4 ひとめぼれ

 クレマン・ウォードにはいくつか日課があるが、そのうちのひとつが、毎日放課後にある場所を訪ねることだった。学院の外廊下を、汗をかきながら通り抜けて、今はひとけのない演習場を過ぎる。木々をかわしながら細い道を行くと、倉庫のような建物が集まるところに出た。クレマンはあたりを見回しながら慎重に進み、ひとつの倉庫の前で立ち止まる。おそるおそる、扉を開けると、先客がいた。

「……ヒューゴさん」

 名前を呼ぶ声が震えてしまったのは、しかたがない、とクレマンは思う。なぜなら、倉庫の奥の木箱にむりやり座っている先輩は、魔物もおびえて逃げだしそうな、どろどろした怒気を放っていたからだった。呆然としている彼の腕を、隣の女子がひく。

「気をつけなよー。今日、あの人、機嫌悪いから」

 そんなことをささやかれて、どう返せばいいのかわからない。何があったかと聞く気にもなれなくて――けれど直後、同じ『戦士科』の何人かがささやいていたことを思い出し、頬をひくつかせた。

――アニーたちが、あのヒューゴとけんかをしたらしい。

 あの大馬鹿野郎、暴れん坊、と、少年は心の中で同級生をののしった。噂がどこまで真実かは知らないが、アニー・ロズヴェルトならやりかねない。この女子も同じ六回生だから、聞けばなにかわかるだろうとは思うのだが、それこそ訊く気になれなかった。ため息をのみこみ、慎重に中へ入って扉を閉めると、不穏な空気が閉じこもって息苦しくなった、気がした。

「おい。クレマン」

 薄い闇の奥から、ヒューゴに名前を呼ばれて、クレマンはうさぎのように飛び跳ねた。ヒューゴは、妙にぎらついた目で彼をにらみすえている。

「おまえ、例の編入生のことを知ってるか」

 クレマンは、首をかしげた。

「そりゃ、名前くらいは。けど……あいつって文化学科ですよね。俺、ほとんど会わないっすよ」

「なら」

 クレマンの言葉にかぶせるようにして、青年の重苦しい声が言う。クレマンが固まっていると、ヒューゴはゆっくり立ち上がり、少年を威圧するように見おろした。

「ちょっと痛めつけてこい。おまえなら、あいつも多少油断するだろうな」

 思いもよらない言葉に、クレマンは唖然とした。無意識のうちに、半歩後ずさりをしていた。少年が青ざめていると、ヒューゴは歯を見せて、獣のように笑う。

「別に直接じゃなくてもいいんだぜ? たとえば、どっか危ない場所に誘いこんでやるとか……おまえなら、そういうネタ、なんか持ってるんだろう」

「ま、まあ、ひとつかふたつ、くらいは」

「じゃあ、しっかり頼んだぜ」ヒューゴは話を打ちきると、クレマンの肩に手を置いて、五本の指に力をこめる。少年たちの憐みの視線と、肩をしめつける痛みを他人事のように感じながら、クレマンはからくり人形のようにうなずくことしかできなかった。


「痛めつけるったって……相手は女子だろ? あんまりやりすぎるのも、ちょっとな」

 翌日。クレマンは西館の廊下を歩きながら、ひとりごちていた。生徒たちは短期休暇前だからか浮足立っていて、彼の不穏さを漂わせる呟きに、気づいてはいなかった。

 先輩の言葉は受け入れざるを得なかった。「ネタ」は一応用意してある。、どこまで通じるかわからないが。それにしても――と、クレマンはため息をつく。

「なんであの人、たかだか編入生にそんなこと……。アニーみたいに、すぐ人にけんか売る奴だったのか? それとも、魔術師っていう噂が関係ある?」

 あの先輩や不良少年たちの意図をはかりかねるのはいつものことだが、今回はなおさらである。クレマンはひとり、首をかしげた。一応、はぐれ者を拾い上げてくれた人ではあるし、いろいろと楽しいことも教えてくれたので、六回生になっても離れがたくてつるんでいる。しかし、ここ最近、ヒューゴたちを見ていると、なんだかもやもやするようになってきた。

 わからない。

 もともと、頭はいいとはいえないのだ。

 だが、鋭敏な少年の勘は告げていた。これは、あまりよくない空気だ。居座り続ければ巻き込まれると。

「お、あいつだなー」

 ほんの数回見ただけの後ろ姿を見いだして、クレマンは目を細めた。少女はなぜか、戦士科が座学を行う教室の前で、きょろきょろとしている。クレマンはわずかに足を速めて人の波を潜り抜け、少女に近づいた。と、そのとき。少女が、クレマンの反対側から来た人の波にさらわれそうになって、両手をばたばたさせる。目をみはったクレマンは、考えるより先に手をのばした。むりやり制服の端をつかんで、少女を人混みの中からひっぱりあげる。

「え……あ、ありがとうございます」

 戸惑う少女の声を耳にして、何をしてんだ俺は、とクレマンは思った。

――しかし、件の少女と目があった瞬間、そんな気持ちも吹き飛んだ。

「え」

 間抜けな声がこぼれても、それが自分のものではないように感じた。

 きれいな黒髪と、整った細い眉、伏せられたまつ毛の影に隠れた紫色の瞳に目を奪われる。紫は珍しいときく。クレマンもはじめて見た。――まるで、宝石のような目。けれどそれは、ただ色だけのせいではないだろう。彼女のしとやかさが、そこに表れている気がする。

 噂の編入生は思ったよりずっとかわいらしく、少し儚げで。ほんのわずかな視線の交錯で、クレマンの心はそちらへ吸い寄せられてしまっていた。


 要は、一目ぼれである。


「あの?」

 不思議がるような声がけに、クレマンの意識は引き戻された。あわてて、つかんでいた衣から手を離す。

「いや、えっと、悪い。や……あんなとこで突っ立ってたらあぶねえぞ、気をつけろ」

 あえてとげを含んだ言葉を投げれば、少女はしゅん、とうなだれた。ああ本当に何やってんだ、と思いながらも、クレマンは鼻を鳴らす。少女はもう一度お礼を言って、頭を下げた。次に顔を上げたとき――紫の瞳が輝く。

「エルフィー!」

 がやがやとうるさい人の声にまぎれて、聞き覚えのある声が叫ぶ。少女はそれに答えるように、クレマンの背後へ手を振った。

「アニー、フェイ!」

 瞬間、少年はぎゅうっと目を細め、変な顔をしてしまった。そうしている間にも足音は近づき――げっ、という声が、すぐ後ろで聞こえる。

「クレマン、なんでここに……は、さてはあんたまでエルフィーをいじめる気か!」

「か、か、勝手に決め付けんなよ! おまえこそなんなんだ!」

 図星だった。

 振り向きざまに怒鳴ると、すぐそばに立っているアニー・ロズヴェルトは、金の三つ編みを揺らしてふんぞり返った。

「私はその子の友達です」

「友達だぁ? 暴れん坊のおまえが」

「悪い?」

 アニーは、いつものように目をきらめかせてにらんでくる。彼女の碧眼はとてもはっきりとした色をしていて、この荒々しい態度さえなければきれいとさえ思えるのだが、クレマンは「こいつにきれいさを求めてもしかたない」と思っていた。それどころか、彼もまた、顎を突き出してにらみつける。

 二人の間に火花が散った。行き交っていた生徒たちが、おびえるように廊下の端へと寄ってゆく。少女――エルフリーデ・スベンは二人を交互に見やっていた。

「ふ、二人とも、そこまで! 廊下のまんなかで、けんかしないでよ!」

 子どもたちを戸惑わせる、獣どうしの決闘のようなにらみあいを終わらせたのは、アニーと一緒にいた少年だった。クレマンがじろりとにらみつけると、フェイ・グリュースターはおびえた表情をしたが、珍しく引き下がらなかった。今にも食らいあいそうな小さな獣たちを、ぐいぐいと引き離す。

 クレマンはしかたなく、矛を収めた。アニーもまた、ふんっと言いながら後ろに下がり、編入生の少女の腕をとって、渋面を見せつけてきた。近づくな、という意味か。いちいち腹の立つ奴、とクレマンが舌打ちをすると、フェイが見上げてきた。

「それで……クレマンくんは、結局どうしたの。エルフリーデに何か用事?」

「うっ――いや」

 少年のまっすぐな瞳に見すえられ、クレマンは後ずさりする。まわりを見てみれば、エルフリーデは首をこてんとかしげ、アニーは警戒心の強い犬のように目を細めていた。

 本当のことを言えば、間違いなく彼らは激怒する。昨日、『ヒューゴとけんかをした』というのが本当なら、なおさらだ。それになにより、愛らしい編入生を陥れるようなまねは、したくなかった。

 なので、クレマン・ウォードは――方向性を変えてみることにした。

「そ、そいつと会ったのはたまたまだ。人混みでおぼれそうになってたからひっぱりあげてやったんだよ」

 少年があえて尊大に言うと、アニーが「ほんとにぃ?」と粘っこい声を出したが、そこはエルフリーデが「本当」と言ってかばってくれる。小うるさい問題児が黙ったところで、クレマンは彼女に人さし指をつきつけた。

「俺はおまえに用があるんだ、アニー・ロズヴェルト!」

「は? 私?」

「そうだよ。明後日から夏の短期休暇だし、度胸試しの勝負を申し込もうと思ってな。――森の奥の幽霊屋敷、聞いたことくらいあるだろ?」

 言葉を聞いた三人が、目をみはる。クレマンは不敵に笑った。

 これこそが、クレマンが用意していた「ネタ」だった。女子は女子でも、『暴れん坊』のアニー・ロズヴェルトなら、乗ってくるはずなのだ。

 


     ※

     

     

「幽霊屋敷?」

 フェイとエルフリーデの声が重なる。一方アニーは、ああとうなずいていた。それを見つけたフェイが、「知ってるの?」と訊いてくる。

「ずいぶん前から噂になってるよー。ほら、ヴェローネルの南側に森があるでしょ。あそこの奥に、もう使われていない屋敷があって、そこからときどき人のうなり声が聞こえてくるとか。夜になると屋敷のまわりだけ、地震みたいに揺れるんだとか、いわれてる」

 少年少女が、ひぃっとか細い悲鳴をあげて縮こまる。けらけら笑うクレマンに気づいていないのか、文句をいう余裕などないのか、フェイが頭を抱えたまま、アニーを見上げてきた。

「でも、そこまで知ってて、アニーは行きたいって思わなかったの? 珍しいね」

 アニーは、うーんとね、と頬をかく。

「実は、六月の頭ごろに、ロトにその話をしたんだ。そしたらね、『絶対行くな』って鬼の形相で言われた。だから今までやめてたの」

 正直なことを言うと、フェイとエルフリーデはなんともいえぬ表情で沈黙する。一方、クレマンは、不安げに三人を見ていた。

「じゃ、じゃあ、やらないっていうのか?」

「悪ガキ」の声にはあせりがにじんでいる。アニーは、にやり、と笑った。

「いやあ? クレマン・ウォードくんがどうしてもって言うんなら、その勝負、乗ってあげてもいいよ」

 ちょっとアニー、とフェイが鋭い声を上げた。アニーは幼馴染の咎める声を、あえて無視をした。クレマンは悔しげに顔をゆがめている。彼は、三人を順繰りに見た後、頼むよ、と両手を合わせてきた。何をたくらんでいるのか、アニーにはまだ見当がつかないのだが、珍しいこともあるものだ。少し気分をよくした少女は、「わかった。乗ってやるわよ」と、腕を組んで言った。

 フェイが、深々とため息をつく。

「いいの、アニー? ロトさんに知られたら、締めあげられるよ」

 フェイは言いながら、拳を自分のこめかみに当てる。アニーは、青年の怒りを想像して顔をしかめた。けれども、すぐに開き直ってしまった。

「いいわよ。そうなったら、クレマンに身代わりになってもらうから」

「はあ、なんでだよ!?」

 少年の腕をアニーがつかむと、彼は不満げな声を上げる。

「言い出しっぺはあんたなんだから、あたりまえでしょう」

「『乗る』っつったのはおまえだろうが! だいたい、誰だよそのナントカってやつ!」

「魔術師。でも、意外と腕力あるから頑張ってねー」

「は――はあああ?」

 二人はその後、ぎゃんぎゃんと言いあった。が、結局は、短期休暇の二日目に街の入口付近で落ちあう約束をとりつけた。仲がいいのか悪いのか、はたからでは判断のつかない二人を見ていた少年少女が、顔を見合わせる。

「し、しかたない……ぼくも行くか……」

 フェイが、嘆息とともに声を落とすのを聞き、三人が同時に彼を見た。エルフリーデが「大丈夫なの?」と問うと、少年は苦笑する。

「話を聞いてしまったからには、知らないふりはできないよ。せめて、アニーが暴れすぎないように見張っておかないと」

「何よそれ」

「――じゃ、じゃあ、わたしも行く」

 唇をとがらせる問題児をよそに、エルフリーデがおずおずと手をあげた。アニーとフェイが目を丸くし、クレマンは今にも飛び上がって叫びだしそうな顔をしていた。しかし、エルフリーデは三人の反応に気づいていないかのように、やんわりと笑みを浮かべたのである。

「幽霊は怖いけど、みんな一緒なら大丈夫な気がするの。よろしくね」

 こうして、四人で森に行くことが決まった。

 

 クレマン・ウォードが当初考えていた計画とはかなり違う形になったのだが――当然、アニーたち三人に、それを知る由はなかったのである。

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