4 明日へ、昔日へ
「か、鴉がしゃべった……?」
愕然として呟いていたのは、エレノアが連れてきた軍人の男性だった。一方、彼の上官は、鋭い目で鴉を観察している。少しして、彼女はその視線をロトへ動かした。
「これは……古代の魔術か?『むこう側』にいるのは何者だ」
『ほう』
腕を組んだロトが答える前に、ワーテルが声を漏らす。
『これを見てすぐ気づくとは。ネサンの弟子よりは、いくらか話のわかる奴と見受けられる』
鴉のくせにずいぶんと偉そうだ。アニーはむしょうに舌を出したくなったが、やめておいた。マリオンが、先に小さく舌を出して、「頭が固くて悪かったわね」と吐き捨てたからだった。黒い鳥と女性の間に火花が散る。それを横目で見るロトは、落ちついていた。
「古代の魔術ってのは、おそらくそのとおりだ。術者が、鴉を通してこちらを見てるらしい。で、術者は漆黒の魔女だ」
もはや驚きなどというものは、ここ数日で吹っ飛んでしまったのだろう。淡々と言うロトに対して、エレノアは鳶色の瞳を見開き、立ち尽くしていた。だが、彼女は鴉と目が合うなり、ひとつ咳払いをして魔女を見返す。
「それは、それは。わざわざ北の地からお越しいただいたのか。ありがたいことだ」
穏やかなはずの、声の端々がちくちくしている。ワーテルは一度鳴いたあと『軍人が
「……いったい、何がどうしてこうなった?」
結局は、ささやかれた一言が、彼女の――そして軍人たちの――本音なのだろう。
隠している理由も意味もない、と、ロトとマリオンはありのままを話してしまった。ルナティアの正体に関わる推測まで明かしてしまったものだから、アニーははらはらと見守っていたものだ。ただ、ほかの軍人たちはともかく、エレノアは冷静に受け止めているように見えた。話が一段落すると、細い顎に指をかけて、考えこむそぶりを見せる。
「スミーリ家のアナスタシアか……。二百年以上も前の人間が生きているものか、と言いたいところだが……『実例』がそこにいる以上は、頭ごなしに否定もできん」
『言ってくれるね、青二才が。私とあの女を一緒にするんじゃないよ』
実例呼ばわりされたワーテルが、羽を鳴らしてそう言ったのだが、エレノアはきれいに無視して黙りこんだ。しばらくは、誰も、なにも言わなかった。口火を切ったのはまたしても少将だった。
「だとすれば、彼女の目的はなんだ? 帝国の技術者を殺して姿を消した人間が、なぜ今さらその技術をばらまいている?」
「最初からそれが目的だった、とか」
アニーはこてんと頭をかたむけた。彼女に鋭いまなざしを向けたのは、ほかでもないロトだった。
「だとしたら、今わざわざ『宣戦布告』なんざやらないだろ。俺のところに来た時点で事を起こすようなことを言ってたし、本命は今しかけてる方陣じゃないのか」
「植物も動物も殺しちまう術なんか使って、何したいんだよ」
クレマンのうなり声を最後に、また気まずい沈黙が降りた。このままでは、同じところを行ったり来たりしそうだ。苦手な議論の雰囲気におされて、アニーは重くため息をつく。嫌な空気を打ち破ったのは、手を叩く音だった。乾いた拍手のおかげで、みんなの視線がその主に集中する。注目を浴びたエレノア・ユーゼスは将軍らしく口を開いた。
「ルナティアの素性がわかってきただけでも、かなりの収穫だ。それに、これ以上議論していてもなにも進まん。ひとまずは現場近くの町まで行こう」
「現場に?」
ロトとマリオンが、声を揃えて訊き返す。エレノアは、しかつめらしくうなずいた。
「もともと、君たちを迎えにきたんだ。現地には今、ジェフリー大尉の班がすでにいる。彼らと合流して情報を突き合せてみよう」
人々は、目を合わせたあと、大きくうなずいた。
どの道、方陣のそばへ行かない限りはルナティアにも会えないのだ。危険はともなうが、危険ひとつで二の足を踏むようなら、最初から魔女と取引などしなかったし協力を申し出もしなかった。
心が決まった人々を見やり、軍人たちは満足げにほほ笑んだ。
「とはいえ、準備の時間もあるからな。出発は明朝、街の西門に集合、ということでどうだ」
少将の提案を誰もが無言のうちに受け入れた。
※
生ぬるい風が吹く。そのたびに、縦笛の音に似た高音が天に昇って、寒気ばかりを暗い地上にもたらした。おぞましささえ感じる空気のなかで、けれど彼女はほほ笑んでいた。振り返れば、遠くにそびえるのは塔が連なった巨大な建物。グランドルの王宮にも似ているが、それよりもずっと古びた建物だ。
かつてはこの場所が嫌いだった。今も好きではないが、どこか心地よさをおぼえる。それは、過ぎ去った時代の人間だからこその感傷だろうか。風の音は
魔力が揺れる。風になびく煙のように。白い指はすっと伸びてそれに触れると、魔力と爪の間に赤い光を弾けさせた。
もうすぐだ。思わず笑い声をこぼしてしまう。
もうすぐで、自分の役目は完全に終わる。泣いても笑っても、本当にこれが最後だ。そう、すでに腹をくくっていた。
不思議と気分がいい。死を前にしているとは思えない。
――きっと、長く生きすぎたのだ。生きることに、疲れてしまった。
耳を澄ましても、風の音しか聞こえない。待ち人は、まだ、誰も来ない。
終わりに浸るにはまだ早い。最期に彼女は戦わなければならないから。
ならば、できるうちに思い出にでも浸っていようか。悪戯を思いつくようにそう考えた彼女は、ゆっくりとまつ毛を伏せて、目を閉じた。
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