Ⅶ 未来へつなぐ冒険譚

序章

色あせた記憶

小さな町に、ナージャという娘がおりました。明るく元気な娘でした。

ナージャの両親は、商人でした。たくさん、お金をもっていました。

(中略)

ナージャはいろいろなことを知りたがる娘でした。家にある本を読むだけではものたりず、さまざまなところに出かけていきました。ときどき、両親にだまってきけんな場所にも出かけました。

そしてある日、ナージャは町の近くの山のふもとに出かけました。そこにある小さなほら穴のなかで、一人の女と出会いました。女は、じぶんは魔女だといいました。



     ※



 窓からさしこむ日の光が、金色に覆われた壁を反射して、チカリと光る。みがきぬかれた木の文机や小さな鉢植えも、光に身をさらして全身を清めていた。まっ赤なカーテンが、輝く部屋にいろどりを添える。霜が降りるほど凍てついた朝だったが、空を見る限り、今日は久しぶりに青い空をおがめそうだった。

 窓の方へ身を乗り出したあと、まぶしさに目を細めた少女は、自分だけの楽園を求めて細い腕にすがった。飛びついてきた少女を抱いた女性は、自分と同じくやわらかな銀の髪を指先ですくいながら、くしずけた。少女が高い声を上げ、さらに母の肩へしがみつく。

「おかあさま、おかあさま」

「どうしたの、ナージャ? 今日はいちだんと楽しそうなのね」

「ええ。だって、今日はイワン師がいらっしゃる日だもの! 今からわくわくしていて落ちつけないの」

 少女は細い手足をぱたぱた揺らす。そのさまを見て、女性は笑みを深くした。今のうちからすでに魔術の才を表している彼女の娘アナスタシアは、彼女の夫――アナスタシアから見れば父――の部下であるイワンをたいそう気に入っているようなのだった。イワンもイワンで、才媛さいえんの面倒をみることを楽しんでいる節がある。二人が和気藹々と話している姿を見るたび、夫ヤロスラーフは、喜んでいるような怒っているような、変な顔をする。つい十日ばかり前にも繰り広げられた光景を思い出し、彼女は小さく笑った。


 一方、当のアナスタシアは、母親の思いがけない反応に首をかしげる。しかし、すぐに気を取り直して話しかけた。

「今日はどんな魔術を教えていただけるのかしら。少し難しいものに挑戦してみましょう、と言われたのだけれど」

「あらまあ、すごいわ。上手にできたら私にも見せてちょうだいね」

「もちろんよ」

 アナスタシアは、目を輝かせた。みずからも優秀な魔術師である母に、期待されたことが、嬉しくてたまらなかった。振り子時計を何度も振り返っていると、また、優しい手に頭をなでられる。くすぐったさに目を細めていると、ややして、声が降ってきた。

「でも、我がスミーリ家の教えを忘れてはだめよ」

 いつも上品で力強い母の声が、このときは、やけにか細く聞こえた。不安に身をかためたアナスタシアは、何度も、強くうなずいた。

「わかっているわ。魔術は正しく、人のために使わなければいけないのでしょう」

 それは、スミーリ家成立当初から「教え」として伝えられてきたことらしい。アナスタシアも、物ごころついたころから、両親や家人に何度も言い聞かせられた。耳にたこができそうなほど。だから、今は、誰に言われなくともそらんじることができる。はっきりとした娘の答えに、母親は「いい子ね」とほほ笑んで、アナスタシアの体をやわらかく抱きしめた。

「ナージャ。アナスタシア。かわいい娘……あなただけは、そのままでいて」

 身を切るような母のささやきに、幼い娘は気づかなかった。


 あのときの母はなんだかおかしかった。気づいていれば、なにかを変えられただろうか。何百年ものちになって、人とすら呼べないものになり果てたアナスタシアは思う。けれども、すぐに、冷たい笑みとともに否定する。

 気づいていたところで、幼い身には何一つ、できはしなかった。大人にはぐらかされ、囲われて、無力感にさいなまれて、どのみち狂っていただろう。それが早いか遅いかの問題だった。彼女にとっても、家にとっても、国にとっても。


 スミーリ家とエリザース帝国は、堕落すべくして堕落し、滅ぶべくして滅んだのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます