3 合流
ルナティアの言葉どおり、方陣の力がおよぶ範囲は、少しずつ広くなっているらしい。今のところ、それによる死人が出たという情報はないけれど、落ちつかないのは事実だ。アニーたちの場合、怖いと思うより先に、あせっていた。このままでは、自分たちが出る間もなく、ルナティアの思いどおりになるのではないか、というあせりだ。
特に、エルフリーデは日に日に沈んでいった。いつかアレイシャの言ったとおり、魔力の動きを読むのに
いつものように便利屋へ向かう最中、アニーは暗い顔をしたエルフリーデを盗み見る。あたりで飛び交う人々の声に眉ひとつ動かさず、難しい顔で地面をにらむ彼女を見ていると、胸が詰まった。友達であるからには何かしてあげたかったが、こういうときは下手な慰めほど毒になる。アニーは自身の経験でそれを知っていたから、珍しく、エルフリーデに歩み寄るのをためらっている。
「馬鹿、ぼうっとしてたらひかれるぞ!」
クレマンは、今度は声をひそめて叱りつけた。そのとき、アニーとフェイはすでに二人のそばへ駆けよっていた。道の方を見やれば、馬は何事もなかったかのように進んでいるし、
「ったく……エルフリーデは、俺たちが嫌いなのか?」
え、と、エルフリーデが口を開ける。少ししてクレマンの言葉をのみこんだらしい彼女は、慌てたような怒ったような顔で、彼に詰め寄った。
「な、なんでいきなりそんな話に……!」
「だって、なんも言わずに一人でうじうじしてるからさ」
クレマンは目を細めてそっぽを向く。アニーは、目を瞬いた。彼がエルフリーデに辛辣なことを言うところを見たことがなかったからだ。すねたような顔だったが、細めた両目の隙間からは涙が出そうな感じもある。
エルフリーデはエルフリーデで、泣きそうな顔で固まった。
二人の間に微妙な空気が流れる。突然のことにアニーとフェイが顔を見合わせているうち、クレマンが口を開いた。
「いろいろ気になることがあんのも、落ちつけないのも、まあわかる。エルフリーデは魔力があるから、余計にそうかもってのも、わかってる、つもりだよ。でもさ、魔術師の兄ちゃんや姉ちゃんが、今『それ』をどうにかしようと頑張ってるのに、エルフリーデが一人で落ちこんでたら、あの二人も心配すんだろ」
口早に言った少年が、ふいにアニーたちの方を振り返る。と思えば、唇を引き結んだ少女の名前を呼んだ。
「一人じゃどうしようもないことを一人で悩んでもしょうがねえと思う。だからさ、そういうことは話してくれよ。三人とも魔術には詳しくないけどさ、話聞くくらいならできる。――そうだよな?」
日ごろのやんちゃな光がなりを潜め、静かな黒茶の瞳が二人を見つめる。アニーとフェイは、考える前にうなずいていた。落ちこみつづけるエルフリーデを見て、特にそれを気にしていたのはクレマンだったのだろうと、アニーは今さらながらに思い至る。考えてみれば、当たり前だ。クレマンはエルフリーデにひとめぼれして、今でも想いはなくなっていない、それどころか強くなっているはずなのだから。
目を白黒させる魔術師の卵に向かい、今度はアニーが踏みだした。
「今回ばかりはクレマンの言うとおりだよ」
「今回ばかりは、ってなんだよ!」
さっそく噛みついてきた悪ガキを無視して、アニーは白い手をにぎり、軽く振ってみせる。
「エルフィー。ロトのときのこと、気にしてたんじゃない?」
ロトとマリオンが、ルナティアとオルトゥーズに襲われたとき。魔力の乱れを感じ取ったエルフリーデはひどく取り乱していた。それで、三人やアレイシャを困らせたことが、きまじめな彼女は気にかかっていたのだろうと、今さらになって気づく。声に出して問うてみれば、エルフリーデは、親に叱られた幼子のように、顔をゆがめた。図星だったらしい。
「考えすぎだって! むしろ、エルフィーはふだんまじめだからさ、こういうときくらい甘えちゃっていいんだよ。この間、すごく取り乱しちゃったと思ってるかもしれないけど、『暴れん坊』に比べたらまだかわいいからね!」
あえて満面の笑みで言えば、横でフェイが「いばらない」と鋭い声を上げる。さながら、できの悪い生徒を叱る先生だ。フェイ先生にぴしゃりと叱られた「できの悪い生徒」は、小さく舌を出す。やり取りを見ていたエルフリーデが、ようやく体から力を抜いた。
「――そう、だよね。ごめんなさい。確かにわたし、考えすぎてたかも」
困ったように笑うエルフリーデへ、アニーは「そういうときは、ごめんなさい、じゃないんだよ」と、あえて幼く切り返した。エルフリーデはきょとんとしていたけれど、ややして口を押さえると、「ありがとう」と言いなおす。それから彼女は、紫水晶の目を突っ立っている少年に向けた。
「クレマンくんも、ありがとう」
「……え?」
目を丸めた少年に、少女はいつもの笑顔を贈る。花がほころんだかのようなほほ笑みを前にして、クレマンは頬を赤らめた。アニーは、彼の肩を肘で小突く。それを払いのけた少年はけれど、珍しく怒っていなかった。
ようやく四人の間に明るい空気が戻り、にぎやかな会話が
「は? おまえ、ヴェローネルにそんな軍人がいるわけねえじゃん」
「だからあれ、絶対よそから来たんだって! 最近、物騒だしさ。ありえるだろ」
「で? その軍人たちが、そこの路地に入ってったって? なんか怪しいなあ」
アニーたちは、つかのま立ちすくんでしまった。学生たちが根拠のない噂を立てて盛り上がりはじめたところで、そろってこれから行く道を見つめる。先ほど、学生の一人が「そこの路地」と言ったところは、便利屋に向かうときに通る
その小路に入っていった。ということは、便利屋に用事がある軍人に違いない。そして、そんな軍人は限られてくる。
「『白翼の隊』の人たちかな」
フェイが興奮気味にささやいた。誰からともなくうなずいて、薄暗がりを見つめる。
「もしかしたら、エレノアさんかも! 行ってみよ!」
アニーがうながすと、誰からともなく小路の方へ踏みだした。
アニーが予想したとおりだった。ロトの家の屋根を見つける前に、見覚えのあるひと房の長い髪が目に入った。小柄な女性が軍の制帽と軍服を身にまとい、背を伸ばして号令をかける姿は、いつ見ても美しくて頼もしかった。今回は、エルフリーデがまっさきに飛び出して、軍人の名前を叫んだ。彼女は振り返ると、一瞬驚いた顔をしたあとに、不敵な笑みを浮かべた。鳶色の瞳に
「やあ、君たち。久しぶりだな。またロトのお手伝いか?」
含みのある問いかけに、四人はためらいもせずにうなずいた。困り顔を見合わせるほかの軍人をよそに、エレノア・ユーゼス少将は快活な笑い声を弾けさせた。
「ちょうどいい。彼の家に向かうところだったんだ」
そう言ったエレノアに、けれどアニーの反対側から別の声がかけられた。
「――騒がしかったんで、こっちから迎えにきたぞ」
呆れたようなため息を混ぜた声は、いつもどおり淡々としている。エレノアは、おや、とおどけて、自分たちが向かうはずだった方向を振り返った。ロトとマリオン、そしてアレイシャが立っていた。最初に動いたのはアレイシャで、隊長と同僚を見るなり、見本どおりの敬礼をする。彼らもそれにこたえた。
「ご苦労、リンフォード少尉。君の手紙は読ませてもらった」
「はっ」
「……市街戦でもないのに、街中で
さざ波のように揺れた声が言う。アニーたちは顔を見合わせ、ロトは目を丸くした。あの二人から逃げるときに気を失っていたロトは、アレイシャが発煙弾を使ったことを知らないままだったのだ。当のアレイシャはというと、わかりやすく頬をひきつらせたあと、「申し訳ありません。いかなる処罰も覚悟しております」と、しかつめらしく言い放った。けれど、彼女の上官は笑ってばかりで、規則違反を叱るそぶりすらない。少しして笑いをおさめてから、ようやく続けた。
「君がそうしなかったら、ロトもマリオンも、子どもたちも助からなかったんだ。今回は『やむを得ず独断で使用した』ということで、収めよう。ただし、違反は違反だからな。始末書くらいは覚悟しておくことだ」
アレイシャは恐縮しきった様子で応じていた。アニーたちは首をひねりつつも、アレイシャが罰されなかったことに安心して、笑みをかわしあった。
嫌でも記憶に残ってしまう羽音が響いたのは、そのときだった。軍人たちがぎょっとするのをよそに、ロトとマリオンが自然と空を見上げる。魔女の意志を運ぶ鴉が、いつかのようにロトの肩にとまろうとして、払いのけられた。今度の鴉は文句を言うこともせず、軍人たちを見やって鳴いた。
『なんだい、また客か。おまえのまわりはいつも騒がしいねえ、小僧』
ロトが、ふんっと鼻息荒くそっぽを向く横で、王都から来たばかりの人々は、唖然として鴉を見ている。何事にも動じなさそうなエレノアでさえ、ぽかんとしてしまっている。アニーは彼女の横顔を興味津々にながめていた。
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