3 黒と白、再び

 鈍く光る刃が迫った。このままだと押し負ける、と、直感はささやいた。アニーはとっさに体をひねり、太い刃に自分の剣を滑らせて、叩きこまれた力を辛うじて流した。そのまま相手に飛びこもうとするが、黒い男はすばやく身を引き、その後、また突きを繰り出してくる。飛び跳ねてそれを避けたアニーは、剣を脇に構えたまま、男をにらんだ。

「しつこい! なんで、こんなところにいるのよ!」

「むしろそれは、俺が訊きたいところだがな」

 男は、相変わらずの冷たい目で、少女を睥睨へいげいする。彼の動きを注視していたアニーは、黒い靴がわずかに地面をこすったのを見て取った。衝撃と剣撃に備えて身構えた彼女は――けれど、動き出すことができなかった。その前に、男の背後が赤く光り、その頭をかすめた火の玉が二人の間に落ちたのである。襲ってくる赤と熱に慌てた少女は、本能のまま飛びすさる。そのとき、続けざまに男の陰から、光る何かが向かってきた。アニーはすぐ、それが自分を狙っていないことに気づく。

「いけない」

 振り向いた頃には、すでに光の刃は頭上を通りすぎていた。青ざめて、けれどすぐに、ほっと胸をなでおろす。

 ロトが、すばやく紡いだ防壁で、光の刃を打ち消しているのを見たのだった。半透明の防壁は、役目を終えるとゆるやかに消えてゆく。彼らのそばで身を固くしていたエルフリーデが、ひきつった声を上げて驚いていた。

「さすがロト。速さと方陣に関しては右に出る者なし、ってね」

「やめろ、こっ恥ずかしい」

 マリオンがにやりと笑って、ロトの肩を叩く。彼は心底嫌そうにぼやいたあと、黒い男と、その背後をにらんでいた。ゆらめく人の気配を感じ、アニーも男の方に視線を戻す。漆黒の後ろから現れた人を見て、飛び上がりそうなほど驚いた。

「オルトゥーズ、お遊びはほどほどになさい。私たちの目的は、戦うことではないわ」

 その人物は、冷やかな声を落とすと、優雅に銀髪をかきあげた。黒い男は顔をしかめて、彼女をにらむ。

「それはおまえ一人の目的だ。俺はどうでもいい」

「相変わらずね」

 彼女はくすくす笑ったあと、笑みの名残を唇に残したまま、アニーたち五人をゆっくりと見回した。悠然と、一歩を踏み出し、人さし指で虚空をなぞる。

「さて。魔女に呪われた人はどなたかしら。……なんて、問うまでもありませんわね」

 妖艶な微笑を浮かべた彼女の口調は、馬車の中で見かけたときとまったく同じだ。けれど、アニーだけでなく五人全員が、彼女はあのときからただの乗客ではなかったのだと、察した。――隣にいる男と、彼女が描いた方陣を見て。

 誰かが息をのむ。黒衣の女魔術師が前に出た。そして、アニーは、ますます目つきを険しくした。

「……なんで。どうして、あなたがそいつと一緒にいるの」

「どうしてって。決まっているでしょう、お嬢さん。私は彼と協力関係にあるのよ、一応ね」

「魔女の人形とかいうのを探してるのは、あなたの方なのね」

 アニーは、鋭くささやいた。確信を持っていた。かたわらにいたフェイが目をむき、マリオンがさらに怖い顔をする。銀髪の女性は、鈴を転がすように笑った。否定は、しなかった。

「教えてくれるのかしら」

「訊く意味ないでしょ。そこのまっくろ野郎がとっくに気づいてるもん」

 ずいぶんと口の悪い娘だな、との呟きが飛んでくる。だが、アニーは殺意すら感じられる声を、さらりと無視した。自分の中で煮えたぎる激情をおさえこむだけでせいいっぱいで、他人の殺気になど構っていられなかった。形をもたないものが、腹の底でぐつぐつと音を立てている気さえしてくる。

 謎の女性の、まっかな唇が、いびつな三日月形になる。彼女は、細い指で目の前の方陣をはじいた。瞬間、アニーの後ろでも、何かが光る。目だけで後ろをうかがえば、いつの間にかマリオンのそばで、大きな青い方陣が輝いていた。

「伏せて」

 警告のささやき。アニーが言われたとおり身をかがめ、ついでにフェイも引きずり倒すと、頭の上で熱いものがぶつかって、光った。光りか炎か別の何かか。は確かめようがなかったが、魔術がぶつかりあったことだけは、わかった。アニーはすぐに起きあがろうとして、聞こえてきたマリオンの声に動きを止める。

「この、魔力……。結界をしかけたのは、あんたね。悪趣味なことしてくれるじゃない」

「あら。やっかいなネズミが方陣を消して回っているのは気づいていたのだけど、あなただったのね」

 女の声が空中でぶつかる。見えない火花が散っている気がした。間に挟まれたアニーとフェイは、困り顔をしつつも起きあがる。

「何が目的?」

 マリオンが鋭く問う。怒りといらだちのこもった声に、けれど女性は薄笑いを唇にのせる。

「とっくに気づいているでしょう。魔女の人形――『五色の魔女』に絡め取られて、呪いを受けたかわいそうな子を探しているのよ」

 アニーは、心臓が跳ねるのを感じた。昨日、黒い男から向けられた冷たい声を思い出す。

「結界も、『黒い盗賊』も、全部そのためだったの」

 アニーの問いに答えたのは、女性の方ではなく『黒い盗賊』と呼ばれていた、彼の方だった。今は構えを解いて、剣をだらりと下げている。

「そういうことになるな。欲しくもない金品ものを、さも欲しているかのように恫喝どうかつするのはだるかった」

「あらまあ。人が殺せて楽しかったんじゃないの、オルトゥーズ」

「おまえの目的に付き合わされているうちは、楽しみを味わう気にもならんのさ、ルナティア」

 すぐ隣から、息をのむ音がした。自分の喉が鳴った。おぞましさに、立ち尽くす。……彼らは今、なんと言った?

 彼ら二人をアニーが呆然として見ていると、背後からいらだたしげな声が響いた。

「回りくどいことをしたうえに、一般人を殺したっていうの? 魔女に呪われた人なんて、見つかるかどうかもわからない存在のために」

「あら。確証はなかったけれど自信はあったわよ。『漆黒の魔女』に呪われた北地の子が、このあたりを行き来するという噂は、聞いていたもの」

 マリオンが舌うちし、「どこから漏れた」と吐き捨てた。もう隠すことをやめたらしい。アニーは驚いたが、銀髪の彼女の目線をたどって納得した。難しい顔をして押し黙っている青年に気を取られているうちに、忍び笑いの気配がする。

「さあ。早くここから立ち去りなさい。――ああ、目的のものをくれたら、方陣は解いてあげてもいいのよ。それともあなたが自力で解く?」

「ひとの幼馴染をもの扱いするな」

 声が一段と低められた。強い敵意さえ感じるが、少女はそれを怖いとは思っていなかった。自分のなかの同じものが、おさえきれずに出てきはじめている自覚があったから。ぎゅっと、手をにぎられて、アニーは隣を見る。フェイが、彼女に目を合わせてうなずいていた。いつの間にか彼の手を強くにぎっていた自分に気づいて、慌てた。

 だが、アニーがフェイに謝るより早く、彼らの前で方陣が光った。二人とも、反射的に後ずさりする。と、すぐそばに円環を重ねた方陣が現れて、見えない壁に変わった。跳んできた銀色の魔力の弾丸を打ち消した壁は、やがて澄んだ音を立て、砕ける。

「フェイ、こっちだ」

 後ろからささやきが聞こえた。今まで黙っていたはずの、ロトの声。フェイは、少し迷ったあと、それに従って走る。一方、アニーは、前へ出てきたマリオンを振り仰いだ。

「ほう、やる気か」

『黒い盗賊』の声が弾んだ。大人たちの意図を察したアニーが剣を構えると、マリオンの細い手がその肩を叩く。

「はりきるのはけっこうだけど、時間を稼いで生き残ることに集中してちょうだい。何かあったらことだわ」

「……うん。わかった」

 いい返事、とささやいたマリオンはそれから、相好を崩す。

「あと、あたしは魔術を使ってやりあうけど、ロトほど対応が早くないから頼りすぎないでね」

 あいつの術の発動速度と比べちゃだめよ、とのたまう笑い含みの声に、アニーはぽかんとした。同時に、エルフリーデの言葉を聞いたときの、違和感の正体を悟る。けれど、今は確認の言葉をのみこんで、正面に向き直った。

 流れた一拍の沈黙。「急いでよ、ロト」とささやきが落ちたあと――剣士たちが踏みこんで、ふたつの方陣が描かれはじめた。



     ※

     

     

 フェイが慌てて走った先では、魔術師の青年とその卵の少女が、真剣な目をしていた。彼が遠慮がちに声をかけると、ロトが顔を上げる。

「来たか」

「うん。ぼくは、何をすればいいの」

 少々乱れた呼吸を整えて、そう訊くと、ロトは光る方陣を指さした。

「今からこれを解除する。おまえも手伝え」

「えっ!?」

 フェイは叫んだ。その声は、裏返っていた。彼はひとまず、方陣のそばへ近寄ると、その精密な図形をのぞきこんだ。ひと月前の遺跡探検以降、興味を持って魔術について調べてはいるのだが、この方陣はほとんど理解できない。思わず、目を細めてロトをあおいだ。

「あの。ぼく、魔術師じゃないけど……関わって大丈夫?」

「いい。おまえはエルフリーデの補助だから」

「エルフリーデの?」

 フェイが思わず、青年と少女を見比べていると、彼は軽くうなずいた。

「こいつは知識がないだけだ。魔力じたいはそこらの魔術師より大きくて良質だし、物覚えもいい。教えこめばいい術師になると思うけどな……あいにく、今は講義をしている時間がない。だから代わりをおまえがするんだ」

 どうやって、と、フェイが問う前に、一枚の紙を突きつけられる。戸惑いながらそれを受け取りのぞきこんだ彼は、ぎょっとした。そこには地面の方陣と同じものが描かれていて、さらにそばへ大量の書きこみがしてある。ざっと目を通した限りだと、記号と式の、簡単な説明らしかった。

「ひょっとして、さっきまでずっとこれを……」

「ああ。安心しろ、状況は理解してる。正直、いつこっちに矛先が向くかとひやひやしてるとこだ。だからこそ、手早く終わらせる」

 おまえならできるだろう、と深海色の瞳が語っていた。フェイは改めて、方陣と書きつけに目を通し、うなずく。

 これは学院の試験問題の暗記だ。少なくとも、そう考えれば怖くない。

「――やります」

 フェイがそう言った瞬間、ロトがうなずき、エルフリーデは全身の力を抜いた。フェイはすばやく彼女の隣につく。

 ロトが、方陣の端を指で弾いた。

「じゃあ、始める。エルフリーデはさっき言ったとおり、俺の指示どおりにやってくれたらいい。指示の内容がわからなかったときはフェイに訊け」

「はい」

「フェイはその紙を見て方陣の全容をつかめ。エルフリーデが困ってたら教えてやれ。……どうしてもわからないところが、あるか」

「大丈夫」

 これでも少しは勉強したのだ。ロトの説明文はずいぶん砕いてあるし、理解には困らない。フェイは、それらの意味をこめて短く返した。ロトは一瞬、驚くほど無邪気な笑みをのぞかせたが、両目にはすぐ凍てつくような真剣さが戻ってくる。彼の五指が、方陣を叩きはじめた。

「エルフリーデ、最初の指示だ。――第一周三百五十二番。定義名『ネールス』を削除」

「――はい」

 戸惑いを押し殺すエルフリーデの、冷えきった返事を聞き、フェイは息をのむ。

 そこにあるのは指示と応答。飛び交う言葉と彼らの知識が場を支配する。魔術師たちの、もうひとつの戦いが、始まっていた。

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