4 歴史を渡る人

「せっかくだから休んでいけよ。どうせ、ロトの奴に用事があったんだろう?」


 ロトを寝かせて、うすら寒い色の扉のむこうから出てきた後。セオドアが、アレイシャを振り返って話しかけていた。彼女は申し訳なさそうに縮こまっていたが、最後には薬屋の厚意を受け取ることにしたらしい。アニーたちとともに留まって、卓をはさんで向かいあった。学院の話や軍の日常の話、そういったものをぽつぽつと交換する。どうしてもぎこちなくなるのは、それまでに起きた出来事の数々のせいだろう。

 偶然に再会し、エルフリーデが取り乱して、追いかけてみればロトとマリオンは傷だらけで、ルナティアとオルトゥーズがいて。なんとか危ない状況から脱したと思ったら『漆黒の魔女』を名乗る鴉がやってきた。改めて思い返せば、とんでもない半日である。フェイがため息をつくのも、無理のないことではあった。


 夜の闇が少しずつ、部屋へ忍び寄ってくるなか。アニーはふっと、真剣な顔で卓とにらみあっているアレイシャの様子を盗み見た。彼女は鉄筆をよどみなく動かして、ざらついた獣皮の紙に文字を書いているようである。まじめなアレイシャらしいきれいな字。かたくるしい文章だったが、アニーでも読むことはできた。

「それ、報告書ってやつ?」

 声をかけると、顔を上げたアレイシャはほほ笑んだ。

「報告書というほどかしこまったものではありません。まあ、隊長への手紙というのはそのとおりです」

「エレノアさんに? ひょっとして、今日のこととか」

「はい。いろいろありましたから、報告しておかないと」

 指で鉄筆を回したアレイシャはすぐに紙へ向き直った。とがった金属が紙をひっかき、乾いた音を立てる。そればかりが、静かな家の中をきままに流れていた。アニーはちらりと小窓を見るも、そこにはなんの影もない。ワーテルはまだ帰ってこないらしい。あの魔女のことだから、どこかでこちらの様子をうかがっているのかもしれないけれど。

 少女が首をひねったところ、数刻前と同じように扉が開いた。顔を出したセオドアが、アレイシャを呼ぶ。

「ロトの奴、起きたぞ。話していくか」

 アレイシャは、慌ただしい手つきで、鉄筆の先を油紙でふきとり、インク瓶のふたをしめる。

「できればそうしたいところですが……ご本人の具合はいかがですか」

「まあまあだ。ひとまず熱は下がってるし、会話もできる。それに何より、あいつが、おまえさんの『報告』を聞きたいって言っててな」

「わかりました。今、うかがいます」

 軍人の女性は、仕事中のようなひきしまった顔で立ち上がる。四人の子どもたちも、目を合わせてから彼女を追った。


 通されたのは、先ほどまでの部屋よりさらに薬くさい、小さな部屋だった。奥には寝台、机や棚の上には薬の瓶やまっ白い箱が鎮座ちんざしている。きっと治療道具だ。棚の中身もそのたぐいだろう。病院そのもののありさまから目をそらし、アニーとフェイが同時に奥へと駆け寄った。

「ロト!」

「もう、大丈夫なの?」

 ひょっこりと寝台に飛び乗るようにして上半身を乗り出すアニーに続き、フェイはひかえめに顔をのぞかせる。だるそうに起きあがったばかりのロトは、まだ優れない顔に、呆れ混じりの笑みを刷いた。

「相変わらず騒がしい奴らだな。こうして話すくらいはできる」

 二人の頭をかき混ぜるロトのかたわらで、マリオンがすました表情をつくり、そっぽを向いた。

「無茶してこの子たちを騒がせるのは、どこの誰かしら」

「さっき、ブチ切れて、俺が無茶せざるを得ない状況をつくったのは、どこの誰だったかな」

 青年がすかさず言い返せば、その幼馴染は眉間にしわを刻んだ。昼間の、魔女とのやり取りのことは、気まずく思っているらしい。子どもたちにしてみれば、マリオンでもあんなふうに怒るのだ、と、安心したくらいなのだが。

 親しみ半分、気まずさ半分の妙な空気が漂う。きょろきょろするアレイシャやエルフリーデを見かねてか、歩いてきたセオドアが、たくましい手を叩いた。

「ほれ、痴話ちわげんかはそこまでにしろ。軍人さんがお困りだ」

「……痴話げんかじゃないわっ!」

 薬屋の軽口に反応し、マリオンが目をつり上げて叫ぶ。けれども、自分より二十以上も若い娘の怒り顔など、セオドアには子猫の威嚇のように見えるらしい。声を上げて笑い、振り下ろされる手を適当に払っていた。そうやってしばらくもみ合うと、気が済んだのか、彼はアレイシャを振り返る。

「そんじゃ、適当に話してくれ。俺はかかしのふりでもしておくからよ」

「へ? は、はい」

「妙なたとえはやめろ。それこそアレイシャが困るだろうが」

 手を振りながら冗談を飛ばすセオドアへ、ロトは冷めた目を向ける。しかし、彼がそのまま部屋のすみで薬瓶を開けはじめると、全部をあきらめたように、少尉を見た。穏やかな視線を受けた女性は、手ごろな椅子を引き寄せると、ロトのすぐそばに腰かける。そして、ぶ厚い紙束を取り出した。興味津々にのぞきこむマリオンに続いて、子どもたちも身を乗り出した。

「あなたにお願いされていた調査の件を報告しに参りました」

「ああ、その話か。エレノアにいわれたな」

「そうです。申し訳ありません、本来はジェフリー大尉がいらっしゃる予定だったのですが」

 アレイシャがわずかに目を伏せると、ロトはおもしろそうに唇をゆがめた。

「いや、いいよ。むしろ好都合。こういうことは、あんたや副長の方が話しやすい」

「……そうですか」

 若い少尉は、なにか言いたそうだったが、気を取り直して紙束を一枚めくる。それを、ちょうど隣にあった小机へ置いた。ついでに水差しをロトの方へ動かす。広げられた紙をのぞきこめば、そこには女性の名前が書き連ねられていた。さらに下の紙には、見慣れない家系図がある。

「ルナーティエ関連の物語や神話にあった名前のなかで、スミーリ家の家系図に確認できたのはこちらの名前です」

 事務的なアレイシャの言葉とともに、紙束が青年の方へ向けられる。アニーたちも、一緒になって紙をのぞきこんだ。どれも、グランドル王国育ちの少年少女には馴染みのない名前だった。オーリガ、アナスタシア、エカチェリーナ……。

「エリザース本国ではこれがふつうだったのかしら」

 マリオンも軽く眉を寄せたが、うなずく少尉は平然としていた。

「はい。メリナ川以東いとうの地域では一般的な名前ばかりです。それでも昔は、貴族の子女につけられる名前だったようです。一応、わかる範囲で隊長が復元なさったスミーリ家の家系図も持ってきました。ご覧になりますか」

 アレイシャがさし出した二枚目をロトがながめている横で、アニーはクレマンと困り顔を見合わせた。置いてきぼりを食っている二人を見かねてか、フェイが小声で解説をしてくれる。


 メリナ川とは、グランドル王国よりはるか東、サルベール公国内の山中に源流がある川だ。長く南まで続いていて、この川のまわりの山々が、大陸の気候を分けている、といわれる。おおよそ川の西側は年中比較的暖かくて、ところによっては雨が多かったり雪が降ったりする。一方東側は、寒く乾燥していて、冬にはあちこちで地面が凍る。そんなだから、作物もなかなか育たない。どちらかといえば、ヴァイシェル大陸に近い気候だった。

 気候が違えば文化も違い、そこに住む人種もだいぶ変わってくる。名前の響きが変わっているのもそのせいかもしれない、と、フェイは言った。


 アニー、クレマン、エルフリーデの三人が少年の講義に聞き入っているうちにも、大人たちの会話は進んでいた。

「うっわ、何この複雑な図……似たような名前があちこちにあるし、これじゃあ見当がつかないんじゃ」

「そうだな。そうかもしれねえ。一番最後は男子か」

「女子で最後の名前はオーリガだけど? ねえ、これって、彼女とどういう関係があるの」

「それは――ん?」

 とどまるところを知らなかった言葉のやり取りは、ロトが眉を寄せたところで止まった。彼は、いくつかの名前を指さしては、険しい表情を深めている。気になったアニーがアレイシャの横からのぞきこめば、すぐその理由に気がついた。彼が指さした名前にはすべて、赤い下線が引かれていたのだ。

「この線はなんなんだ」

 アレイシャは、ああ、と目を瞬く。

「赤線をひいた人たちは、なんらかの理由で除籍や追放、蟄居ちっきょなどの処分を受けた人たちのようですね。歴史書や公式の家系図から名前が消されている人も多かったので、探し出すのが大変だったと、隊長が愚痴をこぼしておられました」

 語る彼女の瞳には、鋭い光が灯っていた。自分もそこが気になっていたのだと、その目つきと前のめり気味の姿勢が物語っている。興味をひかれた四人が、思わず名前の羅列に目を通した。息をのんだのは、クレマンだった。

「赤線の名前のなかにあんのは……アナスタシア、だけか?」

「それがルナティアさんの名前ってことかな。でも、これだけじゃなんとも」

 うめいたフェイの声をさえぎるように、ロトが幼馴染の名前を呼ぶ。振り返った彼女に、青年は問うた。

「俺がオルトゥーズに質問したの、おぼえてるか?」

「ええ?――あ、戦う前の? 確か……」

 マリオンは、しかめっ面をしながらも、鮮やかな記憶をくみだして、言葉にする。ロトは、オルトゥーズに『ナージャはどうしてる』と訊いたらしい。それに対し、オルトゥーズはよくわからないことを言っていたと。しかし、そこで、ロトが片手をあげた。

「大事なのは、あの言葉遊びみたいな答えの方じゃない。その前に、あいつは、どこでその名前を知ったのか、ってえのを口走ってた」

「ああ、そういえば」

「でもって、『ナージャ』ってのは、アナスタシアの通称であり愛称だ」

 神話や民話をたどるなかで見つけた名前を適当に言ってみたけれど、思わぬところであたりを引いた、と。ロトは、呆然とする人々をよそに、あっけらかんと言い放った。アニーが困って視線を巡らせていると、かかしのふりをすると言っていたセオドアと、視線がぶつかった。彼はあえてなにも言わず、少女から目をそらす。

「まだ裏を取ってないからな。確かなことは言えねえけど。今ある情報から推測するに、ルナティアはもともとスミーリ家のアナスタシアで、オルトゥーズはそれを知っていた、ということになる」

 ロトがさりげなく、そして面倒くさそうに紙を叩いた。ぱらぱらと紙束をめくり、最後の方に目をとめる。赤線をひいた人物についての簡単な情報が、書かれているらしかった。言葉が難しすぎて、アニーには読みとれない。思わず幼馴染をすがるように見てしまったが、彼も軽くかぶりを振った。

「半分は隊長が、半分は私が調べました。帝国時代の書物や現在出版されている本を片っ端からひもといて……」

 アレイシャの言葉にいやみがないのは、彼女がいつものきまじめな口調だからか、声音と表情に疲れが見えるからか。ともかくも、ロトは心からうなずいて、軍人にお礼を言っていた。それから紙に目を通し、一番下のアナスタシアの名に目をとめる。

 彼が、声に出して読んだ内容に、子どもたちですら絶句した。

 

 アナスタシア・スミーリ。

 第十七代当主ヤロスラーフ公の第三子。幼い頃から魔術の才にひいでており、女性でありながらも、周囲から一目置かれていた。

 しかし、十八歳のときに、みずからの父・スミーリ当主を含む、帝国上層部の魔術研究員を皆殺しにし、消息を絶ったとされる――

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