4 死を招く光

 エレノア率いる精鋭が、《爪》もどきと戦う人々のところへ到着する、少し前。ロトとマリオンは、監獄塔を目指して走っていた。《爪》もどきと出くわした場所から監獄塔までは、緩やかに蛇行していても一本道だった。邪魔さえ入らなければ、監獄塔の前まで行くのはそれほど難しくないだろう。ただ、別の問題がある。

「大丈夫、ロト?」

 耳になじんだ声を聞き、ロトは目だけを左に向けた。隣で走っているマリオンが、彼の方をじっと見ている。頬が白を通り越して、蒼白くなっている気がした。ロトは少し眉をひそめ、「そっちこそ」と切り返す。マリオンは、笑って肩をすくめただけで、答えなかった。

 感じる魔力が、強く、鋭く、にごったものに変わりつつある。今はまだ、敏感な二人の気分が悪くなるていどだが、魔術師でない人々に影響が出るのも時間の問題だ。いくつの方陣が完成しているのか、想像したくない。

「急ごう」

 ロトが呟くと、マリオンは強くうなずいた。

 ほどなくして二人は、高い建物の前に立った。知られていない建物のわりに状態はいいのか、質素な金属の扉がしっかりと閉じている。ところどころに錆が浮いていたが、ほとんどはくすんだ銅色だ。もともとは、美しいしゃくどういろだったのかもしれない。

 二人は一瞬目を合わせ、ロトが扉に手をかけた。開けるにはそれなりの力がいたが、扉は軋みもせず、奥に開いた。とたん、二人ともがよろめき、たたらを踏んだ。

「なんなんだよ、これ……」

 ロトは、眉間にしわを刻んで、うめいた。

 扉が開くなり、暴力的な魔力が叩きつけられたのだ。これをなんと表せばよいのだろう。突風か、嵐か、それとも密室に満ちた煙か。ともかく強くて濃い力のかたまりだった。息をしているのもつらい。腕を口もとにやったロトが、ちらりと横をうかがえば、マリオンも衣のそでで口を覆っていた。

 引き返したい、と思いながらも、ロトは強く一歩を踏み出す。

「行くしかねえな。ああ、ちくしょう」

 呟きながら、薄闇に指を躍らせる。光る図形が浮かんで弾け、ロトとマリオンのまわりを覆う、薄い緑色の光に変わった。同時に、殴りかかるような魔力の衝撃が、少し、弱まる。

「……ありがと」

 吐息まじりの声がする。ロトはつかのま、左隣を見やった。

「もう俺、今日は術使わねえからな。後は任せた」

「うん」

 ささやきのやり取りは消え入るように終わる。二人はそっと、闇の中に踏み出した。


 監獄塔の一階部分は、円形の空間になっていた。ロトたちから見て一番奥のところに階段があって、それはせんを描きながら上へ、上へと続いている。なるほど、二階から上が監獄になっているらしい。ロトはなんの感慨もなく階段を見上げたあと、ゆっくりと、狭い空間を見渡した。石の壁、土をかためた床ばかりで、調度品のひとつもない。おまけに先ほどから、見えない魔力の暴風が吹き荒れていて、ルナティアの魔力も、方陣の気配も、たどることができなかった。

「ひたすら上にのぼっていく、っていうのもどうかと思うしね」

「それに、時間がない。上までいって何もなくて、何もかもが死に絶えた、なんてことになってみろ。笑い話じゃすまねえぞ」

 そもそも、死ねば笑い飛ばすことすらできなくなる。ロトはため息をのみこんで、もう一度、あたりを見回した。それから今度は目をつぶり、吐き気をこらえて、魔力の流れをたどってみる。

 自分の呼吸の音だけを命綱にして、濁流のなかに身を投じた。全身を引きちぎられそうな圧迫感に、歯を食いしばって耐えて、少しずつ流れに乗ってゆく。そして、氷海の色の瞳は、大きく見開かれた。

「上……に」

「え?」

「魔力が。下から、上に、流れてる。源泉もとがあるのは、この下だ」

 ロトは、驚きのにじんだ声をこぼしながら、足先で地面を叩く。マリオンが大きく目をみはって、口もとを手で押さえた。

「下って……。でも、入口も何もなさそうだけど……」

 幼馴染のささやきを無視して、ロトは地面をながめやった。石壁のそばに転がっていた、てのひらほどの石を拾い上げる。石をもてあそびながら、ぐっと体をひねった彼は、自分から見て左奥の壁の、角のすぐそばに石を投げつけた。当然のように石は壁に当たってはねかえったが、そのときに、金属同士をぶつけたような音がして、四方の壁に反響した。ロトとマリオンは顔を見合わせて、どちらからともなく左奥の壁の前に駆け寄った。

 壁に触れたマリオンが、顔をしかめる。

「うそ。こんなことって、ある?」

「俺は見たことがある」

「どこで?」

「王都で。アレイシャと探し物してたときに、反体制派のおっさんが、空家あきやの壁の中に物を隠してた」

 厳密には、壁があるように見せかけてただけだけど――そう続けたロトは、壁に右手を押し当てて、気配を探った。細い五指は、不自然な魔力の流れをつかまえて、それをじょじょに浮き彫りにしていく。マリオンの歓声を聞き、目を開けば、赤い光の方陣が壁に浮かびあがっていた。

「これがわかればこっちのもんだな」

 ロトが言うと、マリオンはうなずいた。

「あたしがやるわ。ロトは、体力温存しといて」

「じゃ、お言葉に甘えて」

 やけにはりきっている幼馴染に苦笑いを投げかけて、ロトは一歩、後ろに下がる。代わってマリオンが前に立ち、鮮やかな手つきで方陣を解きはじめた。ロトほどではないが、魔術師のなかではかなり速い方だろう。半刻もしないうちに、複雑な方陣を消してしまった。

 赤い光の粒が散ると同時、マリオンの前の壁が、四角く切り取られるかのように消えた。その先から、冷たい風が吹いてくる。二人は少しの間、無言だった。ややあって、振り向いたマリオンが、ロトの肩を叩く。

「見て、あれ」

 ささやきに誘われ、ロトは闇の中をのぞきこんだ。地面に黒い穴があいている。吹きあげた冷たい風が魔力をはらんで、頬をくすぐった。ロトは、軽く顔をしかめた。

「なるほど、地下にあるわけか」

「行ってみる?」

「もちろん」

 楽しそうな幼馴染に、彼自身も笑って返す。そして二人は、壁があった場所へ踏みこみ、いびつな四角い穴をのぞきこんだ。古い石段が、ずっと下まで続いている。こうしてのぞいていると、子どもたちと遺跡に行ったときのことを思い出して、くすぐったい気分になった。

 二人は、どちらからともなくうなずいた。先にマリオンが穴の中に体をすべらせ、ロトはそれに続く。同時、金色の丸い光が、女性の影を浮かび上がらせた。

 石段は長い。ロトはふと、足もとに目を落とす。

「きれいなもんだな」

 石段は古い。けれど、埃のひとつも落ちていない。誰かがきれいにして、なおかつ、頻繁にここを使ったのだろう。それが誰かは、考えるまでもないと思われた。

 金色のなかの影が、揺れた。単なる影のゆらめきではなく、幼馴染が身震いしたのだと、ロトにはわかった。あえて、なにも言わない。身震いしたくなたのは、彼も同じだったので。――下へ、下へと向かうほど、空気は冷たくなってゆく。魔力は、濃く、重く、よどんだものになってゆく。方陣を消す、という大事な役割でもなければ、こんな場所に入りたいとは思わない。ロトは、右手に力をこめていたことに気づいて、意識して力を抜いた。われ知らず、胃のあたりを押さえていたのは、雰囲気にのまれていたからではないだろう。

 辛抱強く石段を降りていると、やがて、底へたどり着いたらしい。ロトが思ったと同時、それまで暗かった世界に、急に明かりが生まれた。地面が、ぶきみな紫色に、光っていた。

「……あれが本体か」

 ロトは、ささやいた。声が少しだけ、かすれていた。

 監獄塔の地下。地の底には、巨大な方陣があった。先ほどまでルナティアを探しまわっていた人々――二人と、子どもたちと、数人の軍人たち――が乗ってもまだ余裕がありそうなほどの大きさだ。記号と文字とがいくつも重なりあったそれは、緻密すぎて、見ているだけでめまいがしそうだった。同時に、いっそ芸術品といってもよい美しさがあった。

 けれども、ただ美しいだけではないというのは、すぐにわかる。地に足をつけたとたん、肌がちりちりとして、胸が騒ぎだした。ロトはこみあげる不快感をむりやりのみこむと、慎重に、方陣へ近づいた。

「ロト」

 マリオンが、不安そうに名前を呼ぶ。ロトは、振り向いて、おどけたふりをしてみせた。

「大丈夫。まだ、殺される心配はなさそうだ」

 彼女はなにか言いたそうだったが、いったん、口を閉じた。ロトが改めて方陣に目を向けると、明るい声が飛んでくる。

「一人でやるの?」

「そのつもりだ。二人ともが解析に熱中して、敵に気づかなかったらまずいだろ」

「ごもっとも、ね」

 マリオンは、ほほ笑んだ。そして、ロトに背を向けた。彼は、少しの空気の流れと布の音でそれを感じた。察しのいい幼馴染に感謝しつつ、青年はその場に膝をつく。

 魔力を灯した指先が、方陣に触れたその瞬間。小さな火花が弾けるとともに、すさまじい量の式と文字とが、ロトの頭のなかに流れこんできた。慣れているはずの彼が、顔をしかめて、低くうめいた。量もさることながら、ところどころに意味のわからない単語が躍っていてうっとうしい。学院の課題と向きあうアニーは、いつもこんな気分の悪さを味わっていたのだろうかと、考えた。

 ロトは、一度目を閉じる。深く、深く息を吸って、自分自身をなだめた。

 どれだけ複雑であろうと、方陣は方陣だ。解き方は、やることは、これまでと同じはず。

 そう言い聞かせ、ロトは改めて、方陣を見渡した。使われている式じたいは、そう難しいものではない。だが、その組み合わせ方がきわめて複雑なのだ。どこで、どの式とどの式がつながっているのか。慎重に見極めないと、ルナティアの罠にひっかかりかねない。くわえて、ロトの知らない文字があるときた。ものすごく、厄介な仕事。けれどもロトは、笑っていた。

「やるか。まずは――第一周を順番に見ていった方が、よさそうだな」

 作業にかかると、頭のなかは驚くほど澄みわたる。音も、気配も、においや気温さえも、彼から遠ざかってゆく。自分自身と方陣だけがあるなかで、ロトは天才的な力をおしみなくふるうことができるのだった。

「定義名、四百、五百……ほとんどは関連付けされてる。関連付けがないのは、こりゃ空要素ダミーか? 下手に触ったら、構造が変わってめんどくさいことになりそうだな」

 無意識のうちの呟き。その伴奏に乗って、指はよどみなく動く。いつも以上に鋭い瞳は、ただ、魔術を形作るものにだけ、向けられている。

 方陣をたどってゆくなかで、いくつもの古代文字に触れた。澄みきった空白に、ふと昔の記憶がよみがえる。

『わからない単語は、とりあえずそのままにしておくといい。前後を訳すことができれば、文脈から意味が読みとれることがある。君くらいグランドル語がわかっていれば、そのやり方で読めると思うぞ』

 まだ、こちらの大陸に渡ってきたばかりの頃。王国の歴史についての本を読もうとして挫折し、エレノアに泣きついたことがあった。ロトたちのグランドル語の教師役も務めていた彼女は、苦笑しながらそう教えてくれた。

 その点、語学も方陣も似たところがある。わからない文字はいったん放っておけばいい。そのうち、わかってくるだろう――判断し、次の周に指をすべらせたロトは、動きを止めた。

 彼の集中をほんの少し乱したのは、後ろで響いた爆音だった。



 マリオンは、あっという間に方陣の世界へもぐる幼馴染の姿を感心しきって見つめていた。見とれていた、といってもいい。ロト自身は嫌がっているけれど、大人たちが彼を方陣の天才と呼ぶ理由が、マリオンにはよくわかる。知識や速さだけの問題ではない。彼は、どんなに複雑な方陣に出くわしても、けっしてひるまないのだ。そして、あっという間に没頭し、方陣を解いてゆくことそのものを楽しめるようになってしまう。難しくても、立ち向かえる。そして楽しめる。それがきっと、本当の才能なのだろう。

 青年の後ろ姿をじっと見ているマリオンだけれど、気は抜いていない。常にあたりに人の気配がないかを探りながら、「そのとき」を待つ。紫色に光る地下室。その静けさを破ったのは、せかせかとした足音だった。マリオンは身構えた。すぐに、その構えを解いた。足音とともに、懐かしい気配が近づいてきたからだった。

 石段をおりて、ひょっこりと姿を現したのは、一組の男女だった。どちらもマリオンより年上だが若く、目が鋭く、グランドル人に比べて顔が角ばってみえる。髪は黒、瞳の色は深い青、肌はすきとおるような白だった。

 つまりは、彼女たちの同胞どうほう、シェルバ人だ。マリオンは二人を見るなり肩をすくめた。

「なーんか、ときどき懐かしい感じがすると思ったら。さては、船団のみんなまで来てるのね」

「ご名答ー」明るい声で答えたのは、女性の方だ。男性の方は、うなずいて、穏やかに笑っている。

「なにか手伝うことがある?」

「今は、特にないわ。しいていえば、こいつを邪魔しそうな虫がいたら、追い払ってあげて」

「おおーっ。今まさに本領発揮って感じだねー。ま、ロトならさ、虫くらいじゃ集中切らさないよー」

 男女はしゃがみこんで方陣と向きあう青年を見て、驚いた顔をしたけれど、すぐに驚きはほほ笑みに変わった。落ちつき払っている男性に対して女性は、けろりと言い放ってマリオンを見上げてきた。彼女はうなずきも首を振りもせず、ただまじめくさって言葉を返す。

「そうだけど、気を抜いちゃだめよ。虫どころか、獅子レーヴが襲ってくるかもしれないから」

 二人のシェルバ人は、目を瞬いた。そのあと、男性が自分の上を指さす。「獅子じゃなくて、鴉ならここにいるけど」

 彼の言葉にマリオンは上を向いて、腰を抜かしそうになった。

『おやおや、ちゃあんと働いているじゃないか、小僧』

「わ、ワーテル!? あなたなんでここにいるの!?」

『なんでも、何も。駒の働きを見届けに来ただけさ。おかしなことじゃ、あるまい』

 鴉はそう言うと、ロトの頭上を飛びはじめる。ロトはというと気づいた様子はなく、ワーテルも彼を邪魔する気はないらしい。マリオンは唖然としてすぐそばの二人を見た。二人とも、怖がっていない。この鴉が『漆黒の魔女』だと知らないのか、知っていても鴉だから怖くないのか。どちらにせよ、マリオンはやりづらかった。肩を落として、「どうしよう」とぼやく。

 情けなく細められた瑠璃色の瞳は、次の瞬間、大きく見開かれた。

 息をのんだ彼女は、強くかぶりを振る。

「ああ、もうっ! いじけてるひまもない!」

『よかったね。悪いことを考えずに済むよ』

「言ってるひまがあるなら防壁くらいつくりなさいよ、魔女!」

 間抜けなやりとりをしている間にも、マリオンは宙に方陣を描いていた。ほかの二人もすでに動いていて、三つ数えたあとには、方陣が弾けて半透明の膜に変わる。その二人が戦いの構えをとったすぐ後、膜に炎のかたまりが三つ、ぶつかった。

 砲弾のような音が、地下室を揺らす。はりつめた空気を炎熱えんねつがこがした。煙を出さない炎のかたまりは、膜に防がれると、赤い粉を散らしながら消える。音を聞きつけたロトの視線がわずかに後ろをむいた。けれど、マリオンたち三人は気づく余裕がなかった。ロトの動きを見ていたのは、赤い目の鴉だけだった。

 腹に響く余韻さえも消えたあと、高い靴音がこだまする。三人のシェルバ人の耳には、やけに大きな音のように思えた。

 雪のような長い髪を見た女性が頬をひきつらせた。

「本当に獅子レーヴが来ちゃったよ」

「……だから、言ったでしょう」

 敵をにらみつけたまま、マリオンは切り返す。そのまま、言葉を、『彼女』に投げかけた。

「こんにちは、ルナティア。――それとも、アナスタシアと呼んだ方がいいかしら」

 色をもたない魔女は、軽く目をみはったあと、あでやかにほほ笑んだ。

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