、そうとう古いものだが、よく手入れされていた。突然崩れ出すことはなさそうだった。黙っておりていくと、予想通り、暗い道にたどり着く。二人が並んで通れるか通れないか、というくらいの細い道は、ところどころでうねりながら、えんえんと続いているように思えた。
「な、なんだろう、ここ。やけにきれいだね」
アニーのうわずった声は、暗がりに反響する。壁にも道にもごみや汚れはほとんどなく、目も当てられないほど虫が這っている、というわけでもない。ときどき、小さな虫がとことこと、二人の前を横切るくらいだ。ぴくりと跳ねたエルフリーデが、アニーの手を強くにぎる。
「ひょ、ひょっとしたら、何かあったときに外に出るための地下道なんじゃないかしら。だから、いつでも使えるように、掃除されてる、とか」
「なるほど」
エルフリーデの推測に、アニーは感心しきってうなずいた。けれども、それであれば、掃除をする人と道のまんなかで出くわす可能性もある。早く玉を見つけて戻りたい。エルフリーデも同じ気持ちだったのか、眉根を寄せて呟いた。
「あの気配が近いわ。早く見つけて戻りましょう」
二人は、どちらからともなく歩き出した。
何かあったとき外に出られるように、というのは本当かもしれない。狭い道には、ところどころ横道があって、そこからかすかな光が漏れていた。けれど、それで息苦しさがまぎれるわけではない。アニーもエルフリーデも、しだいに厳しい顔つきになった。歩くうち、二人の間には、鉛のような沈黙が漂う。
魔術師の卵である少女が声を上げたのは、ゆるやかに蛇行した道を二度ほど歩いたあとだった。
「見て、あれ」
ささやきに肩を叩かれたアニーは、息をのんだ。そうっと、エルフリーデの指を追いかける。
壁に穴があいていた。人ひとりがぎりぎり通れるほどの穴だが、今までの横道とはまるで違う。こっち、と言って穴に体を押しこむエルフリーデ見て、アニーは、ひっ、と奇声をあげてしまった。慌てて駆け寄る。
「エルフィー、一人で行っちゃだめだって!」
アニーは言いながら、自分もぐいぐいに体を入れた。どうしてしとやかな友達は、こんなときだけ大胆になるのか。
息苦しい穴をかがんで通り抜けたアニーは、突然高くなった天井に驚いた。無意識のうちに、苦い空気を吸いこむ。少女の姿を探した彼女は、別のものに目を奪われた。
「それって」
小さな部屋の中心に、置かれているのは黄色い玉。青い玉と同じように、ちかちかと光を瞬かせている。エルフリーデは、そばにしゃがみこんで、玉をのぞきこんでいた。
「あまり汚れてないわ。最近、ここに置かれたんだと思う」
「そうなの? でも、確かに、あの青い玉も汚れてはなかったかも」
言ってから、二人は顔をこわばらせた。違う色。けれど同じような玉。それが二つも見つかる。これほど不気味なことはない。
「み、見てみてよ」
アニーは慌ててエルフリーデをせっつく。飛び出た声は、わずかにかすれていた。エルフリーデは静かにうなずく。少しだけ目を閉じたあと、黄色い玉の表面に指をすべらせた。昨日、ロトがそうしたように。
すると、黄色い瞬きはぼやけた光に変わって、玉を薄く覆う。光の先には、やはり、見慣れない図形があった。同じ形をしたものが、向かいあって、ふたつ並んでいる。それは先がとがっていて、まんなかのあたりで湾曲していた。
「な、なんだろう、これ」
アニーはうなる。けれども、同じように図形をのぞきこんだエルフリーデは、眉をぴくんと跳ね上げた。
「これ、牛の角みたいじゃない?」
「牛の角……」
言われてから、アニーは碧眼をすがめる。確かに、角にも見える気はした。もっと見ていたかったのだが、すぐに光が薄れ、図形が消えてしまう。玉がもとのとおりに瞬きはじめると、少女たちはそろって息を吐いた。
「どういうことかしら」
「さあ――。こうもりの羽に、牛の角、かあ。動物の体の一部? 魔術には、そういう記号があるのかな」
「こうもりの羽?」
エルフリーデに聞き返されて、アニーは「青い玉にあった図形がそう見えたんだよ」と答える。とたん、エルフリーデはきれいな顔を険しくした。
「何かしら……。わたしの知ってる限りでは、そんな記号や象徴はないと思うけど……」
ううううん、と二人並んで考えこんだものの、わからないものはわからない。黄色い玉は、変わらず瞬きつづけている。
これ以上、暗くて狭い地下道にとどまっていても、どうしようもないのは明らかだ。二人は表に戻ることを決めて、小さな穴を抜けだすと、元来た道を歩き出した。
※
ひそひそと。馴染んだ音が、背中を叩く。串焼きにしゃぶりついていたエレノアは、ふっと背後を見た。私服姿の隊士が、小さくこちらを手招いている。彼女は、親しい相手にそうするように片手をあげると、「やあ、待ちくたびれたよ!」と明るい声をあげて、彼の方へ歩み寄った。二人が並ぶと、どちらからともなく足を進める。
「おいしいですか、それ」
「うん。今の職場に来た頃から気に入っていてね。よくお昼に食べているんだ」
「それでときどき勝手にいなくなってるんですか。ほどほどにしてくださいよ」
「すまんすまん。君は、いい店、見つかったのか?」
「いやあ、全然」
肩をすくめて笑った隊士に、エレノアもほほ笑んで返す。
「王都は店が多いからな。そのぶん迷いやすい。目星をつけてから探した方が、無難だぞ」
「わかっているんですけどねえ。どうしても、目移りしちまって」
――どうやら、まだ不穏分子の元はつきとめられていないらしい。エレノアは、笑顔の裏で苦みをのみこんだ。
夏の盛りに、王都の片隅で怪しい動きを見せていた集団を、いくらか捕らえた。おもに功を立てたのは、副官の班と新人の班だった。そのときはじめて、彼らが描こうとしていた方陣の一部がわかったのだから、エレノアもよく覚えている。
問題はそこからだ。
彼らの事情聴取をしたところ、口をそろえて「言われたことをやっただけだ」というようなことを述べたのだ。――実際、彼らは下町で細々と研究をしていただけの魔術師たちで、ふだん使わない術の知識を得られる環境にはいなかった。術に詳しい何者かが吹きこまなければ、今回のようなことはできなかったろう。
これがあれば、現体制を壊すきっかけになる。あなたたちには不満があるのだろう、疑念があるのだろう。ぶつけろ、訴えろ。今がそのときだ。
彼らに複雑な方陣を教えた相手は、そのように言って魔術師たちをそそのかした、と報告されている。
ならば、それを言ったのは誰で、どのような人物で、何が目的なのか。まだ、魔術師たちの証言から相手が女だとわかっているだけだ。寒気をおぼえたエレノアは、反発するかのように、笑みを深めた。
隊士の言葉から拾える限りでは、状況は
「やはり、ロトに望みを託すしかないか……?」
方陣について詳しいことがわかれば、首謀者を追う手がかりにもなるはずだ。ひとまずは、彼からの報告を待つしかないだろう。
何もつかめない自分の手を、いまいましくにらみつけたエレノアは、足を止めた。ふと、屋台の前で見かけた子どもたちを思いだす。十八歳くらいの少年少女とは別に、こそこそとしていた四人が気にかかった。
「一人、魔力持ちがいたな……。妙なことになっていないといいが」
歩いた道を振り返る。雑踏の中に彼らの姿を見いだすことは、できなかった。
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