3 人の戦、魔女の声

「エレノアさん!」

 歓声をあげたのは、クレマンとエルフリーデだった。当のエレノアの部下たちは、驚きと安心とが頭の中でないまぜになって、ぼうっとしてしまっていたのだった。気の抜けた隊士たちに、エレノアがぴしりと声を飛ばす。

「さあさあ、何をしている、配置につけ! とっととあの鳥を倒すぞ!」

「は……はっ!」

 軍人たちは敬礼もそこそこに、自分たちの武器を構える。呆然としていたフェイも気を取り直して、今なお凶暴な灰色の鳥に目を向けた。


 いっとき穏やかだった空気を、光と音が震わせた。いくつもの魔術や矢が放たれる。けれども、そのどれもが、鳥のかたい体に弾かれて、なかなか傷をつけることができない。指揮をとっているエレノアが舌打ちするほどの、手ごたえのなさ。

「いっそ、一点に集中した方がいいか……?」

 フェイは、無意識のうちに、エレノアの背に向かって歩いていた。思いのほか近い声にはっとした彼は、苦々しげな少将の横顔を見上げる。

「やっぱり、うまくいきませんね……」

「うーん。竜のときとは違う難しさがある。石化の呪い、石、なるほどな……」

 エレノアは、フェイがいることに驚いた様子もなく、答えた。独り言に近かったけれど、鳶色の瞳は確かに、フェイを見ていた。口と同時に右手の軍刀もなめらかに動いていて、それはエレノアが黙ったときに、ひときわ強い光を放った。方陣が宙に浮かびあがり、それはすぐに透明な剣に姿を変えて飛んでゆく。ほとんどは鳥にかわされ、いくらかは顔の近くをわずかにえぐった。残りの二本ほどが右目にささったが、鳥はこたえた様子がない。

「効かないか」

 エレノアが、毒づいた。フェイは、いっそう目をこらす。少して彼は目を瞬いた。エルフリーデが放った石の矢が、鳥に届くまでに少し小さくなっていたことに気がついた。

「あの、エレノアさん。もしかしてああいう魔術って、時間が経つほど弱くなるんですか?」

 フェイは、続けざまに軍人が飛ばした、小さな炎を指さして、訊く。エレノアは、軽く首をかしげた。

「いや。確かにだんだん弱くはなるが、時間ではなく、対象物――この場合はあの鳥との距離に影響される。魔術を放ってから、対象にぶつかるまでの距離が長いほど、少しずつ魔力が空気中に溶けてしまって弱くなる、とされているな。……なるほど、手ごたえがないのは、そのせいもあったか」

「魔力が溶けるって……」

「魔術は風などの影響を受けんかわりに、術者の力に左右される。魔力の多い術師ほど、術一発にこもる力も大きいから、対象と距離があっても術の威力は落ちにくい。例えばあののような術師なら、気にしなくてもいいんだが」

 エレノアの目が、エルフリーデを見た。ほかの魔術師ほど疲れた感じはしないものの、彼女は彼女で方陣を編むのに苦労しているらしい。そばでは、クレマンが、また矢をつがえている。その方を見つめたフェイは、呟いた。

「距離、距離か……」茶色い瞳が、鳥を見る。

人間ぼくらが鳥に、近づくには」

「――空を飛ぶか、鳥を落とすか、だな」

 エレノアが、皮肉っぽく続けた。口もとは、わらっている。フェイの考えていることを読みとったらしかった。

「私たちに翼はないし、あれほど大きく頑丈なものを撃ち落とすのも一苦労……」そこまで言って、エレノアはふと、黙りこんだ。自分の軍刀をにらんだあと、彼女は一度、それを下ろした。かと思えば、自分が連れてきた隊士の一人とジェフリー大尉を呼んで、早口で指示を出す。エレノアの命令を、隊士の声が、全軍に伝えた。――翼に集中して、攻撃をぶつけるつもりらしい。


 フェイの見ている先で、あらゆる攻撃が、左右の翼を狙って放たれた。人々はおおまかにふた手に分かれて、それぞれに翼を狙う。いくつもの光が、灰色の上で弾けた。さすがに鳥の体も揺らいだが、低いところへは降りてこない。上下左右に飛ぶ鳥を見、フェイは叫んだ。

「だめです! 半分くらい避けられてる!」

「うん。空飛ぶ敵というのは、やっかいなものだな」

 そう言うエレノアの術は鳥の右翼を正確に撃ったが、落とすことはできない。エレノアは悔しそうに顔をゆがめた。よく見なければ気づかないくらいの、ゆがみだったけれど。


 フェイは、視線をさまよわせた。考え、知識をひっぱりだそうとする。けれども、それらはうまく結びつかず、泡のように浮かんでは消えてゆく。あの鳥は、石の鳥。魔術の鳥。少年の知識や常識ばかりが通用する相手ではなかった。あせりに胸が焼かれる。自然と息が荒くなり、汗が吹き出す。どうしよう、と、何度も口の中でささやいた。そんなときだった。木陰で、なにかが、わらったのは。

「――視覚をふさいで、聴覚をつぶして」

 フェイは、振り向く。けれど、その先には、誰もいない。空耳かと思った。だが、そのとき、また空気が揺れた。

「視覚をふさいで、聴覚をつぶして」

 少し低めの、女性の声。若々しくて、はつらつとした。その声は、先ほどと同じ言葉をつむいだ。けれども、先ほどとは、微妙に違う揺らぎをもっていた。わずかな違いで、フェイはその声が本物だと知った。短い言葉。フェイはその意味を静かに考え、そして、少将を呼んだ。

「光でも、煙でもいいので、目くらましをしてください。できれば同時に、大きな音も出してください」

 フェイはきっぱりと言った。突然すぎたかな、と不安に身を縮める。実際、エレノアはふしぎそうに少年を見下ろしていた。けれども、彼がじっと見返していると、わかった、と言ってうなずいてくれた。

 エレノアは、再び指示を出す。少しして彼女は、フェイとクレマン、それと一部の隊士に目を閉じて耳をふさぐよう、言った。フェイは言われたとおりにした。

 彼が、十一ほど数えたとき。まぶたの裏がちかちかして、砂嵐のような音が、耳を覆う手のむこうから届いた。火花かなにかだろう。顔が、少し熱い。独特の、煙のにおいが、鼻をくすぐった。

 鳥の甲高い声を聞いたのは、音が小さくなってきたときだった。フェイは目を開ける。しっかりと目を閉じていたはずなのに、目の前で変な色の光が躍っていた。まばたきをして視界をならすと、鳥がこれまでにないくらい、ぐらぐらと揺れていた。いつの間にか、何本もの矢が、左右の翼に突き刺さっている。フェイは、唖然としてそれを見つめた。エレノアもあっけにとられていたが、彼女はすぐに気持ちを切り替えて、攻撃の命令を出し、自分も鮮やかに軍刀を振る。

「見事なものだな、ロンヤ」

「へっへーん。こちとら、の頃から狩りしてたからね」

 いきなり、元気な声が聞こえた。フェイが驚いて振り返ると、木の上に、若い女性がいた。一見すると少年のようにも見えるが、声や顔つきは間違いなく女性だ。彼女は枝と幹、そして自分の体を器用につかって、枝の上で弓を構えていた。

 まさか、と思い、フェイはそのまま四方を見渡す。すると、木の上や岩場の上に、何人もの人が立って、弓を構えていた。少し遅れて、全員が黒髪蒼目だということに気づく。

「うわ……!」

「十九人中九人も出張ってきたのか。まったく、相変わらずヴァイシェル魔術師船団は優秀だな」

 魔術を放ちながら、エレノアが笑う。フェイは驚いて、ロンヤと呼ばれていた女性を見上げた。ヴァイシェル魔術師船団――つまりこの人たちは、ロトやマリオンとともに、大陸に渡ってきた人々、ということだ。

 ロンヤは得意気に胸をそらす。「魔術師兼狩人がいた方が、うんと心強いでしょう」などと言った。エレノアは、「否定はせんよ」と苦笑する。

「さあて、反撃開始といこうか。来たからには働いてもらうぞ、船団の諸君」

「了解しました、少将どのー」

 ロンヤの姿と明るい声は、木々の影に消えた。かわりに、光をまとった矢が、鳥に向かって放たれた。



『たまには人間のいくさを見るのも、悪くはないか』

 ワーテルは、高い木の上で呟いた。移動するヴァイシェル人たちにこっそりついてきた彼女は、ロトが言ったとおり、「高みの見物」としゃれこんでいるのだった。鴉の目の先では、人々が《爪》を模した鳥に立ち向かっている。低きで魔術と刃を浴びた鳥は、少しずつ、けれど確実に弱っている。見た目ではわからないが、魔力は確実にすり減っていた。もっともそれは、戦いのせいだけでなく、今この地域をのみこもうとしている方陣のせいでもあるだろう。

 ワーテルは、不快感をおぼえて首を振った。もし方陣が発動すれば、エウレリアの様子を見ることはできなくなるが、ワーテル自身はなにも被害を受けない。彼女の体は、ヴァイシェル大陸の住処すみかにあるのだから。それでも、魔術で生命をねじ曲げて殺すアナスタシア・スミーリのやりようは見ていて腹立たしい。

 ワーテルはまた首を振ったあと、視線だけでななめ後ろの木を見やった。その陰に、たくみに身を隠す者に、声を投げる。

『で? あんたはどうして、そんなところで傍観者を気取ってんだい』

「――私が介入する理由がない」

 返った声は、老女のものだ。年月の重みを感じ、それでいてワーテルの声よりはっきりとしている。鴉は、不満もあらわにカァッと鳴いた。

『理由がないだって。よく言うね。そもそも、あんたがわざを盗まれさえしなければ、あんなものは生まれてないんだ』

 相手は、答えない。それでも魔女は続けた。

『自分の尻ぬぐいくらい、自分ですべきじゃないのかい。橙色の魔女』

「尻ぬぐいか。それこそ、よく言ったものだ。ならばなぜ、おまえはグランドルの都に竜が現れたとき、何もしなかった」

 老女の――橙色の魔女の指摘は、もっともだ。けれどもワーテルは、ひるみも詰まりもせずに言い返した。

『そいつは初耳だねえ。なにせ、むこうの大陸から王都までは遠いからね。……けど、私の優秀なこまは、ちゃあんと働いてくれた』

「それは、おまえが対処したことにはならんだろう」

『ならないね。けど、いつでもかけつけられる場所にいながら、何もしないでいるあんたよりは、うんとましだ』

 恐るべき力を持つ魔女は、北の魔女を相手にして、とうとう黙りこんだ。鴉の体を借りた魔女は、鳴き声とともに言い捨てる。

『だいたいね。あの駒だって、あんたがわざを盗まれなきゃ、用意せずに済んだんだ。私は盗人をとっちめるために、買わなくてもいい恨みを買ったんだよ。責任逃れをするつもりはまったくないが、あんたにも責任があるってこと、忘れんじゃないよ。エウレリア大陸の魔女さんや』

 木陰の魔女は、何も言わない。ワーテルは、嘲笑うでも怒るでもなく、ただ黙って、その場から飛びたった。戦場の中、また別の場所へ行こうとする、二人のシェルバ人を見つけたからだった。

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