2 声

「ふた手に?」

 アニーの言葉に、フェイが首をひねった。アニーは元気よくうなずくと、呆けているクレマンの額めがけて人さし指を突きつける。

「だって、ほら。これってもともと、『度胸試しの勝負』なんでしょ。私とクレマン、どっちが先に『幽霊』を見つけてその正体を暴けるか、で勝ち負けを決めない?」

 三人は顔を見合わせた。目がさめたような顔もあれば、疲れたふうにしている顔もあるが、みんなそれぞれ、アニーの言い分を理解したふうだった。自分の言葉を持ち出されたクレマンは、瞳に闘志を燃やして胸をそらす。

「よーし、わかった。それでいこう。絶対負けねえからな」

「決まり。じゃあ、私はフェイと、あんたはエルフィーと、でどう」

 その言葉に、クレマンとエルフリーデは驚いていた。しかし、フェイは「いいんじゃないかな」とうなずいた。意外に思ったアニーが彼の横顔をまじまじと見ていると、視線に気づいたのか、ほほ笑みを返してくる。

「だって、アニーが万が一暴れちゃったら、この二人じゃ止められないじゃないか」

 それは、ささやきだった。幼馴染の言いたいことを察して、アニーは息をのむ。彼女の暴走の大半が、原因のわからない暴力衝動からきていることを知っているのは、この場ではフェイだけだ。確かに、事情を知らない人と一緒にいて、大けがをさせたら一大事である。二人はお互いの意識を確かめあうと、ひとつ、大きくうなずいた。

 エルフリーデは、二人の様子を見ると首をかしげていたが、すぐにクレマンを振り返る。

「じゃあ、よろしくね。クレマンくん」

 クレマンは、目をいっぱいに開いてうなずいた。ふだんは不良として知られる彼だが、このときは不思議なほど、すなおだった。花でも飛んできそうな二人のやり取りをながめていたアニーが、気を取り直して拳を突き上げる。

「よし。それじゃあ、出発!」

「おまえが指揮すんなよ!」

 クレマンに怒鳴られたが、まったく気にしていなかった。


 正面の階段をのぼってからエルフリーデたちと別れたアニーとフェイは、さっそく、目についた部屋に入った。上等な木製扉を閉めながら、フェイが壁を触っている少女に声をかける。

「そおれにしても、アニーの方からあんなことを言い出すなんて、珍しいね」

「フェイは気がつかなかったの?」

 アニーは、壁の蔓草模様から幼馴染に目を移すと、力強く言った。

「二人のあのやり取りと、クレマンの態度よ」

 きっぱりと言ったアニーをよそに、フェイはしばらく考えこんだ。床に、先程見た衣装箪笥の跡と同じものを見つけてしゃがみこんだとき、彼はようやく、少女の言いたいことをおぼろげに理解する。

「そういえば、あのクレマンが、噂のエルフリーデに冷たくしないのは、ちょっと不思議だね」

「もう、フェイは難しく言うのが好きだな。簡単な話、あいつ、エルフィーが気になってんのよ」

 ええっ、とフェイは目を丸くする。けれど一方で、そう考えれば腑に落ちる部分もいろいろとあるのだった。アニーも彼が納得したことを察し、頬をゆるめてうなずいた。一度その結論に達してしまえば、そう奇妙な理由でもないと思えてくる。――何せ、はじめのクレマンは、明らかにエルフリーデへつっかかろうとして彼女を見ていたのだから。

「でも、それならアニーはクレマンを応援してるの? それこそ珍しいじゃないか」

 フェイが立ち上がりながら言うと、アニーは、ちっちっ、と指を振った。

「逆だよ、逆。私はエルフィーを応援してるの。……だって、悔しいけど、さっき楽しそうだったじゃない。エルフィーが新しい友達とも過ごせるようになるなら、悪くないかなって」

「まあ――あの態度なら、さすがのクレマンもエルフリーデをいじめはしないだろうしね」

 アニーが唇をとがらせると、フェイは壁に手をついて苦笑する。

 それきり、ここにいない二人の話は打ちきられた。しばらくの空白のあと、アニーがあっと声を上げる。

「ねえフェイ。ここ、なんか変じゃない?」

「え?」

 フェイが駆け寄ってくるまでの間、アニーは寝台と思しきものをまじまじと見た。そうとう古いもののようで、基礎の部分は腐りかけてだめになってしまっているし、詰め物や上掛けもかろうじてわかる、という程度だ。しかし――

「いくらなんでも、こんなびりびりになることって、滅多にないと思うんだけど」

 黒ずんだぼろきれと化した布の端をつまんで、アニーはぼやく。フェイも、それを怪訝そうにのぞきこんだ。

「うーん、確かに。しかもこれ、びりびりにされたのは最近じゃないかな」

 引き裂かれた場所をこわごわと触り、フェイが呟く。「盗人でも入ったかな」と、アニーは自分を棚に上げて言った。しかし、優等生は首を振る。

「泥棒が入ったんなら、ほかのところがもっと荒らされててもおかしくない。さっきの箪笥だって、全部ひっくり返されてたと思う」

「じゃあ……」

 碧眼が、黒茶の瞳をのぞきこむ。ふだんは穏やかな瞳が、武人顔負けの鋭い光を帯びた。

「うん。たぶん、これは――」

 フェイが、続きを言おうとしたそのとき。

 

 ううー……おおぉー……

 

 どこからか、低い声がした。ともすれば、風の音と間違えそうなものだったが、それは明らかに、風とは違う不気味な旋律を奏でている。

 アニーもフェイも、ぴたりと手を止め、互いを見た。言葉もなく、そのまましばらく硬直する。

 がたがたと、どこか遠くが揺れた。フェイが飛びあがり、逃げだしそうな彼をアニーがなだめる。アニーは、さっと入口の方に走ると、扉を少しだけ開けてまわりを見た。薄暗い屋敷は、二人が部屋に入る前と、何一つ変わりがない。しかし。

 

 お、おぉ――……

 

 今度は、長く尾をひく音が、聞こえてきた。アニーは眉をひそめる。広い屋敷に反響し、どこから聞こえてきているのか、判断がつかない。無言で扉を閉めたアニーは、縮こまっているフェイを、振り返った。

「いったん、一階に戻ってみようよ」

 少年は、首がとれそうなほどの勢いでうなずいた。



     ※

     

     

 同じころ。クレマンはエルフリーデとともに、広すぎる廊下の一角を調べてまわっていた。熱心に壁の跡を数えているエルフリーデの首根っこをつかんで、止める。

「わあっ」

「ちゃんと、まわり見ろよ。足はまったらどうするんだ」

 すると、紫色の瞳が床をすべる。クレマンもその視線を追う。彼女のつまさきの少し先、廊下が深くえぐれていた。うがたれた穴はまっ黒に見える。勢いよく踏み抜けば、一階に落ちるかもしれない。危険に気づいたらしいエルフリーデが青ざめて、ごめんなさい、と謝った。彼女から手を放したクレマンは、かぶりを振って手近な扉を開ける。卵が腐ったような臭いがしてきたので、すぐに閉めた。

「あー、なんで、こんなこと、してるんだろうなあ。俺」

 隣にいる少女に聞こえないよう、ごくごく小さな声で呟く。

 そもそも最初は、この少女を一人で幽霊屋敷に向かわせ、たっぷり怖い思いをさせて、それを「痛めつける」代わりとする、という計画でいたのだ。けれど、エルフリーデ・スベンをじかに見た瞬間から、すべては崩れ去ってしまったのである。

 クレマンは、古びた絵画に驚いてから、何も出てこないことを確かめる。それからそうっと、エルフリーデを盗み見た。彼女は彼女で、長椅子の、くすんだ金の肘かけをおそるおそおる見ている。屋敷の中が蒸し暑いからだろう、白い肌に汗がつたう。紫の瞳は緊張の色を宿して、長いまつ毛の落とす影がそれを際立たせていた。

「……こんな女子、いじめられるわけがねえじゃんかよ……」

 言いわけのように呟いて、肩を落とす。エルフリーデはクレマンを振り返り、「どうしたの?」と訊いてきた。クレマンは、曖昧に首を振って、ごまかした。

 二人は廊下の突きあたりまでをくまなく調べた。しかし、何も出てこなかった。柱の裏をのぞきこもうが、絵画の額を叩こうが、怪しげな扉を開けようが、あるのは前時代の貴族の遺産ばかりである。今も、小さな扉を開けて、汚れきった本棚を発見したクレマンは、重いため息をついた。壁を触った拍子についてしまった埃を払う。

「飽きるくらいなんもないな」

「一回、アニーたちと合流してみる?」

「馬鹿にされそうだから嫌なんだけど」

 クレマンは、にやにやと笑うアニー・ロズヴェルトの姿を想像して、顔をしかめた。仏頂面のクレマンに対し、エルフリーデは首をかしげて「そんなこと、ないと思うけど」と小声を漏らす。のんびりとした声を聞き、クレマンは、心の中に靄のようなものがこごるのを感じて、さらに眉を寄せた。

「おまえ、あいつらと仲いいよな。なんで」

 とげのある口調で問うと、エルフリーデは顔をこわばらせた。クレマンは、自分の失態に気づいたが、宙に吐いた言葉は消せない。静かに答えを待っていると、少女の薄紅色の唇が動く。

「少し前。わたしが、学院に編入する前に、出会って。そのときに、友達になったの。わたしが魔術師――の力を持つ人だってわかっても、変わらず接してくれたから、嬉しかった」

 思いがけない答えに、クレマン少年は目をみはる。彼が何も言えず、固まっているうちに、エルフリーデの瞳には、冷たい光が走っていた。

「ねえ。クレマンくんも、魔術師って聞くと、やっぱり怖いの?」

「え――」

「わたしの家は、魔術師の家だから。親戚の人すらも、この家の人間なら魔力は扱えて当然、って思ってる。だから、わたしも、そのために学院に入ったの。それを聞いて、怖いとか、不気味とかって、思うの?」

 少女の問いかけは、淡々としていた。まるで、文章を読み上げるかのようだった。クレマンは、ぞっとした。

 このときになって、やっと、彼女が学院でどんな扱いを受けてきたか、想像できたからだ。嫌味を言ったり、時に手をあげたりしたのは、きっとヒューゴだけではないだろう。魔術師嫌いの上級生たちは、ひょっとしたら、ヒューゴよりも陰湿な手を使って彼女を突き落そうとしたのかもしれない。

 エルフリーデは耐え続けたのだ。それが今、彼女の瞳に、暗い光となって表れている。

「俺は――」

 エルフリーデは、あの問題児とその幼馴染に再会して、どれほど救われたのだろう。

 少年の脳裏を、そんな思いがかすめていった。その強烈な思考が、彼の言葉を強く止める。

 クレマンが、最後までものを言う前に。別の音が、それをさえぎった。

 

 おお――う……うおー……

 

 低い音。それは、隙間風のさびしい音にも、狼の遠吠えにも、人の叫び声にも似ていた。エルフリーデとクレマンは同時に肩を震わせて、顔を見合わせる。

「い、今の、って、もしかして」

 エルフリーデが、こわごわと言った。もともと白い顔から、さらに血の気が失せている。クレマンは首を縦に振ってから、わざと、大きな声を上げた。

「どっから聞こえたのかはっきりしねえけど、なんとなく、下で鳴った気もする。一階に行ってみようぜ」

 それから彼は、わざとエルフリーデの腕を強くひいた。彼女はこくりとうなずいて、おとなしくついてきてくれる。

 クレマンは、階段を目指して歩きながら、唇を噛んだ。謎の声に対する恐怖と、少女の抱く深い暗がり、ふたつのものが、彼の心を締めつけていた。

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