4 南の遺跡
「それで、どうする気なの」
部屋から逃げだし、図書室に駆けこんで。いつもの机を囲むなり、フェイ・グリュースターが切り出した。ほかの三人は、とっさに答えることができず、ただ目を細める。四人中三人の視線が、黒髪の少年に注がれた。
「どうするもこうするもねえ。行くよ。その、石碑か壁画かしんねえけど、読んでくればいいんだろ」
クレマン・ウォードはきっぱりと言い切った。今すぐにでも飛び出しそうな勢いだ。フェイは軽く眉をひそめ、手をあげる。
「そこに行くってことは、街の外に出るってことだよ。意味わかってる? 幽霊屋敷に行ったときとはわけが違うんだからね」
「……別に平気だろ。俺は歩いてでも行くぜ」
「違う、違う。学院と寮に許可もらわなきゃいけないんだって。この時期に許してもらうのは難しいんだよ。みんな、進級試験に向かいはじめてるでしょ。クレマンだって」
「それは――」
少年二人のやりとりを聞きつつ、アニーは軽く頭をかたむけた。ヒューゴの言っていた南の地の詳しい場所は知らないが、断片的な言葉をつなぎあわせると、だいたいの距離感はつかめてくる。ポルティエほど遠くないが、幽霊屋敷ほど近くもない、といったところだろう。先生に黙って出かけられるような場所ではなさそうだ。アニーは、エルフリーデと顔を見合わせたあと、机の木目をにらみつける。
アニーもクレマンの気持ちはよくわかる。行けるものならすぐにでも飛び出していって、あの先輩たちを黙らせたい。しかし、今は何かが彼女をためらわせていた。幼馴染の理性的な意見とは違う、なにかが。
「……確かに、フェイの言う通りね。でも――」
やわらかい、少女の声が震える。アニーもフェイもクレマンも、そちらに釘づけになった。伏せられた目は少しうるんでいる。
「試験のこととか、クレマンくんのこととかも心配だけど。もう一つ不安なのが、その……あの人が、便利屋さんの名前を出したこと」
エルフリーデの言葉に、三人ともが声を詰まらせた。同時、アニーはつっかえていたものが胸の中に落ちるのを感じる。彼女をためらわせる何か、その正体に思い当った。
「あのヒューゴ先輩の言い方だと、早くしないとロトさんになにか悪いことをするみたいだったわ。場所も知られてしまっているし、それがどうしても気がかりで」
少しの間、誰も何も言えなかった。ややあって、クレマンが腕を組む。
「あの兄ちゃん、俺らみたいな子どものいたずらでどうにかなる人にも見えないけど」
ことさらに明るい声は、一滴の迷いを含んでいる。エルフリーデが、でも、と小さく食い下がると、その迷いがふくらんだのか、クレマンは表情を揺らがせた。アニーは、うなりながら天板に顎をつける。
「私はクレマンの言う通りだと思うなあ。仮にあの不良たちが集団で殴りかかってきても、ロトなら軽くいなしそう。それに、そんなことしたら、あいつら街の人たちを敵に回すよ」
アニーの声音はいっそ冷めているといっていいほど落ちついている。フェイが、「た、確かに……」と苦笑した。それから彼は、ふいに目を見開いて、手を叩いた。
「だったらいっそ、注意ついでにロトさんに全部話してみない? それで、ヒューゴさんが言ってた場所についても訊いてみようよ」
優等生の提案に、ほかの三人は顔を見合わせる。それぞれ戸惑いはあったが、結局、反対する人はいなかった。
アニーたちは、さっそく便利屋を訪ねた。話を聞き終えたロトの反応は、そっけないものだった。
「ふーん。なるほど」
棒読みに近い声でそう言ったあと、子どもたちに椅子を勧めて、手際よくお茶を淹れる。人数分のカップを机に並べながら、なんでもないふうに付け足した。
「昨日の気配の正体は、その取り巻きとやらか」
「えっ、なんかあったの!?」
アニーは身を乗り出した。椅子を蹴って立ち上がりそうな勢いのだった。ロトは、金色の頭を押さえつけて、なだめる。
「何かあったってほどのことじゃねえ。おまえらが帰る頃、誰かに見られてる感じがしたんだ。けど、何をしてくるわけでもないし、危険な感じでもなかったから放っておいた」
「放っておいたって……」エルフリーデが、珍しくうめくような声を出す。それでも、ロトの仏頂面は動かなかった。
「どうせ、身近な人間を盾に脅しておけばおまえらが怖がると思って、適当に言ったんだろ。気にしなくていい。万が一、本当にそんなガキが押しかけてきても追い返す。つーか叩きだす」
青年の言葉は、淡々としていて、容赦がない。アニーやフェイが予想していたとおりではある。彼の態度は、子どもたちをいくらか安心させた。特に気をもんでいたエルフリーデは、ほうっと大きく息を吐いている。そんな彼女をちらりと見てから、ロトは椅子をひいて座った。
「けど、ちょっと気になるな。ヒューゴって奴、家族が議員なんだっけ?」
「そ、そうそう。じいさんが貴族院の議員で、親父さんが、ええっと……大臣? やってるって言ってた気が」
ふうん、とまた淡白な相槌を打ったあと、ロトは細い指を顎にひっかける。「どこかで会ってるかもな」という彼の呟きに、子どもたちは頬をひきつらせた。数か月前、王都に行ったときのことを思い出す。あのヒューゴの祖父だ。かつて王宮で出会った議員のように、ロトのことをひどく嫌っていたであろうことは、わかりきっている。
「まあ、今はどうでもいいな。それよりも、変わった岩がたくさん突き出てる南の平野、だけどな」
青ざめる子どもたちをよそに、青年は早々に話題を切り替えた。四人分の視線が集まるやいなや、彼は思いっきり顔をしかめた。ヒューゴたちの話を聞いたときより、今の方が嫌そうな顔をしている。その理由は、すぐにわかった。
「俺、近々そこに行く予定なんだよ」
「――え?」
聞き返す声が重なった。
いつかどこかで聞いた話だ、と思ったのは、アニーだけではないはずだ。
「どうも、そこ、ただの平野じゃなくて遺跡らしいんだ」
「遺跡?」
思いがけない言葉を、四人の声が
「つっても、国が保護してる遺跡じゃねえ。あくまで、昔の施設がほっとかれた場所っていう意味での『遺跡』だ。突き出てる岩ってのが、昔の建造物かなにかだろう。けど、まあ、岩しかねえ、さびしい場所だし。そんなにたいしたものはない、と思われてるんだろうな」
だから、国や市に立入許可を求める必要もない、と彼は言う。フェルツ遺跡のときのような、面倒なことにはならないというわけだ。アニーとフェイがうなずいた。
「でも。どうして兄ちゃんはその……遺跡に行くんだ?」
クレマンが、お茶をすすってから問いかける。ロトはカップを見つめてから、口を開いた。
「その場所に行ったことのある奴から聞いたんだ。エリザース帝国時代の遺跡かもしれないって」
「……なるほど」
誰からともなく納得の声を上げる。ロトも、また、うなずいた。
「すぐにルナティアとの関係がわかるとは思えない。けど、何もしないよりましだろ。……それで、おまえらは一緒に行くって言うのか?」
子どもたちは、口を開きかけたままかたまる。先手を打たれた。
まっさきに反応したのは、アニーである。むっとしたものの、すなおに認めることにした。
「あたりまえでしょ。今を逃したらいつ行けるかわかんない」
威嚇するように身を乗り出してみたものの、意外にも、ロトの反応は淡白だった。
「俺は別にいい。今さらどうこう言うつもりもないし、おまえらを連れてけないほど危険な場所じゃないからな。けど、学院の許可がいるんだろ? どうするんだ」
少年少女は目を合わせる。ややあって、慎重に口を開いたのは、エルフリーデだった。
「あの、お勉強ってことには、できないかな」
ロトが黙って顔を持ちあげる。彼の方を見ていたアニーは、声の方を振り返った。細くて白い指は、少しずつ互いにからんでゆく。
「エリザース帝国にまつわる遺跡なら、歴史の試験となんの関係もないってことは、ないでしょう?」
「だから勉強という大義名分をつくるってことか。許してもらえるかどうかは微妙なとこだろうけど、まあ、悪くはないんじゃねえの」
ロトは頬杖をつくと、そんなふうに呟く。「論文なりなんなり書けば、評価に加えてくれるかもしれないしな」と、続いた言葉にアニーたちは目を瞬く。その発想は、誰にもなかった。
「じゃ、明日。先生に掛けあってみようか」
アニーは大きく伸びをしながら、友人たちに目を配る。彼らは誰からともなく、うなずいた。緊張している子どもたちをよそに、便利屋のあるじは淡々と、「結果がわかったら早めに教えろ」と言って、席を立つ。変わらぬ無愛想さに呆れたアニーは、彼を見上げて、そのままかたまる。
窓の外からさしこむ淡い陽光が、ゆっくりと部屋に広がる。光に照らされた青年の立ち姿からは、彼女の知らないはりつめた空気が漂っていた。思い詰めたように細められる青い目を見て、アニーはなにも言えなくなってしまった。
ロトの表情の意味を知られぬままに、子どもたちは帰路につく。そして翌日、学院に出てすぐ、それぞれの担任教師を捕まえた。当然、この時期に街の外に出ることには難色を示される。それでもなんとか「勉強のため」という部分を強調して訴え続けた。特に自分の今後が関わっているクレマンの気迫は凄まじいものだった――という話を、のちにアニーはハリス先生から聞いた。
数時間の説得と、半日の申請を経たためだろう。彼らに休日の外出許可が下りたのは、その翌日の昼過ぎのことだった。
※
かたい岩肌を削り、描かれた方陣は、魔力をのみこみ光を放つ。すぐそばに生えていた短い草にわずかな変化を起こすと、刻まれた方陣ははじめからなかったように消え去った。茶色くしなびて最後には灰のように崩れた草。やがてそよ風に流されたそれを、術者は感情のこもらない目で追いかける。
かつて草だったものを見送り、ルナティアは立ち上がった。暗い
黙って廃墟を見つめてみても、なんの感情もわいてこない。そのおかげだろうか。近づく足音は、彼女の心の隙間に、わずかな刺激をもたらした。もはやすっかり身になじんだ気配に振り向き、黒衣の人に微笑を向ける。
「オルトゥーズ、ご苦労さま」
「この程度のことは造作もない」
肩をすくめて答えたオルトゥーズは、それからつまらなそうに鞘を叩いた。
「それで? 実験とやらは、成功したのか」
「ええ。もう少しで、この術は完成しそう」
「もっと派手にやればいいものを。俺はこそこそするのも、地味なのも好きじゃない」
黒い革靴が、岩肌を乱暴に蹴る。それをたしなめる気はなかったが、ルナティアは顔をしかめていた。
「あなたの好みはどうでもいいわね。あんまり派手にすると、彼女たちに気づかれてしまうでしょう。今はまだ、その時ではないの」
「そうか。そこまで言うなら、まあ、勝手にすればいい。俺も勝手にするからな」
オルトゥーズの物言いは、いつもとまったく変わらない。彼もまた、先ほどの術はまのあたりにしたはずなのに。ルナティアは、唇に薄い笑みを刷く。
「怖くないの? オルトゥーズ」
わかりきったことを訊いてしまったのは、違う何かを期待してのことなのか。それともただの
答えはないかと思っていたが、少しして、オルトゥーズは小さく口を開く。
「命あるものはいずれ死ぬ。死を恐れる必要が、どこにある?」
曇天の中、こぼれ落ちたのは、やはりルナティアが思っていたとおりの言葉だった。
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