2 魔女の《爪》

「まったく、とんでもないことになったな!」

 広場に踏みこむなり声を聞き、アニーは足を止めかけた。その声に馴染みはないが、おぼえはある。小柄な女性の陸軍少将。彼女の声を追いかけると、案の定、本人とロトがそこにいた。

「悪い、エレノア。まさか俺の魔力で術を完成させるとは思ってなかった」

「いや……謝らなければならないのは、こちらだ。間に合わなかった。面目ない」

 そこで、上空の竜がうなり声をあげる。大きく口を開き、黒い塊のようなものを放った。だが、それは、地上にぶつかる前に、半透明の壁にぶつかり散ってゆく。あらかじめ誰かがしかけたらしい方陣は、役目を終えると光の粒を散らして、消えた。

「それでいったい、どうしたらいいんだ。あれは魔女の《爪》なのだろう?」

 ロトが、うなずくような首を振るような、曖昧な動作をする。会話を聞きつけたクレマンがひょいっと身を乗り出した。フェイが目をむいて制止しようとしたが、遅かった。

「あの! さっきも言ってましたけど、その爪ってなんすか?」

 クレマンの大声に、二人はそろって振り返る。四人の姿を見つけると、ひきつった顔で凍りつく。飄々とした印象の少将、エレノアですら、口を半開きにしていた。少しの沈黙、号令に合わせて軍人たちが広場へ詰めかける中、ロトがわかりやすく眉を寄せた。

「おっ、まえら……なんで戻ってきた!」

 怒鳴りつけられた子どもたちは、びくりと肩をすくめる。その間にも、ロトは彼らをじろりとねめつけた。

「どういうつもりだ。死ぬ気か、阿呆」

「――し、死ぬ気なのは、ロトだって変わんないでしょうが! 魔力吸われたくせに!」

 とっさに言葉を返したのは、アニーだった。彼女の、黄色い悲鳴に似た声に、ロトはぐっと息を詰める。その間にも、アニーは剣の鞘に手をやって、両足で地面を踏みしめる。

「見てるだけなんて嫌だ! 確かに、あの竜はそこらへんの魔物とは違うのかもしれないけど、だからって、ロトばっかり無茶するのはずるいよ!……私たちだって、こういうときに戦えるように、いっぱい学校で勉強してるんだから。一緒に、戦わせて」

 まくし立てたアニーは、大きく息を吸う。その間に、横の三人が、視線を交差させていたことに気づかずに。彼らはアニーが口を閉ざすと、一斉に半歩前に出た。

「お願いします。軍の人たちの邪魔はしませんから、お手伝いさせてください」

「わ、わたしも魔術師の卵ですし。あれが魔力の塊なら、みんなで力を合わせれば、どうにかなると思います」

「お、俺、剣だけじゃなくて槍とか弓とかも、ちょっと使えるし、きつい仕事にも慣れてるから。ええっと、いっぱいこき使って、ください!」

 ロトは渋面を深くし、エレノアは困ったようなほほ笑ましいような顔をして、アニーはぱっと振り向いた。三人の瞳がたたえる光は、色こそ違えどまぶしく強い。

――その輝きに折れたのは、大人たちの方だった。

「……おい、エレノア。これは、戦線に入れても大丈夫か……?」

「うーん、まったく、全然、大丈夫ではないが。しかたないな。彼らの気持ちをくんであげるといい。責任は私が取る」

 エレノアが、腰に手を当てきっぱり言うと、ロトはとうとうため息をついた。「勝手にしろ」と言い捨てる。けれど、その横顔は、少しだけだがゆるんでいた。四人はぱあっと顔を輝かせて、見合わせる。彼らが手を打ちあったとき、あちらこちらから隊長を呼ばわる声がした。駆けてくる軍人は、いずれも翼の刻まれた胸飾りをしている。エレノアは彼らを見回し、ひとつひとつ、報告を受けた。彼女に報告をあげている軍人の中には、アニーたちが昨日出会ったアレイシャ・リンフォードの姿もある。

 ひととおり、隊員たちに指示を飛ばしてしまうと、エレノアは再び『市井の人々』を振り返る。

「配置は済んだ。それで、さっきの話の続きだ。あれは結局《爪》なのか、そうではないのか」

「ああ――でも、それを言う前に」

 ロトはちらりと、クレマンに目を向ける。先ほど《爪》のことを尋ねた少年は、姿勢を正した。

「魔女の《爪》っていうのは、五色ごしきの魔女が、自分の魔力で作りだす動物のことだ。使い魔やしもべと言った方が、おまえらにはわかりやすいだろうな」

「え? 魔女の? っていうことは、あの竜は魔女がつくったものですか?」

 叫んで、顔をこわばらせたのは、魔力持ちのエルフリーデだ。まっさおになる彼女の頭に、ロトが手を置く。

「落ちつけ。……あれは、正しくは魔女の《爪》じゃないんだ。それに似せた、偽物の魔力生物なんだよ」

 穏やかな声で言ったロトは、すでに始まっている戦いの音などないかのように、平然とエレノアへ視線を戻す。

「おそらく、魔女の技術を研究した何者かが、魔術師たちにそれを広めたんだ。それで、《爪》のまがい物を作るように仕向けさせた。

魔女は本来、《爪》をつくるのに方陣を必要としない。それをむりやり古代式の方陣で作ろうとしたから、方陣があんなわけのわからんものになったんだろうな」

「なるほど。しかし、なぜ、わざわざそんなことを――」

「隊長!」

 深刻な顔で言いかけたエレノアを、誰かがさえぎる。駆けてきたのは、若い男性だった。『白翼の隊』実戦部隊の一班をあずかる人なのだが、それを知っているのはロトとエレノアだけである。隊士の顔を見た少将の目もとが、ひきしまった。

「どうした!」

「あの化け物が、弓隊の攻撃をかいくぐって、市街へ向かおうとしています!」

「何!? 結界の形成が、間に合わなかったか……!」

 敬礼をした隊士の報告に、エレノアが歯ぎしりをする。彼女の怒声に、魔力を持つ二人が、まっさきに反応した。

「っ、しかたねえな」

「わたしも行きます!」

 明らかなあせりをにじませるロトと、彼の背につくエルフリーデ。二人が駆けだそうとしたそのとき、しかし、広場のまわりがにわかに明るくなった。剣の柄に手をかけていたアニーは、広場と街道を区切る石塀から立ちのぼる光に気づいて、目陰をさす。

「何、あれ?」

 彼女の声に反応して、誰もが動きを止めた。同じように目をこらしたロトが、その後、息をのむ。まさか、と、ささやきの形に、唇が動いた。その間にも光は強まり、こねた粘土のように薄くひきのばされる。上空で暴れ狂う竜を押しとどめるようにうねると、広場をすっぽり覆う、半球をつくりあげた。

「これ、ひょっとして、結界ってやつか?」

「うん。そうだと思う」

 呆然としているクレマンへ、フェイがうなずく。そのとき、結界の縁の方からロトとエレノアを呼ぶ人たちがいた。手を振る彼らを見たアニーは、その全員が隣にいる青年や彼の幼馴染とよく似た目鼻立ち――つまりは、シェルバ人であることに気づく。さらに、そのうちの一人には、見覚えがあった。彼女は思わず、幼馴染の肩を叩く。

「ねえ、フェイ。あれ……薬屋のおじさんじゃない?」

「え?――あっ!」

 彼女の言葉に、フェイも目玉が飛び出るほどに見開いて、叫ぶ。

 かつて、ヴェローネル近郊のフェルツ遺跡に出向く前に、立ち寄った薬屋。その店主であるはずの男性の姿が、そこにはあった。彼と二人が顔を合わせたのは一度きりだが、きょろきょろ動く黒眼が印象的だったので、覚えていたのだ。

 思わず二人がロトを振り向くと、彼は押し殺した笑みを浮かべていた。

「おいおい、祭り嫌いのテッドがここにいるとか、どんな偶然だよ……」

 彼は呟いたあと、光に包まれた空を仰ぎ見る。結界に阻まれた竜は、もがいたあと、首をぐるりとひしめく人々の方へと向ける。まっ赤な両目は、怒りをたたえて爛々と輝いていた。

「さてまあ。とりあえず、《爪》もどきを閉じこめることには成功したわけだ」

 のん気な声で言ったエレノアが、次の瞬間、目を細める。そのままロトや子どもたちを顧みることなく駆けだすと、自分が束ねる隊の者たちに向けて、声を張り上げた。

「実戦部隊は、陸軍の弓兵隊と連携して応戦! 原則、各班長の指示に従え! 解析部隊は結界の維持とあのでかぶつの分析を行え! 何かわかったら私かフォスター副隊長に報告しろ!」

 その後も繰り出されるエレノア・ユーゼスの指令に隊の人々は力強く応じて、散ってゆく。間もなく、弓と石、それから光が、あちらこちらで飛び交いはじめた。

 どう動くべきかと、五人が目を合わせていると、エレノアのもとにまた一人の隊士がやってくる。白髪まじりの茶髪の、いかつい顔の男性を見て目をみはったのは、誰だったか。エレノアはまわりの反応に気づくことなく、彼――ガイ・ジェフリーに目を向けた。

「隊長! 陸軍の奴ら、銃器を出すつもりらしいです。どうしやす?」

「む、それは本当か。あれはまだまだ実験段階だろうに」

「けど、弓より効くのは確かでしょうな」

 さらりと意見した大尉に、エレノアは表情ひとつ変えず、顎に手を当て考えた。それから間もなく、くっと顎を持ちあげる。

「そうだな……わかった、判断は陸軍の指揮官に任せる。ただし、魔術師たちの邪魔だけはするなと伝えておいてくれ」

 ガイは、了解、と言うなり敬礼をした。そのまま踵を返しかけた彼を、エレノアがあっけらかんと引きとめる。

「ああ待て、ジェフリー大尉」

「はい? なんでしょう」

 巌のような彼は、きょとんとして立ち止まる。エレノアはにやりと笑うと、彼の名前に驚いている子どもたちを、手で示した。

「彼らを連れていってくれ」

「はっ!?」

「この少女はリンフォード少尉のところに。元気のいいこの二人は、そうだな、ルドル中尉のところがいいだろう。彼は、大尉の班で預かってくれ」

 矢継ぎ早に言ったエレノアは、最後にフェイの頭をかきまぜる。四人ともが呆然としていたが、もっと驚いていたのはガイ・ジェフリー大尉その人だった。班の様子をつぶさに確かめつつも、にらむように上官を見おろす。

「本気ですかい、隊長。ガキに戦わせる気か。――しかも、ルドルのところっつったら思いっきり前線だし」

「副長のいる最前線よりは、ましだろう」

「そういう問題じゃねえと思いますが」

 ガイはその後もなんのかのと呟きながらうなっていたが、隊長の「大丈夫だ。彼らはこう見えても経験豊富のようだぞ?」という楽しげな言葉に折れて、頭をかいた。

「わかったわかった、わかりましたって」

 自分の上官に手を振ったあと、ガイは『自分の隊が預かれ』と言われたフェイを、まじまじと見下ろす。「ほかの三人はともかく、こいつはどうすりゃいいんだ……?」困ったような呟きを聞き、フェイ自身は背中を丸め、アニーはそっと苦笑した。

 ともあれ、これで戦いに参加できるというわけだ。子どもたちは、大尉に手招かれて駆けだす。

「それで、君はどうしようか。前線か、解析部隊か」

「別に、俺はどっちでもいいけどな。あんたに任せ――」

 ごう、と風が吹き、つかのま、あたりの音を消しさった。後ろに聞こえていた、青年と少将のやり取りさえも。突風にあおられて目をつぶっていたアニーは、風がおさまると、おそるおそる両目を開ける。何気なく空を見上げて――か細い悲鳴をのみこんだ。

「いやあっ!」

 悲鳴をのみこみきれなかったエルフリーデが、後ずさりして転びかける。クレマンがぎりぎりのところで、彼女の細い腕をひいた。

「お、おいおい! なんで、あいつ、こっちに来るんだ!」

 クレマンの目は、空を向いている。彼らの方へものすごい勢いで降りてくる黒い竜は、なぜだかひどく怒っているように見えた。とっさに、あたりに「さがれ!」と叫んだエレノアが、軍刀を抜き放つ。

「ジェフリー大尉、あれを怒らせたのか?」

「なんで俺ですか! ……つーか、ガキどももいったんむこう行け!」

 四人はガイの大きな手に押しやられて、たたらを踏む。そのとき、すぐそばにいたロトが肩を震わせたことには、誰も気がつかなかった。竜はえてからあぎとを開き、今にも軍人たちに食らいつこうとした、が、その直前で軽く体を持ちあげ、二人の真上を飛んだ。

 エレノアが、悲鳴じみた声とともに振り返る。同時に、ロトが自分のそばにいた子ども――クレマンとエルフリーデ――を、投げるように背後へ突き飛ばした。竜がまた、突っこんでくる。黒い塊を間近にとらえたアニーとフェイは、声も出せずに固まった。けれど、頭の中では、この竜の狙いに気づいていた。

 アニーは、ぶるりと震える。顔をぎこちなくそちらへ向けるが、手足が動かない。鞘に触れた指がめちゃくちゃにおどる。

 間に合わない。

「ロト――!!」

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